棺の女

「待て」

 黒き肌の民が桶の蓋に手をかけたのを見計らい、シュタインは声をかけた。

 ぎくり、と体を跳ね上がらせて、二人の黒き肌の民は後方に飛びのいた。

 二人はシュタインを凝視する。その黒い顔は赤と青の塗料でどぎつく化粧されていた。両目は、今にも飛び出さんばかりに見開かれている。桶から離れている方の男はくちゃくちゃと咀嚼音を立てていた。

 シュタインに次いで、イーヴァが森の中から歩み出た。シュタインがイーヴァの方に視線をやったわずかな隙をついて、咀嚼していた方の男がシュタインに飛びかかった。その右手には剣鉈が握られている。シュタインは動じることなく、その手首を掴むともう一方の手で男の首を掴んで体を引き寄せ、流れるような動きで男の両足を払うとそのまま背中に担ぎ、一気に地面に投げつけた。男は背中から地面に叩きつけられた。一連の動きを見て、イーヴァが口笛を吹く。

「やめろ! 戦いに来たんじゃない!」シュタインがこの国の言葉で男達を制した。

「何が違う! いきなり投げやがって‼」

 投げつけられた男は、シュタインの腕の下でもがいた。

「そっちが武器を持って向かってきたからだ。仕方なく投げた」イーヴァが、桶の前にいる男に語りかけるように話した。「あんた達、この国の言葉がわかるんだな?」

 桶の前にいる男は微動だにせず、口だけを動かした。「……ああ。少しならな。おまえ達は何者だ? キンノは戦士だ、やすやすと投げさせるような男じゃないのに……」

 やがて、シュタインの下にいる男ももがくのをやめた。シュタインは縛の手を緩め、男に手を貸して立たせた。

「驚かせてすまない。私はシュタイン。こっちの男はイーヴァだ」

 助け起こされた男は腕に付いた砂埃を払うと、シュタインとイーヴァをじろじろ見ながらもう一人の男の近くへ行った。

「……私はクム。こっちは、弟のキンノだ」



 満月はすでに高く昇っていた。

 四人の男達は出会った時の姿勢のまま、時を忘れて語り合っていた。

 シュタインとイーヴァはそれぞれに、二人がどこの生まれか、今までこの国でどう過ごして来たか、何故この国へ来ることになったか、そして二人がどういう経緯で出会ったか、といった辺りをかいつまんで話した。クムとキンノは何度も小刻みに頷き、たまにイーヴァの口から出る難しい単語について質問した。そしてその意味について納得し、また話の先を促した。シュタインの鮮やかな体術についても、山民とともに過ごした体験を聞いてなるほど、と大きく頷いた。

 次にクムが話した。キンノはまだクムほどうまくこの国の言葉で話せないようだった。クムが話す内容も、シュタインらのそれと大きくは変わらなかった。罵られ、おそれられ、石を投げられ、追われ。生きてゆくために山へ逃げ込み、生きてゆくために人をおどした。顔を極彩色で禍々しく塗り、猪の皮を被り。畏怖の目で見られているうちは安全だ、と。そうして畏れられているうちに化け物扱いされ、ここへ貢ぎ物をされるようになった。

 ただ、どういった経緯でこの国へ来ることになったか、という点に関しては二人とも言葉を濁した。きっと名誉に関わることなのだろう、と思いシュタインもイーヴァもしつこくは聞かなかった。

「……しかし、シュタインにイーヴァ。あんた達はすごいな。シュタインは短い期間でここまでこの国に順応できているし、イーヴァに至ってはこの国の人間よりもこの国に詳しいんじゃないか」

「それに関しては本当に色々あったんだ。そうとしか言えない。ただ、私もイーヴァも山民と出会えたことが大きいんだと思う」

 山民のことを思い出すと、シュタインの胸は痛んだ。

 出会っていなければ、あんなに辛い思いはしなかった。しかし出会っていなければ、自分もイーヴァもとっくに野垂れ死んでいたかもしれない。いや、間違いなく死んでいただろう。

「――クム。キンノ。私達四人は手を組んだ方がいいと思うんだ。私とイーヴァは、それを告げるために君達を探した。そして、ここへ来た」

「そうだ。所詮異人として畏れられるなら、数は多い方が絶対に良い。大人の男が四人いれば、力を合わせてできることは圧倒的に増えるはずだ」

 クムは頷いた。先ほど見せたシュタインの強さと、イーヴァの知識。二人の経験。クムもキンノも持っていないものだ。出会ったばかりではあるが、この国へ来てまだ日の浅いクム達に選ぶ余地はなかった。

「……わかった。一緒に行動しよう。しかし目立たない方がいいと思う。数が増えると目立つぞ」

 それは間違いない。これから十分に気をつけねばならない、とシュタインは思った。

 四人は改めて、それぞれ握手しあった。

「キンノ。さっきは投げてしまってすまなかった。これからよろしくな」

「いいんだよ。それよりあのすごい技、今度俺にも教えてくれよな」

「で――まずはこれだな」クムと握手したイーヴァが、桶を見下ろす。「さすがにもうここを離れた方がいいだろ。誰か来たら面倒だ。……クム、この桶の中身のことだが」

 イーヴァはクムとキンノに、都での噂について話した。

「仔を産ませる為、しげく人間の女をさらう。

 攫わせない為には、人身御供としてこちらからうら若き女を差し出す。

 そうせねば、箆棒べらぼうは山より来りて里を荒らす。闇雲に女を攫う。」

 それを聞いて、クムとキンノは目をぱちくりした後、声を上げて笑った。イーヴァは深く頷いた。「やっぱりでたらめなんだな」

「当たり前だ。この国の人間と私の顔を見比べてみろ。どうだ? 似ているか?」

 さもありなん。美的感覚が違い過ぎるのだ。シュタインがゆきを美しいと感じたのは、目鼻立ちのくっきりとしたゆきの顔が神聖ローマ帝国の女を彷彿させたからだった。クムはひとしきり笑い、つぎに顔をゆがめて怒った。

「自分と姿形が違えば獣と同じ扱いだ。私達は猿か? 私達にだって選ぶ権利はある。まったく、実に無知極まりない奴らだ。この国の人間こそ野蛮そのものだ」

「まったくだ。……つまり生贄として差し出されても、毎回帰してたってことだな?」

 当然だ、きちんと話して追っ払ってる、と言ってクムは頷いた。

「……じゃあどうしてそんな噂が勝手に立つのかなぁ? 俺達は何もしてないのにな」

 キンノが心底不思議でたまらない、という顔をして言った。クムが、哀しげに首を振ってキンノに答える。「そういう話にしておいた方が何かと都合がいいんだろう。人の心を一つに束ねやすいしな」

「――皆。もう話してる暇はないぞ」

 シュタインが話を遮った。そして中央にある取っ手を掴み、一気に蓋を取った。

 四人が桶を覗き込む。

 果たして、中には若い女がいた。目を閉じ震えながら、大きく膨れた腹の前で手を合わせている。そして蓋が外されたことがわかったのか、女はこわごわと目を開けた。

 一目見て、シュタインはどきりとした。すぐさま横に立つイーヴァの顔を見る。イーヴァも動揺しているようだった。

 女は、今もシュタインの胸に住む面影の人によく似ていた。



 四人の異人と一人の女はすでに場所を変えていた。

 クムとキンノが住んでいる洞穴は入り口こそ狭いが中は広く、天井が高かった。鍾乳洞ではあったが不思議と湿気も少なく乾いていて、不快な虫の類もほとんどいなかった。よくこんな見つかりにくい、良い洞穴を見つけたもんだ、とイーヴァが感心した。

 クムとキンノ、そしてシュタインとイーヴァの四人は鬼哭ノ堂で捧げられた食料類だけを持ち、この洞穴に来た。女は、なぜか勝手についてきたのだった。

「名前はあえて聞かないぞ」クムが最初にぴしゃりと言った。

 シュタインとイーヴァは、情を移さないための彼なりの工夫なのだろう、とすぐさま理解した。女は頷いた。そして洞穴の壁のあちこちに据えられた蝋燭ろうそくを点けて回っているキンノを手伝った。

 中が明るくなると、四人は車座になり、手に入れた食料を肴に宴を始めた。

ってみるか」

 食料を分けてもらったお礼として、シュタインは真っ赤な酒で満たされた大きな竹筒をクムとキンノに渡した。キンノは訝しげに中を見た。「何だ、これ?」

「桑の実を潰して、絞って作った。手製のワインだ。試してくれ」

「俺からはこれだ」イーヴァが出したのは、山民の高い精肉技術を以て作られた干し肉だった。クムとキンノは貪るように食い、飲んだ。「味はどうだ?」

「すごい。どっちも本当に美味い。な、兄さん?」

「この国で、まさかこんな果実酒を飲めるとは思わなかったよ」

 二人が食べているのをしばらく見ていて、シュタインは不意にあっ、と声を上げた。

「今気づいたんだが」

「何に気づいたんだ、シュタイン?」

 シュタインはイーヴァに、この国で最初に住処にした小屋の話をした。その小屋にあった干し肉が美味かった話。そこで手に入れた小刀と革の質が良かった話。あれは他でもない、山民の小屋だったのだ。あそこは山民が他の地で狩りをするために作った、いわば仮住まいだ。

「なんだ。おまえ今頃そんなことに気づいたのか?」

 シュタインは呆気に取られてイーヴァを見た。「イーヴァは気づいてたのか?」

「そんなの悲喜院で出会った時からわかってたよ。だっておまえ、山民の小刀持ってるもんな。大事そうに、ずっと」

 イーヴァは右手だけを使って干し魚を食いちぎり、シュタインの腰に差された小刀を顎でしゃくった。なるほど……とシュタインは納得した。

 輪から少し離れたところで、女は静かに干し肉を噛んでいた。イーヴァが声を掛ける。「どうだ? 美味いか」

 女は少し脅えながらも、首を縦に振った。シュタインが冷淡に問う。

「そろそろ話さないか? どうして私達についてきた」

 女は黙っている。クムが焦れた。「つまり、家に帰れない理由があるってことだな」

 女はこくりと頷き、おずおずと口を開いた。



 女の父である地方領主による重税と苛政が原因で、村人は疲弊の極みにあった。

 ただでさえ飢饉が度重なっている時である。そこに、女を差し出さなければ攫われるという箆棒の噂が重なり、たびたび村人は税を軽減するよう直訴に赴いたが、領主はこれを無視し続けた。

 そんな折、領主の一人娘である女の妊娠が発覚する。女のお腹にいるのは不義の子だった。これが引き金となって、村人の怒りは頂点に達した。

「一揆だな」イーヴァの呟きに女は頷いた。

「イッキってなんだい?」キンノがイーヴァに問う。

「反領主闘争のことさ。……で、君の父親はどうなったんだ」

 女はふるふると首を横に振った。

「両親とも行方をくらませました。いの一番にその場から逃れて、今どこにいるのか見当もつきません。そこで、それならば一人娘であるおまえが責を果たせ、と村人に詰められ……」

「私とキンノの生贄に選ばれた、というわけだな。まったく莫迦ばかばかしい!」クムは吐き捨てるように言った。「怒りの矛先である両親がどこにいるのかもわからないんじゃあな。村に帰ったところで無傷じゃ済むまい」

「それが、何よりも恐ろしく……」

 女は、すきくわを振りかざして押し寄せた村人の目を思い出し、肌を粟立たせた。

 皆が皆、怒りに我を忘れているのかと言えば、そうでもないように思えた。

 心から怒っているのは一部だった。その他の多くは、うっとりと陶酔しているような、半ば何かに憑りつかれているような目をしていた。とにかく、もはや話が通じるような状況にないことだけは理解できた。大人しく言うことを聞くしかなかった。

「……天朝の御威光も届かぬ地方では、こういった話はよくあるそうです。さりとて、まさか我が身に降りかかろうとは……」

「自業自得だ。村人を第一に政治を行わないからこういうことになる。両親が行方をくらました以上、娘であるあんたが責任を取るのも確かに筋だろう」

 クムの冷徹な物言いに、女は小さくなった。

「おっしゃる通りです。まったくもって、手前の不始末でしかなく……」

「クム。気持ちはわかるが、まあ待ってくれ」イーヴァが間に入った。「だからといってここへついてくる理由にはならんだろ。俺達は君を助けるなんて一ことも言ってないんだ。なにせ俺達は異人まれびとだからな」

 女は四人の前にひれ伏し、額を岩肌に擦りつけた。

「いえ。失礼ながら桶の中より聞き耳を立てておりました。巷の噂など、あなた方の話を聞いた後ではただの戯言ざれごと。荒唐極まりないものであることは、もはや疑うべくもありません。どうかおそばに置いて下さいませ。できることは何でも致します。お使い下さいませ。どうか」

「我々が君に危害を加えないとも限らないんだぞ」シュタインが冷たく言い放つ。

「あなた方は決してそんなことはさらないでしょう。わたしにはわかります。……ずっとここへ置いて頂くことが及び難いのでしたら、せめてお腹の子が無事に産まれるまで。後生です。いま外へ放り出されて、母子でどう生きてゆけばよいのでしょう」

 どうか、と言って女は顔を下げ続けた。四人は顔を見合わせた。

「どうする? シュタイン、決めてくれ」

 イーヴァがシュタインに答えを求めた。クムもキンノも、シュタインの目をまっすぐに見つめていた。

 女はただひれ伏し、小刻みに震えている。シュタインは軽く舌打ちをした。


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