第20話 ラジオ体操

 ここ数日、体温を超える気温に襲われています。どうしても昼間に外出しなければならないので、帰りはもうへとへと。正式に夏が始まる前に、すでに夏バテです。夏は本当に苦手なのです。


 そんな私ですが、子供の頃は、夏休みが始まると、意味もなく張り切りました。特に、小学校一年生の夏はそうだったように思います。まだ、通信簿に親もそれほど尖りませんし、やはり幼稚園の頃とは違って、授業がなくなる、と言う特典は、特別感があったのかもしれません。


 明日から夏休み、という夜は、わくわくして眠れませんでした。なんの予定もない、逆に言えば何をしてもいい日々が、8月31日まで続くのですから。とにかく全部良い日にしよう。たくさん遊ぶし、宿題もちゃんとやるし、お手伝いなんかもして、この際、少しよい子にもなろうなんて、始まる前から腕まくりをしていたような気がします。


 その夏休みの始まりが、ラジオ体操でした。とにかくワンランク良い子になろうと思っていますから、自分で目覚ましをかけて、朝六時には起きました。着替えて顔を洗ったり歯を磨いたりしていると、普段は朝が弱い姉も、のそのそ起きてきたりして。


 ラジオ体操は、ぐるりと公団住宅に囲まれたすり鉢の底みたいなところに広がっている公園で行われました。ラジオ体操のカードを首からぶら下げ、裸足にゴム草履でクローバーで一杯の裏庭を駆け抜けると、いつも朝露で足がびしょびしょになりました。

 

 さて、公園に着くと、すでに子供達がわんさかいて、朝の六時台とは思えない賑わいです。三つあるブランコは、水平になる勢いで前後に揺れているし、幅の広い滑り台もジャングルジムも、子供の歓声で一杯です。

 その非日常の光景にわくわくしていると、いつの間に来ていたのか、近所のおじさん(あれは民生委員さんだったのかなぁ)が、家から持ってきたであろう、大きなラジオのスイッチを入れました。


 朝の公園にラジオ体操の歌が響き渡ると、ブランコや滑り台にいた子供達が次々と広場に集まり、ラジオ体操第一の伴走が流れる頃には、公園にいた子供全員が、ちゃんとスタンバイしていたと思います。

 

 幾人かの大人と、登校班の班長の何人かが前に出て、模範演技をするのを見ながら、小学校一年生の私は、見よう見まねでラジオ体操をしました。適当に流す子供、一生懸命体操する子供、色々でしたが、私は、精一杯、体操をしていたと思います。なんせ当時から真面目でしたから。

 

 体操が終わると、みんなラジオのおじさんのところに集まって、カードにはんこを押して貰います。私はその後、さっさと帰ったのですが(腹ぺこだったので)、男の子達の多くは、公園に残っていました。きっと、お母さんに怒られるまで、そこで遊んでいたのだろうと思います。

 

 体操した後の朝ご飯の、なんと気持ちの良いこと。普段はギリギリまで寝ていて、朝食を抜かすことも多い私でしたから、早起きをして、体操した後に朝食を食べている自分に、かなり気を良くしておりました。


 朝食を終えると、玄関掃除です。私は母から、夏休みのお手伝いとして、玄関掃除を任命されており

「あなたのために、新しく買ったのよ」

と、うやうやしく渡された新品の箒とちり取りで(母は子供をその気にさせるのが上手でした)、張り切って任務を果たしました。さらには、午前中の涼しいうちにと、宿題の夏休み帳とピアノの練習まで終えて、夏休みの出だしは、できすぎなくらいでした。


 しかし、お盆も過ぎた夏休み後半になると、様子が大分変わりました。その頃になると、楽しみにしていた家族旅行も終わり、長いと思っていた夏休みの終わりも見えてきて、私の心には、どんよりとした虚無感が広がっておりました。夏の疲れも出始めるのも、この頃。ラジオ体操の後半戦が始まるのも、この頃でした。


 あんなに張り切って参加していたラジオ体操なのに、後半戦は、どうしても起きることが出来ませんでした。

 ラジオ体操で始まる一日こそが夏休みの理想の一日、と、何だか知らないけれど頑なに思っていた私なので、明日こそは、と、並々ならぬ決意で、毎晩目覚まし時計も準備するのですが、やっぱり起きられない。はんこで埋め尽くされる予定だった、ラジオ体操のカードも、後半はスカスカです。あんまり毎日起きられないので、ついには、朝から、泣きべそまでかく始末でした。疲れていたんでしょうね。


 小学校時代の夏休みといえば、プールより家族旅行より、真っ先に思い浮かぶのが、ラジオ体操です。

 夏の朝の気持ちの良い空気の中で張り切って体操をした自分と、頑張っても頑張っても、朝、起きられなかった自分が、同時に重なります。

 楽しくて、ほろ苦い。夏休みとは、案外そう言うものなのかもしれません。

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