04.雪崩に呑まれる昼
落雷直撃からの暗転。の後、目覚めたエルメスを襲ったのは劈くような雷鳴でもなく、叩きつけるような横殴りの雨でもなく。本と本が打つかりあうバサバサバラバラという乾いた音と頭上から降り注ぐ大量の辞書・辞典の雪崩だった。
「だから言ったでしょう、主君。寝るならさっさと仕事を片付けて寝室にお戻りくださいと」
心底呆れたような説教がエルメスの鈍く痛む頭を打つ。ぼやけた焦点を眼前で頬杖を付きながらしゃがみ込む男に合わせる。
雪崩れた大量の本に埋もれるエルメスを冷ややかな目で凝視しているこの男の名はライムンド。エルメスの乳兄弟であり、腹心でもある男だ。
その馴染みのある顔にエルメスは内心、胸を撫で下ろす。少なくともここはエルメスの既知の場所である証左になるからだ。辺りを見回すと記憶にあるものと少々物の配置こそ違うがどうやら使い慣れた自分の執務室であるようだ。
(そうだ。全て夢だったのだ。自身を貫いたあの落雷も。目の前に叩きつけられ、無惨に潰れた妻の体も)
脳内でそう結論づけてエルメスは改めて目の前の男の顔を確認する。やはり、紛うことなく自らの腹心ライムンドである。この顔にここまで安堵を覚える日が来ようとは思わなかった。
「ああ、ライムンドか。ん?どうしたんだ、お前。何だか、何時もより幾分若く見え――――いや、随分若いな!?今何歳だ!?」
馴染みの顔に覚えた違和感にエルメスは驚いて立ち上がる。その拍子にエルメスの上に積み上がっていた大量の本がバタバタと音を立てて床を叩き、少なくない量の埃が舞う。
その動作を頬杖をついたまま、首だけで追っていたライムンドはエルメスが立ち上がったのを確認した後、ゆっくりと立ち上がり、自身の服についた埃を払い、エルメスに向き直った。
「寝惚けてらっしゃるんです?いや――――あれだけしこたま頭をぶつけていたら可怪しくなるのも無理はない――――か?」
ライムンドにしてみればつい今しがた『頬杖をついて居眠りをしていた主が突如魘され始め、藻掻いた動きで頬杖が滑って額を机に強打。絶叫しながら上半身を勢いよく起こした反動で腰掛けていた椅子が後ろに倒れ、その勢いで投げ出された体が執務机の背後の本棚に叩きつけられて後頭部を強打。その衝撃で本棚の最上段に収納されていた辞書、辞典の類が一斉に雪崩れて降り注ぎ、頭頂部を強打』という一連のコントを見せつけられた身だ。強ち否定も出来ない。
少々訝しみはしたが取り敢えずライムンドは何やら鬼気迫る主の質問に答えることにした。
「先日、晴れて28を数えることとあいなりました。主君においては真に珍しく祝いの言葉までかけてくださいましたのにもうお忘れですか?」
様子の可怪しい主の何かを確かめるように余分な情報を付加され言い放たれたライムンドの年齢はエルメスに衝撃を与えるには充分だった。
「お前が28ということは……俺は25になるから――――15年前か!!」
自身より何歳か年上だったライムンドとの年齢差を鑑みてエルメスは自分が15年前に逆行していることを認識した。途端、自身の背中にドッと冷や汗が滲む。夢だと結論づけた全てが現実であることに恐怖する。先程までの頭痛がまるでお遊びだったような激しい痛みが脳そのものを襲う感覚。早鐘のような動悸で呼吸すらままならない。思わず口元に手をやり、爪を噛んだエルメスはガチガチと鳴る歯に自身が震えていることに漸く気づいた。
「先程も酷く魘されておいででしたけど、恐ろしい夢でもご覧になられました?」
尋常じゃない様子のエルメスの顔を覗きこむように放たれたライムンドの質問に対し、エルメスは暫し逡巡する。死に戻ってきた事実をここで明かしたところで信じてもらえるとは限らない。しかし、今は少しでも情報と知恵が欲しい。数秒間、動かない頭を懸命に回して悩み抜いた末に藁にも縋る気持ちで素直に悪夢のような前世と死に戻った事実を余すことなくライムンドに告白した。
「――――我が主君ながらかねてよりクズだ外道だとは思ってましたけど、そこまでいくと本当に救いようがありませんね」
エルメスの懺悔にも近い告白を聞いたライムンドの第一声は酷薄だった。エルメスに注がれるライムンドの視線に明らかな軽蔑の色が混じるのも致し方ないことだろう。
一方、エルメスも胸の内を全て吐き出したお陰で脳内が整理されたのか、先程よりは幾分落ち着いた気分だった。
「お前――――この荒唐無稽な話を信じるのか?」
自分で言うのも何だが本当に突拍子もない事であることはエルメスも解っている。自分が相談される立場であったなら問答無用で笑い飛ばしていたことだろう。
「本来なら未来予知だとか天啓だとか神や精霊の奇跡だとでも思うところでしょうが、我が主君はそういったものから最も縁遠いお方だとよ~く解っておりますし?主君だったらやりかねない行動のオンパレードでしたから、疑う余地など御座いませんとも」
言内外に思い切り罵倒されていることは承知の上だが、それでもエルメスは信じてくれたライムンドに感謝した。せざるを得なかった。
「それで?死に戻った原因になにかお心当たりはございます?」
ライムンドの質問にエルメスは頭を振って答える。そんな物があるならここまで精神的に追い詰められることはなかっただろう。
「では直近、我らが侯爵家家門に対し、何か損害が出そうな事件や事象については?」
せっかく未来のことが解るのだ。それを利用しない手はないだろう。というのがライムンドの方針らしい。実に合理的だ。とエルメスも納得する。しかしだ。
「ちょっと待ってくれ、俺にとっては15年も前のことなんだぞ?そんなことそうそう覚えているはずが――――いや、待てよ――――そうだ、隣領の辺境伯!彼が死んだのがこの年の筈だ。彼が居なくなったことで西の森の魔物が暴れるわ、隣国が攻めて来るわで
前世、帝国の守りの要だった辺境伯が死んだことで起こった被害は甚大なものだった。彼という抑えを失った西の森から魔物が溢れ、辺境伯領内を蹂躙している隙を付いて、隣国が突如戦争を仕掛けてきた為、主不在の辺境伯領はいともあっさり陥落した。そうなると次の壁役は必然的に辺境伯領に隣接する侯爵領になる。そこからが地獄だった。どう足掻いても辺境伯領に及ばぬ侯爵領には正直荷が重すぎた。再三、皇室に泣きついてどうにか魔物の襲撃を退け、隣国との交渉を成功させ、必死で自領を保った覚えがエルメスにはあった。あれをもう一度やれと言われたら死んでも拒否したいところだ。
「はぁ!?護国を司るとまで言われる『銀の梟』が死ぬとか本気で仰ってます!?」
ライムンドがいう『銀の梟』とは辺境伯セリオ・アルゲントゥム・ウルラ・ゼフィロスの通称だ。彼が持って生まれた祝福と彼自身のミドルネームに因んでいる。その卓越した戦略眼と優秀な頭脳で戦場を勝利に導くとされる稀代の戦術家でこの帝国の参謀である彼に与えられた一種の尊称でもある。
「そんなことに嘘ついてどうする。あの事件は――――暗殺の疑いが濃厚だったが一応事故死扱いされたんだったか」
本当に色んな意味で痛ましい事件だった。エルメスは前世で幾度もこの事件さえ起こらなければと思ったことがある。
「暗殺だろうと事故死だろうと今はどうでもいいんですよ!いつですか!?その事件が起きたの!!」
ライムンドはちゃんと理解している。エルメスのいうことが真実ならば起こらなければよかったなどと言う次元の問題ではないのだということを。護国の将の死は即ち帝国の崩壊にも繋がりかねない重大事だ。エルメスのいう前世では帝国は滅びなかったようだが現世も
エルメスは15年前にひと目見た新聞記事の詳細を思い出せと酷なことをいう腹心の剣幕に押し負けて虚ろな記憶を辿ってなんとか思い出す。
「だから、この年の――――初夏前だったような?」
「初夏前って今じゃないですか!ああもう、行きますよ!主君!!」
それを聞いたライムンドはエルメスの右腕を肩が抜けるほどの勢いで引っ張る。事の重大性を今一理解していない主が正直恨めしい。
エルメスは右肩に走る痛みに顔を顰めながら問うた。
「行くって何処にだ!?」
「隣領にです!!現場は解りますよね!?」
「西の森の中程にある崖……そこから馬車に乗ったまま、転落したらしい」
「ああ!予想通りとはいえここからじゃ遠い!時間がない!!急いでください、主君!!」
二人分の騒がしい足音と共に雪崩れた本で散らかりきった執務室の扉がバタンと大きな音を立てて閉まった。
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