第11話 月下の怨霊
……足元がぐにゃりと歪んだ気がした。
「何を死にそうな顔してんのよ」
「死にそうな気分だからですよ」
主人の……ファルメイアの言葉に対するレンの返答は本人も自覚できる程掠れていた。
すっかり恒例となっている彼女からの唐突な呼び出し……それについてはもうレンも特に思うところはないのだが……。
そこで彼はとんでもない事を言い渡されたのだ。
「皇帝陛下の狩りに自分がお供するのですか……?」
「ええ。まあ正しくは私のお供ね。あんたを見てみたいから連れてこいですって」
残念ながら聞き間違いではなかったらしい。
何故、どうして皇帝ザリオンが自分の事など知っているのだろうか?
等と考えてみたところでもうどうしようもない。
全ては決定してしまっている。
そこまでの過程も、そしてこれからの事も自分の意思の介在する余地などこれっぽっちもないのだ。
「心配しなくたって陛下は暴君じゃないから。普通にしてりゃ殺されるような事にはならないわよ」
(生命の心配は流石に……ほんの少ししかしてないが……)
ほんの少しは命の心配をしているレンである。
ともあれ皇帝が見たいと言って呼ばれている以上、顔を見てハイ満足しましたというような話ではあるまい。
「ま、あんたがつまらない奴だと思われたらそれっきり忘れられるでしょうけどね。あんたを見たいっていうのはあんたに目を掛けてる私の見る目を確かめてやるって意味もあるのよ。わかってる~? 優秀なレンくんは御主人様に恥をかかせたりしないわよね~?」
顔色を失っているレンに対して逆にファルメイアは随分と楽しそうだ。
上機嫌で……それでいてやや意地悪いにやにや笑いでレンを見ている。
「ふ、粉骨砕身の覚悟にて……」
「あははは! ゴメンゴメン、脅かすような事を言ったけどそう真に受けなくていいわ。あんたはまだまだこれからなんだしね。あっちがあんたを見たいって言ってるのは本当だけど、あんたも陛下をよくよく見てきなさい。自分たちの国のトップがどういう人間なのかをね」
口元の笑みを柔らかいものに変えたファルメイア。
「そうそう、それであんただけじゃなくて学園からもう一人呼ばれてるから。近衛衆のエースの娘でね。あんたと同じで半獣人の娘なんだけど……」
「ああ、ナグモですか」
レンの頭の中をあの特徴のある銀毛の狐耳が通り過ぎていく。
「知ってるの?」
「クラスメイトですよ」
レンがそう返答すると何故かファルメイアがムッとする。
「何それ? 私聞いてないんだけど。私に隠し事するとかどういうつもりなわけ? あんた」
「!? いえ!! 隠し事だとか……聞かれませんでしたので」
弁明に冷たい半目で応えるファルメイア。
先程までの上機嫌が嘘のようだ。
「色々細かく話せって言ったわよね? そんな半獣人の娘の話が出ないとかありえないんですけど」
「すいません!! いきなり襲ってきたゴリラの件で頭が一杯で!!!」
大慌てで必死に言い訳を重ねるレンであった。
────────────────────────
同日、南雲家。
「陛下の狩りィ? ……ですか」
膳を前にいつものように胡坐をかいているヒビキ。
彼女のどこか物憂げで不貞腐れたような空気は相変わらずだ。
久しぶりの刺客の来訪で食欲も今一つない。
「うむ。陛下がそのように仰せだ。来てもらうぞ」
「まぁイヤとは言えないんだろうけどさ……」
父、
語尾を濁らせ後頭部を乱暴にばりばり掻いたヒビキ。
「お行儀よくできるかわかんねえよ」
「構わぬ。小娘が少々跳ねた所で気を悪くされるような器の小さな御方ではない」
(まあ反抗期丸出しなのもガキ過ぎてイヤだし、そうそうあからさまにはやんないけどさ)
内心で嘆息するヒビキである。
誰に会うのも憂鬱な気分だ……しかもそれが皇帝陛下ともなれば抵抗があるどころの話ではない。
(いいも悪いもないんだけどな。国を出てフラフラしてた父上様を良い待遇で召抱えてくれた我が家の大恩人だし)
実際大人の事情で全力でご機嫌を取っておかねばならない相手ではあるのだ。
そこは彼女もよく弁えている。
「陛下はこの国の次代を担う若者の腕が見たいと仰せだ。頑張りなさい」
「そこは手抜きはしねえよ。雑魚だと思われんのもシャクだし」
ヒビキの言葉に満足げにうなずて父は箸を動かす。
「学園からもう一人呼ばれておる。紅蓮将軍殿の従者で半獣人の青年であるとか」
「……ああ、知ってる、そいつ」
黒い猫耳を思い浮かべるヒビキ。
天魔七将ファルメイアの推薦で学園に来たという青年……レン・シュンカ。
帝国天魔七将といえばこの国においては皇帝に告ぐナンバー2の地位であり軍事大国である帝国の武の象徴とも言える者たち。
その七将推薦で来た生徒といえばイヤでも人目を引く。
ミーハーな気質はないヒビキですらどのような者かと気にするほどに。
(皇帝陛下にガシガシ自分を売り込んでいきてえようなイケイケには見えなかったがな。どういう気分でいるもんやら)
レンの印象を思い出してるヒビキ。
どちらかといえば物静かに見える青年だ。
ただ……芯はある。
あのライオネットに臆せず立ち向かった所を見ても。
(七将様がそんなつまらないヤツを送り込んでくるはずがないか)
推薦したという事は「見所がありますよ」と言っているようなものでありその相手が不甲斐ない有様であればそれは推薦者の格を下げる。
彼のどことなく憂いを帯びた横顔が思い出される。
(顔はちょっとだけタイプだったな。……はぁ、納豆汁が美味しい)
お椀を傾けて満足げな吐息を吐くヒビキであった。
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闇夜……とある廃屋。
月明かりのみが照らす薄暗い室内に数名の人影がある。
いずれも影から染み出してきたかのような黒装束の者たちであった。
「相違ないか」
「間違いない。皇帝は狩りに南雲の娘を呼んでおる」
黒い影たちがひそひそと囁きあっている。
明かりのない暗い屋内で蠢く無数の影たちはまるで亡霊だ。
そう思ってみると囁き声もどこかこの世のものならぬ不吉さを孕んでいるようにも聞こえる。
「皇帝が狩りに使うのであれば例の森であろう」
「まさにおあつらえ向きよ。獣、魔物に気を取られれば隙も突き易かろうて」
そして黒い影たちは座った姿勢のまま全員で奥を向いた。
「御頭」
「
奥にも一人の黒装束の者が胡坐をかいて座っている。
御頭と呼ばれたその男は腕を組んで俯き気味であった顔を上げた。
その顔は覆面に覆われており目元しか外気に触れてはいない。
唯一見えている双眸は月の光を反射しギラギラと不気味に輝いている。
「御庭番衆も今やこの六名を残すのみとなった」
御頭はしわがれた声を出す。
周囲の空気が殺意に冷たく引き締まっていく。
悪意と怨念が一同の頭上に陽炎のように立ち昇り揺らいでいるように見えた。
「今こそ我らが積怨を晴らす時。怨敵南雲の娘を討ち、あやつを生き地獄に叩き落したる後に命を奪うのだ」
御頭のその言葉に座した男たちが深く頭を下げる。
「滅びた御家の……
月が雲に隠れ室内が完全な闇となる。
そして、再び月が雲より出でてその場を照らした時には人影は跡形もなく消え失せているのだった。
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