06.初めまして〇〇〇さん

 隣領とはいえ、そこそこの規模を持つ我が侯爵領を横断し、その上で膨大な規模である辺境伯領のしかも最西端を目指すのだ。

 馬を潰さないよう気遣いながらもそう悠長にしている余裕はない。それはエルメスも解っているが。


「ライムンド!いくらなんでも飛ばし過ぎだろう!!このままでは馬が保たない!!」

「ちゃんと加減はしていますとも!安心してください!この子達のスタミナも並大抵じゃありませんから!」


 エルメスもライムンドも侯爵家が持つ騎馬の中でも特に選りすぐりの馬に跨っているがそれでも厳しいとしかいえない距離だ。それでもスピードを緩めるわけに行かない。暗殺事件が起こった日時は明後日の正午頃だとされていたからだ。道中しつこいくらいにライムンドに促され、やっとのことで絞り出した情報だ。記憶違いでないことだけをエルメスは願った。


「それにしても遠かったな」

「これでもちゃんと最短ルート選んでるんですよ」


 強行軍の甲斐あって通常3日は掛かる侯爵領から西の森までの道程を1日半に短縮できた。正直快挙いや、奇跡である。

 森に入って暫く、ペースを緩めず、それでも周辺を注視しながら駆けているとエルメスとライムンドが駆る馬以外の蹄の音が聞こえてくる。速歩で駆けさせているこちらと違い、蹄の音の感覚は緩いのとガラガラと車輪の回る音からして馬車を引かせているのだろう。どうやらこの森に自分たち以外の来訪者がいるらしい。

 ほんの少し、速度を上げると遠目に辺境伯家の紋章が刻印された馬車が見て取れた。どうやらアタリだったらしい。エルメスはホッと胸を撫で下ろした。


「主君!あの木の上です」


 ライムンドが指し示した先、樹上でクロスボウを構える男の姿が2つ見えた。あれで、御者と馬両方を射る気らしい。御者を射殺し、馬を射て暴走させる気なのだろう。そのままこの先にある崖に馬車ごと落ちれば不慮の事故の完成だ。ここの崖は結構な高さがあり、潰れ、砕けた破片からクロスボウの痕跡を拾うのは至難の業だろう。前世では結局事故扱いになって捜査は打ち切られていた。事件の直後から始まった魔物の暴走と隣国の強襲でそれどころではなかったというのも多分にあるだろうが。

 エルメスもライムンドも随分苦労してここまで来たのだ。今回はそうさせて溜まるか。そう意気込むとエルメスは荷物から弓を取り出し、矢を番える。ライムンドもそれに習うよう得物を準備した。


「ライムンド!手前のやつ、ここから抜けるか!?」

「ご命令とあらば!!」

「じゃあ、俺は奥のをやる!しくじるなよ!!」

「御意!」


 二人の男が各々構えているクロスボウを狙って射る。ライムンドの放った矢は手前の男の構えたクロスボウの鐙を叩き、エルメスの放った矢は奥の男が構えたクロスボウの台座に深々と突き刺さる。

 手元に受けた衝撃でどちらの男も狙い通り照準を狂わされたらしい。放たれたボルトは其々御者を狙ったものは御者台の横へ、馬を狙ったものは地面へと突き刺さる。地面に刺さったボルトに馬が驚き、馬車が多少跳ねたが御者の懸命な制止で事なきを得たようだ。


 だが、相手方もこれだけで終わるつもりはなかったらしい。周囲の茂みからわらわらと湧くように黒尽くめの男たちが飛び出し、足の止まった馬車を取り囲む。万一に備えてかなりの数の伏兵を用意していたようだ。

 中にいる人物を引きずり出そうと馬車のドアめがけて襲撃者が取り付く。瞬間、男が物凄い勢いで跳ね飛ばされた。中の人物が馬車のドアが内側から蹴り開けたのだ。


「全く、何事かと思ったら……酷いことをするね。これじゃあ、娘とのランチの約束に間に合わないじゃないか」


 開いたドアから現れたのは至極面倒な様子で輝くようなを掻き揚げる美丈夫だった。その美丈夫はグローブを嵌め直しながら馬車から降りると、腰の剣に手を掛け、そのままスラリと引き抜いた。


「僕は、兄さん程強くないから手加減も出来ないし、上手く殺してもあげられないだろうから後悔だけはしないようにね?」


 美丈夫はそういうと一見柔和に見えてその実、非常に酷薄な笑みを浮かべて正面に居た男を逆袈裟に切って捨てた。それが合図となって襲撃者が一斉に彼に襲いかかる。が、彼はそれを物ともせず、舞うような動作で3人程斬り伏せた。地力が違い過ぎる。

 その流麗な剣技にエルメスは思わず固唾を呑んで先行きを見守り……たくなってしまったがそれではここまで来た意味が薄れてしまう。それはライムンドも同じだったようだ。


「「加勢致します!」」

「ああ、お気遣い有難う!お願いできるかな?思ったより数が多くて少し面倒になっていたところなんだ!」


 意図せず揃ってしまった声で協力を申し出ると美丈夫は振り向き、人好きのする笑みで礼を述べた。

 彼一人でも余裕だったところに人手が加わったのだ。ものの30分程度で襲撃者の群れは掃討された。


「ふう、人相手に剣振り回すのは久々だから結構手間取ってしまったな。魔物と勝手が違うからやり難くてしょうがない」


 そう言いながら美丈夫は返り血が跳ねた頬を左手で拭うとグローブを外して従者に預け、エルメス達に向き直る。


「それでは、改めて。有難うございます。知人を送り届けた帰りにこんな事に巻き込まれるとは夢にも思いませんでしたよ」

「いえ、ご無事で何よりです。辺境伯閣下。私、メルクリウス侯爵家のエルメス・グラクルスと申します。これは私の部下でライムンド・ラソン・コンシエンシアといいます」


 急いで自己紹介と共に貴族の礼を示す。エルメスに揃えてライムンドも左胸に手を当て頭を下げる。


「おや?私をご存知のようですね。はい、辺境伯セリオ・アルゲントゥム・ウルラ・ゼフィロスです。この度は窮地を救っていただき、真に感謝します」


 万人を魅了するような笑みで自己紹介を返すセリオにエルメスはたじろぐ。決して威圧的でないのに有無を言わさぬ何かがある。そんな印象を受ける男だ。


「見ればお二方とも、とてもお疲れのようだ。よろしければ私の馬車へお乗りください。そちらの馬は我が家のものが連れて参りますから」

「お気遣いありがとうございます。辺境伯閣下」


 セリオの笑顔の圧に負け、エルメスはその言葉に甘えることにした。


「お二方は何故この森に?」

「いえ、真にお恥ずかしい話ですが仕事が立て込んで長く屋敷に軟禁されておりまして。気分転換に遠駆けついでに狩りをと思い立って久々にこの乳兄弟と遊びに出た次第なのですが、駆けの速さを競う内にうっかりこちらに迷い込んでしまいまして」


 セリオの何気ない質問にエルメスは息を呑む。流石にセリオが暗殺されるのを知っていたので阻止しに来たとは言えない。

 エルメスは思いつくまま、嘘を並べ立てる。少々無理があるが成立しない嘘ではない。侯爵領にある森とこの西の森は一部繋がっている。おざなりではあるが道もある。使うものが居ないだけで。

 エルメスの必死の嘘を聞きながらライムンドも冷や汗をかいていた。機転のきく主らしいもっともな嘘だ。並大抵の人間ならころりと騙されたことだろう。だが、相手は帝国が誇る叡智『銀の梟』だ。余計な疑いを持たれないことを心から祈るしか出来ない無力な己に嫌気が差した。


「では、どうか我が家に寄っていってください。是非、お礼をさせて頂きたい。小侯爵のご厚意なくば私の命は失われていたでしょうからね」

「ああ、どうかその……敬語はご遠慮いただきたく存じます。閣下に敬われるような立場のものではないので」

「命の恩人に無礼は出来ませんよ」

「そうおっしゃらず。若輩には荷が勝ち過ぎます」


 未熟者という意味で思わず、若輩と言ったが歳自体はそう変わらない。辺境伯の年齢はライムンドと同じだった筈だ。かたや既婚、子持ちの辺境伯で二つ名持ち英雄。その上、皇位継承権第五位。かたや未婚、子無しの小侯爵。泣けるほどの落差である。


「ははは、そんな謙遜せずとも。メルクリウス侯爵も貴方のような後継が居てさぞ心強いことでしょう。羨ましいくらいだ」


 実際、エルメスの父であるメルクリウス侯爵はこの頃には既に楽隠居状態の筈だ。エルメスは16歳で家門の仕事の3割、18歳で6割、20歳で10割仕事を引き継いだ。父がやっていたのは精々侯爵の肩書が必要なところへの挨拶回りくらいだ。却って面倒だからさっさと爵位を寄越せと再三要求し続けていた記憶がある。




 他愛ないと括るには少々苦しい会話を交わしながら、セリオと馬車の中で膝を突き合わせて馬車に揺られること暫く、辺境伯邸に到着したようだ。大仰な門が音もなく開いて馬車を迎え入れる。門から邸宅までがまた遠い。馬車の窓から見えるのは豪邸に違わぬ威容である。

 辺境伯邸の玄関に着き、馬車を降りると大扉が開き、中から使用人が転び出てきた。


「だ、旦那様!お帰りなさいませ!!よくぞお戻りに!!」


 家令と思しき男性が切羽詰まった様子で主の帰宅を出迎えている。


「ああ、今戻った。どうした?何があった」


 訝しげに顰めた顔でセリオは家令に報告を促す。


「お、お嬢様のお姿が何処にもお見えにならないのです!勿論、屋敷中をお探ししました、いや、今も使用人を総動員して探しております。奥様も大変心配して居られまして!!」

「姿が見えないからと言ってあの娘が何も告げずに出ていく訳がないだろう!第一、あの娘はまだ10にも満たないんだぞ!?」


 セリオがいうように『家出』というのも有り得ないだろう。ここは少女が単身で外に出られるような環境じゃない。

 ライムンドはあの大仰な門を潜る時に見た門横から続く不自然な轍とそれを追うようについていた馬蹄の跡が酷く気になっていた。当たっていて欲しくないことだがこの線が一番濃厚ではある。


「主君。発言の許可を」

「どうした?ライムンド」

「先程、門の外で妙に不自然な轍を見たんです。確証と言えるものはないんですが……」


 ライムンドが言いたいことは解っている。『誘拐』。エルメスはその言葉に胸騒ぎ以上に蟠る何かを覚えた。

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