第28話 恐怖の感度は、人それぞれ

 虫が苦手です。

 小学校低学年までは、蝶もバッタもトカゲも、素手で捕まえられていたのに。あの頃の私は、どこへ行ってしまったのでしょう。

 いや、でも、あの頃から、私はやっぱり、多くの虫が嫌いでした。ハエや蚊はもちろん、ガガンボとかカナブンなども嫌いでしたし、蜘蛛やゴキブリは、あの頃から論外だったし。


 ところが、我が母は、虫が全然平気なのです。

 家の中で虫を発見すると、私などはすぐに発狂して、

「わぎゃ~、虫が、虫が」

と、大騒ぎするのですが、そんな中で母は落ち着いたものです。

「どれどれ。あら、カナブンじゃないの。こんなところにいるなんて、弱っているのよ」

そう言うと、新聞のチラシを持ってきて、そっと虫を乗せると、

「ほらほら、外に行きなさい」

と、ベランダから放します。


 母は蜘蛛も平気です。

「蜘蛛って、大人しい虫よ。人間には無害だし、ゴキブリを食べてくれるし」

「小さい蜘蛛ならまだしも、これ、結構、大きいよ。嫌だよ」

私が言っても、

「そおお」

と、落ち着いたものです。そして結構な大きさの蜘蛛を、素手で、そう、素手の両手ですくい上げるように持つと、逃げようとする蜘蛛を、手の中で「こらこら」なんてやりながら、これまたベランダからさようならです。ゴキブリだって、丸めた新聞紙で追いかけ回して、殺虫剤の力を借りずに退治していました。


「どうしてそんなに、虫が平気なの?」

 母が、大きい蜘蛛を外に逃がし、ゴキブリを落ち着いて退治するたびに、私は尋ねました。何度尋ねても、答えは一緒。

「私が育った時代は、虫がもっと身近だったから」

なのです。母曰く、

「今の住宅は機密性が高くて、虫が入ってくるすき間がないから(いや、蜘蛛もゴキブリも、ばんばん入ってきてるけどね)、虫との距離が、離れているのでしょうね。あなたも、もっと身近に虫がいたら、こんなに嫌じゃないと思うわ」

「そうかなぁ」

全く納得できませんでした。


 そんな訳で、母が、例によって、特大のゴキブリを丸めた新聞紙であっという間に仕留めた翌日、私はいつもの遊び仲間に、聞いてみたのです。

「ねぇ、みんなのお母さんは、虫とか平気?」

すると、ほとんどの友達が、

「うちのお母さんは虫を怖がるよ」

「ゴキブリなんか出たら、怖がって、お父さんがいないと大変」

というのです。


 そう言えば、父もこんなことを言っていましたっけ。

 それはまだ、両親が婚約中の頃、父と弟が暮らす下宿に、母が遊びに行ったことがあるそうなのです。その時、部屋に結構大きなハエが出たのだけれど、父があっと思う間もなく、母は顔色一つ変えずに、近くにあった団扇でハエをたたき落とすと、それでハエをすくって、窓からぽいっと捨てたと言うのです。

「パパはさ、ママが怖がると思ったんだ。それで『大丈夫だよ』とか言いながら、格好良く退治するつもりだったんだけど、結局、出番なしだったよ」

 やっぱり母は、ちょっと珍しいタイプなのかもしれません。


 どんな虫に出会っても、あまりにも平然としているので、苦手な虫はないのか尋ねると、

「毛虫とかゲジゲジとか、足がいっぱい生えている虫は、苦手」

と眉間にややしわを寄せながら一言。

 とはいえ、毛虫を前にしても、騒ぐことなく、そおっとどこかにやっていましたから、やっぱり虫との距離が、何というか上手いこといっているのでしょうね。


 話は少し逸れますが、母は、お化け屋敷も全然怖くないそうです。理由は、作りものだから。お化け自体も、この世にいないものだから、全く怖くないと、きっぱり。高いところなどは、怖くないというより、むしろ好き。若かったら、絶叫マシンに乗るのに、と、よく嘆いているくらい。はしごの上で芸をする、はしご乗りなんて、呼んで貰えば、すぐに技を披露できると豪語する始末(未経験なのに)。

 この人の恐怖のネジは、ゆるゆるなのでしょうか。


 一方、娘の私は、絶叫マシンは苦手だし(遊園地は、私にとって拷問施設)、虫も嫌い、びっくりするのも苦手だから、お化け屋敷も得意ではありません。きっと、私の恐怖のネジは、ぎゅうぎゅうに締まっているのでしょうね。


 あ、ただ、母はものすごく心配性で、そこは矛盾しているのですけどね。


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