第9話 銀狐の少女
帝国文化とはあからさまに異なる装いの畳敷きの部屋。
床の間には異国の文字の記された掛け軸が掛けられている。
ここは異国よりやってきて今は帝国で暮らしているある一家の家であった。
上座に正座している一人の中年男。
紺色の着流しの静謐で厳粛な雰囲気の男だ。
……そして、その彼の頭部は人のものではなく銀の毛の狐のもの。
そしてその隣には夫人らしき人間族の女性が同じく着物姿で座っている。
穏やかで優しそうな風貌の女性であった。
そして彼らの前には向かい合って座る一人の少女がいた。
胡坐を掻いて座っているその少女はどこか不貞腐れたような表情をしている。
ファルケンリンク士官学校の制服を着崩している銀髪の少女……彼女の頭部にはレンと同じような三角に尖った獣の耳があった。
「顔を上げなさい、
「……なァんだよ」
ヒビキと呼ばれた少女が顔を上げる。
ややツリ目の勝気そうな美少女であった。
不快そうに表情を歪めてはいるがその美しさは少しも損なわれていない。
「励んでいるか」
「そこそこ」
そっぽを向いている事を咎め立てようとはせずに狐の男は静かに問う。
他人が聞けば無感情な声音である。だがヒビキにはその短い言葉の中にも親としての愛情が込められているのがわかった。
父が感情表現が不器用な事はよく知っている。
「我が家の仕来りとはいえお前には辛い思いをさせているな」
「別に……。父上様が悪いワケでもないだろ。アタシは気にしてない」
ヒビキは小さく嘆息する。
微かな苛立ちと疲れがその息には滲んでいた。
「しょうがない事だろ」
その彼女の傍らには先端が刃になっている槍刃が置かれている。
東の国の装飾の施された見事な武器。彼女愛用の品であった。
──────────────────────────
「よう、レン!!」
鼓膜を揺らした威勢のいい声にわずかに表情を歪めるレン。
同時に自分の前に突き出された手……まあ向こうに彼の通行を妨害しようとする意図はないようだが。
短く嘆息してその手を一瞥した半獣の青年。
上機嫌なライオネットの隣でサムトーも苦笑気味に軽く手を挙げている……こちらも若干の苦笑交じりで。
「……ああ」
辛うじてそれだけ返事をしておいた。
……本当は黙殺したかったがレンにはそうもいかない事情がある。
───昨夜屋敷に戻ってからのことだ。
「ふーん、思ったより面白いやつね。そいつ」
レンの話を聞きながらファルメイアは饅頭を口に放り込んだ。
ライオネットが詫びだと持ってきたものである。
相性を考えたのかシルヴィアは今日は主に緑茶を出している。
「面倒くさいやつですよ」
レンはうんざりした顔をしている。
「悪いやつじゃなさそうじゃない。折角だし仲よくしたら?」
ファルメイアのその言葉に無意識に余程渋い顔をしてしまっていたのだろう。
レンの表情を見て彼女が思わず吹き出す。
「まあ……別にこいつじゃなくてもいいけどね。友達は作りなさい、レン。言ったでしょ? あそこはただ学んで鍛えるだけの場所じゃなくて、人間関係を作りに行く場所でもあるんだから」
「……はい」
うなずきはしたがレンのその返事は元気がない。
気の進まない話だ。
……自分はそう遠くない未来にいなくなる人間なのに。
しかも……大きな事件を起こして、だ。
───そして現在。
席に着いたレンが前のライオネットとサムトーの背を見ている。
なるべくは主の意向は汲まなくてはならない。
心証を良くしておくためにもだ。
しかし……。
(こいつらは……
そう思わずにもいられないレンであった。
(一先ずドライに接しておけばその内興味を失うだろう)
はぁ、と気だるげな吐息を吐いて一限目の準備を始めるレンであった。
───────────────────────
昼休みになった。
今日もレンは食堂で一人でテーブルに着く。
「食ってるか? レン!」
しかし隣にドカッと乱暴に腰を下ろす者がいる。
何というか……誰かを目視で確認しなくても所作だけで十分わかる。
(……来た!!)
レンはげんなりしつつもそれを表情に出さないよう苦心する。
「何だお前そんなんじゃ足りねえだろ。育ち盛りなんだからよ。よし俺のコロッケを一つやろう!」
ライオネットがレンの食器にコロッケを乗せてくる。
「歳はほとんど変わらないだろ……」
乾いた声で言うレンをいつの間にやら正面に座っていたサムトーが笑いを堪えた顔で見ていた。
賑やかな昼食になった。
といっても喋っているのはほとんどライオネットだ。
最初は聞き流していたレンであったが、その内彼が喋っているのは学園生活でこうしたらいいああしたらいいというアドバイスである事に気付く。
……確かに悪い奴ではないようだが……。
ライオネットの話を聞きながら食事を続け……ふとレンの視線が食堂の一角で止まった。
離れたテーブルの隅で一人で食事を取っている狐耳の少女。
やはりその風体は浮いていて思わず注意を引かれる。
他の生徒たちは慣れているのかあまり見てはいないようだが。
「……ナグモか、気になるよな」
レンの視線の向いた先に気付いたサムトーが口を開いた。
ヒビキ・ナグモ……レンたちのクラスメイトだ。
レンが編入してきた日には欠席していていなかった。
二日目はライオネットの事でレンは頭が一杯だったのでクラスで見かけてはいたが自分と同じ半獣人の少女の事を考えている余裕がなかった。
その辺りが一旦落ち着いて改めて見てみるとあの頭部の耳はやはり周囲からは浮いている。……つまりは、自分も周りからはそう見えているという事だろう。
「やっぱ気になるか? 自分と同じ半獣人は」
がつがつと豪快に飯を食らいながらライオネットが言う。
「ナグモは両親がトウシュウから来た人なんだよ」
サムトーが説明してくれる。
トウシュウは帝国のある大陸から海を越えた先にある東の群島国家だ。
レンも知識としてはその存在は知っている。
大陸とは違う独特の文化のエリアらしい。
「親父さんはかなりの腕利きでよ。皇帝陛下が惚れ込んで口説いて自分の近衛衆にしたって人さ。だもんでナグモの家は貴族待遇で
サムトーがチラリと横目でヒビキを見た。
獣耳が目を引くというのもそうだが、確かにピリピリとした空気を纏っており、あれでは周囲の者たちは近付きにくいだろう。
上着のジャケットは着ずに腕まくりをして胸元のボタンも外している。
不良風の制服の着崩し方も気になる。
「……一人だな」
レンが言うとサムトーがうなずいた。
「ああ。あいつ他の生徒と距離を置いてるよな。あの空気だしよ。ライオも流石にナグモにはグイグイ行かなかったよな」
「最初は行ったよ。でも睨むだけでアイツは何も話してくれねえしさ。トウシュウ人はあんま他人とワイワイやらねって話も聞くからなあ」
酷く奇妙なものを見る目でライオネットを見ているレン。
その視線に気付いてライオネットのフォークが止まる。
「……何だよ、おい」
「他人に対してそういう配慮ができるんだな」
皮肉ではなくまるっきりの本心からレンは言った。
「当たり前だろうが。俺はお気遣いの紳士だぞ」
「会って間もない相手をぶん殴る紳士がいるか」
渋い顔で苦言を呈するレンにライオネットは余裕の笑みを見せる。
「ああでもしなきゃお前俺たちに心開いてくれなかっただろうがよ」
「………………」
怪訝な表情になるレン。
……おかしい。
その言い方だとまるで自分がこいつらに心を開いたみたいな感じになる。
「…………開いてないが」
とりあえず訂正だけはしておく事にする。
「ま~たお前は……どんだけテレ屋さんなんだよ」
「わかってるよ」みたいな感じでフッと軽く笑ったライオネット。
その仕草にレンがイラッとする。
「いや、本当に開いてないから」
「はいはい。わかったわかった。素直じゃねーなぁ猫さんはよー」
余裕のライオネット、突っかかるレン。
やり取りをする二人を眺めているサムトーが軽く笑ってマグカップを口にした。
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