第7話 逆襲の編入生

「……フーッ!」


 唇の端を汚した血を乱暴に親指の腹で拭うとライオネットは椅子が倒れそうになるほど勢い良く立ち上がった。

 そんな彼を無表情に見ているレン。

 一瞬にして教室は緊迫した空気に包まれる。

 そして誰もが無言で成り行きを見守っていた。


「一晩経ったら随分元気じゃねえかよ。昨日のあれはなんだったんだ? 風邪気味か?」


 こめかみに血管を浮かせているライオネット。

 彼は笑っている。爆発寸前の火薬庫の気配を漂わせながら。


「借りたものはキチンと返しておかないと落ち着かないからな」


 対するレンの言葉は酷く冷静だった。


「いいねェ。こんな素敵なモン貰っちまったんじゃとても放課後までは待てそうにねえよ。……修練場昨日の所だ。いいよな?」


 ライオネットのそのセリフは興奮にやや震えている。

 黙って肯くレン。


 そして二人が連れ立って教室を出ていった。


「おい、サムトー……いいのかよ?」


 レンたちが教室から姿を消すと一人の男子生徒が隣の生徒に声を掛けた。

 サムトーと呼ばれた茶色いセミロングの髪のどこか気だるげな雰囲気の生徒……彼は昨日ライオネットがレンにちょっかいを掛けたときにやめておけと嗜めた男だ。


「気にしなさんな。ああなったらもう放っとくしかねえよ」


 肩をすくめてそう言うとサムトーは天井に向かって大きな欠伸をした。


 ────────────────────────


 再び修練場を訪れた二人。

 今度も広い場内に他に人影はなく、周囲はしんと静まり返っている。


 最早、言葉は必要ないと向かい合った両者は互いに構えを取った。


「オラァッッ!!!」


 声を上げてレンを殴り飛ばすライオネット。

 ……やはり強い。レンは素直にそれを認める。

 格闘にはそこそこの自身があるレンだが殴りかかってくるのがわかっていてもまともに食らってしまった。

 だが今日の彼はそのまま終わりではない。


「フンッ!!!!」


 突き刺すような鋭い前蹴りがライオネットのみぞおちに飲み込まれる。


「ゴぁッッッ……!!!」


 苦悶の呻き声を上げるライオネット。


「調子に乗るんじゃねえッッ!!! この野郎ッ!!!」


 再度の反撃。

 振るわれた拳がレンの顔面を大きく横に弾く。

 そして半獣人の青年はバネのように体勢を戻しその勢いのまま逆に相手を殴りつけた。


 そこからはもう双方言葉も無く……。


 修練場には断続的に肉を打つ音と呻き声が響き続けた。


 そしてしばらく後。

 どちらも立ち上がれないほどに疲弊し勝負は中断となった。


「……フゥッ! フーッ! フーッ!!」

「はぁッ……はぁッ、はぁッ」


 レンも、そしてライオネットもどちらも床に片膝を突いて荒い息を吐いている。

 それ以上体勢を崩さないのは二人の意地だ。


 両名顔面は血で汚れ痣だらけで腫れ上がっており酷い人相である。


「やるじゃ……ねえ……か……」


 乱れた呼吸で途切れ途切れに喘ぐようにライオネットはそう口にした。


 ────────────────────────


 午後の授業が始まった。

 教壇に立ったディー教師が鋭く教室を見回し僅かに眉を揺らす。


「空席の二名はどうした?」


 低く静かな声音だが圧のあるその言葉に教室が萎縮する。

 全員事情は知っている。

 だがそれをどう言ったものか。


 二人が出て行ってから30分以上が経過している。

 何らかの決着は付いていると思うのだが……。


 そこに教室の後ろの扉がガラッと音を立てて開き、室内の一同の視線がそこに集まった。


「遅れまひら」


 腫れ上がった顔で入ってきて舌足らずに言うライオネット。

 最早言われなければ誰なのかわからないくらい酷い面相である。

 シャツの襟元は血で汚れてぐしゃぐしゃでボタンが飛んでしまっている。

 続いて入ってきたレンも似たような有様だ。


「何だその有様は」


 硬い声で問うディー教師。

 レンとライオネットが顔を見合わせるがどちらもまぶたが腫れ上がっていて相手は良く見えていない。


『転びまひた』


 返事は気持ちがいいほどハモっていた。

 やや俯いたディー教師が嘆息する。


「それで済むのなら教師は必要ない。二人とも放課後残れ」


 そして銀髪の教師はその話は終わりだとばかりにテキストを広げて授業を開始するのだった。


 ────────────────────────


「あっはっはっはっはっは!」


 そして夜。

 顔中を絆創膏だらけにしたレンは事の顛末を聞いたファルメイアが大笑いしている。

 何がそんなに御気に召したのかわからずレンは釈然としない。


「入って二日目で大暴れして反省文とはね。私も大概問題児だったけどそれでも最初の反省文は入学して半月後くらいだったわよ」


 そう言ってファルメイアは笑いすぎて滲んだ目尻の涙を指先で拭った。

 彼女の言った通り、放課後レンとライオネットの二人はディー教師の叱責を受け反省文を提出して帰ってきた。

 前はよく見えていないしペンを持つ手は震えているしで反省文の出来は酷いものであったが……。


 意外なのはライオネットがディー教師に対して喧嘩の理由を正直に告げていた事だ。


『七将推薦とか生意気だと思ったので喧嘩を売りました』


 彼はそう言っていた。

 こちらに原因があるように言われるものかとレンは思ってた。


 そして主人の言葉を思い出すレン。


(卒業生だったのか……)


 しかしそれだと年齢が合わないのでは、とレンは思った。

 ファルケンリンク士官学校は15歳で入学可能となり5年制だ。

 卒業生なら20歳は過ぎているはず……だが彼女は18である。


 しかしその疑問はすぐに氷解する。


「はー……しっかし、やっぱりいいわね学生生活って。私ももうちょっと爪を隠してしっかり堪能しとけばよかったわ」


 そして彼女はレンを見た。

 どこかほろ苦い微笑を浮べて。


「私はね、2コ飛び級して卒業してるの。陛下が早く士官しろって。その時はやったぜって感じで話に乗っちゃったんだけどね……。後から考えたら失敗だった。色々理由つけて学校に残るべきだったわ」

「………………………………」


 過ぎ去って取り返す事のできないものに思いを馳せているのか……ファルメイアの視線がどこか遠くを見るように虚空を彷徨う。

 そして彼女はそんな思いを振り払うように優雅に紅茶を口にして一息ついた。


「おいおい上手いやり方を考える事ね。毎回反省文書かされても面倒だし、停学食らうとヒマになっちゃうしね~。私は暴れまくったけど停学は二回しか食らった事ないのよ。反省文の回数は覚えてないけど。凄いでしょう?」

「……はぁ」


 どこを指しての「凄いでしょう?」かがわからずに気の抜けた返事をしてしまうレン。

 とりあえず本人が言う通り大問題児であった事はよくわかった。


「いきなりこんなに笑わせてくれるなんてね。あんたを入学させたのは正解だったわ。毎晩……じゃあんたも疲れちゃうでしょうから、これからは私が呼んだ時に来て学校の話を聞かせるのよ」


「わかりました」


 頭を下げるレン。

 そんな彼の胸中に黒い小さな炎が灯る。


(やった……)


 これでまた彼女を殺めるチャンスが広がった。

 とはいえいくら二人きりでこちらが武装していようとも正面きって襲い掛かって彼女を殺害できるとは思えない。

 二人きりであり、なおかつ彼女が無防備でなければ……。



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