戦地に咲く花(第1部最終話)
空はよく晴れていました。
真っ青な中に、染みだしたように白い雲がぽつりぽつりと湧き、時折吹く乾いたやわらかい風がその雲をゆるやかに横滑りさせていました。
草原の岩舞台に並んで腰かけていたのは、綱と駕籠女。駕籠女は前髪を短く切り揃え、長い髪を後ろできっぱりと一つに束ね、女ながら地味な墨色の男用の着物と袴を身に着けていました。対して、綱は男としては珍しいほどの派手な朱色の着物姿で、一升徳利に入ったどぶろくを直接あおっていました。あおりながら、自分が今座っている石舞台を見るともなく見ていました。
「……つい先頃知ったんだがな、駕籠女。この岩舞台は、神話の時代から語り継がれる由緒ある場所だそうな」
「ここは
「なるほど。で、その勝負はどうなったんだ?」
「即日相対して、結果、宿禰が蹴速の腰を踏み折って斃しました。宿禰はその後、朝廷に恩賞として与えられた土地にとどまってずっと天朝様に仕えたのだとか」
「……やけに詳しいな、おまえ」
「……いや。これくらいは常識の
「ふうん」
綱は面白くなさそうに酒を一口含みました。駕籠女は答えるように咳払いをしました。
「……宿禰は勝っても決しておごらず、失われた蹴速の命をひたすらに悼んだといいます。蹴速もまた、ただひたすらに戦いたい、と。はじめから生死を問わずすべての力を出し切って戦う、とのたまっていたのだとか。そのことを知っていたから、蹴速の身内も宿禰の勝利を心から祝福したそうです」
「素晴らしきかな。ただ強い、並ぶものがいない、という理由で剛の者であったのではなく、勝敗を越えたところにあるものの値打ちを双方ともに知っていた。だからこその剛の者、ということか。まこと、武人とはかくありたいものだな」
「まったくです。……しかし……」
「なんだ?」
「わたしは未熟者です。それでも勝ちたい。勝負にはこだわりたい、といつも思っています」
「そりゃ俺だってそうだ。……でもな駕籠女。勝つってことと、負けないってことは少し違うんだよな」
駕籠女が眉をくっきりとしかめました。「わかりません。一体何が違うのですか?」
「死合に勝つことだけが勝ちじゃない。勝ちたい戦いを挑む者。負けられない戦いを挑む者。その両名が戦ったら、結局勝利するのは後者なんだ。……あのな駕籠女。武人は強くなきゃならん。でもな、強くなりたいって気持ちだけじゃ人は強くなんてなれないんだ」
駕籠女はさらに眉をしかめ、小首を傾げました。
「……おまえ、今いくつだ」
「十九です」
「おまえにはまだ少し早い話かもしれんな」
「時に綱殿はわからないことをおっしゃいます」
綱はまだどぶろくを一口あおり、一つ、大きく咳払いをしました。
「……して。人喰いの骸はもう村人が片づけたんだな」
「は。皮を剥がれて敷布となり、天朝様に献上されるのだとか。天下に仇なした熊の化け物として。もちろん熊胆も」
「ふん。化け物ねえ。……で、彼奴は」
「は」駕籠女は目を伏せました。「前と同様、家族とともに狩りや樵をして暮らしています。あれ以来、里はおろか、たたら場にも一切近づいていないようです」
「そうか。……辛い戦いだったな」
「まことに」
「見込み有り、だな。……そろそろゆこう」
岩舞台から飛び降りると、綱は先に立ってさっさと歩きだしました。少し遅れて、駕籠女が綱を追います。
と、岩舞台の陰に視線をやって、駕籠女は足を止めました。
「……綱殿」
綱が振り向きました。駕籠女が、岩舞台の正面、少し前を指差しました。
「ひょっとしたら彼奴はあの後、ここへ来たのかもしれません」
駕籠女が指差した辺りは一帯の草がなぎ倒されていて、むき出しになった土は黒く変色していました。
その黒い土の真ん中辺りに、一本の桑の枝がまっすぐ刺さっていたのです。
「これは血の跡だな」
「間違いないでしょう。彼奴等はここで斬り結んだ」
「この桑は戦いの
「恐らくは」
綱は、地面に挿された枝が生きていることに気づきました。
その葉は碧く、みずみずしい命をはらんで、風に身をまかせ揺れていました。
「……駕籠女。この枝は、はたして根付くんだろうか?」
「さあ……わたしにはわかりません。……ただ」
「ただ?」
「もし根付けば、いずれ花が咲きます。花が咲けば、やがては実がなります。血のように赤く、蜜のように甘い実が。……熊は、その赤くて甘い桑の実が大好きなのですよ」
駕籠女はそう言って、少女のように微笑みました。
「……そうか。それは、俺も一度食べてみたいもんだな」
「はい。じゃあ、実がつけば是非に」
「そうだな」
次にまたここへ来ることはあるのだろうか。天命を果たしたあと、また俺はここへ来れるのだろうか。
思わず、そう口にしそうになってしまいましたが、すんでのところで綱は言葉を飲み込みました。
――今、この場でそんなことを言うのは野暮というものだな。
それは、綱にそう思わせてしまうような。そんな微笑みでした。
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