第19話 故郷の最期

 彼女の異名のように紅いお茶を注がれたカップが湯気を立てている。

 それを口に含んでファルメイアは渋い顔をした。


「……イマイチね」


「申し訳ありません」


 主人の苦言に頭を下げて謝罪する執事服のレン。

 夜のファルメイアのティータイムでの事であった。


「まー私は理解のあるご主人様だからね。できない事を最初から怒ったりはしないわ。頑張ってものにしなさいよ」

「努力します」


 微妙な顔で紅茶を飲んでいるファルメイアをチラリと窺うレン。


(毒見も……させないんだな)


 今、彼女の私室には自分と二人。

 毒見をさせたいなら自分がやるしかないのだが、ファルメイアは初めて二人で夜のお茶をした時からレンに毒見を要求する事はなかった。


(もしも部屋に来る前に茶葉かカップに毒を仕込んでいたら……)


 あっさりと毒殺が成功してしまう気もする。

 俯いて目を閉じ、レンはその考えを打ち消した。


 そもそもそんな猛毒など所持していない。

 手に入れる伝手もない。

 手に入れようとしてあれこれ動けば入手より先に事が露見してしまう気がする。


 ……それに、毒殺は嫌だ。

 何故かレンはそう思った。

 彼女を殺めるのなら直接この手で……徒手空拳では流石に荷が勝ちすぎるか。

 それならば……せめて刃物がいい。

 そして願わくば死の前にお前を殺すのは自分であると……このレン・シュンカなのだと認識させたい。


 イグニス・ファルメイア。

 帝国の天魔七将『紅蓮将軍』

 自分の故郷を焼き払い、家族や友人を殺した女。


 レンの故郷、都市国家シンガンは本と学問の街であった。

 街中に図書館や学問所があり多くの学者や文筆家が暮らしていた。

 住人に獣人や半獣人の数が多いのも特徴だった。


 古の賢人リクウ。

 その一番弟子であり従者であったリョウアンの作った街である。

 リョウアンから数えて十六代目の太守がレンの祖父リュウコウだった。

 リクウの教え『いかなる権力にも与するべからず』を忠実に守り帝国の属領になれとの要求にも屈しなかった街。

 ……とはいえただ突っぱねてきただけというわけではない。

 正式に属領となる事はないが帝国には毎年他の属領と同じ額の税金を納めてきた。

 それ故に帝国から数十年、形だけの中立都市という在り方を許容されてきた。

 広大な帝国の版図にぽつんと小さな染みのようにシンガンは中立都市であり続けた。


 ……それが急に崩れたのが半年前。

 帝国は突然、シンガンに対し完全なる服従を要求してきた。

 表向きだけの中立も認めないと。


 そして……紅蓮将軍が帝都から派遣されてきたのだった。


 歳若い美しき深紅の将軍はあくまでも要求を拒んだシンガンを焼き払った。

 その残酷な行いは七将絶対の帝都ですら賛否両論が巻き起こったという。


「……レ~ン~?」


 物思いに耽っていたレンは主人の不機嫌な声にハッと我に返った。


「あんたねえ、私の前で上の空とか大胆不敵が過ぎて紅蓮将軍ビックリなんですけど」

「す、すいません。……少しボーッとしました」


 半眼のファルメイアに慌ててレンが頭を下げる。


「……平気なの? 辛いなら言いなさいよ。なんか、あんたそういうの抱え込みそうだし」


 訝し気に自分の顔を覗き込んでくるファルメイアにレンの鼓動が一度強く鳴った。

 ……悟られるわけにはいかない。

 この胸に抱えているものについては。


「大丈夫です。模擬戦の授業があったんですが、皆……レベルが高くて。付いていくのが大変だと考えてました」


「あ~、まあね……曲がりなりにも帝都で一番のエリート軍人養成校なんだから仕方がないわね」


 納得したようにうなずいてファルメイアはカップを口に運ぶ。

 ……そしてやっぱり微妙な顔をした。


「シルヴィアに言ったんだけどね。あんたの武術見てあげられないの?って。難しいみたいね。シルヴィアが使うのは帝国流拳術だけど、あんたのは違うんでしょ? 土台が違ってるから自分が口を出したら逆効果だろうって」


「はい。異国のものらしいです。詳しいことは俺もよくわからないんですが……」


 レンの使う格闘術は師であるソロン仕込みの異国のものだ。

 その深奥は学ぶ前に彼の下を離れてしまったので知る由もない。


「じゃあ別方向で頑張るしかないわね。……新技とかどう? 毒霧を吹くとか」

「イヤですよ。クラスに毒霧吹く奴いるとか皆嫌がるでしょ……」


 ただでさえここの所クラスでの立ち位置が微妙になってきている気がするのに……と。

 本気で嫌そうな顔で言うレンであった。


 ─────────────────────────


 屋敷で働き、学園で学ぶレンの毎日は続いていく。

 だがその日々が変化しつつある。


「レン、おはよ」


 校門の所でカバンを手にしたヒビキが駆け寄ってきた。


「いい朝だな!」

「おはよう……ナグモ」


 そう挨拶を返すと無言でヒビキがレンの顔を見てくる。

 何故か、無表情の彼女が内心で悲しげな表情をしているのがレンにはわかった気がした。


「何だよ。名前呼べよ。他人行儀だろ……?」

「あ、いや……それは……」


 動揺して言葉に詰まるレン。

 中々にハードルの高い行為である。

 この年齢で異性の友人を名前で呼ぶことは。


「まあ、お前が照れ屋なのはよくわかってるけどさ。でも、なんていうか、その……ちょっと寂しいじゃん、そういうの」

「……………………」


 困惑しているレン。

 彼は今とっても困っていた。

 大体が同年代の異性など好意を持たれていない相手でもどう接してよいのかよくわからないのだ。

 こうまであからさまに好意を向けてくる相手の扱いなど言わずもがなである。


 ……まして自分はド級の爆弾を抱えた身だ。

 いつその爆弾を爆発させて消えるのかわからない存在なのだ。

 できるならばドライな関係になって距離を置いてほしい。

 だがこのままやっていたらもう、それは難しそうだ……。


 レンが拳を握りしめる。


 嫌われるのもやむをえまい。

 彼女を傷付けても関係を悪化させるしかないのかもしれない。


「鬱陶しいな」

「……え?」


 低い声で言うレンにヒビキが呆気に取られたような反応をした。


「鬱陶しいって言ったんだよ。俺に擦り寄ってくるな!」


 低く抑えた……だが強い口調で言い放つ。

 その台詞を口にしながらレンの胸がずきんと痛んだ。


「……レン、お前……」


 フラッと一歩ヒビキがその場から後ずさった。

 微かに彼女は震えている。


(そうだ。これで……これでいいんだ)


 内心でレンがほろ苦く笑った。

 これでお別れだ。

 願わくば、彼女にこれからいい友達ができてくれたら……と、そう思う。


「レン……そうか、よくわかったよ。アタシが悪かった」


「ん?」


 何か勝手に納得したようにヒビキはうなずいている。

 なんでそういう反応? とレンが怪訝そうな顔をした。


「お前も年頃の男の子だもんな。そんなチャラチャラした感じじゃなくてもっとこう……いかめしい感じで行きたいのか。『オレに近付くんじゃねえ! オレは呪われた運命に生きてるんだ!』みたいな」


「えぇ……」


 顔を強張らせるレン。

 何だその痛々しくも香ばしい青春の黒歴史みたいなキャラは……。


「あれだよな? 右手に何か封印されてるとか言って包帯とか巻いちゃうヤツだよな? 大丈夫だぞ、アタシはそういうのも理解あるからな」


「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 動揺しすぎて顔中に嫌な汗をかいてシリアスな表情になっているレン。

 このままでは右手が定期的に疼いている男にされてしまう。

 それはまずい。そして彼女がそんなキャラに理解があるように振舞われるのは重ねてよろしくない。


「お前がそういうのがいいんならアタシだって付き合う覚悟はある! 実はな……アタシには新月の夜にだけ現れる別の人格があって」


「キャー!! 勘弁してください!! 聞いてる俺が痛い!! 胸が痛い!!」


 とにかくヤケクソになったレンが悲鳴を上げた。

 それで何事かと様子を窺っていた周囲の生徒たちが「関わらないほうがいい」とばかりに皆一様に顔を背けて蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。


 立ち尽くすレンの二の腕をしっかりとヒビキが両手で抱え込む。


「わかったか? アタシは理解ある女なんだぞ。お前のどんな設定だろうと性癖だろうと受け止めてやるからな」


「ないんで……ほんと何もないんで、設定とか性癖とか。すいませんでした、マジで」


 もう全てを悟りきった物静かな表情で謝罪するレンであった。

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