03.記憶の中の妻
散々な顔合わせから数週間後。
書面のみで済ませる手筈だったというのに侯爵家の体面を保つためと押し切られる形で挙げる羽目になった結婚式がこれまた最悪の出来だった。
唐突に決まったものだから準備期間もほぼ無く、強行軍にも程がある日程で行われた式当日。
窮屈な白いタキシード姿で迎えに行った女の風体があまりにあまりだったので呆れを通り越して憐憫すら覚えた。
露出の一切無いオールドタイプのウエディングドレスは無駄に豪華で着られているどころか喰われているといったほうがいい。床に引きずるロングヴェールの重みで不健康に細い首は今にも折れそうだ。手に収まっている白百合のブーケに思わず結婚式とは真逆のものを連想する。
芯から傷みきった髪と深い隈に縁取られた落ち窪んだ目、痩けた頬にカサついて割れた唇では如何な化粧の腕をもつ侍女だろうとも太刀打ちできなかったのだろう。死化粧の方が美しいのではないかと思える出来だ。
その様相は当に『死骸の花嫁』といっても差し支えがない。
散々な仕上がりの花嫁の手を取り、腕を組むと扉の開放と共に式場の中へ歩を進める。
中は閑散としていて特に新婦側の列席者は養父母の2人しかいない。俺自身親族が多い訳でも仲が良い訳でもないし、友人知人も多くはないが、幾ら体面の為とはいえ、これは正直無駄だったろうとしか思えない。
美しく設えられた式場の真ん中を縦断するヴァージンロードを墓から這い出たばかりような『死骸の花嫁』がよたよたと緩歩する。一歩歩むごとにガクリと膝が沈むのを組んだ左手で支え、祭壇までエスコートする。
たかが数メートルに満たない距離がこれほど長く感じたことはない。
病人を介助するような心持ちで漸く神父の前に辿り着くと定型文のような問いかけが投げかけられる。
「汝、エルメス・グラクルス・メルクリウスはルナアリア・ラールを妻とし、健やかなる時も病める時も共に支え合い生涯を共にすると誓うか」
「誓います」
「汝、ルナアリア・ラールはエルメス・グラクルス・メルクリウスを夫とし、健やかなる時も病める時も共に支え合い生涯を共にすると誓うか」
「は、はい。ち、誓います」
「誓いの証として、指輪の交換を」
神官が差し出したケースから指輪を受け取り、怖々差し出された新婦の枯れ木のような左手薬指に飾り気のない指輪を嵌める。グローブの上からでも抜けそうな程サイズが合っていないのが急造感を滲ませる。
こちらからぞんざいに差し出した左手に震える手が添えられ、指輪を嵌め返される。関節に引っかかるのか悪戦苦闘している様子に苛立ちを覚える。たかが指輪を通すだけの行為に何故時間がかかるのか。暫し待ってなんとか通し終わったのか、掴まれていた手を開放された。指輪が少々きつい気もしたがこれから先、身に着けることもないので気にしないことにした。
「では、双方。愛を持って誓いのキスを」
ヴェールを捲り上げた瞬間、素早く目を瞑り、凡その位置を察して口づける。妙にヒヤリとした感触と乾いてささくれだった唇が痛かった記憶しかない。数秒も持たぬうちに唇を離し、再びヴェールを下ろす。
「今この時を持って両名を夫婦と認める。皆、祝福を!」
神父の宣誓と共に式は終わりを告げ、新郎新婦及び列席者は式場を後にし、舞台は結婚披露宴へと移行する。
式だけでボロボロな有様だった花嫁が派手な宴などに耐えられる訳もない。色直しの口実で下がらせ、もう出てくるなと言外に言い含めて早々に引き上げさせた。この場に飾りにもならない花嫁など不要だろう。
参列者の下級家門の子女の中で見目のいいのを一人見繕ってダンスに誘う。
結婚式当日に花嫁以外の女とファーストダンスを踊る俺に親族連中の目は冷ややかだったがそんなことはどうということもない。いつものことだ。
華やかで賑やかな上辺だけの披露宴が早く終わるのを願いながら給仕から受け取ったシャンパングラスを一息に空けた。
――――そして夜も更け、宴の解散と共に本日、最も憂鬱な時間が訪れた。
風呂上がりの髪から滴る水滴をタオルで乱雑に拭い、乾いた喉を浴室のテーブルに用意されていたワインで潤す。
いっそ勃たないくらいに泥酔してやろうか。いや、そもそも抱かなければいい。部屋から追い出してしまえば問題ない。
そう結論づけて浴室から閨に続く扉を少々乱暴に開ける。
ベッドサイドテーブルに乗る小さなランプしか灯されていない暗い部屋だった。
僅かな明かりに照らし出されるシルエットは細く薄く、どうやら裾の長いナイトドレスを着ているようでおろした髪と相まって幽鬼のようだ。逆光で表情は読めないが影が細かく揺れているので小刻みに震えているのが解る。怯えているのだろう。相変わらずこの女の俯き、縮こまる姿は哀れみよりも苛立ちを誘う。
怯える女を抱く趣味はないし、そもそも趣味じゃない女を抱く程、女に飢えたことなどない。
溜息と共に片手で頭を掻き毟る。もう考えるのも面倒だ。廊下へ続く扉を指差し、出ていくように告げる。
出ていった先の女の寝床などどうでもいいし、この先の女の立場も知ったことではない。
頭を垂れ、よたよたと扉に向かう女とすれ違う。鼻先をふわりと花の香が掠めた。
その甘い香りが女が使った髪油のものだと気づいた瞬間、そんな気はサラサラないのにズクリと下半身が反応する。
――――ああ、やられた。
この感覚には覚えがある。媚薬の類だ。一服盛られたらしい。大方、先程干したワインだろう。使用人の余計な世話に辟易する。
自覚した途端、急激に上がる体の熱に息が上がる。一体どれ程の量を仕込んだのだろう。
発散しようにも使えるものがここにはあの女しか無い。死骸のような女を抱くのは業腹だが背に腹は変えられない。
熱に浮かされ、短絡的になる思考と自制できない欲に腹が煮える。
振り向き様、女の枯れ枝のような腕を掴むと、相手の肩が抜けるのもお構いなしにベッドに向かって投げ捨てる。
ドサリと音を立ててべッドにうつ伏せに倒れ込んだ女が反射的に仰向けに向き直ると同時に覆い被さる。至近距離で見下ろす女の顔は恐怖と混乱に彩られ、見開かれた両の目から涙が溢れている。
――――ああ、女の泣く顔も嫌いだというのに。
見る度に萎えるのも癪なのでベッドサイドの明かりは消した。
――――抱き心地は最悪だった。
痩せぎすの体は動く度に骨が刺さるし、触れる肌もあちこち荒れていて指の滑りが悪く、多々ある不自然な凹凸に指が引っかかるのもいただけない。
脚、特に膝に触れると不自然に体が跳ね、その度、中に入っているこっちも引き摺られるような痛みを感じるので萎えずにいるのが一苦労だった。
何より、熱に浮かされた体に怖気が走る程、冷たく感じる肌には嫌気がさす。
それでも、力尽き、意識を失うまで獣のように目合い続けた。総ては媚薬の所為だとそう思いながら。
ふと、目を覚ますと朝になっていた。
いつ意識を飛ばしたかも定かではないが、思いの外、頭はすっきりしている。酒も薬も抜けているようだった。
傍らでシーツを被って蹲るように眠る女は微動だにしない。
ベッドサイドの紐を引き、使用人を呼びつけると着替えと風呂を用意させる。
寝具の惨状を見るに生娘ではあったようだが正直そんなことはどうでもいいと思えるほどに精神的に摩耗していた。
見目通りに死んだように眠る花嫁を一瞥し、踵を返すとそのまま浴室に直行する。
――――ああ、熱い湯に浸かりたい。
――――あの冷たい肌をとっとと忘れてしまいたい。
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