02.記憶の中の女

 俺自身、彼女との関係について特筆すべきところはなにもない。


 親類とも呼べぬような傍系の末端の、それも養女を娶ることになったのは社交界に広まりきった俺の悪名のせいに他ならない。


 曰く両手足の指でも足りぬほどの私生児とそれに勝る数の愛人とそれ相応の借金持ち。来る者拒まず、去る者追わず。誰に執着するわけでもなく一過性の快楽に耽る生来の遊び人。


 それがこの俺、小侯爵エルメス・グラクルス・メルクリウスに対する世間一般の評価だ。


 そんな最低男のところに嫁に来る女の顔が見てみたいとはよく言われたものだ。 

 

 ――――そうして実際に寄越された花嫁の第一印象は「襤褸雑巾のような女」だ。


 老婆のように艶のない灰色の髪に死者のように生気のない顔。長い前髪で目は隠れ、隙間から覗く瞳は濁ったような水色で焦点があっていない。所在なさげに組まれた手は骨と皮ばかりで血の気のない肌は白を通り越して青い。高貴な血の色だとよく言われるが個人的には人間味が薄くて不気味な印象が先に立つので好みの範疇から外れる。年の頃は知らないが体格も痩せぎすで小さく見窄らしい。


 ――――よくもまぁここまで誂えたような醜女を用意したものだ。


「お、お初にお目にかかります。だ、旦那様。わ、私、ラ、ラール男爵家の、ル、ルナアリアと、も、申します」


 不安定なカーテシーと共に蚊の鳴くような声で為された自己紹介は語尾になるに連れて更に弱々しくなり、強い吃音と相まって肝心の名前がほぼ聞き取れなかった。

 カーテシーの所作自体は堂に入っているのに妙にグラついて見えるのは足が悪いのだろうか。


「ああ、頭を上げてくれ。ルナアリア?嬢で合っているか?悪いが、よく聞き取れなかったものでな」


 俺の声にビクリと反応し、姿勢を正すと同時に、身を竦ませ、縮こまる。肉食動物を前にした小動物のようだ。

 肉食動物にしてもここまで食いでのない獲物は無視するようにも思えるが。


「は、はい。そ、それで合っています。お、お聞き辛かったですよね。も、申し訳ありません」


 たかが自己紹介で謝られるとは思わなかった。

 それにしても、ルナアリアと言ったか、身分にも容姿にも不釣り合いな豪奢な名に思わず嘲笑が漏れる。


「俺の名は既に知っているだろうが、まぁ、これも礼儀の内だろう。エルメス・グラクルス・メルクリウスだ」


 自己紹介には自己紹介で返すのが筋というものだろう。

 好きに呼べとは言わない。この女がこの先、俺の名を呼ぶことなど無い筈だ。


「そちらに好きに掛けてくれ。流石に立たせたままでは気が咎めるからな」


 そう言ってソファを指し示すと俺の右手奥側の席に恐る恐る腰掛けた。

 女が腰掛けたタイミングでメイドを呼び、茶を用意させる。


「それで、君はこの縁談どう思っているんだ?」


 正直なところどう思われていても関係がない。これは決定事項であり、覆ることなど無い。この中途半端な意思確認も形式だけのものに過ぎない。

 ソファーテーブルに淹れたての紅茶が入ったティーカップが置かれ、メイドが下がる。


「お、お義父様から、お、お話をう、伺いました。わ、私などには、も、勿体ないことだと思います」


 俯いたまま、恐怖に彩られた声で絞り出すような答えが返ってくる。脅えが滲む辺り、養父から言い含められたのだろう。

 確かに養父の家門からすれば願ってもない縁談だったろう。主家の正妻の座など願って手に入れられるものでもない。養女を差し出してそれが得られるのなら大した儲け物だ。

 ティーカップに口をつけ、紅茶を一口含んで喉と舌を湿らせる。――――ああ、あのメイドは外れだな。


「それは否やはないという理解でいいか?それは重畳。意に沿わぬ結婚を押し付けるのは心苦しいからな」


 俺の言葉に必死に首を縦に振る女の愚かさに辟易する。この家に売られてきたこの女に選択権など端から無い。

 不必要な言質を取り、心にもない労いの言葉を掛ける。全てが茶番に等しい。


「紅茶が嫌いでなければ君も一口どうだ?冷める前に飲んだ方がいい」


 女の前に置かれたティーカップを指して飲むよう勧める。

 今回は淹れたメイドの腕が悪かった。冷めてしまえば飲むに値しない味になるだろうことは明白だ。


 その人間の人となりは物を口にするときに出やすい。紅茶を口にする女の所作をさり気なく、さりとて注意深く見る。

 流れるようなその所作に若干違和感を覚えた。洗練されすぎている気がする。男爵家の養女如きが身につけていていい所作ではない。


「ああ、そういえば君はラール家の遠縁から引き取られた養女なのだろう?引き取られる前はどうしていた?」


 身辺調査を怠ったつもりはないがどう探ってもこの女の10歳以前の情報が拾えなかった。大して気にも止めていないことだったが違和感を覚えた序にこの際だから聞いてみることにした。


「い、いえ、あ、あの、わ、私、は、お、お義父様に、じゅ、11歳のこ、頃にひ、引き取っていただきましたが――――そ、その、そ、それ以前のき、記憶がなくて――――」


 そこまで口にしてハッとしたように手を当てその先を噤む。養父に言い含められていた色々から逸脱したのだろう。青い顔がさらに青くなる。


「ああ、なるほど、そういう事か。いい、は気にするべくもない」


 訳ありだとは思っていたがその程度のことか。大方、遠縁の娘というのが嘘なのだろう。孤児院辺りで貴族の私生児を適当に見繕ったか、はたまた人買いから拐かされた名門貴族の実子を買い取ったか。この女の場合は後者、しかも高位貴族の娘が有力な線か。しかし、過去を更って何も出てこなかったところを見るにその家門は既に沒落もしくは滅門しているのだろう。

 どちらにしろ何でもいい。そもそもこの女の過去になど関与するつもりはさらさらない。


「この結婚はこの侯爵家の体面だけでなされるものだ。君は家門のことに関与する必要もないし、後継者のことも考えなくていい。で充分だ」


 家門のことは俺と腹心が入れば事足りる。

 後継者なんぞは俺の血さえ継いでいればどこの女に産ませようが変わらない。

 容姿も身分も何も要らない。最悪名前さえあればいい。


「まぁ、貧乏籤はお互い様だろう」


 ――――最低男に寄越された花嫁は容姿も中身もボロボロで何にもない。


 それで充分。


 ――――ああ、本当に何もかも俺のために用意された嫌がらせのような女だった。

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