07.記憶の中の夫人
意に沿わない結婚式を上げた翌々日。
愛しい相手を伴って侯爵邸に戻ってきた俺は、何故か侯爵夫人の部屋に陣取っていた女を、廊下の隅の空き部屋に移動させることから始めた。
女を追い出して直ぐ、家令に命じて侯爵夫人の部屋を片付けさせる。急がないとこのままでは、愛しい彼女が体を休めるところが無くなってしまう。
一体誰がこんな勝手を許したというのだ。
「手間取らせて悪いな、アミラ。客間で少し時間を潰していてくれ。すぐに片付けさせる」
「いいのよ、エルメス。突然お邪魔することになった私が悪いんだし」
「君が悪いことなんて一つとしてない。そうだ、すぐにカタログを持って行かせるから好みの家具を選んでくれ。君が過ごしやすいように好きにしてくれて構わないから」
「ありがとう、エルメス。貴方のそうゆう優しいところ好きよ」
彼女を客間までエスコートした後、あの女に与えた部屋へと出向く。出来ることなら会いたくもないのだが、直接言わねばならぬことも聞かねばならぬこともある。胸に満ちる憂鬱な気分に深くため息を吐いた。
二階廊下の隅にある部屋の前で立ち止まり、三度ノックする。暫し待つとカチャリと音がして女が顔を覗かせた。どうやら自ら扉を開けたらしい。夫人がすることではない。
その無作法にイラッとしたがよく考えれば侍女かメイドをつけなかった俺が悪い。が、それを認めるのはどうにも癪に障る。
「い、いらっしゃいませ、だ、旦那様」
「話がある。中に入っていいか」
女は一歩後ずさり、ドアを開きながら俺を部屋へと招き入れる。
部屋の中はマットレスの薄いシンプルなベットと無地のカーテン。ベッド横に小さな鏡台とチェスト、壁際に小さなクローゼットとキャビネット、部屋の中央付近に小さなテーブルと二脚の椅子という質素極まりないものだった。
只々邪魔だったから何も考えず、取り敢えず移動させたものだから気にも止めていなかったがどうやらここは元は使用人部屋だったらしい。
仮にも侯爵夫人に与えるような部屋では……とそこまで考えてはたと思考を止めた。どうせ
椅子を引いて腰掛け、女にも座るよう促す。女が恐る恐る席に付き、首をすくめて上目遣い気味にこちらを見たところで訪ねた。
「あの部屋を使うようお前に言ったのは誰だ」
その質問に女は目を見開き、視線を左右に彷徨わせながら暫し逡巡した後、口を開く。
「も、申し訳あ、ありません。お、お名前をう、伺うのをわ、忘れてし、しまいました。だ、旦那様のぶ、部下だとお、おっしゃってい、いました」
相変わらず、酷い吃音と小さな声で言葉が聞き取りづらい。
先程の逡巡に誤魔化す意図はなく、単に名前が解らなかっただけと。随分と愚図な女だ。
しかし、俺の部下だと名乗り、そのようなことをする輩に心当たりはあった。大方、ライムンドのやつだろう。お節介なやつめ。
「あの部屋をお前に使わせる気はない。部屋の主は別にいる。覚えておけ」
「は、はい。しょ、承知しました」
取り敢えず、聞きたかったことを聞き、言いたかったことは言い切った。このまま部屋を出ても良かったが物の序でだ。幾つか、
「我が家は一階にダイニングホールがある。朝食・昼食・夕食すべてそこで摂るようになっている。朝食と夕食は家族揃ってというのがルールらしいのだが……特に守る必要はない。食事は部屋で摂ればいい。ダイニングホール横のキッチンまで行けば用意されている」
食事の度に態々顔を合わせる必要もない。気が滅入るし、食事も不味くなる。第一、まともに歩けぬその足では階段での移動は辛いだろう
「この部屋の斜向いの左隣にある大扉がドレスルームになっている。服はそこから見繕って着ればいい」
母や祖母、曾祖母が着古したドレスが残っていたはずだ。それを使わせればいい。型こそ古いがものは悪くはないはずだ。祖母は質実な人で母は物持ちのいい人だ。いい意味でも悪い意味でも貴族らしくはないが今回それがいい方向に働いたようだ。
「前にも言ったようにお前を公式の場につれていくことはない。だから着飾る必要もない」
この襤褸のような女が着飾ったところで意味はない。アクセサリーも宝石も必要あるまい。品質維持費を割くのも煩わしい。この女に割くくらいなら彼女につけたい。彼女ならいくら着飾ろうともいい、絶対美しい。
「メイドを1人つけよう。今言った雑務は全てそいつにやらせればいい」
だから部屋から出る必要など無い。ここで大人しくしていればいい。俺の視界に入ってくるな。
「それでも何かあるようなら、お前をあの部屋に案内した男を捕まえて言え。屋敷内を頻繁に彷徨いているからメイドを使って捕まえればいい」
俺はこの女に時間を割きたくないが、あの世話好きの男なら喜んで時間を費やすだろう。適材適所というやつだ。
これで取り敢えずは問題はないだろう。そう結論づけて俺は女の部屋を後にした。
「ライムンド」
「何かご用です?主君」
俺の声に含まれる棘も気にせず淡々と返事を返すこの男の毛の生えた心臓が今は腹立たしい。
「世話の焼き過ぎも大概にしろ。却って手間が増えた」
「奥様のことおっしゃってます?」
やはりこいつだったか。予想通りすぎて溜息しか出ない。
「あの女に何かあればお前に託けろと言った。世話が焼きたいんだろう?しっかり面倒見てやれ」
「私は主君のお世話で既に手一杯なんですけどね?」
「知らん」
一度手を出したのだ。その責任はきっちり取って貰うことにする。
「あの女にメイドを1人つけてやれ。完璧にこなせる必要はない。雑務を一通り出来る程度でいい」
「貴族の御夫人に必要な雑務って膨大ですよ。1人で回すのなんて狂気の沙汰だと思いますが?」
「知らん」
別に赤子の世話をしろと言っている訳じゃない。自らドアを開けるような女だ。ある程度のことはあの女自身でするだろう。メイドがするべきことはあの女を部屋から出さないように外の雑事を回すだけだ。
――――ここまでしてやったと言うのに。
『侯爵邸の幽霊』。いつ頃からかそんな噂が使用人連中の中で流行っていた。
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