第5話 復讐者、編入する

 半年前まで通っていた私塾を思い出す。

 親元を離れて学べ、と言われてレンは生まれ故郷ではない街の私塾へ下宿して通っていた。

 塾を開いていたのはソロンというお調子者で胡散臭いどこかうだつの上がらない中年男。

 だが教師としては中々に優秀な男であり、レンもこの教師を慕っていた。


「だははは。おしおし、よぉく理解できてるなエライぞ」


 レンの小テストの採点を終えてソロン先生は上機嫌だ。

 この私塾に通う生徒の中でもレンは一番成績が優秀なのであった。


「お前は本当に優秀な生徒だな。組打の腕もどんどん上がってきてるし。お前ならファルケンリンクでも通用するかもなあ」

「持ち上げすぎですよ」


 むず痒い心地で苦笑するレン。


「いやいや世辞じゃないぞ。まぁ、実際ファルケンリンクに入学しようなんて思ったら入学時にかかる金だけで俺の一年分の稼ぎなんぞ吹っ飛んじまうんだけどな……」

「あそこは帝国でも最高のエリート養成機関ですからね」


 ファルケンリンク帝立士官学校……それは帝都にある軍人養成学校である。

 レンも名は知っている。というより帝国全土の学生たちにとっては憧れの学府だ。

 次代を担う優秀な軍人を育成する事を目的に皇帝の肝煎りで設立されたものであり当然ながら学費も莫大なものとなる。

 噂では入学に辺り本人のみならず親戚縁者の犯罪歴までチェックされるらしい。


「別世界の話ですよ。俺には縁の無い話です」


 丸きり本心からレンはそう口にするのだった。


 ────────────────────────


(先生……ソロン先生……)


 そして現在、レンは恩師を思い出していた。

 ……半ば現実逃避の手段として。


(先生、今俺の前に……ファルケンリンクの制服があります)


 綺麗に折り畳まれた青いブレザータイプの制服一式。

 金色の獅子のエンブレムが意匠されたそれは主人の執務机の上にある。

 そして、机を挟んで反対側には豪奢な椅子に座るファルメイアがいるのだった。


「ちょっと、何ボーっとしてんのよ。聞いてる?」


 小首を傾げ眉を顰めるファルメイアが斜め下からレンを見ている。


 呼び出されてやってきたレンに彼女はこう告げたのだ。


『明日からファルケンリンクに通って貰う事にしたから。はいこれ制服ね。期待懸けて送り出すんだからしっかり学んできてよね』


 レンがこの屋敷にやってきて半月。

 そろそろ主人の不意の無茶振りにも慣れてきた……そう、思っていたのだが。

 ここへきて特大のやつがきた。


「…………………………………………」


 思考が真っ白に染まったレン。何を言えばよいものかまったく言葉は出てこない。

 とりあえず先日の急なテストの理由だけはわかった。

 恐らく編入資格の見極めだったのだろう。


「あー……あー。うー……」


 とりあえず何か口にしなくてはと慌てた結果、呻き声が出た。


「混乱させていますよ」

「何よ。別に難しい話なんて何もしてないでしょう」


 斜め後ろに控えたシルヴィアが嗜めるとファルメイアが口を尖らせる。

 そんな二人のやり取りを見てようやくレンは少しだけ頭の中が整理できた。


 ファルケンリンクは軍人の養成校だ。

 卒業生の大部分はそのまま帝国軍に士官する。

 気紛れで連れ帰った自分が予想外にそちらの素養もあったので送り込んで軍人として育成しようという事か。


 拒否できるような立場ではない。

 だが……。


(ファルケンリンクの学生だなんて、務まる気がしない……!!)


 強くそう思う。

 成績云々の問題ではなく『格式』の問題でだ。

 そこは自分とは住む世界の違う住人たちの集う場である事は想像に難くない。


「あんた、私がお金出して私の推薦で編入するんだからね。気合入れていきなさいよ」


 追い討ちを掛けるような事を言ってくる主人。

 レンは顔色が悪くなるのが自分でもわかった。


「まあ、使用人との二足の草鞋で務まるようなとこじゃないから屋敷ここの仕事は大幅に免除してあげるわ。少しはやってもらうけどね。ここに置いておく理由がなくなっちゃうし。シルヴィア、上手く調整してあげて」

「わかりました」


 ファルメイアの言葉に頭を下げたメイド長。


 レンは少しだけほっとしていた。

 まだファルメイアは自分を屋敷に置いておくつもりのようだ。

 信頼は得られても引き離されたのでは本末転倒である。


「……………………………」


 ソロンが自身の年収を超えると言っていたファルケンリンクの入学費用。

 その事を思い出してレンは少し冷静になる。

 聞くまでもなくそれは全てファルメイアが出すのだろう。


(結果としてその金は全て無駄になるな)


 ファルケンリンク士官学校は五年制だ。

 レンは第二学年に編入になると先程説明を受けた。

 ……だが、自分が卒業まで在学する事は無いだろう。

 それまでにはどこかで復讐を決行しているはず。

 そうなれば成否の如何に関わらず自分も死ぬだろう。


(……これから殺そうとしている相手の金の心配もないがな)


 レンは心の中に乾いた冷たい風が吹き抜けていくような気がした。


 ────────────────────────


 圧倒的な威容、広大な敷地の中央に聳え立つ校舎。

 ファルケンリンク士官学校は帝都中心部からほど近い場所にある。


 校門を潜ってすぐには皇帝ザリオン・ヴェゼルザークの銅像が立っておりここで学ぶ学生たちの日々の生活を見守っている。


(……今日からここに通うのか)


 鉛を飲み下したような気分のレン。

 自身がこの学舎に相応しい存在ではない事など百も承知している。

 これまで生きてきてここまでのプレッシャーを感じた経験はない。


「頑張るのですよ」


 ここまで付き添ってくれたシルヴィアに「はい」と掠れた声で辛うじて返事を返したレン。

 何となくだが付いてきてくれたのは彼女の独断ではないかと思っている。

 ファルメイアがそんな指示をしたとは考え難い。


 門の前に立つレンに守衛の騎士が近付いてくる。

 話は通っているらしく、まずは学長に挨拶をせよと言われて彼は学長室に赴く事となった。


 ────────────────────────


 厳つい爺さんを想像していたレンであったが、学長室で彼を待ち受けていたのは高齢の婦人であった。

 緩やかなウェーブの掛かった紺色の長髪の彼女は若かりし頃はさぞ美貌を持って鳴らしていたであろう事がその面差しから窺える。

 学長シフォン・クレサントゥースである。


「良く来た。アタシがシフォン……ここで一番偉い人間さ。アタシを呼ぶ時は学長先生とお呼び」


 挨拶して頭を下げるレンに学長はそう名乗って鷹揚に肯く。


「わかりました。学長先生」

「よろしい。レン・シュンカ……初めに言っとくがこれからお前を待つ学生生活は決して穏やかなもんじゃないよ。ここには全校で三千人近い生徒がいるが獣人と半獣人はほとんどいない。その事で逆風を受ける事もあるだろう。心しておくんだね」


 圧のある態度で学長はそう告げた。

 それはレンも十分想像していた事だ。意外とは思わない。

 学長の言葉は脅しでもなんでもないだろう。


「それにね……ファルメイア将軍の意向でお前が将軍の推薦である事は他の学生たちに伏せられてない。皆知ってるって事さ。どういう意味かわかるかい?」

「……漠然とですが」


 コネできた半獣人……そう受け取られるのではないかとレンは思っている。

 優秀な軍人になろうと日々鎬を削りあうここの学生たちに好意的に見られるとは思えない。

 ファルメイアがそうしろと言うのならそれはレンにその逆風に晒されてみろという事なのだろう。


「色々言ってくる輩については実力で黙らせるんだね。己を磨きな、レン」

「肝に銘じておきます」


 硬い声で答えてレンは学長に頭を下げた。


 ────────────────────────


 レンを担任する教師はジェレミー・ディーと名乗る鋭い雰囲気の中年男であった。

 最低限の事しか口にしない気難しそうなこの教師に連れられてレンは教室にやってくる。


 第二学年のAクラス。

 ここがこれからレンの所属するクラスになる。


 ディーが教室に入っていくとざわついていた教室内が一瞬で静まり返った。

 カツカツと靴音を鳴らして教室の前を進み教壇に立つディー教師。

 続いてレンも教室に入る。


「編入生を紹介する」


 鋭い目付きで教室を見回したディーが抑揚の無い低い声でそう言った。

 続いてレンを見るディー。

 その無言の視線に促されてレンが今日からクラスメイトになる者たちに頭を下げる。


「レン・シュンカです。よろしくおねがいします」


 澱みなく言葉は出てくれた。

 何度となくシミュレートしてきた一幕である。

 それに対する皆の視線は……好意的とは言い辛い。値踏みするようなものが大半か。

 それも予想はできていた。

 正直ありがたいとすら思える。

 好意的に接されても困る。……自分はいずれいなくなる身なのだから。


 席を指示されそこへ向かうレン。

 彼の席は後ろの方だ。


「……あ~ぁ、参ったぜ。クラスが獣臭くなっちまうじゃねえかよ」


 の席の脇をレンが通り過ぎた時、彼の背にその台詞が投げ付けられた。


「…………………………」


 無言でレンが振り返る。

 自分に侮蔑の言葉を放ったのは……。


 それはクラスの中でも一際体格のいい金髪の男子生徒だ。

 鼻筋の通った精悍な顔付きの男。

 肩幅が広く制服の上からでもその下の鍛えられた肉体が想像できる。


 彼は机に片肘を突き、手に頬を乗せてニヤニヤとレンを見ている。


「俺はライオネット・エルヴァンシスだ。ヨロシクなぁ新入り。……まあ、お前がいつまでこのクラスにいるのか知らねえけどな」


 挑発的な視線をレンに向けながらライオネットと名乗った男は犬歯を見せて獰猛に笑うのだった。



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