第2話 息をひそめて、辛抱強く
世界が紅く染まっている。
生まれ育った街が……故郷が炎に包まれている。
その中で飛び込んでいこうとする自分を生き残った同郷の者たちが必死に止めた。
大勢に押さえつけられながら火の粉の舞う空を見た。
ショックで心が凍て付いて怒りも悲しみも感じない。
ただ……
この炎は何故?
街が燃えているのは何故?
頭の中をそんな疑問がぐるぐると回っている。
……そしてその時、自分は見た。
紅い世界に独り立つ真紅の鎧の女騎士を。
周囲を囲む炎等ものともせずに彼女は黙ってそこに立つ。
遠い……その上炎で揺らいでその表情までは見ることはできなかったが。
その時、彼女はどんな
後にその女性が『紅蓮将軍』の異名を持つイグニス・ファルメイアだと……帝国最強の七人『天魔七将』の一人であると知った。
そして、その日自分は……レン・シュンカは。
……故郷と家族と多くの友人たちを喪ったのだ。
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ベッドで上半身を起こし大きく重たい息を吐く。
寝覚めは最悪だ。
寝苦しい気候ではないが、べっとりと寝汗をかいている。
あの夜の夢を見たのは久しぶりだとレンは思った。
時刻は間もなく日の出。
起きるには丁度いい。
汗を拭き執事服に着替え終わった所で部屋の戸がノックされた。
「おはようございます」
入ってきたのはレンと同じく執事服に身を包んだ姿勢の良い老人であった。
穏やかな表情で物静かな老紳士だ。
名をジョバンニ・アウギーリ。
ファルメイアの父の代から仕えているこの家では最古参の使用人であった。
レンも「おはようございます」とジョバンニに頭を下げる。
「早いですね。本来まだ君の起きる時間ではありませんが、しばらくの間は朝覚えてもらう仕事がありますので早めに起床してもらいます」
「わかりました」
ジョバンニの物腰は丁寧で柔らかい。
新参の……しかもどこの馬の骨ともわからぬ半獣人であるレンにも敬語で接する。
レンはジョバンニと二人で屋敷を巡り使用人の朝の仕事の説明を受けた。
一通りの説明が終わった所で丁度廊下をシルヴィアを従えて歩いてきたファルメイアと行き会った。
主は鎧姿ではないがフォーマルな赤を基調とした衣装に身を包んでいる。
「おはようございます」と頭を下げる二人に「おはよう」と言葉を返し視線は向けない。
昨日のように特別に言葉を掛けてくることもない。
今日からは一使用人として扱うということなのだろう。
礼をする前に一瞬だけ視界に収めたファルメイアは相変わらず出来すぎなほどの美女であった。
まつ毛の長い大き目な瞳はややツリ目であり通った鼻筋にシュッっとした顎のライン。
容姿は生き抜く上での武器となる。
彼女が突出した軍人でなかったとしても華やかで人の羨む一生を送ることができるのではないだろうか……そんな風にレンは思って軽く頭を振ってその思考を消した。
栓のないことだ。
実際は彼女は美貌以外にも天から何物も与えられており、帝国天魔七将の地位に登り詰めた。
……そして自分の故郷を炎で包み全てを奪ったのだ。
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その日ファルメイアは午後から登城の予定であり午前中は屋敷で過ごした。
シルヴィアが淹れた紅茶を飲みながら彼女の報告を聞いている。
シルヴィア・アルバトラスはファルメイアにとって単なる侍従ではなく、腹心であり個人秘書のようなものでもある。
ある意味で自分以上に自分のことを把握している存在とも言える。
その為彼女からの報告は屋敷内の事のみならず職務全般に及ぶ。
一通りの報告を受けてからファルメイアは手にしたカップをソーサーに戻した。
「レンはどう?」
どことなく楽しそうに彼女はそう尋ねる。
自分が昨日突然拾ってきて屋敷に入れた半獣人の青年について。
「半日様子を見ただけですがジョバンニさんのお話では物覚えもよく働き者であると……好評価でした」
事務的に告げてからシルヴィアはふと主人の顔を見た。
「……何?」
「貴女は思い付きでこういう事をする人じゃないと思っていたけど……」
少し呆れたような物言いのメイド。
それは主人に対する使用人の態度としてはやや不遜なものであったがファルメイアは咎めようとはせず楽し気ににやにやと笑うだけだ。
「ごめんごめん。なーんか、ピーンときちゃってね」
「せめて相談はしてほしかったわ。七将軍の住居の使用人ともなれば本人が雇いますって言っても『ハイわかりました』というわけにはいかないのよ? わかっているでしょう?」
嘆息してたしなめるシルヴィア。
ファルメイアは悪びれずに笑っている。
……かと思うと深紅の髪の女将軍はスッと瞳を細めた。
「それで、あいつの経歴は?」
「出身は西部の集落フォグル。近年はプロセンドで下宿しながら私塾に通っていたそうよ」
昨日、顔を合わせてすぐに確認したレンのプロフィールを告げたシルヴィア。
「フォグルは西部地域の貧しい集落で流民の出入りが激しいから確認を取るのは難しいと思うわ。プロセンドは同じく西部の小さな町だけど過疎が進んでいて今ではほとんどゴーストタウン……こっちも確認を取るのにはかなり時間がかかると思う」
「ふーん……」
それを聞いたファルメイアは何事かを考えているように目を閉じた。
「どうするの?」
「確認は……必要ない」
言い切った主人にシルヴィアが眉を顰める。
「そんな手間掛けるくらいなら最初から雇うなって話でしょ? 私はあいつを使うって決めたのだからわざわざ手間暇かけて蹴る理由なんて探さなくていいわ」
「…………………」
無言のメイド長。
その表情からは彼女が納得していない事が窺える。
……極まれにあることだった。こういう主人のごり押しは。
時として彼女の意思は通例、慣例を超えてくる。
こうと決めたらもう自分が何を言っても無駄である。
わずかな沈黙の後に諦めたようにシルヴィアは嘆息した。
「わかったわ。ならせめて少しでも貴女の役に立つように徹底的に仕込むわよ」
「そこは是非よろしく。シル姉と爺やに任せておけば大丈夫でしょ」
そう言ってファルメイアは白い歯を見せて笑った。
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無言で廊下の窓を拭いているレン。
奇麗に磨き上げられたガラスに無表情の自分の顔が映っている。
……ファルメイアや他の使用人たちは自分の事をどう話しているだろうか?
彼はそれを考えていた。
当然のことだろうが昨日シルヴィアに出自について尋ねられた。
偽名は考えていなかったがそっちは熟考して準備してあった。
なんで名前だけまだだったのかと言えば単純に順番の問題だ。
これから偽名も考える予定だった。
自分が偽りの経歴を語るとしてもそれはもっと先のことになるはずだったから……。
(経歴はでたらめだがそれを見抜くのは難しいはずだ)
鏡に映ったレンの顔に影が差す。
(本当の出身地なんて……言えるはずがない)
もしそんな事をすればあの聡明な女将軍はたちどころに自分の真意を見抜いてしまうだろう。
自分は復讐のためにここに来た。
その為だけに今は生きている。
その標的である彼女が何故道端で出会った自分を拾おうなどという気まぐれを起こしたのかはまったくわからない。
だが千載一遇の機会が転がり込んできたのだ。
これを活かさぬ手はない。
(まずはとにかく仕事をしっかりこなしてファルメイアの信用を得よう)
それが目的を遂げる上での最短の道だろう。
ジョバンニから聞かされた話ではこの屋敷には二十名を超える使用人がいるがファルメイアの私室に入ることを許されているのはシルヴィアとジョバンニの二人だけであるという。
これは彼女が自身の完全なプライベートを晒すのがこの二人だけという意味だ。
もしもレンが三人目になることができたとしたら……。
それは彼女の暗殺を決行する上で非常に大きな前進となる事だろう。
(ここまで来たんだ。……焦るな。確実に殺せるその時まで……辛抱強く待つんだ)
レンが窓ガラスに見る自分の目は冷たく昏い光を放っていた。
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