第15話 東の国から来た親娘
その日は珍しく自習を言い渡されレンは教室で一人テキストに向き合っていた。
古びた小さな教室。
師の自宅を兼ねた建物の中にその一室はあった。
しばらくして師のソロンが戻ってくる。
「……先生?」
ボサボサ髪と無精ひげがトレードマークの中年男であるソロン。
彼はそれまでレンが見たことのないような険しい表情をしている。
苦しげであり、そして悲しげであった。
師の顔に何か大きなトラブルがあった事を察してレンは胃の中に鉛の塊が生じたような心地になった。
「落ち着いて聞け、レン」
そして、ソロンが口を開く。
………………………………………。
それから10分後にはレンは馬上の人となっていた。
故郷への道をひたすらに馬を走らせる。
師が自分に告げたのは故郷が……シンガンの街が帝国軍に包囲されたという情報であった。
戦争になるかもしれない、と。
(ああ、これは夢だ。俺はまた、夢を見ている……)
馬を走らせながらレンは思った。
あの日は、実際にはこんなにスムーズに故郷へ向かう事はできなかった。
師に止められ、一旦はそれに納得したふりをしてそれから馬を借りて故郷へ向かったのだ。
そして、生まれ育ったシンガンへ戻った自分を待っていたものは。
……炎に包まれ焼け落ちていく故郷だった。
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ゆっくりと目を開く。
どこか知らない部屋。消毒液の臭いがかすかにする飾り気のない部屋のベッドに自分は寝かされているようだ。
後ほど聞かされることになるのだが、ここは学園に隣接された治療院の一室である。
この時点での彼は知らないが刺客の毒刃に倒れて意識を失ってから二日が経過している。
身を起こそうとしたレンが背中に走った鈍い痛みに顔をしかめた。
(……そうだ、俺は……ナグモを庇って……)
もやもやとしていた頭の中が徐々に整理されていく。
意識を失う直前の出来事をレンは思い出していた。
「目が覚めた?」
声がして、そっちを見る。
ベッドの傍らに椅子を置いてそこに足を組んで座り本を読んでいたファルメイア……彼女がレンを見ていた。
「ファルメイア……様」
真顔で自分を見ている主人の顔に先程まで夢に見ていた燃える故郷の光景が一瞬だけチラついた。
「あんた自分が何をやったか覚えてる?」
「はい。その……ナグモが襲われていたので……」
声量が徐々に落ちていったのはファルメイアの表情を見ていたからだ。
……機嫌がよろしくない。
自分に向けられた視線がどんどん冷気を増しているのがわかる。
「その…………」
「それを私が『よくやった』って褒めると思った?」
トゲのある主人の言葉にレンは首を横に振る。
……彼女の怒りは理解できない事はない。
ここまででもファルメイアは自分にかなりの『出資』をしている。
彼女的に見れば自分の将来性を見越してのことなのだろう。
それがいきなり全部水泡に帰すところだったのだから。
「言ったわよね。あんたは私のものだって。そのあんたが私の知らない所で勝手に死にそうになってるんじゃないわよ。しかも何? 他所の娘をかばって? 何よあんた、そんなにあの娘に入れ込んでたの? 会ってまだちょっとしか経ってないじゃない」
「……すいません。軽率でした。咄嗟に身体が動いてしまって……」
半身を起こした姿勢のままで深く頭を下げたレン。
謝罪する以外の対処法が彼には思いつかなかった。
場に沈黙が舞い降りる。
1分ほど経過した頃であろうか……ファルメイアはフゥと軽く息を吐く。
「結構ヤバい毒を使われてたのよ。陛下が連れてる回復術師は全員超一流だからなんとかなったけど」
ファルメイアの言葉に一瞬身震いしたレン。
命に執着はないつもりではいるのだがそれでもいざそれがすぐ目の前にあった事を知らされると心に強い寒気を覚える。
「自分の身体だって大事にしなさいよね」
その言葉は先程までのような静かな怒りのものではなく、どことなく諭すような響きがあったように思う。
「……気をつけます」
レンはそう答えた。
……内心では、それは無理な話だと、そう思いながら。
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レンは知らなかったが、彼が意識を失っている間に何人も見舞いに病室を訪れていたらしい。
とはいえ面会謝絶の状態であるレンには主人であるファルメイア以外の者は実際彼を見舞う事は叶わなかったのだが……。
ファルメイアの次に意識を取り戻した彼に面会したのは意外な人物であった。
「娘が本当にお世話になった。父親として君には深く感謝する」
深々と頭を下げるジンシチロウにレンは恐縮する。
狐頭の剣客は今日は近衛の兵装ではなく着物に袴姿のトウシュウの普段着姿である。
「時間を……少し貰えるだろうか。このような事になった経緯を君には話しておきたい」
レンが肯くとジンシチロウは椅子をベッドの脇に置いてそこに腰を下ろす。
「この話は私と皇帝陛下しか知らぬ話だ。今回の一件があり、ファルメイア将軍にはお話したのだが……」
ジンシチロウがレンに語って聞かせたのは彼ら一家がトウシュウを離れ帝国へやってきたその理由についてだ。
トウシュウとは帝国のある大陸の海を隔てた東にある群島国家である。
大陸の民は群島を纏めてトウシュウという国だと思っている者が多いのだが、実際はその中で更に小さないくつもの国が存在し、そこにはそれぞれ『ダイミョウ』と呼ばれる国主が存在していた。
南雲陣七郎はその一つの国のダイミョウに仕える『家老』と呼ばれる重職……帝国で言えば宰相に近い職に就いていた。
だがその国のダイミョウである鍋島家の殿は暴君であり民は苦しんでいた。
それを見かねたジンシチロウは何度となく主君に忠言したのだが聞き入れられることはなかった。
ジンシチロウは絶望し、妻と生まれたばかりのヒビキを連れて国を出た。
そして、帝国のある大陸にやってきたのだった。
「私が去った後で、国は滅びた。隣国に攻め滅ぼされてしまったのだ。そして……生き残りの者で、国が滅びたのは私が国を捨てたからだとする者たちがいた」
「そんなの……逆恨みじゃないですか」
顔をしかめるレンにほろ苦く笑ったジンシチロウが首を横に振る。
「それはわからぬ。私が国に残っていれば御家の滅亡は避けられたのかもしれん」
実際、ジンシチロウの有能さは他国にも知れ渡っていた。
彼が残っていれば攻めてくることはなかったのかもしれない。
今となってはそれを確める術はないが……。
「その残党が君を傷付けた者たちだ。御庭番衆……主家に仕え諜報や暗殺、様々な工作を行う集団だ。あの後で狼藉者たちの亡骸は回収され私も検分した。頭領だった男と主要な手下は全員命を落とした事がわかった。これでもう、娘も襲撃者に警戒して暮らさなくてもよくなる」
ジンシチロウが両膝に手を置き再び深く頭を下げた。
「君のお陰だ。本当にありがとう」
「いえ、そんな……」
レンは慌てている。
彼はそんな大層な事をしたつもりはない。
よくわからない争いに勝手に飛び込んで、一撃受けて死に掛けた……それだけの事だ。
そんな彼を見てジンシチロウは穏やかに微笑んで、そして立ち上がった。
「この恩は忘れない。いずれ何らかの形で必ず報いよう。今はどうかゆっくり身体を休めてくれ」
一礼したサムライが静かに病室を出て行く。
何とはなしに緊張していたレンはフーッと大きく息を吐いた。
しかし気を休める暇はなかった。
出て行ったジンシチロウとほとんど入れ替わるようにしてまた一人彼の病室に入ってきたからであった。
「……ナグモ」
入ってきた狐耳の少女を見て思わずその名が口に出るレン。
「よう、具合はどうだよ……レン」
目線を逸らしぶっきら棒に言った彼女の頬は差し込む陽光のせいか若干紅潮して見えた。
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