第4話 強襲、学力考査

(おかしい……)


 レン・シュンカは内心密かに動揺していた。


 現在は彼の休憩時間だ。

 ここは屋敷のレンに与えられている部屋。


 目の前の机にはケーキと湯気の立つカップがある。

 三角に切り分けられたお高そうな雰囲気の美味しそうなケーキ。

 レンはこれまでの人生でこんな上品な菓子は口にした経験がない。


 これは先ほどシルヴィアが持ってきてくれたものだった。


「街へ出る用事がありましたのでお土産です。甘いものは大丈夫ですか?」


 問われてレンは「はい」とうなずいた。

 彼には特に食べ物の好き嫌いがない。

 大体のものは美味しく頂くことができる。


「ではお茶を淹れます。このベリーのケーキにはこの茶葉が良く合うんですよ」


 上品な所作でお茶を淹れてくれるシルヴィアの横顔はどこか上機嫌に見えた。


 そんなケーキとカップを前に彼は今考えこんでいる。


(どういう事だ。このケーキは)


 先日、主人の命令でボコボコにしたお詫びというわけでもあるまい。

 秘めた目的がある分どうしてもこういう扱いには警戒してしまう。

 単なる善意ではなく何がしかの意図のあるものなのではないか?と。


「まあ皆に買ってきていてこれは俺の分というだけの話だろう」


 自分を納得させるように呟いて彼はフォークを手にするのだった。


 ───────────────────────


 休憩を終え午後の仕事を始めるレン。

 ……ケーキはものすごく美味しかった。


 今日は書庫の整理と清掃を命じられている。

 一緒に作業をするのはモニカという名の先輩メイド。

 ブロンドの勝気な性格のメイドである。


「おっす。そんじゃーパパッとやっちまおうぜ」

「ああ」


 男勝りな口調のモニカに短く返答してレンも仕事を開始した。


 黙々と作業を続ける二人。

 聞こえてくるのは壁掛け時計が時を刻む音と作業音だけだ。

 別に沈黙に耐え切れなくなったというわけではないがふとレンはモニカに何か声を掛けようと思った。


「メイド長に貰ったケーキは美味しかったな」


 取っ掛かりはタイムリーな話題に限る。

 だがその言葉に対するモニカの反応は彼の予想とは大分異なるものであった。


「は? もらってないが? 何なの? ノロケか?」

「うっ」


 冷たい視線を向けられたレンが言葉に詰まる。

 動揺しているレンにモニカは大げさにため息をついた。


「お前な~……ノロケなら時と場所と相手を選べよな。私だからまだよかったが、お前そんな事他のメイドに言ってみろ。相手によっては血を見るぞ」


「す、すまない……てっきり皆が貰っているものだと」


 弁解する彼の頬を伝う冷たい汗。


「ケーキねえ……。あの人はそんな事はしない。私たちとは一線引いてるんだよ。屋敷を引き締める、怖がられてなきゃいけない立場の人だからな」


 モニカの語るシルヴィア像に初対面の頃の彼女をレンは思い出していた。

「氷の女」とでもいうべき立ち振る舞い。

 自分はそれを得体の知れない自分への警戒から来るもので、ここの所打ち解けてきたように感じていたのはその警戒が解けて素の顔で接してくれるようになったからだと思っていた。

 だがそうではないという。

 氷の彼女が常の顔であり、今の自分への態度の方がイレギュラーなのだ。


(どういう事なんだ……?)


 再び困惑するレンであった。


 ───────────────────────


 その夜のこと。

 ファルメイアの私室でシルヴィアは湯上りの彼女の髪を梳いていた。

 主人は心地よさげにシルヴィアの手練に身を任せている。


「レンのこと随分気に入ったみたいじゃない」


 不意にファルメイアがそう口にすると一瞬シルヴィアの手が止まる。

 ふふっ、と笑ったファルメイア。


「勘違いしないでね。責めているわけじゃないわ」

「彼への態度に少し私情が入ってしまっている事は否定はしないわ」


 シルヴィアは再び手を動かしながらやや気まずそうに言った。


「……弟が」


 その時、彼女の瞳はどこか遠くを見ていた。

 僅かな憂いの色が滲む……だけど過ぎ去った幸福な日々を思い返しているような仄かな暖かさもある、そんな複雑な視線を今ではなくここではない場所へと向けている。


「生きていたら丁度あのくらいの年齢だったな、ってね」

「……………………」


 シルヴィアの言葉に黙ってファルメイアは目を閉じる。

 続いて紅い髪の女将軍の鼻を抜けていった吐息はどこか達観したような気配を帯びていた。


(シル姉にこれ言われちゃうともう何にも言えないわね)


 そのまま髪梳きが終わるまで二人は無言のままだった。


 髪を整え終わるとファルメイアが椅子を立って背後の腹心を振り返る。


「あんまり甘やかさないでよね。あいつはビシバシいきたいの」

「気を付けるわ」


 穏やかにそう言って銀髪のメイド長は頭を下げた。


「というわけでこれ。例のあれよ。今日貰ってきたから」


 そしてファルメイアが取り出したものは大きめの封筒だ。

 赤い蝋で封がしてあり、その蝋には獅子の紋章が押されている。

 それを団扇のようにひらひら振るファルメイア。


「明日早速やらせて。結果次第でそのままあの話を進めるから」

「わかりました。ファルメイア様」


 有能なメイド長の顔に戻ってシルヴィアは完璧な所作で一礼した。


 ───────────────────────


「………………………」


 レン・シュンカは内心密かに動揺していた。


 呼び出しを受けて出向いた先は普段使用人たちが使っている食堂。

 座らされた彼の前にある長いテーブルの上には一枚の白い紙が置かれている。


「試験をします。一教科30分。間に10分ずつ休憩を入れます。教科は歴史、公用語、数学、魔術の四科目です」


 感情のない事務的な口調で告げたシルヴィア。

 今日のメイド長は氷の女モードのようだ。

 レンへの態度や口調に親しみは感じられない。


 呼び出されて突然の宣告を受けたレンは様々な感情が一周して今は彫像のような無表情だった。


(……何故だ!!? なんで急に学力テスト!!!??)


 自らが立たされた突然の窮地にレンは眩暈を覚える。

 目の前の伏せられた白い紙が奈落への入り口に見えた。


 ……結果次第で首にされたりするのだろうか?

 そんなものがあるのなら予習をさせてほしかった。

 かつて通っていた私塾では成績上位者ではあったレンであるがそれは所詮は片田舎の話。

 この中央で自分の学力が通用するのかどうかまるでわからない。

 そもそもここ半年というもの流浪の身であったレンはまったく勉強はしてきていない。


 ……とにかく、否応はないのである。

 やれと言われればやるしかない。


 半ば自棄も混じった心境で筆記用具を手にしてテスト用紙に立ち向かうレンであった。


 ───────────────────────


 ……そして、レンを襲った突然の学力考査から数日後が過ぎた。


 登城し政務に就いていたファルメイアを一人の男が訪問していた。

 白を基調とした軍服のような装束に身を包んだ男。

 銀の髪をオールバックにしている神経質そうに眉間に皺を刻んだ中年男である。


 目の前に立つ男の放つシャープな威圧感を意に介する風もなくファルメイアは余裕の佇まいである。


「以上が採点結果です。第二学年相当の学力はあると査定します」


 低い落ち着いた声で言う白服の男。

 渡された書類を流し見る執務机のファルメイア。

 一通り書類のチェックを終えて彼女はうなずく。


「結構よ。では予定の通りに手続きを進めて下さい」

「御意にございます」


 頭を下げる白服に苦笑したファルメイア。

 それは彼女にしては非常に珍しい、どこかばつの悪そうな笑みであった。


「未だに先生にそんな風に接されるのには慣れないわ」


 顔を上げた男の表情は鉄面皮のままだ。

 快も不快もなくこの男が表情を変えたところは十年以上の同僚ですら見たことがない。


「君は私の教え子の中では一番の出世頭だ。堂々としていなさい」


 男の言葉に微笑むファルメイア。


「彼は私のクラスで引き受ける。七将に目を掛けられている男を鍛え上げるのは楽しみだ」

「よろしくお願いするわ。ディー先生」


 ファルメイアは椅子から立ち上がるとディーと呼ばれた白服の男に向かって深く頭を下げた。

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