第10話 陛下とステーキを

 ほぼ陽の落ちた濃い紫色の空の下。

 薄暗い路地に男が倒れている。

 その数は三人、全員軽装だが武装しており刃物を手にしている。

 また口元を布で覆って覆面としているのも共通していた。

 息があるものはいない。……既に骸。

 倒れた三人の身体からは地面に赤黒い染みが広がりつつあった。


 そしてその男たちの亡骸の中、腰を落としていた一人の少女が立ち上がった。

 学生服に狐耳の少女が。


(……ああ、クソッ! 鬱陶しい! 忘れた頃に沸いて出やがる!)


 ヒビキの手にした懐剣は返り血でべっとりと濡れていた。

 彼女はそれを懐から取り出したぼろ布で拭うと鞘に戻す。


(何人殺したよ、これで。青春真っ盛りの十七歳でこんだけ殺人を経験してる奴なんざそうはいねえよな……ハッ。笑える)


 背負った刃槍の布製の覆いは付けられたままだ。

 ……これを使うまでもなく片はついた。


(独りでいるとたまに刺客が襲ってくる事がある女か。冗談じゃねえっての)


 たった今自分が斃したばかりの男たちの覆面をずらして顔を確かめる。

 二人は彫りが深い顔をしていた。帝国民……この大陸の者であろう。

 だが三人目は異なった。

 目がやや細く平坦な顔立ちをしている。

 これはトウシュウと呼ばれる海の向こうの国の者によく見られる特徴の面相であった。


(本命はこいつか……)


 その平坦な顔の男は三人の中でもあからさまに一人だけ動きが違った。腕利きだった。

 恐らくは残りの二人はこの平坦な顔の男に雇われた刺客だろう。

 初めから戦力としては期待されてはいない。

 あくまでも自分の手で目的を達する為の時間稼ぎが弾除けか……捨石的に募った者である可能性が高い。


(最近静かだと思っていたのに……半年振りか?)


 刺客に命を狙われるのはこれが初めてではない。

 初めて返り討ちで人を斬ったのは彼女が八つの時の事だ。


屋敷うちに戻ったら片付けてもらわないとな……こいつら)


 両手を合わせて目を閉じる。トウシュウ式の祈りを捧げてからヒビキは地面に転がっていた自分の学生カバンを拾って家への道を歩き始めた。

 こう言った場合は屋敷に派遣されている使用人に伝えれば後処理をしてもらえる事になっているのだ。


(たまに殺し屋に狙われてる女とか。こんなんで友達とかできるわけないよな……)


 フッとほろ苦く自嘲気味に笑うチハヤであった。


 ────────────────────────


 帝城ガンドウェザリオス。

 大陸を席巻する巨大軍事国家の技術と財力を惜しみなく注ぎ込んで作られたこの巨大な城は構造物に金属が多用されているのが大きな特徴である。

 3層もの城壁によって覆われ一つ門を潜るごとに高度を増していく構造。

 天を突く数十の尖塔。

 人を超えし者の住処。

 それは遥かな高みより広大な帝都を席巻していた。


 帝城の一室で今日も紅蓮将軍イグニス・ファルメイアは職務に就いている。

 彼女のように市街部より登城して仕事をする者は天魔七将では他に一人もいない。

 七将は帝城内にそれぞれ住居を与えられているのだ。

 当然ファルメイアにもそれがあるが彼女は普段は市街部の屋敷で生活している。

 その為城での仕事の為に数時間掛けて登城してこなければならない。


「失礼します。将軍閣下」


 ノックをして初老の侍従がファルメイアの執務室に入ってくる。

 皇帝の侍従である。


「皇帝陛下がお昼をと」

「わかりました。すぐにお伺い致します」


 紅髪の将軍がそう答えると侍従は恭しく一礼し退出する。


(……またお肉かな)


 声が掛かる時は大体いい肉がある時なのだ。

 ペンを置き席を立つファルメイアであった。


 ────────────────────────


 皇帝ザリオン・ヴェゼルザーク。


 一代にして大帝国を築き上げた覇王。

 その国土は今や人類史上空前といってよい規模である。


 身長2m近くの巨躯は年老いて痩せてはいるが、逆に年齢を経て完成された雰囲気と威圧感が接するものを静かに圧倒する。

 白い顎鬚を胸元まで伸ばし落ち窪んだ眼窩の底の鋭い眼は今だ鋭い光を放っている。老いたる覇王……静かなる巨星、それがザリオン帝である。


 若き日に打ち倒したという魔狼の毛皮を常に羽織っているのも彼の特徴だ。

 右の肩にその狼の頭部がある。


 その皇帝とファルメイアが今食卓を共にしていた。


「今朝方届いたのだ。良い肉だ」


 低く静かな声だが魂に直接響いてくるかのような深い響きを帯びた皇帝ザリオンの言葉。

 彼らの前の皿には湯気の立つ分厚い赤身のステーキがある。

 皇帝専用の牧場で育成されている牛の最高級の肉だ。


「美味しいですよ。……なんて、今更ですか?」


 上品な所作でナイフとフォークを操り肉を攻略しているファルメイア。

 実際、味に文句などあろうはずもない。

 下世話な話をするのなら帝都で暮らす民の多くは一か月分の稼ぎをつぎ込んだ所でこの一皿には届かないのだから。


「若いお前がそんなものでは足るまい。……イグニスにもう一皿持ってまいれ」


 ザリオンが命じると脇に控えていた従者が奥へと消えた。


「……陛下」


 嘆息してファルメイアがザリオンを見る。

 少々うんざりしている様子の窺える表情だ。

 並の臣下が皇帝ザリオンへ向けてこんな顔をしようものなら大罪であるが周囲に控える者たちの中にそれを咎めようとする者はいなかった。


「食べれはしますが体重が……。こっちも頑張って体型を維持してるんですから」

「生娘のような事を言うな」


 不満げなファルメイアに皇帝は楽しげに喉を鳴らして笑う。


「生娘なんですよ」


「……ファルメイア将軍」


 尚も不満げなファルメイア。

 その時両者のやり取りに口を挟んだ者がいる。

 皇帝の傍らに控える文官の身なりの口髭の中年男だ。

 思慮深い人柄が穏やかな風貌に現れている。

 帝国三宰相の一人ゼムグラス・ヴェゼルザーク……皇帝ザリオンの次男。

 ファルメイアの態度に苦言を呈そうとするゼムグラスを片手を上げてザリオンが制した。

 皇帝の言葉は無いがその仕草が「構わぬ、控えよ」と物語っている。

 ゼムグラス宰相は渋い顔で引き下がった。


「食ったら身体を動かせば良い。……そういえばしばらく狩りに出ておらぬな。丁度良い、供をせよイグニス」


「陛下のお望みとあらば」


 そこは素直に応じファルメイアは頭を下げた。

 ザリオンがその様子に満足そうにうなずく。

 そして皇帝は肩越しに背後のゼムグラスを振り返った。


「予定を調整せよ、ゼム」

「畏まりましてございます、陛下」


 深く頭を下げる宰相。


「そう言えば何やら亜人の男を拾って家に入れたそうだな。良い機会だ。見てやろう。連れて来るがよい」

「仰せのままに。……地獄耳ですね」


 そのファルメイアの物言いにまたも宰相が渋い顔になった。


「ふはは……かの紅蓮将軍もいよいよ色を知る歳かと城の男衆がざわついておる。あれでは聞き耳など立てずともいやでも聞こえてくるというものだ。ファルケンリンクに入れてやったそうではないか」


 上機嫌な皇帝に嘆息するファルメイア。


「おお、そうだ。ジンシチロウ」


 不意に何かを思い出したようにザリオンは壁際に控える一人の狐頭の騎士の名を呼んだ。

 近衛の兵の中で一人だけ直剣ではなく太刀を腰に帯びた一人の男。

 静けさの中にある鋭さを皇帝は冬の雷のようだと評した事もある精鋭ジンシチロウ・ナグモ。


「そなたの娘も学園に行っておったな。連れてまいれ」


「御意にございます」


 声を掛けられたジンシチロウが頭を下げた。


「ふふ……我が帝国の次の世代を担う未来の英傑。余が直々にしかと検分してやろう」


 上機嫌な皇帝の前には空になった皿が4枚並んでいる。


(御年を召された)


 それを見てゼムグラス宰相とファルメイアは同時に同じ事を考えていた。

 十年前であれば倍は食べていた事だろう。

 酒量も随分減ったように見える。


(それにしても……ジンシチロウ殿のとこのお嬢さんか。噂じゃ若くしてかなりの使い手らしいけど)


 凄腕の近衛衆のそのまた凄腕の娘話に付いてはファルメイアも聞き及んでいた。


 ……だが、現時点ではその娘とレンが同じクラスである事までは知らない紅蓮将軍であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る