13.記憶の中の安寧

 西方辺境伯家が滅門してから5年間、侯爵領への魔物たちの侵入を防ぐことに腐心してきた。

 妻を娶ったことで、腰の重かった父が俺に爵位を譲り渡してから更に5年が過ぎた。

 西方辺境伯爵家陥落当時は25歳の若造だった俺も今は35歳になってかなり堂に入ってきたように思う。

 それにいつの頃からか此処に襲来る魔物の数が随分減ったように思うのだ。


「元西方辺境伯領との境から凡そ5キロ程度ですかね」


 ライムンドがテーブルいっぱいに広げられた地図に線を書き入れながら言う。


「そこまでは入ってくるみたいなんですけどそれ以上は近づいてこないとか…」

「大方、そこまでがテリトリーなんだろ」

「いや、ここまで寄って来るならどんな魔物だろうがテリトリー拡大させますよ。こことか、集落作るのに適した地形してますからね」


 今度は幾つか、丸を書き込む。そこが要注意エリアらしい。


「実際、こちらに来ない分、南に大量に流れているようで。南方のノトス辺境伯家がかなり切羽詰まってるみたいです」

「北方のボレアースは?」


 南に流れるなら同じように北にも流れるはずだ。これで北も危ないとなったら帝国を囲む4つの辺境伯家の内の3つが機能しなくなるということだ。残る東のエウロスはこちらと違って比較的魔物の規模が小さいので言うほど強くもないと言うのに。


「そっちはサルトゥス大公家ががっちりガードしてますよ。それこそ蟻の子一匹通さない姿勢で」


 予想外の家名が出てきて驚いた。嫡男を失って呆けているのではなかったか。

 息子を悼むのではなく、辺境伯を務めていた弟の代わりをする道を選んでいたらしい。


「もっと可怪しなことが在るんです。元辺境伯領との境近くに2つばかり小さな村が在るの覚えてます?」

「当たり前だろ」


 何年、領主をやっていると思ってるんだ。と、言ってもどちらも本当に小さな寒村で滅多な事では視察にも行かないから現状どうなっているかまでは定かでないのだが。


「その村とその村の生活圏にも魔物が寄らないんだそうです」

「言いたいことは解った。確かにテリトリーのど真ん中にある村が無傷なのは可怪しい。魔物除けになにか使わせたとかってのはないのか」

「魔物避けの何かっていうのは存在しません。それこそ銀の男アルゲントゥムの加護が残っているとかそういう次元の話になります」


 それは違う。銀の男アルゲントゥムは確かに死んだのだ。でなくば元辺境伯領の惨状はどう説明付けるというのだ。そのせいでこの10年、知見も何もない魔物相手に戦い続けてきたというのに。

 銀の男アルゲントゥムのような加護も才能もないただの一般人が血反吐を吐くつもりで頑張ってきたのだ。それを今更死んだ男の加護のおかげで助かったなどと言われたくはない。




 俺の不機嫌を感じ取ったのか、魔物対策会議は一旦の休憩を挟むことになった。

 気分転換にライムンドの入れた茶を啜りながら窓の外を眺める。

 今日も無駄に快晴だ。

 外ではランドリーメイドたちが洗濯物を干している。

 天気がいいので大物を片付けているようだ。庭にシーツの海が出来ている。


 そうして空を見ているとなにかの影が横切ったように見えた。

 只の鳥にしては、影が異様に大きい。遠近法から考えたら人と変わらないかそれより若干大きいのではないかとすら思える。


 「ライムンド!!外だ!!」


 咄嗟に窓を開け、剣を掴んで庭に飛び出す。

 風で波立つシーツの合間に逃げ残ったメイドの姿が見える。

 やはり飛行型の魔物だった。ハルピュイアだったか、人を食らう人形に近い魔物。

 それが羽根になった両腕を駆使して滞空し、鳥のような足に映えた長い爪で切り裂いてくる。

 剣で応戦しながら状況を確認する。先程のメイドななんとか自力で逃げたらしい。

 が、逃げ残ったのは他にも居たらしい。シーツの波の際から二対の足が見える。


 「奥方様!!」


 ライムンドが叫びながら走ってくる。

 そこで初めて気がついた。

 取り残されていたのはあの女とそのメイドだった。


 ――――何故、こんなところにいる!?


 足の悪い女に散々『外に出るな』と言い含めたはずだ。

 魔物は逃げることの出来ない獲物に標的を変えたらしい。

 俺の振るう剣を蹴り飛ばし、こちらの上体が崩れた瞬間を見計らってあの女の方へと飛び退る。


 そのままあの女目掛けて蹴りを――――繰り出さなかった。只、見てはならぬものを見たかのような顔をしてそのまま上空高く飛び上がり踵を返して逃げ去った。

 危険が去ったことが解ると女のメイドは女に抱きつき、泣き出した。

 遅れて到着したライムンドがメイドを宥めて女から引き剥がす。

 危機を脱した後に漂う安堵感に皆が胸を撫で下ろす中で唯一人俺だけが恐怖に戦慄いていた。




 あの女を襲う瞬間、あの魔物はたしかに怯んだ。

 ただ非力な殺される以外の選択肢を持たぬだろうあの女をあの魔物は確かに恐れたのだ。

 わからない。わからないが唯一つだけ解る。


 ――――あの女は不気味だ。


 見目だけでなく存在そのものが不気味でたまらない。

 傍に置きたくない。ずっとそう思っていた。あの女を取り巻く何かを俺はずっと恐れ続けていたのかも知れない


「散々外に出るなといったのにまた逆らったのか!!もういい!!お前は暫く西の『療養塔』に居ろ!!俺が許すまで出てくるな」


 そうして建前を並べ立てて、自身の恐怖心ごと、あの女を幽閉した。




 今なら解る。あの魔物があの女に対して示した態度。そして俺があの女に抱いた感情。


 ――――あれは『畏怖』だ。




 西の『療養塔』とは名ばかりで実際には『幽閉塔』と呼ばれていた。

 なんでも数代前まで気を違えた者を『療養』という建前で『幽閉』してきたものらしい。少なくとも祖父母の代では既に使われなくたって久しかったらしく、今にも崩れそうなほどには老朽化が著しかった。

 そんなところに唐突に放り込んだものだから周りから地味に反発された。

 

 ライムンド俺の乳兄弟の日課の散歩範囲に『幽閉塔』が含まれるようになったが大したことはないと無視した。

 前公爵夫人俺の母から抗議の手紙がきたがそれに対して特に反応する必要は無いだろうと思えた

 アマリア女のメイドが毎日欠かさず、あの女について報告に来たがその内容に何の関心も無かった。


 ――――無視。無反応。無関心。


 俺が自身への逃げからあの女に施したものがゆっくりゆっくり、着実にあの女の元に降り積もり続けた。


 ――――そうして、いつの間にやら、『幽閉塔』だけがあの女の領域テリトリーになっていた。

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