第20話 イズメイ・スピナー
「ああ、こういうことでしたか。さすがレイヴン様――しかしまずいですね、これは」
時は遡って、レイからの指示を受けたネフィラがキャット家の屋敷内を捜索し、中庭の東屋から地下に降りた直後。彼女はそこにあるものを見てそう呟いた。
ドラゴンの子供――それも酷く傷ついている。
籠の中で衰弱して浅い呼吸を繰り返す――そのそばには管がぶら下がっていて、血を抜いていたのだろう、隣にある瓶にかなりの量がたまっている。
「いったい、この子どこから連れてきたんでしょう? もしここにいるのが親ドラゴンにバレたら、この屋敷はただでは済まないはずですが……」
ドラゴンは子供をこれでもかと言うほど溺愛する――裏を返せば、子を奪われれば死に物狂いで取り返しに来るし、子を殺せばその周囲一帯が壊滅するほど暴れ回ることで知られている。
それを逆手に取ったのがこの計画だった。
第二王子――キャット家当主を屋敷ごと壊滅させる計画。
聡いネフィラは目の前の状況からすでにそれを推理していた――レイが調べさせた諸々の情報がその助けになったのは言うまでもない。
「ああ、そういうことですか。なるほど。ドラゴンにこの屋敷を破壊してもらうわけですか。この子ドラゴンを衰弱したまま外に放置するか、あるいは殺して吊るすことでドラゴンを呼び寄せるつもりなんですね」
「へー、よく思いついたね」
突然、耳元でささやかれて、ネフィラはさっと距離を取る。
(わたしが、背後を取られた?)
元隠密戦闘部隊『一縷』所属のネフィラにとってそれはほとんどあり得ないことだった。
ほとんど。
例えば、現役のアラクネ族に近づかれた場合を除いて。
その、メイド服を着た女はアラクネ族特有の三対の足をスカートの中に隠して、ニッと笑みを浮かべた。同い年か、少し下くらいの彼女をネフィラはよく知っていた。
「イズメイ・スピナー」
「あれ? 知ってたんだイズメイのこと。ぜーんぜん興味ないと思ってたのにさー」
「知らないわけがないです。元わたしの班ですよね、あなた」
とは言え、イズメイも一年前に『一縷』を抜けている――ある事件を起こして。いわゆる除隊処分を喰らい、そのまま分家であるスピナー家まで追い出されたはずだった。
(まだ生きていたんですね、この子)
焦点が合っているのか解らない薄暗い瞳、幼く無邪気なように見えてどこか仄暗さのある表情、ニッと笑うときに見える不健康な歯茎、その全てがネフィラを不安にさせる。
「ひひひ、嬉しいなー嬉しいなー。班長にまだ覚えててもらえたなんてー」
「わたしはもう班長ではありません。『一縷』は抜けました」
「えーそうなんだー、知らなかったー」
それが嘘だということくらいネフィラにも解っていたが、いまは別に聞くことがある。
「あなた、どうしてここにいるんです?」
「イズメイはお手伝いしてるからー。ご主人様の命令だからー。そのドラゴンの子供の世話もイズメイがしてたんだよー。たくさん可愛がってあげちゃったー。ねー?」
イズメイはドラゴンの子供が入った籠に近づくとガシャガシャと揺さぶった。子ドラゴンは衰弱しているにも関わらず酷く怯えたように顔を伏せる。
「止めなさい」
「んふふー。はーい班長」
全く悪気が無さそうにそう言ってイズメイは籠から手を離す。
そう、本当に悪気が無さそうだった。
きっとイズメイは小さい子が虫を殺すみたいに、無邪気にこのドラゴンの子を殺すだろう。かつてネフィラの班にいたときもそうだった――
(いや、思い出したくもないです)
ネフィラは追い払うみたいに首を振ると、話を続けた――そうしている間だけイズメイが「自分と同じ魔族」だと信じられるから。
気味の悪さから逃れられるから。
「あなたの主人って誰です? キャット家当主、では、もちろんないですよね?」
「言えないよー。ご主人様から禁じられてるからー。イズメイはねー口が堅いんだよー。班長には負けるけどさー。あんなにたくさん毒は飲めないし、あんなに苦しいことできないもんねー」
ニコニコしながらイズメイは言うが、かつての訓練では、この子だってネフィラと同じくらい毒を飲んでいた。
ネフィラは被虐趣味であり、苦しみとか痛みが心地よすぎてそうしていたけれど、イズメイは違う――いまなら違うと断言できる。
はっきり言っておかしい。
気味が悪い。
その感情はネフィラにとって珍しい――と言うよりほとんど感じることのない感情で、だから多分、彼女にとっては唯一無二といっていい天敵だった。
イズメイはそう思っていないみたいだけれど。
「班長ってイズメイと同じ匂いがするんだよねー。なんていうか、皆と違うって言うかさー。だから大好きなんだー」
「そうですか。そんな風に思われてるとは知りませんでした」
「そうだよー。でもさー」
イズメイの顔から笑みが消える。
「なんでイズメイは嫌われるのに、班長は尊敬されるの? ねえねえ、どうして? おかしいじゃん。イズメイも尊敬されたいよ。皆にいい子いい子されたいよ。イズメイをいい子いい子してくれるのはご主人様だけなんだよ。なのに班長は皆に凄い凄いって言われて、羨望の眼差しで見られて、ハーピィ家に捕まったときだって家族だけじゃなくて『一縷』の皆に心配されてたじゃん。イズメイの時は厄介払いできて清々するって顔してたのに! ずるいよ。ずるい。ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!! 班長だっておかしいのに班長だって壊れてるのに班長だって倒錯しているのに、何でイズメイばっかり虐められるの? 無視されるの? そんな目で見られるの!? おかしいよおかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい! だからイズメイはたくさん傷つけるんだ。たくさん傷つけないと頭おかしくなっちゃいそうだから。でも傷つけるとまた皆イズメイを変な目で見るんだ。お前らのせいなのに!! イズメイだって頑張ったんだよ。頑張った。苦しくても辛くても頑張ったのに!! 悪いのは認めないお前らだ。お前らが悪いんだ!!」
怨嗟の声はすでに呪詛。
ボロボロと涙を
相変わらずの無表情――と言っても、もしネフィラが普通に表情を出す女の子だったとしてもここでは同じように無表情に、無感情に、イズメイを見ていただろう。
なぜなら、
「それも、嘘ですよね?」
「あれーバレちゃったー」
けろりとイズメイは舌を出す――涙と洟で顔は汚れているけれど、表情は一瞬で元に戻る。
演技――と言ってしまえばレイの勘違いを思い出してしまうけれど、イズメイの場合は勘違いでも何でもない。
本気で演技をして、
本気で周りを騙す。
特に、
「相変わらず相手に罪悪感を抱かせるのがうまいですね――そうやって何人壊してきたんです?」
「いひひ。褒められちゃったー」
「褒めてません。それにしても……わたしが倒錯しているっていつ気づいたんです?」
「イズメイが破門される直前くらいかなー。ずっと観察しててようやく違いが解ったのー。あー、班長、痛いのとか苦しいの好きなんだなーって。イズメイも壊れてるから、解ったんだー」
充血した目でにっこりとイズメイは微笑む。
ぞっとする。
彼女が何を知っていて何を知らないのか、その仮面の下で何を思っているのか全く解らない。一見すると無邪気に見えるその行動だってきっと、相手を油断させるための演技だろう。
その無邪気さを纏いながら、イズメイは尋ねる。
「ねえ、班長。イズメイと同じ匂いのする大好きな班長はさー、レイヴン・ヴィランが大切なのー?」
「ええ、もちろん」
「じゃあここでこんなことしてられないねー。従者なんでしょー? 守らないとねー。攻撃力も防御力も全部1のあの子をいま誰も守ってないもんねー」
「……だから、このドラゴンの子とキャット家は諦めろってことですか?」
「んふふ。ちょっと違うかなー。イズメイが言ってるのはこういうこと。『レイヴン・ヴィランを守るか、子ドラゴンを助けてキャット家を救うか選んで』」
ネフィラはじっとイズメイを見る。
イズメイは嘘つきだ――それも相当な。
うまい嘘を信じ込ませる秘訣は真実を混ぜることだというけれど、イズメイの場合は、逆だった。
嘘をついていると勘ぐられている状況ですら逆手にとって、嘘をついていると思わせて真実を語る。
嘘を真実だと思わせるのではなく、
真実を嘘だと思わせる。
そうやって相手に判断を誤らせる。
さっきの怨嗟の言葉だって、どこまでが本当だったのかすら解らない。
だから用心する。
それに気づいたのだろう、イズメイは少し頬を膨らませて、
「あ、イズメイがまた嘘ついてると思ってるんでしょー。酷いなー。あー。じゃあ証拠見せてあげるー。イズメイ、頭いいー」
そう言いながら彼女はポケットから、ハンカチを取り出して開いて見せた。
ネフィラの心が少しだけ揺れる。
「……ハーピィ家の紋章ですか」
「そうだよー。いひひ。ドラゴンを使ってキャット家を破滅させる計画はずっとあったんだけどねー、そこにちょうどレイヴン・ヴィランがやってくるって話があったから、混乱に乗じて誘拐しちゃえって思ったみたいだよー。ハーピィ家はものすごく怒ってるからねー。レイヴン・ヴィランはいま頃ぐっすり眠って運ばれてるところだよー。ねえ、どうする? どうする?」
ハンカチをしまいながらクスクス笑ってイズメイは言う。
「レイヴン・ヴィランを守る? それとも、子ドラゴンを助けてキャット家を救う? でもそんなの決まってるよねー?」
「ええ、もちろん決まってます」
ネフィラは即答した。
「ドラゴンの子を助けて、キャット家を救います」
「そうだよねえ。ご主人の方を………………え?」
イズメイのそんな顔を見るのは初めてかもしれないとネフィラは思った。
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