序/蛮族転生 5
明らかに異質なことが起こっている。
胸に広がる血は明らかに少女のものである。確実に息の根を止めていたはずだった。
だが、現にリリベルは立ち上がり、ましてや笑みさえ浮かべている。
三人のマント姿の若い男たちは明らかに困惑していた。
「おい!確かに殺したはずだよなァ」
「お、おう。間違いない」
「でも、立ってるし、笑ってんぞ」
リリベルは腰に手を当てて、反るように体を伸ばした。続いて、トントンとジャンプしている。
手を握り、開き、肩を回し始めた。まるで、自身の体の状態を確かめるかのように。
「あーーーーっ」
と、唐突に大きく叫んだリリベル。男たちはその異様さ知らず知らずのうちに一歩後退りする。
「うむ。しっかり目が覚めた」
そう言った後、リリベルが男たちを見定めた。鋭い眼光が彼らを捉える。それは先刻怯え切り、なす術もなく殺された少女のそれではなかった。
体躯、容姿……あらゆるものが同じであり、しかしながら、すべてが全く違う人物のものである。明らかに異質な何かが彼女自身をまるごと支配したかのようだった。
「してお前たちは何者だ?」
その言葉に対して、襲撃者たちは返答をしない。目の前のことに当惑している様子だった。
「……カカッ。殺した相手が生き返って戸惑っておるか。阿呆面がよけい際立っておるぞ」
襲撃者のうちの一人がなにか意を決したように、一歩前に出る。
「サイケ、ナトリ。何でかわからんが、誰も生かすなってのが、隊長の命令だったよな」
「エリン。確かにそうだけど……」
「やるんだ。すべてはぼくたちの夢のために」
「話は済んだか?」
襲撃者の会話を聞きながら、身体を動かしていたリリベルが訊ねた。
「悪いが、もう一度殺させてもらうことにした」
最初に一歩前に出た、エリンと呼ばれた男が答えた。相変わらず目深に被ったフードで顔は見えないが、声からするに若い男である。
「にしても、貴様ら、恥ずかしくはないのか」
問い。彼ら襲撃者たちは、それぞれ得物をすでに手に取っている。
ナイフ、剣、弓。防衛の本能に則って戦闘の態勢を整えている。
「俺は女子ぞ。男がよってたかってそんな物騒なものを向ける相手ではなかろう。それに中から聞いておれば、殺しを遊び半分でやるかのような口ぶりであったではないか。貴様ら戦士ではないのか」
「うるさい! だいたいなんでそんなにピンピンしてんだ」
「さぁな。だが、この小娘は生きたがっておったぞ。この世界に失望しつつも、生きることは諦めてはおらんかったようだ。それが理由なのかもしれんな」
「答えになってねぇ! まあ、いい! どのみちこの場はみんなやらねぇと隊長に怒られるんでなぁ、もういっぺん死ねや」
「ならば来るが良い。十年ぶりの目覚めだ、どれほどか鈍っているのでな。肩慣らしに使わせてもらおう」
「意味がわっかんねぇんだよっ!」
ナイフを持った男が駆け出す。素早い身のこなしと、爆発的な速力を持って的を絞らせないように、左右に軌道を振りながら距離を詰めている。明らかに素人ではない。
男の間合いに入った瞬間、それまでの速力よりもう一段階早い動きで、リリベルの背後に急速に回り込んだ。狙いは足首の裏側。暗殺者の対人格闘における常套手段だった。
「あれっ」
滑り込みながらの斬撃に手応えがなかった。その代わりに、彼の手首はぐしゃぐしゃに捻じ曲がっている。
「おお、すまぬ。ネズミが一匹這っていたと思って払ったつもりが、お主の手であったか」
「ぎゃあぁっ」
「くそっ貴様っ」
奥に控えた弓手が矢を放った。矢をつがえてから放つまでの時間はほぼ刹那。彼もまたただの弓手ではないが。
どさりと、次の瞬間には弓手は倒れている。額にはナイフが深々と刺さっている。
先ほどのナイフ使いの得物をリリベルは蹴り放っていた。
「お主の仲間の得物だ。返しておく」
「……よくも」
剣士が駆け出している。暗殺者とは違い不規則な軌道ではない。だが、足運びがそのまま一刀の踏み込みに連なる無駄のない動きだった。剣士はまっすぐ上に振りかぶった。
「うむ、格上とやるときは真っ直ぐに打つのが礼儀である……だが」
剣がぴたりと止まった。切先に少女リリベルの細い人差し指が当たっている。打ち込みの瞬間にまるで時が止まったかのように。
「覚悟が足りんのではないか? 殺すつもりで殺さねば、死ぬのはお主ぞ」
「だれが!」
リリベルの後ろから声がした。ナイフ使いが残った左手でもう隠していたもう一本のナイフを投げている。
完全な死角からの攻撃は見事にリリベルの後頭部に突き刺さる。はずだった。
だが、ナイフが消えている。
「な、なんで」
リリベルにまっすぐ飛んだはずのナイフは、仲間の剣士の首に突き刺さり、大量の出血を伴いその場に頽れた。
リリベルの首が傾げられている。ほんの些細な動きでナイフは仲間の命を刈り取った。
「……準備運動にもならん。仲間が互いで互いを殺してはなんのための研鑽であったのだろうなぁ」
「くそぉぉぉっ」
ナイフ使いがさらに隠していた得物を左手に複数持ち、投げてから、そこに畳み掛けるように距離を詰める。
「思考が止まっておるぞ。まぁ、よいか」
確実に急所に向けられた投げナイフすべてを大きくしゃがむことでかわしたリリベルは、詰めてきた男の顔を迎えるように掴み、そのまま地面に叩きつけた。
石畳に亀裂が入り、男の頭が深くめり込む。すでに後頭部は陥没し、割れてしまっているだろう。
そのままリリベルは冷酷な眼差しを向けながら、口を開いた。その声は聖女とは似つかわしくない、悪虐さを伴っている。
「ひとつ問う。貴様らはここを獲りに来たのか」
「ふるひゃ……きひゃら、ゆるひゃりゃ」
ズン!
リリベルはさらに男の頭を地面に押し込んだ。
「答えよ」
「……ひょれは……ひやら……」
ズン!
さらに深く押し込む。
「答えよ」
「……」
リリベルはゆっくりと男から手を離した。リリベルの手から、とろりと男の血がしたたる。男の頭は完全に地面に埋まり切って胴だけが道端に転がっているように見える。
「ふむ……」
こきん。とリリベルは首を鳴らした。
そしてリリベルはフードの男の胸元に縫いつけられた紋章を引きちぎる。
(見たことはない紋章だ。他国からの侵入者と見るのが妥当だろうな)
と、他の死体も調べてみる。フードをはぎ取り、顔を検める。どれも若い男ではあるが、人間ではない。
特徴的なのは、頭の上についた耳。
(獣人か。あの身体能力も納得だが。いささか俺の知るものとは違うか……まだまだ知ることは多そうだが)
それだけ調べると、リリベルは何事もなかったかのように放りなげられた自身のカバンを手に取る。
(まずは酒だ。身体を馴染ませねばならん。それに……)
夕陽はほとんど沈み、街の端から垣間見える空のほんの少しだけが赤みを帯びている。頭上には早々と一番星が輝き始めていた。
瞬く星を見てリリベルはひとりごちた。
「安寧は毒となり、やがて国を滅ぼす。単純なことではないかミハイ」
天を仰ぎ、リリベルは空虚な気持ちを言葉にした。そのことばは、宵が深まる聖都の空に霧散していく。
『彼』は知っている。
膨大な闘争の記憶から弾き出された、この国の進む未来を。
それはこの国にもはや安寧は続かないことを意味している。
それはもう戦は始まっていることを意味している。
ーーこれは始まりにすぎなかった。千年続いた王国の腐敗は止まることを知らず、この国はすでに、ナイフを喉元に突きつけられている。
それに気づいているのは、かつてのこの国を起こした理想家の仇敵のみであった。
蛮族の王、フリッツ。
聖女として転生する。
『序/蛮族転生』
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