10.俺が先に

 ライムンドは厳かな大聖堂の中、教皇が立つ祭壇前に並ぶ二組の初々しく幼い婚約者たちを眺めていた。

 婚約式と言っても皇太子と皇統血族のそれはやはり規模が違うことをまざまざと感じさせられる。


「大聖堂で教皇呼んで婚約式って流石皇族ですね……って主君!?」


 ライムンドが隣りにいる筈の主に話しかけながら振り向くとエルメスは今にも死にそうな顔をしていた。


「ああもう、体調悪いなら悪いとおっしゃってくださいよ。ほら、迷惑になる前に席外しましょう?」

「別に体調は悪くない」

「そんな……今にも倒れそうな程、真っ青な顔しといて何おっしゃってるんですか!」

「なぁ、まだ……まだ、婚約だよな?ワンチャンあるって思っててもいいだろう?」


 多分良くはない。絶対に迷惑だからとっとと諦めろ。喉まで出掛かった言葉をライムンドはなんとか呑み込む。あんなに仲睦まじい姿を見せつけられておいてまだ諦められてなかったというのか、この男は。

 ライムンドの心配を突っぱねて強がってみても体調は正直だ。そんな事エルメスにだって解っている。自分のメンタルが此処まで弱いとは思っていなかった。好きな女性が自分以外の隣に立っているという事実を受け入れることが此処まで辛いとは知らなかった。出来ることなら一生涯知りたくなかったことだ。


 (ああ、やめろ!頼むから縋りつくな!!俺の服を握り込むな!!皺になる!!)


 ライムンドが己の服を縋るように掴むエルメスの手を外そうと躍起になっている横で粛々と式は進む。




 壇上に立つ教皇が二組の婚約者達に誓約の確認を行う。


「汝、ゲール・カリュプス・カエルレウス・フォンスはソルアレア・アウレア・ルベル・ヴェントゥスと結ぶこの婚約が主の御心によるものと認め、結婚に向けて交わりを清く保ち、互いの愛と理解を深め、誠実に努力することを誓うか」

「誓います」

「汝、ソルアレア・アウレア・ルベル・ヴェントゥスはゲール・カリュプス・カエルレウス・フォンスと結ぶこの婚約が主の御心によるものと認め、結婚に向けて交わりを清く保ち、互いの愛と理解を深め、誠実に努力することを誓うか」

「はい、誓います」


 間髪入れず返る凛々しい声はゲールの、一拍置いて返る柔らかな声はソルアレアのものだ。未来の皇帝、皇后になるだろう二人は既にそれに相応しい気品を携えているようだ。堂々とした態度にそれが現れていた。


「汝、フムス・カリュプス・ルブルム・サルトゥスはルナアリア・アルゲンティア・カエルラ・ゼフィロスと結ぶこの婚約が主の御心によるものと認め、結婚に向けて交わりを清く保ち、互いの愛と理解を深め、誠実に努力することを誓うか」

「誓います」

「汝、ルナアリア・アルゲンティア・カエルラ・ゼフィロスはフムス・カリュプス・ルブルム・サルトゥスと結ぶこの婚約が主の御心によるものと認め、結婚に向けて交わりを清く保ち、互いの愛と理解を深め、誠実に努力することを誓うか」

「はい、誓います」


 重く響く厳かな声はフムスの、儚く響く透き通る声はルナアリアのものだ。両名揃ってこの婚約を真摯に受け止めるように静かに目を伏せている。


 三者三様の返答を返した後、教皇が差し出た誓約書に各々自らのサインを書き入れる。


「では、婚約の証として指輪の交換を」


 ゲールとソルアレアは互いの左手薬指に黄金に輝く指輪を、フムスとルナアリアは互いの左手薬指に白銀に輝く指輪を贈る。


「之にて、結びと相成ろう。この二組に祝福を」


 高らかに閉式が宣言される中、ライムンドの左手は未だエルメスの左手と戦っていた。




 婚約式の規模が破格なら勿論、婚約披露宴の規模も破格だろう。当たり前といえば当たり前だ。

 会場である此処、グレート・ホールは帝国で最も権威と歴史を持つホールで、基本的に皇族にしか使えない。


「皇太子殿下の婚約式ですもんね、グレート・ホールになるのは至極当然か」

「綺麗だったな……俺以外の男の横でならあんな顔もできるんだな……」


 エルメスは式でのルナアリアを思い出しながら何やら思いを馳せている。

 口から漏れ出ている独り言が若干……いや、大分キモいが触らぬ神に祟りなしというやつだろう。

 式の間中、ライムンドの右腕を皺だらけにすることに執心していた癖にルナアリアの姿だけは焼き付くほど見つめていたらしい。

 ホント、何様のつもりなんだと問いたいが問うたら問うたで前世の旦那様とでも返ってきそうな気がしてライムンドは口を噤むしか無い。


 給仕からシャンパングラスを受け取って、喉を潤しながら見回すと今回の宴の主役の内の1人をそのまま成長させたような迫力在る偉丈夫がこちらへ向かって来るのが見えた。

 ライムンドはエルメスの右脇腹を肘で突き、準備を促す。その行動で漸く気がついたらしいエルメスはとっておきの外行き用の顔を貼り付け、偉丈夫を待ち構えた。


「少し良いか、貴公。メルクリウス小侯爵とお見受けする。テリオ・カリュプス・アッキピテル・サルトゥスだ。貴公には愚弟と愛姪、それと愚息まで世話になったと聞いた。世話を掛けた、感謝している」

「はい、お声掛け頂きましてありがとうございます。メルクリウス侯爵家のエルメス・グラクルスと申します。大公閣下におかれましては本日は大変目出度き日、お慶び申し上げます」


 大方の予想を裏切らず、フムスの父親である大公テリオ・カリュプス・アッキピテル・サルトゥスからのお声掛けだった。エルメスはテリオの威容を観察する。本当にフムスとよく似ている。違うのは目の色くらいじゃないだろうか。フムスの眼は血のような鮮烈な紅だが、テリオの眼は闇のような漆黒だ。


「おや、兄さん。此処に居たんですか?あっ!メルクリウス小侯爵ですよね。私も紹介してくださいよ。仲間外れはイヤですからね」

「コレも私の愚弟だ。ヘリオ・アルトゥム・コルニクス・ヴェントゥスという」

「初めまして!片割れに甥っ子姪っ子までお世話になったとか!私からもお礼を言わせてください。メルクリウス小公爵」


 この眼を細めて人懐こそうな笑顔を浮かべているの男性が皇太子殿下の婚約者の父親であり、宰相/外相/財相を兼任する辣腕、宮中伯ヘリオ・アルトゥム・コルニクス・ヴェントゥスその人らしい。人は見かけによらない。


「口から先に生まれたような喧しい男だが、悪いやつではない。それ故そう警戒する必要もない」

「兄さん、それ弟の紹介としては酷すぎません?」

「それはそうと、俺を探していたようだがどうした?」

「向こうで義姉さんたちが待ってるんですよ。私は遣いに寄越されただけです。そろそろあの子達が出てくるんでしょう」

「そうか、ならば傍に居ねばな」

「それでは、メルクリウス小侯爵。後ほど妻たちも連れてきますのでまた、お話しましょう」


 テリオとヘリオが連れ立って席を外して暫し、ホールにホルンが鳴り響き、階上に皇帝陛下が皇后陛下を伴って姿を表した。

 その向かって右斜め後ろに皇太子とその婚約者。右斜め後ろにフムスとルナアリアが控えている。その更に後ろに頭だけ見えているのは第二皇子だろうか。


「今日この目出度き日、我が皇太子が婚約者を迎えることと相成った。また、我が親愛なる大公の子息もまた時を同じくして婚約者を迎える。この喜びを共に分かち、この若き者たちを祝福してやって欲しい」


 皇帝の言葉とともに、宴の主役たちは各々左右の階段から踊り場まで降り、そこで並んで貴族の礼を披露する。その姿に会場にいる貴族一同が拍手を贈る。これで婚約披露が終了したことになる。後はダンスパーティーだ。




 階上に流れる音楽が変わり、ホールの真ん中に4組の男女が陣取る。ファーストダンスだ。

 濃紫の髪と赤茶の髪の組み合わせが皇帝陛下と皇后陛下、と白髪の組み合わせがサルトゥス大公夫妻、の組み合わせが皇太子とその婚約者、そしての組み合わせがフムスとルナアリアだ。

 本来、会場で最も身分が高いものが踊るのがファーストダンスの習わしだが今回は婚約披露宴だ。主役とその親が踊るのは当然と言える。

 ゆったりとしたワルツとともに始まったファーストダンスの間中、エルメスの視線はまるで妖精のように踊るルナアリアに釘付けだった。

 ――――ああ、あの手を取って踊るのが自分だったらどれだけ良いだろう。


「おじさま!ご参列くださって有難うございます」

「私からも礼を。見届けてくださり感謝致します」


 ファーストダンスが終わって、いの一番に声をかけに来てくれたルナアリアにエルメスは感激を隠せない。

 ルナアリアとともに来たフムスの横には皇太子殿下と婚約者が控えている。拙い。エルメスは急いで礼を取る。


「帝国の小さき太陽に拝謁致します。メルクリウス侯爵家のエルメス・グラクルスと申します。皇太子殿下におかれましては大変目出度き日、お慶び申し上げます」

「よい、楽に話せ。貴公には我が友が大変世話になったと聞く。余も改めて名乗ろう、皇太子ゲール・カリュプス・カエルレウス・フォンスだ。よろしく頼むぞ、メルクリウス小侯爵」

「私もご挨拶させていただいて構いませんか?ヴェントゥス宮中伯家が娘、ソルアレア・アウレア・ルベルと申します。この従兄妹達をお助けくださり真に感謝致しております」


 紹介された人物を確認してエルメスはたいへん驚いた。

 ソルアレアと名乗る少女はルナアリアと瓜二つで髪色の違いさえなければ一見、同一人物かと見紛うほどだ。知らなければ一卵性の双子かとも思うがどうやら本当に従妹のようだ。名乗りを聞くにあの人懐こい印象を残していった宮中伯の娘らしい。


「ルナアリアと私が似過ぎていて驚いているんですね。両親が双子同士なんですよ、私達」

「ええ、だから下手な姉妹より似てしまって……皆同じような反応されるんです。なんの偶然か誕生日まで同じなので双子だって思い込んでる方も多いんじゃないかと」


 ――――なんで気が付かなかったんだ。

 エルメスは前世で皇太子妃殿下と面識がある。だから解る。目の前のルナアリアの従妹と名乗る少女ソルアレアは皇太子妃殿下その人だ。

 前世の皇太子妃殿下は目の前の少女ソルアレアのように闊達ではなく、何時も何かを憂いているような雰囲気のある脆い人だった。なんでも大切な身内を亡くし酷く塞ぎ込んでいるのだと噂には聞いていた。今なら解る。

 ――――亡くしたと憂いていた相手は俺の妻ルナアリアだ。

 知らなかったとはいえ、皇族の身内を拉致監禁していたに等しい。いやそもそも、俺の妻ルナアリア自身皇統血族だ。自身前世の情報収集能力の甘さがここ現世に来て露呈するとは。


「はい、そっくりで大変驚きました。そっくりといえば皇太子殿下と小大公もとても良く似ておいでですね」

「ああ、――――言葉は崩させて貰おう。堅苦しいのは苦手でな。――――僕らの場合は親戚だからって言うより『鋼の男カリュプス』だからっていうのが大きいかもね。どうしても似ちゃうんだ、外見も性質も」

「性質はあまり似ていないと思うが?」

「性質っていうか、考え方?思考回路?そっちのこと。確かに好みとかまで似られたら困る。ソラの取り合いになったらゾッとしない」

「俺も、お前とルナを掛けて戦うのはゴメンだ」


 物騒なことを言い合うゲールとフムスの会話中、気になることがあった。『ルナ』?『ソラ』?エルメスが小首をかしげているとルナアリアがそっと耳打ちして来た。


「私とソルアレアの愛称なんです。兄様は私を『ルナ』と呼びますし、殿下はソルアレアのことを『ソラ』と呼ぶんです。他の人がこの呼び方をすると二人共酷く怒るので気をつけてください」

「私とルナアリアは普段は『レア』『リア』と呼ばれています。参考までに覚えていてくださると嬉しいです」


 ルナアリアが教えたことを補足するように今度は逆側からソルアレアが耳打ちする。なるほど、双子だと誤解されるわけだ。行動までよく似ている。

 それにしても可愛い愛称だ。『リア』。そう言えばセリオもルナアリアをそう呼んでいたか。

 ――――俺も呼んでみたい。いや、呼べばよかった。あの時前世なら幾らだって呼べたのに。




 お色直しということでルナアリアとソルアレアが其々の婚約者を連れ立って下がっていった。

 4人が再び現れたのはホール正面に在る階段の踊り場。

 ルナアリアとソルアレアのドレスは帝国のシンボルである泉の女神をモチーフにした白くシンプルなものだったがそれがたまらなく似合っていて本物の女神と見紛うばかりだった。

 ルナアリアの傍らにはグランドハープ、ソルアレアの手にはリラ。フムスの手にはヴィオラ、ゲールの手にはヴァイオリンが其々用意されている。

 そうして始まった弦楽四重奏に皆、一様に酔いしれた。

 大きなハープの上を滑るように踊るルナアリアの小さな手を、それから奏でられる音をエルメスは心に刻んだ。




 酒が入ると口が回る。それは平民も貴族も半貴族も変わらない。


「サルトゥス大公家もやるよな。ただでさえ本人だけじゃなく嫡男まで『鋼の男カリュプス』で、この上なく盤石な癖に『銀の乙女アルゲンティア』まで取り込むんだろ?皇位簒奪目論んでるだろ、実際」

「いや、皇太子殿下も『鋼の男カリュプス』じゃないか。それに『金の乙女アウレア』を娶るんだ。万が一にも引っ繰り返されたりしないよ。抑々、サルトゥス大公家一門は皇太子派だろ?弟の宮中伯も辺境伯もそれに倣う筈さ」


 酒が入ると口が緩む。それは平民も貴族も半貴族も変わらない。


「面白くないのは皇帝陛下だけってことか」

「ああ、サルトゥス大公を殊の外嫌っているからな」

「皇太子殿下も嫌ってるんだろ?だから第二皇子派なんかが台頭するんだ」

「第二皇子?そんなの居たのか?」

「隣国から嫁いできた現皇后の子だよ。名前は――――ヌビルス・ウィオラケウスだっけ?」

「『鋼の乙女カリュプシア』だったサンドラ前皇后の子で『鋼の男カリュプス』である皇太子殿下にゃどう転んだって敵わないだろ、覚える必要もないさ」


 酒が入ると頭も緩む。それは平民も貴族も半貴族も変わらない。




「――――今日は羽虫が特に五月蠅いな。そう思わないか、大公」


 口さがなく騒ぐ貴族半貴族たちを横目で見遣りながら酷薄な笑みを浮かべる男がいる。この帝国を統べる皇帝であるアエル・ククルス・フォンスだ。ソファーに腰掛け、蟀谷に流れる自身の濃紫の髪を弄びながら不機嫌そうに呟く。


「左様ですか、皇帝陛下」

「雀も、羽虫を喰らうどころか、一緒になって騒ぎ立てる始末だ。ここらで一度全て締めてしまった方が良いかしれないな」

「放っておくが宜しいかと存じます。何が変わるわけでもありません。羽虫は入れ替わるでしょうし、雀もいい加減鳴き疲れましょう」

「そうか、貴公がそういうならそのままにしよう」


 皇帝は至極つまらなさそうにワインを燻らす。ふとなにか思いついたように大公へと向き直り、昏い灰色の瞳でニヤリと笑った。


「大公に感謝しなくてはな。皇太子に大公の姪を貰ったのだ。大事にするようよく言い聞かせておこう」

「お心を砕いてくださったこと感謝致します。礼は弟に」

「そういえば大公のもう一人の姪、そう、貴公の嫡男の婚約者になったほうだ。アレも欲しかったんだがな?第二皇子に似合いだったように思うんだ。年の頃も容姿も能力も」

「そちらは勘弁願います、皇帝陛下。愚息から愛姪を取り上げるとなったら私では御しきれません」

「そうか、それは惜しいな。とてもな子なのに」


グラスに残ったワインを一息に干すと皇帝は空になったグラスを大公に押し付け、一人奥へと下がっていった。

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