第8話 スーパー銭湯

 スーパー銭湯って、行ったことがありますか?

 私はこれまで一度もなかったのですが、最寄り駅に無料の送迎バスが来ていて、一度行ってみたいと、ずっと思っていました。それでね、先日、一人で行ってみたのです。


 当日の朝、駅前で待っていると、来ました来ました、スーパー銭湯のバスが。無事に乗車していざ出発となったのですが、よく知らない道をどんどん進むので、方向音痴の私には、途中からさっぱり訳の分らなくなり、急に帰りが不安になりました。このバスに最後まで面倒を見て貰わないと、家に帰れんぞ、こんな難しい道のり。


 しかしながらバスが銭湯に到着してみると、思った以上に大きくて立派な建物だったので、これだけの専有面積を必要とするなら、確かに駅から離れないと無理だなと、納得しました。


 さて、バスを降りた私は、ピカピカ光る広い板張りの広間に上がりました。早速券売機で入館券を買って、さらに石けんとかタオルも買い(手ぶらで来てしまったので)、フロントで受付を済ませたら、いざ大浴場へ。


 平日の午前中の早い時間だったせいか、広々とした脱衣場はがらがら。支度が済んた私が、そぉっと磨りガラスの引き戸を開けてみると、まず目に飛び込んできたのは、明るくて広い浴場。大きなガラス窓の向こうに、いろんな露天風呂も見えます。屋内の奥にはサウナも併設。すごーい。そして、平日だから空いている。


 わぁ、と嬉しくなり中に入ろうとしたら、目の前の一番大きな、それこそ池みたいに大きなお風呂の縁に据わっていた人が、ぱっと振り返って私を凝視したのです。


 その瞬間、

 (お、おじさんがいる!)

 私は慌てて引き戸を閉め、自分の額に手をやりました。まさかね、と、私は混乱した頭で必死に考えました。まさか男湯と女湯を間違えてしまったなんてこと、ないわよね。確かに私には、水着を後ろ前に着るという前科はあるけど、さすがに、男湯と女湯を間違えるほど、そそっかしくは、ないわよね。


 ドキドキしながら、改めて脱衣所を振り返りました。空いていて、誰もいません。これでは間違えたかどうか、確認できない。すうっと血の気が引きかけたとき、からからと静かに引き戸を開ける音がして、小柄なおばあさんが一人、前側をタオルで隠しながらそろそろと出てきました。


 やっぱり! 思わず安堵の溜息が出ました。そうよね、そうよね。いくら何でも、男湯と女湯を間違えたりはしないわよね。それにしても、何でおじさんがいるなんて思ったのだろう。どんな勘違いよ。私はぶつぶつ言いながら、再び引き戸を開けました。すると、さっきのおじさん・・・じゃなくて、おばさんが、まだ私を振り返って、凝視したのです。


 やっぱりおじさんにしか見えない!

 女の人にしては、筋肉質で広い背中といい、お化粧をしていないせいか、キリッとした太い眉毛にせり出した額と、やっぱりおじさんにしか見えないのです。


 動揺する自分に、いや、ここは間違いなく女湯だ、そしてこの人は女の人だ、女の人なんだ、と言い聞かせ、その人の隣の小さめの湯船に、そろそろと入りました。その間、おばさんはずっと私から視線を放さず、それが余計に私を緊張させましたが、私が大人しく湯船に使ったところで、やっと視線を外してくれました。


 はあ、良かった。私はやっと安心して、湯船の中でゆったりと体を伸ばしました。きっとあのおばさんは、平日の午前中、恐らく近所の常連さんばかりの時間に、私のような新参者が来たので、誰だろうと思って見たのだと思います。眼鏡かけてないから、よく見えなくてあんなにじっと見たんだと、私はそう解釈しました。


 それからは、安心して、一人で銭湯を楽しみました。あっちのお湯、こっちのお湯に入り、ジェットバスに寝転ぶ形で入浴できるお湯を見つけ、今回はこれをラストにしようと寝転んでいたら、また例のおばさんと目が合ってしまったのです。


 私はまたドキッとして、思わず上半身を起こしてしまいました。何度見ても、一瞬はおじさんに見えるんです。でもあの人はおばさんなんだからと、いい加減に慣れなさいと、自分に言い聞かせながら、再びジェットバスに入り直しました。


 なんだかんだゆっくり入浴を楽しんで、ピカピカになった私は、少し疲れたのか、帰りのバスでは爆睡でした。そのせいで、何だかあっという間に最寄り駅に着くと、お気に入りのカフェでフレンチトーストを楽しんだ後、無事に家に帰りました。

 なかなか楽しい体験でした。


 その日の夜、夫に、おじさんみたいな女の人がいて、男湯と女湯を間違えたかと慌てた話をすると、

「筋肉質でさ、ちょっと男勝りな顔立ちの女の人って、世の中、結構いるもんだよ。最初に驚くのは仕方ないとしても、慣れずに何度も驚くなんて、やっぱり失礼なんじゃない。いくら君が特大級のビビりだとしてもさ」


 だって、本当に何度見ても、おじさんにしかみえなかったんだもの。と、心の中で反抗しましたが、まあ夫の言うとおりで、改めて思い返すと、かなり失礼なことをしてしまったなぁと、反省しました。


 そんな訳で、それ以来、ちょっとスーパー銭湯からは、足が遠のいております。



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