08.一難去ってまた一難
エルメスはセリオを極力刺激しないよう、言葉を尽くしてライムンドの懸念していた内容を伝えた。今、彼に冷静でいろというのは酷なことだと
「誘拐!?この屋敷からどうやって!?いや、今はそんな事どうでもいい!!誰か!!馬を!!!早く!!!」
ヘリオが使用人たちに馬を準備させているそこに、丁度、エルメスとライムンドの馬が辺境伯邸に到着した。水と飼葉を貰い、ゆっくり歩いてきたのだろう、疲れも充分取れているようだ。図ったようなタイミングに思わず苦笑が漏れる。
「お前たちには済まないが、もう少し付き合って貰えるか?探したい人がいるんだ」
顔を撫で優しく問いかけるエルメスに侯爵家自慢の馬たちは承知したとばかりに鼻を鳴らして返事をした。
そこへセリオが準備が出来た馬を引いて現れた。エルメスたちにひと声かけてから行くつもりだったらしい。
「お構いもお饗しも出来ず申し訳ありません。部屋を用意させますのでどうか本日はごゆっくりお休みください。事態が解決次第、――――」
「いや、私達も同行させてください。提案した手前、見て見ぬ振りは出来ませんから」
エルメスたちの言葉をセリオが泣いて喜んだのは言うまでもない。
馬に跨って地面に残った轍を追う。街道を避けて馬車通りの少ない方、目立たない方へと向かうこの轍は確かに怪しい。この先には確か――――侯爵領への抜け道があった筈。そう、エルメスが苦し紛れの嘘のネタに使ったあの抜け道だ。おざなりな道だが無理をすれば馬車の一台くらい通すことが出来る程度の幅はあった筈だ。
エルメスの額に冷や汗が流れる。辺境伯令嬢拉致犯はどうやら侯爵領に逃げ込む算段のようだ。そんなこと冗談じゃない!!こんな爆弾抱えて何を考えているんだ!!
ふと感じる視線の元を辿るとライムンドが頷き返してきた。どうやら同じ発想に至ったらしい。知らず、二人の駆る馬の速度が上がる。逃してなるものか。
勢いのまま、馬を走らせていると――――侯爵領への抜け道へ入る随分手前で拉致犯のものと思われる幌馬車が止まっていた。
幌馬車の周りには遠目にも解るほどの人集りがある。
どうやら既に戦闘中のようだ。剣戟――――と言うには随分と一方的だが金属同士が打つかる音がする。
その戦いの中心にいるのは黒い甲冑に身を包んだ騎士のようだ。今も彼目掛けて振り下ろされた棍棒が振り下ろした悪漢の腕と共に明後日の方向へ飛んでいく。その剣技に隙も容赦も慈悲も一切合切無い。向かって来る者を只、一太刀で圧殺する。戦闘というより蹂躙。虐殺。鏖殺。そういった言葉のほうがこの場には相応しい。
既に、相当量の血が流れているのが解る。それに応じた量の返り血を浴びている筈なのだが黒い鎧ではそれが解らない。濡れているだろうと思しき部分がぬらりと鈍く光るだけだ。
首が胴体と泣き別れになる者。四肢を切り落とされて地に倒れ伏し己の血の中で藻搔く者。上半身と下半身が綺麗に寸断された者。唐竹のごとく真っ二つに割られた者。人体とはこうも容易く斬れるものなのだろうか。
ものの半刻しない内に辺一面、血の海が広がっていた。その中心に唯一人黒衣の騎士が立っている。騎士は剣を一振りし、血を払い飛ばすとそのまま鞘へとしまい、両手を兜に添えるとそのまま脱いだ。中から出てきたのはぬばたまの
少年は頭を振ると虚空を見上げたままフゥと強く息を吐き、兜を小脇に抱え、誰かの名前を叫ぶと、幌馬車の荷台へと駆け込んだ。
そうして暫くの後、少年騎士は己の身につけていたマントで包んだ何かを抱いて馬車の荷台から降りてきた。腕の中の何かを愛おしそうに見つめ、深く息を吐く少年騎士の顔には安堵の色が見えた。
――――声をかけるより先に体が動いた。エルメスはとっさに懐からナイフを抜き、少年の背後に迫った男の眉間目掛けて投擲する。トスッっと軽い音がして悪漢はそのまま後ろへ倒れていく。
少年も背後の男の気配には気づいていたらしい。ただ少年は迫る背後の男を排除して己が身を守るのでなく、その身を屈め、腕の中の存在を護る為に覆い被さることを選んだようだった。
少年は腕の中の存在の無事を確かめると、それを姫抱きに抱えたまま立ち上がり、こちらに向かって歩き始めた。そしてエルメスの前で立ち止まる。
「先のご助力大変感謝致します。彼女のことで頭が一杯で周囲の警戒を怠っていました」
その少年の言葉で初めて彼が抱えていたのが少女だったのだと思い至る。
少年は少女を腕に抱えたまま、深く頭を垂れた後、顔を上げてその精悍な顔立ちからは想像もできない程幼さの残るあどけない顔で笑う。先程、エルメスの目の前で白昼堂々単身で鏖殺劇を演じていた騎士と同一人物だとは思えない。
「この御礼は後ほど改めて。今は早く彼女を叔父上の元へお連れしたいのです」
そう言ってまた歩み始める。今度は真っ直ぐセリオのもとへ向かうようだ。
その後姿を見送りながらエルメスは呟いた。
「拐かされた少女か――――」
「どうかしました?主君」
様子の可笑しいエルメスに反応したライムンドがその顔を覗き込む。
「ラール家の話したの覚えてるか?」
「ラール家の話ですか?前世の主君が侯爵家の末席家門から奥方を迎えたっていうお話についてですね。でもホントにあの家に息女はいませんよ。勿論、養女もです。ここ最近もそんな話は出ておりません」
「ああ、それは聞いたし、解ってる。そうじゃなくて――――」
やっと合点がいった。蟠っていたのはこれだ。これだったのだ。
「その奥方が拐かしの被害者だったってお話です?」
「ああ、ただの可能性だけどな。でも、もしそうだとしたら、あの女もあんなふうに必死で助けてくれる誰かが居たのなら、俺みたいなやつのとこに来なくて済んだんだろうなって――――」
本当に今更ではあるのだ。あのときのエルメスはすべてを切り捨てたのだ。どちらにしろ何でもいいと。関与するつもりはさらさらないと。
そんな男に女を彷彿とさせるシチュエーションをみたからと感傷的になる権利がある訳が無い。
(――――随分と立派に育った)
セリオは自分に似た娘を抱いた兄に似た甥の顔を改めてまじまじと見つめた。甥の腕の中で安らかに呼吸する娘を心底安堵している自分がいる。意識していなければ今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
「叔父上、私が居ながら面目次第も御座いません。彼女をこのような危険に晒してしまい、不徳の致すところです」
「何を言うんだ、君が、君が逸早く気付いていてくれなければリアは、リアはどうなっていたことか!!」
「有難うございます、叔父上。そう言って頂けるだけで報われます」
黒衣の少年から震える手で少女を受け取ったセリオは跪き、両の眼から大粒の涙を流して腕の中の存在を掻き抱いている。もう二度と離さぬとばかりに強く、それでいて決して傷つけぬよう、潰さぬように優しく。
セリオが受け取った拍子に包まれたマントから零れ落ちた少女の髪色が何故か
「嗚呼!嗚呼!無事で良かった!本当に良かった!愛しい我が娘
歓喜に泣き叫ぶ声と共に耳に飛び込んできたその名に側頭部を思い切り鈍器で打ち抜かれたような衝撃を覚え、エルメスは眼の前が真っ白になるのを感じた。
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