第13話 斬鬼覚醒

 木々の間を疾風のようにいくつもの悪意が駆け抜けていく。

 その者たちは森林での隠密行動に適した緑を基調とした迷彩柄の装束に身を包んでいる。

 今日は雇われ者はいない。全員が東の国から来た手練れの隠密たちだ。

 怨敵の娘を付け狙う恨みの化身たち。

 彼らの冷たく光る双眸に前方を行く銀の髪の娘の後ろ姿が映った。


 暗殺者が自分を狙って間近にまで迫っていることはヒビキも気付いていた。

 だから彼女はレンから距離を取ったのだ。彼を巻き込んでしまわないように。


(まさかこんな所で仕掛けてくるなんてよ……甘く見てたな)


 額に掛かる美しい銀色の前髪の下の形の良い眉をひそめたヒビキ。

 今日この森の周囲は帝国兵により厳重に警護されている。

 狩りが始まってから森へ侵入するのは不可能なはずだ。

 つまりこの刺客たちは何日も前から森に潜んでいたということになる。

 狩りの情報を得てすぐに森へと入ったのだろう。


 開けた場所に着いた。

 ヒビキはそこで足を止めた。


 愛用の槍刃を抜いて周囲を窺う。

 ぴりぴりと表皮が痺れるような不快感。

 その感覚が今日はいつもよりも強い。


 友達がいたことなど一度もない。

 いつ刺客が襲ってくるかわからない自分に友人と過ごす時間などありはしなかった。

 帝国へ来てからはいつも自分には父か派遣されてきた腕利きの護衛が付いていた。

 彼らが襲撃から自分を守ってくれていた。


 娘が一人前の剣客になったと判断した時、父は護衛を付けなくなった。

 ……その日から彼女は襲撃者は自分で斃さなくてはいけなくなったのだ。

 それから数年……ヒビキが返り討ちにしてきた刺客たちの数は果たして何人になるか。

 既に数えることをやめて久しいが数十名に及ぶことは間違いない。


「青春を返せなんて言う気はないけどな……」


 珍しく内心の思いを声に出して彼女は周囲を見回す。

 自身が襲撃者の存在に気付いているという事を襲撃者たちもまた気付いている。


「こんな遠い遠い国までわざわざアタシに殺されるために来たって事だよな。ハッ、ご苦労様なこったぜ」


 感情のない声でそう言って彼女は樹上から襲い掛かってきた暗殺者へ向け白刃を煌めかせた。


 ────────────────────────


 放たれた矢が虚空に大きくアーチを描いて獲物に突き立つ。

 叫び声を上げて草原に転がったのは巨大な猪だ。


「流石にまだ大きいのは来ないわね」


 弓を下ろして瞳を細めたファルメイア。

 たった今射倒された獣は数百kgクラスの十分な大物なのだが、彼女の判定ではこれでも小物であるらしい。


 そして紅の髪の女将軍は隣の陣幕の方を見た。

 白の陣からも時折矢が放たれ何匹もの獲物を地に這わせている。

 その矢の速度はファルメイアのものよりも速く飛距離は遠い。

 ちなみにファルメイアもザリオンも弓は得意とする武器ではない。

 それでも両者ともに達人級の腕を披露している。


「……ほんと、元気な御爺様だこと」


 口を尖らせるファルメイア。

 彼女は相手が皇帝であろうと勝負を譲る気など微塵もないのだ。

 むしろ大差で勝つ気でいる。

 ザリオンは茶番が嫌いだ。

 接待プレイなどしてみようものならたちどころに見抜かれて不興を買うだろう。


「頼むわよーレン。ドラゴンとか引っ張ってきなさいよね!」


 無茶苦茶言うファルメイアに近くに控える騎士が表情を強張らせるのであった。


 ────────────────────────


 ……一人斬った。

 足元に転がる骸と化した刺客。

 だが襲撃者たちは連携を乱さない。木石のように心を動かすことなくヒビキを追い詰めていく。


「……………………」


 彼女の端整な顔が歪む、その頬を冷たい汗が伝って落ちる。

 かつて感じたことのない危機感が徐々に彼女の呼吸を乱していた。


 死兵。

 自身や同胞の死も織り込み済みで敵は向かってくる。

 目的を果たす……即ちヒビキの命を奪うその事のみに特化し他の余計な部分は全て削ぎ落した殺戮機械となって忍が襲ってくる。

 その無機質な殺意に彼女は恐怖した。


 平常心で向き合えば勝てる相手ではあるのだが……復讐者たちの怨念は彼女の内面をじわじわと侵しつつあった。


(後……四人!!)


 襲ってきている忍は五人。その内の一人は斬った。

 これ以上動揺で動きが鈍る前に決着をつけなくては……。

 そうヒビキは思うのだが……。


(甘いわ娘。我ら五名……全て囮)

(お前を仕留めるのは我らに非ず。御頭よ)


 完璧な連携の統一された意思の下……その場に潜む六人目がヒビキを狙っている。

 御庭番衆頭領……門真かどま弦斎げんさい

 熟練の隠形によってヒビキはいまだ弦斎の存在を捕捉できてはいない。


 弦斎の手には猛毒を塗布したクナイがある。

 これが命中すれば全てが終わる。

 彼らの復讐が終わる。

 裏切り者は……南雲陣七郎は最愛の娘を失った絶望を抱えて惨めに生きていけばよい。


「鍋島の御家の恨み……今こそ!!」


 怨念の一打が投擲されようとしたその瞬間、その場に突如として姿を現した者がいた。


「……ナグモっ!!!!」


 叫びながら乱入したレン。

 森の中で感じ取った不吉な殺気を追って彼はここまでやってきた。

 そして、互いに相手に全神経を集中していたヒビキも襲撃者たちも彼の接近を感じ取ることができず、

 たまたまレンが姿を現した場所からクナイを構える弦斎が見えていたのだ。


 何かを投げつけようとしているのはすぐにわかった。

 その相手に対してチハヤは背を向けている。


(ぬうッッ!! 何奴!!?)


 突然乱入してきたレンに意識を向けつつも弦斎はクナイを放った。

 その狙いは正確であり、タイミングも完璧である。

 ヒビキは……かわせない。


 一目でレンは凡その状況を把握していた。

 ヒビキが襲撃を受けている。

 そして、彼女の気付いていない位置から刃物のようなものを投げ付けようとしている者がいる。


 自分はどうするべきか。

 そんな事はレンは考えなかった。

 何かを思ったり考えたりする前に彼はもう走り出していた。

 ヒビキからも弦斎からも等間隔に離れておりどちらに駆けつけることもできない。

 だから彼は投擲されたクナイの軌道に身を投げ出した。


「……ぐッッ!!!!」


 背に感じた衝撃と……そして傷口をまるで焼かれているかのような激痛。

 大地に投げ出されて激しく揺れる彼の視界に振り返ったヒビキの姿があった。


「レン、お前……」


 呆然と呟いた狐耳の少女。

 彼の叫び声に振り返ったその時、彼女は自身の察知していなかった六人目の刺客の姿を初めて視認する。

 そして近くに倒れているレン。

 その背に突き立ったクナイ。

 彼女もまた一目で自分の背後で起こった出来事を理解した。


 ひゅっ、と喉が鳴る。

 同時に彼女の心を満たしたものは氷点下の恐怖と……そして怒りだった。


 誰かが……それも自分が知る、自分を知る者が襲撃の巻き添えになった事はこれまで一度もない。

 それが今、起きた。

 自分が巻き込んだ。

 目の前で倒れた彼は深く傷付いている。


 かしゃん、と音を立てて槍刃が地に落ちる。


(!! 武器を手放した!!)

(勝機!! 散るがよい!!!)


 それを見逃す刺客たちではない。

 四人の刺客たちが一斉にヒビキに向かって襲い掛かる。


「……よくも……」


 その瞬間、彼女が発した小さな小さな呟きは誰の耳にも届くことはなかった。


 周囲の音が消える。

 その場にいたものはそう感じる。

 というよりも急に深い海の底に引きずり込まれたかのような感覚。

 ただ闇がある。

 音も光も何もない……そんな感覚に忍は全員動きを止めていた。

 そしてそれをもたらしたものが途方もない恐怖であるという事に気付く間もなく彼らは絶命していたた。


 その気配は深い森の奥より外の草原にまで伝播する。


「……ほう、何事だ?」


 皇帝ザリオンは弓を下ろし森のほうを仰ぎ見た。


(この殺気。また一つ……成ったか、響よ)


 ジンシチロウは複雑そうな表情で目を閉じる。

 娘が戦士として一段高みへと登った、そう確信して。


「はは、は……何だ? 何なのだこれは……」


 門真弦斎は乾いた笑いを発してただその場に立ち尽くす。

 逃げるのか、立ち向かうのか……そのどちらも不可能であった。

 恐怖から身体が言う事を聞かない。

 だから彼はただその場に立ち尽くしている。


「何だお前は? 一体何だというのだ……」


 目の前にはヒビキがいる。

 武器を落とし、素手のままで瞬く間に自分以外の刺客を全員殺めた少女。

 物言わぬ骸と化した同胞たちは全員が首をおかしな方向へ曲げて地面に転がっている。


 そして彼女は槍刃を拾い上げて今自分の前にいる。


 これから自分は斬られるのだ。

 そして命を落とすのだと。

 麻痺しかかった思考でもそれだけはわかった。


 ……だが、彼女は自分に背を向ける。

 そして歩み去っていく。


(……見逃すつもりか!?)


 そう考えた瞬間、滑り落ちるように弦斎の視界は斜めにズレる。


(ああ、違う違う)


 視界いっぱいに広がった茶色い地面。

 少し目線を動かせば未だに立ち尽くした体勢のままの自分の二本の足が見える。


(とうに斬られておったのだ)


 そして斜めに切断された上体だけを地に転がして弦斎の意識は闇に沈んでいった。

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