11.記憶の中の献身

 今年も来てしまったようだ。

 皇室からの狩猟大会参加の招待状片手に嘆息する。

 毎年秋の忙しい時期に開催される伝統行事だ。勿論、皇室主催なので無下にする訳にも行かず、毎年どうにか仕事をやりくりして参加している。

 今回は、結婚してから初めて参加する公式行事となるのだがあの女を連れていく訳には行かない。

 まぁ、皇室も俺が誰と結婚したかなど興味もあるまいが。


「ふふっ、エルメスのカッコいい所期待してるわ!」


 アミラは参加する付いて来る気満々のようだ。

 狩猟大会は、その実、貴婦人の戦場でも在る。美しく着飾った姿を見せることで伴侶にどれだけ愛されているかを誇示することが出来、それで優劣を競うのだ。望みどおり美しく着飾ってやろう。会場の誰より美しくなるように。


「ふふっ、エルメスは私をクイーンにしてくれるわよね?」


 狩猟大会には参加者が獲った獲物を意中の人物に捧げ、その忠誠や愛を示す風習が昔からあるのだが、それが高じて最も立派、若しくは最も多くの獲物を捧げられたものをキング、若しくは女王クイーンとして称えるというルールが出来た。そしてキング、若しくは女王クイーンになったものは皇室から讃えられ、褒美を受け取ることが出来るのだ。

 アミラはどうやらそれを狙っているらしい。


 大会の最有力参加者候補の大公は5年前にその後継者と弟家族を失って以降、公式の行事に参加することがない。北方にある自分の領地に籠もったまま、ずっと沈黙を貫いている喪に服している。皇帝とは従兄弟同士の筈だから、交流を絶つのは悪手だと思うのだが、この5年、皇宮に上がってすら居ないらしい。

 帝国に数ある武門を上から数えるならば大公家、今は亡き西方辺境伯家、そしてそれに次ぐのが我が侯爵家だ。東方/南方/北方にも辺境伯家は存在するがそれらは言うに及ばない。

 アミラの願いを叶えるのは容易いだろう。


「ああ、君が応援してくれるのなら」


 狩猟大会では淑女や令嬢が懇意にしている参加者にハンカチを贈り、贈られた参加者がそれを利き腕に巻き、護符とするという習わしがある。また、中には『柄守り』と呼ばれる飾り護符を自らの手で仕上げるものもいると聞く。『柄守り』は剣の柄に輪の部分を通し、括り付けて持ち歩く。紐上の部分を手に巻きつけて剣の滑り止めに使うことも出来る実用的なものだ。

 勿論、ハンカチも柄守りも外注することも出来るのだが、想い人自ら作られたものなら篭められた思いもそれを受け取るものの思いも一入だろう。


「ん~、でも、私、刺繍も細工も苦手なのよねぇ……指や爪を痛めそうで怖いわ」


 アミラは護符作りには乗り気でないらしい。少々残念だがそれは仕方ない。誰にでも向き不向き、興味のあるなしはあるものだ。


「そうだわ!ねぇ、エルメス。私、デザインなら得意なの!特注した柄守りなら使ってくれるかしら?私のネックレスとお揃いにしてみたら良いと思うの!序にハンカチもお願いしちゃいましょう!こっちも私のドレスとお揃いなら特別だと思わない?オシャレも出来て一石二鳥よ」


 確かに揃いのものなら、アミラが俺のものだと顕示出来て良いかもしれない。流石、俺の運命。いつだって俺のことを考えて素敵な提案をしてくれる。俺の最愛の女性ヒトだ。




 アミラの願いを実現する為、細工師と仕立て屋を侯爵邸に呼びつけた。

 嬉しそうなアミラの手を取って客間へと急ぐ。アミラが書き散らした数々のデザイン案はライムンドに持たせてある。

 その移動中、廊下の真ん中で唐突に行く手を遮られた。

 見ればあの女がこちらに何かを差し出している。


「あ、あの、だ、旦那様!」


 差し出された手の中にはハンカチがある。何かが包まれているらしく、妙な形に膨らんでいる。

 無視してしまいたいところだったが、不承不承、それを受け取り、確認してみることにした。

 広げられたハンカチには繊細な手刺繍で侯爵家の家門が刺されており、その出来栄えは職人と言っても過言でない。ハンカチ自体もシルクだろう、滑らかかつしっとりとした肌に吸い付く手触りだ。触ってみて解ったが刺繍に使われている糸もシルクが使われている。

 そして、ハンカチの中から出てきたのは『柄守り』。俺の髪色を意識したのだろう、紫紺の糸で繊細に編み上げられたそれに俺の眼と同じ黄金色の輝きを放つ大振りの琥珀があしらわれている。


 ただでさえ紫紺の糸は高い。染料が希少でその上、染めの工程が煩雑で手間がかかるとされ、異国でも希少品のひとつなのだ。

 琥珀もこんな大ぶりで色味の深いものは見たことがない。濃厚な飴色がこれまた濃密な黄金の輝きを放っている。

 それに合わせて総シルクのハンカチに、シルクの刺繍糸。どちらも手触りから最高級品だと解る。

 ――――一体幾ら掛かったのだろう。


「お前にものを買う金を与えた覚えはない!」


 頭に血が上る。勢いの侭に女の頬を張った。

 乾いた破裂音と共に、痩せぎすの体はいとも簡単に吹き飛び、地に伏せる。


「一体何処でこんなものを手に入れた!!」


 柄守りをハンカチ諸共、床に叩きつけ、何度も踏み躙る。

 倒れ伏していた女はその光景に慌てて上体を起こし、這いつくばってこちらににじり寄り、踏まれるのも厭わず、柄守りに手を伸ばす。


「うっ!?」


 案の定、女の手を踏んでしまった。

 流石に躊躇して足を上げた瞬間、女の手は柄守りを俺の足元から奪取する。

 琥珀は柔らかい石だ。女の手に乗るその石を確認したが、離れていても解るほど大きな傷が入っている。

 女は大粒の涙を零しながら両手で柄守りを握りしめ、守るように抱え込んだ。


「もう!何やってるのよ、エルメス。そんな女……きゃぁ!!」


 布が裂ける音と共にアミラが腕の中に飛び込んできた。

 一歩引いたところに居た筈のアミラが騒ぎの顛末を見ようと身を乗り出してきたらしい。が、誤ってハンカチを踏んでしまったのだろう。バランスを崩してこちらに倒れてきたのだ。

 咄嗟に受け止めたもののアミラは足首を捻ってしまったらしい。

 アミラを姫抱きに抱え上げた。


「足は大丈夫か?アミラ。医務室に急ごう」


 腕の中に収まるアミラに優しく声をかける。アミラは俺の首元に顔を埋めて甘えている。


「職人はもう暫く待たせておけ。アミラの治療が済み次第、顔を合わせる」


 職人連中への対応はライムンドに投げた。まぁ、慣れているだろうから上手く処理してくれるだろう。


「お前は出しゃばるな。碌な事にならんと身を持って知っただろう。何度も言うが大人しくしていろ。生きてさえいればいい。他には何も期待していない」


 最後は女への警告だ。いい加減覚えろというのだ。本当につくづく愚かな女だ。

 そう言い放ち、踵を返した俺の足元には破れたハンカチが一枚所在無げに取り残されていた。




「あの女に品質保持費の類はつけるなと言ったよな」

「つけておりません、布地や糸は前侯爵夫人がご厚意でお譲りくださった刺繍道具で奥方様自らがお稼ぎになられた資金で購入されたものです」

「母上が!?離れに立ち入ったのか!?」

「前侯爵夫人がこちらにいらっしゃった時に偶然お会いされただけです。奥方様は思慮深い方ですからね、大層お気に召されたようです」


 まぁ、あの派手嫌いで地味好きな母のことだ。あの幽鬼のような女も気に入ることだろう。そう納得して話を打ち切ろうと思ったが何やらライムンドが意味ありげな視線を寄越してきたので続きを促す。


「後、主君がお踏みになったあの石ですが」

「アレが何だと言うんだ?どうせ盗品か何かだろう?」

「奥方がラール家に養女に入るから持っていたもので、記憶にも残っていない生家との最後の縁と思って大切にしていたものだそうです。唯一つ残っている自分自身のものだから主君に差し上げたいのだとおっしゃっていました」


 いつの間にそんなことを教えられるほど仲良くなったのだろう。

 訝しげに睨めば、心底軽蔑に染まった目で睨み返された。乳兄弟で最側近ライムンドじゃなければ、言葉通りにしていただろう。敵意すら感じる瞳だったから。


「ああ、それからあので破れたハンカチですが、主君が呼びつけていた職人が是非参考にしたいと持っていってしまいましたがよろしかったですか?それなりの謝礼は置いていきましたが。あのような繊細な仕上がりは見たこともないそうです。これを刺した方にお会いしたいとも言っていましたね」


 そんなものは別にと言いかけて言葉に詰まった。俺は惜しんでいるのだろうか?一体何を?

 俺の様子を見ていたライムンドがため息を付きつつ言い放つ。


「今からでも遅くはないと思いたいです、主君。報いて差し上げてくださいとまでは言いません。せめて、もっと大切にして差し上げてください。奥様は素晴らしい方ですから」


 乳兄弟の小言いつものことがやけに胸に刺さるのは何故だ。


 何も出来ない愚かな女だと思っていた。

 まともに歩けない。

 まともに喋れない。

 まともに目も合わせられない。


 ――――そうだ、一度だって目を合わせられたことなんかない。


 ――――本当に何もかもが気に障る女だ。

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