第3話 メイド長の試戦

 パン、と小気味の良い音を立てて真っ白いシーツが広がった。

 汚れも僅かな曇りもまったくない。完璧な仕上がり具合。


「……よし」


 自分が洗濯したシーツの輝きに満足気に鼻を鳴らしたレン。


(じゃない!! 俺は何をドヤっているんだ!!)


 一転渋い顔になったレンが嘆息する。

 使用人として自らが命を狙う仇であるファルメイア将軍に召し抱えられたレン。

 彼女の屋敷に勤めて十日が過ぎようとしていた。


 自らの最終的な目的を忘れたわけでは勿論ない……が。


(とにかく信用を得る必要がある。ファルメイアの隙を突いて確実に暗殺を成功させるために……)


 考えながらレンは洗濯物を次々に手際よく干していく。


(だからこうして仕事を確実に丁寧にこなしていくことは間違いではないはずだ)


 チャンスは一度だけだ。

 その一度でもしも暗殺に失敗した場合二度目の機会はもうないだろう。

 そうなった時は高確率で自分が死んでいるはずだ。

 死ぬこと自体は構わないが……それは本懐を遂げてからでなければ死んでも死にきれない。


 準備にはいくら時間を掛けてもいい。

 彼女を確実に亡き者とするためなら。


「レンくーん」


 沈思黙考しつつも機械的に作業はこなしていたレンに呼びかける声があった。

 同僚のメイドが少し離れた所から彼に手を振っている。


「ちょっと手伝ってほしくてー」

「わかりました。すぐ行きます」


 丁度洗濯物を干し終えた所だ。

 すぐに返事をして小走りにレンがそちらへ向かう。

 そんな彼の後姿を他の二人のメイドが見ていた。


「レン……あいつ結構やるな。仕事早いし丁寧だしな」

「ほんとねー。さっすがお嬢様がわざわざ連れて帰ってくるだけの事はあるわ」


 感心してうなずき合うメイドたちであった。


 ────────────────────────


 その日、朝の仕事を終えたレンはファルメイアに呼び出されて屋敷の中庭に来ていた。


「レン、あんた少しは戦えるのよね?」


 ガーデンチェアに優雅に腰掛け傍らにシルヴィアを控えさせた主人が問う。

 その問いはいつかくるものと予想していたし返答も用意してある。


「はい。武術の心得があります」


 レンは淀みなくそう返事をして頭を下げた。

 帝国は治安の良い国ではあるがそれでも帝都から離れれば未だにならず者が跳梁するエリアもある。

 戦闘の心得があるということは別に珍しいことでもない。

 戦えないと言ったほうが彼女の油断を誘うことができるかと考えもしたが、後から実際は動けることがばれてしまえば大きく信用を失う事になるだろう。それは避けたかった。

 通っていた私塾のある町の名は偽ったが私塾に通っていた事自体は本当だ。

 そこは学問と武術を教える私塾であった。


「ちょっと見せてもらうわよ。……シルヴィア」

「はい」


 主に名を呼ばれた銀の髪のメイド長が前に進み出る。

 瞬間、レンは息苦しさを覚えた。

 シルヴィアはただ自然体で歩いてくるだけなのに。

 いやな汗が出る。

 動機が早くなる。


「5分……は、ちょっとキツいか。3分耐えてみて。意識が飛んだらそこまでね」


「いきますよ。レン」


 その声と共にシルヴィアが一歩踏み出した。

 まだ自分との距離は5m以上はある……それなのに。

 その一歩でメイド長はレンに触れられる距離まで接近していた。


 無数の拳が繰り出され虚空を穿つ。

 レンが反応できたのは最初の三発までで、そこからはもう偶然で回避できたもの以外の全ての攻撃を彼はその身で受け止めることになる。


「……ッ!!」


 声を上げなかったのは彼の最後の意地のようなもの。

 必死に食いしばった歯の隙間から微かな呻き声が漏れ出ている。

 反撃がどうのという問題ではない。

 1秒ごとにブレる視界。飛びかける意識を必死に現実へと繋ぎとめる。


 不意にシルヴィアの猛攻に切れ目が発生した。


「!!! ……うおおおおッッッッ!!!!」


 ……吼えた。


 僅かに残った体力気力を絞り出すようにして渾身の力で拳を放つ。

 最早相手が同僚であるとか女性であるとか……そんな事は意識の外へと飛んでしまっている。

 生命の危機を感じた獣の必死の抵抗だ。


 その一撃を軽く首を傾けて紙一重でシルヴィアは回避した。

 殴りかかった勢いのままで抱き着いてくるレンを彼女がふわっと抱き留める。


「3分ですよ」


 どこか遠くから響いてくるかのようにその声がレンの耳に届く。


「おっ、やるわね。シルヴィア相手に3分耐えたら中々のものよ」


 上機嫌なファルメイア。

 未だにシルヴィアに抱き着いたままのレンが何とか彼女から身体を離す。

 だがその足取りは揺れて定まらない。

 倒れまいと耐えるのに必死だ。


「その様子じゃ午後の仕事は無理でしょう。シルヴィア、午後はレンを休ませてあげて」

「わかりました」


 ボロボロのレンに対し僅かな呼吸の乱れもないシルヴィア。

 彼女はファルメイアの言葉に一礼して応えた。


「いえ、やれます……」


 そんな彼女たちに掠れた声でレンが言う。

 呆れたようにファルメイアは鼻で息をした。


「こらこら、あんたがよくたって私がよくないのよ。あんた私の評判を使用人をボコボコにして休ませずに働かせてる鬼主人にしたいわけ?」

「…………………」


 黙り込むレン。

 確かに彼女の言う通りだ。

 この状態の自分が働いていれば周囲は何事かと思うだろう。


「……申し訳ありません」

「命令だと思ってゆっくり身体を休めなさい。私は今すごく気分がいいわ。あんたが思った以上に優秀だったっていう事がわかってね」


 そう言ってファルメイアは台詞の通りに満足げに笑った。


 ────────────────────────


 ……激痛に脳がガンガン鳴っている。

 与えられた自室に戻ってきたレンが治療のため服を脱ごうとしたが痛みでそれもままならない。

 そこへ部屋の戸がトントンとノックされた。


「……はい」


 低い声で答えるとドアが開いてシルヴィアが入ってくる。

 彼女の手には水の入った桶と救急箱があった。


「ご苦労様でした。手当をしましょう」

「いや、それは……」


 レンはやんわりとその申し出を拒否すべく言葉を探したが上手い文句が出てこない。


「強がっても無意味ですよ。貴方の今の身体の状態は大体わかります」


 淡々と告げて問答無用でレンの服を脱がしにかかったメイド長。

 彼女はレンを上半身裸にすると椅子に座らせて濡らした手拭いで拭き始める。


「……………………」


 気恥ずかしいやら情けないやらで気が落ち込むレンだが彼女が見抜いている通り抵抗する気力も最早ないのであった。


「ファルメイア様は貴方のことが随分お気に入りのようです」


 打ち身に軟膏を塗りながらシルヴィアはそんな事を口にした。

 何か返事をしようとレンは思ったが、それが思い浮かぶ前に手当の痛みに呻き声を嚙み殺すので必死になる。


 ……事実だとすればなんと皮肉なことか。


 口元に浮かびかけた苦笑は痛みによるしかめ面の下に消える。


「あの方は激務でお疲れです。しっかりお支えするのですよ」

「わかりました」


 その返事は何とか口にすることができた。


「いい子ね」


 そう言われて急に優しく頭を撫でられたレン。

 完全な不意打ちで今度こそ彼は固まって何の反応もできなかった。

 あまり考えた事はなかったがシルヴィアも年若い美女なのだ。

 異性への免疫があまりないレンにそんな振る舞いをすれば硬直するのも道理である。


「何か私で力になれる事があれば遠慮なく相談してね」


 微笑んだメイド長。

 彼女の笑顔をまともに見るのは初めてのことで、やはり彼女がはっとするほどの美人である事をレンは再確認する事になる。


 結局、ぎこちなくうなずく事しかできないレン。

 それでも彼女はレンに満足そうにうなずいた。


「お食事は私が持ってきてあげるわ。ゆっくり休んでね」


 そう言い残して彼女はレンの部屋を出て行った。


「………………………」


 そして残されたレンは何とも言葉にし辛い複雑な感情で閉まった扉を見つめ続けるのだった。

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