二輪目{壱}
×月×日
今日抓んだのは、花弁の半分が藤色で、もう半分が白い花。愛されて居そう。
シグマは、目醒める。
黒い闇の中で―――――
「シグマさんが消えた?」
普段なかなか疑問を抱えないフョードルだが、朝一番に乗り込んできて、一時の紅茶タイムを邪魔したニコライの言葉に、頭の中が疑問符しかなくなる。
「はぁ...それで、何を根拠にそんなことを?」
フョードルは紅茶を飲みながら、ニコライを眺める。
大体いつもの服装と変わらないが、愛用の
「シグマ君の携帯に三百七十二回電話掛けても出なくて!カジノに行ってみても居なくてぇ!従業員に聞いたら二日前から来ていませんって!!!だから、管理人室にも入ってみたけど居なくて...携帯も其処に...」
相当焦っていたのだろう。早口で捲くし立てながら、同時に泣きそうに成りながら事の次第を話すニコライ。髪の先が
フョードルは、三百七十二回電話を掛ければそりゃ出たく無くなると思う。だが、其れにしてはいかにも私は失踪しましたと表しすぎている。
普通、誘拐の手口は大体決まっていて、携帯は電源を切るか、電波を遮断する。
其れも無くただ置かれていただけとなると、普通の手口では無い。同時に、身代金目当てでもない。なぜなら、身代金が目当てであれば、被害者の声を聞かせて焦らせる若しくは、電話で指定した場所に金を持って越させないといけない。フョードルやニコライは電話番号が知られていないのでなおさらである。
「誘拐...そういえば、最近ポートマフィアが誘拐の被害にあったそうですね。」
フョードルは席を立ち、『死の家の鼠』の報告書を
「其れとシグマ君の失踪に何か関係が?」ニコライがフョードルを睨む。
苛立ちが頂点に達し、怒りとなって矛先がフョードルに向いたらしい。『無駄なことをするな』というメッセージが全身から目に見えるほどに溢れている。
「解りませんか?シグマさんは誘拐された可能性が高いんですよ。」
云った途端、ニコライの怒りの矛先がフョードルではない何処かへ向かうのが解った。解りやすい人だと思いながら、フョードルは報告書を捲る。
無言の時間が続いた。
やがて、フョードルは事件の報告書を発見した。其処には、一ヶ月前ほどに起こった、ポートマフィア五大幹部の一人が誘拐された事件について報告されていた。暫く黙って報告書を読んでいたフョードルだったが、不意に報告書を閉じる。
フョードルは云った。
「シグマさんは、誘拐されました。」
「なんだ此処は...」
シグマは、自分を取り囲む闇を見詰める。
其処に見覚えはないし、来ようと思ったことも無い。要するに――――――――――
「何処だ、此処」
至って普通の疑問である。
先刻フョードルが『シグマが誘拐された』事を告げたときから、部屋の空気は凍っている。此処に一般人が居ないことで、被害は最小限に抑えられている。その位の凍り加減である。
フョードルは、シグマ誘拐告発を自分でしたにも関わらず、目には的確な殺意が渦巻いている。ニコライは、混乱している。何故、シグマ君が誘拐されたのか?何故、シグマ君なのか?何故、何故、何故―――――
フョードルは、横目でニコライを見詰めていた。
シグマは、若しかすると自分は消えたのかも知れない、と思った。
基より無から生まれた存在で有り、いつ消えても可笑しくないと思っていた。
ただ、其れが思っていたよりも早かっただけで。
嗚呼、結局自分の家を手に容れられなかったな。何一つ為遂げられぬ
そこでシグマは、或る事に気付いた。自分は今、暗闇に居る。其処には他に何も無くて、自分の鼻先も視えない。だが、一つだけ確かな事が在った。床がある。
其れは、此の何も視えない暗闇では、かなりの大発見であった。
同時にシグマは、自分が拘束などの処置を受けていない事に気付く。詰まり、手探りで歩けば、其の内脱出出来る...かもしれない....。
――――――――――そして、暗転。
ニコライの、長い髪の先が揺れる。
其れは怒気、殺気、そして、愛憎。
ニコライは、フョードルに訊く。
「其れで、シグマ君は今何処に?」
「其ればかりは、情報が足りません。」フョードルが静かに告げる。その声は、感情を押し殺しているようにも聞こえる。
「...なら、闇雲に探すだけだ。」
「まっ」フョードルが、ニコライを止めようと手を伸ばす。手は空を掻き、何も掴むことは無い。
ニコライの
「...」フョードルは、只、虚空を睨んでいた。
ツヅク。
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