第14話 巨獣、皇帝に迫る

 覚醒状態で自らの命を狙った刺客たちを屠ったヒビキ。

 たった今斬り捨てた者たちの事など既に意識にない彼女は倒れているレンに駆け寄った。


「レンっ……!!」


 抱き起こしたレンは苦悶の表情を浮かべて呼吸を荒げている。

 クナイを引き抜き投げ捨てるヒビキ。

 呻いたレンが咳き込み血を吐いた。

 クナイに毒が塗ってあったことは疑いようがない。連中の常套手段である。

 だがそれだけにこちらも準備がある。

 狐耳の少女は携帯している毒消しの丸薬をレンの口に押し込むと竹筒の水筒を手にする。

 水で薬を飲み下すレン。

 だがこれは応急処置だ。

 これだけで完全に解毒できるというものではないし、傷も深い。


(早くこいつを治療できる人の所まで連れていかないと……!!)


 内心の焦燥に急き立てられヒビキはレンを背負った。


「……!!!?」


 ……そして、その瞬間彼女の足元の地面が大きく揺れた。


 ────────────────────────


 森の獣たちが一斉に騒ぎ出した。

 勢子に追い立てられるまでもなくそれらは次々に森から飛び出してきて散り散りに逃げ去っていく。

 それはまるで天変地異の前触れのようだ。

 続いて大地がぐらぐらと揺れる。

 強い力でゆっくりと揺さぶられているように。


 ……何かが。

 とてつもなく大きなものが地の底から姿を現そうとしている。


 動揺する周囲の騎士たちの中でファルメイアは一人悠然とその場に立つ。


「…………………」


 鋭い視線を森に向ける紅髪の女将軍。

 森の奥の地面が大きく盛り上がって小山を作っている。

 大量の土砂や木々をまき散らしながらは土の下から現れた。


「ヴォルガークか。久方ぶりに見るな」


 動じていないのは皇帝も同じ。

 ザリオンは椅子に座って森の向こうに現れた巨大な生き物を見ていた。


 魔獣ヴォルガーク。

 魔獣と呼ばれているが亜竜に属する生き物である。

 二足立ちした時の全高は50m以上にもなる。

 強靭な後ろ足と小型の腕に長い尾を持ち全身を岩石のような表面の黒灰色の鱗で覆っている。

 頭部の形状はトカゲかワニに似ており裂けた口には鋭い牙が並ぶ。


 本来人前に姿を現すことは滅多にない魔獣だ。

 人が未踏の険しいエリアに生息している生き物である。

 普段は地中深くに巣穴を作りそこで眠っていることが多い。

 土中を移動することが可能でマグマの中ですら活動できるという。


 皇帝の周囲に控える近衛衆たち。

 その中でジンシチロウも現れた巨大な魔物を見据えている。


(先ほどの響の殺気に引かれて出てきたか……)


 看破するジンシチロウ。

 この歴戦の剣客の見抜いた通りに地下で眠っていた魔獣を起こしたのは覚醒したヒビキが放った強大な『気』であった。

 だが今は彼女は殺気を鎮めその気配は消えている。

 目標を見失った魔獣はそれとは別の大きな気配に……即ち森の外にいる強者二人、皇帝ザリオンと紅蓮将軍ファルメイアに興味を移した。


 木々を薙ぎ倒しながら森の外へ向かって移動を開始するヴォルガーク。


「陛下、お下がりください!」

「たわけたことを申すでないわ。狩りの途中だ」


 撤退を進言する近衛兵に嘆息交じりに返したザリオン。

 帝国の狩りのルールでは双方の陣地である陣幕周辺の一定のエリアから狩り役が出てしまえば失格になる。


「お前たちこそ退いておれ。余も歳で手元が怪しくなってきた。上手くお前たちだけ仕分けてやれるかわからぬぞ」


 絶句する近衛兵をジンシチロウが「離れていよう」と仕草で促す。


 天を突く巨大な魔物が迫る。


 皇帝ザリオンが……帝国の最高権力者が。

 齢80も近い老人が独りそれを迎え撃つ。


「今日は色々とあるな。実によい余興となった」


 陣幕より出てくるザリオン。

 その手には弓ではなく愛用の大剣がある。

 傭兵時代からずっと愛用し続けている武器だ。

 形状は権力者が使うにしてはあまりにも武骨であり、剣というよりかは大きな鉈に近い。


 顎を上げ空に向かって魔獣が嘶く。

 それは威嚇の雄叫びである。

 目の前の取るに足らぬ小さな生き物がかつてない難敵であることをこの巨大な生き物は野生の本能で見抜いているのだ。

 ……だが、悲しいかな。

 生まれてこの方獲物を仕留めそこなった経験のないこの魔獣は逃走するという選択肢を選ぶことができなかった。

 否、その選択肢は初めからなかったのである。


 ザリオンが大剣を右手で高く振り上げる。


「盛り上げ役……大儀であった」


 そして老人は剣を振り下ろす。

 その一瞬。

 ほんの一瞬のことであるが世界から音が消える。


 次いで周囲に吹き荒れた暴風が陣幕を乱暴にバタバタと鳴らした。


「……歳は取りたくないものだ」


 ずしん、と大剣の先を地に突いて深い息を吐き出すザリオン。


「こやつだけ斬るつもりだったのだがな」


 縦に両断された巨大な魔獣が左右に分かたれて別々に大地に崩れ落ちていく。


 ……そしてその足元には底を窺うことすらできない程に深く一直線に開いた大地の裂け目がどこまでも続いているのだった。


 ────────────────────────


 陣幕へ戻り再び椅子に腰を下ろした皇帝。

 巻き込まれないように離れていた近衛兵たちが彼の周囲に戻ってくる。


「お見事でございました」


「うむ」


 近衛兵の一人がザリオンから大剣を受け取る。

 両手でしっかりと支え持っているにも関わらず彼は剣のあまりの重量によろけないようにするので必死であった。


「これで狩りの勝敗も決まりでございますな」


 続いた近衛兵の言葉に近くのジンシチロウは静かに目を閉じた。


(……いや)


「そう見えたか。未熟者め」


 無言で否定するジンシチロウと同意見であったらしいザリオンが薄く笑った。

 その意図を察せず、近衛兵はぽかんとするのみであった。


「おい、見ろこれ」


 その時、陣幕の外で魔獣の死体を検分していた近衛兵が同僚を呼ぶ。

 呼ばれて指差すほうを見た近衛兵が驚いて硬直している。


 両断された巨大な魔獣の頭部……その右半分が完全に炭化して崩れ落ちている。

 周囲には焦げ臭いにおいが漂い遺骸はまだぶすぶすと黒い煙を上げていた。


「炎? どこから……」


 言いかけて近衛兵はすぐに誰の攻撃によるものかを察した。


 吹き飛んだ頭部は右側。

 赤の陣幕……彼女の陣の方向だ。


 彼らは知る由もないが、その細く鋭い炎の矢が魔獣の右目に突き立ち頭部を半分吹き飛ばしたのは皇帝の一撃が炸裂する直前のことだった。


「ふふふ、流石に抜け目のないやつよ」


 琥珀色の液体の満たされたグラスを傾け楽し気に笑うザリオン。

 そこで俄かに陣幕の外が騒がしくなる。


「すいません、誰か!! 治療を頼む!!」


 叫んでいるのはヒビキだ。

 瀕死のレンを背負って彼女が戻ってきたのだ。


「どうした? 何があった」


 その声を聞いて即座にジンシチロウが陣幕の外に出てくる。


「父上様!! こいつが……アタシを襲った刺客からアタシを庇ったんだ!! 毒を受けてる!! 治療してやってくれ……お願いだ!!」


 父に縋りつくようにして悲痛な声を上げたヒビキ。

 彼女を抱き留めジンシチロウが強くうなずく。


 そこにザリオンも出てくる。


「術師を呼べ。死なせるな」


 傍らの近衛兵に命じた皇帝。

 すぐに担架が呼ばれて治療術師たちのいる陣幕の内側へレンが運び込まれていった。


 ヒビキはそれを見送り青い顔をしてうつむいている。

 そんな彼女の肩を力付けるようにジンシチロウが抱いた。


「大丈夫よ。あいつは死なない」


 その声に親娘が振り返った。

 そこには深紅の鎧の女将軍が立っていた。

 ヒビキは直接会うのは初めてだ。

 だが、彼女の顔と名はよく知っている。


 紅蓮将軍イグニス・ファルメイア。


「……あんた、やる事があるんでしょ。こんな所で死んだら承知しないわよ」


 わずかに目を細め、ファルメイアは口の中だけで呟くのだった。

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