第13話 ミナトの物語

 ミナトの手がコンテストの結果を伝える封筒を開く。

 一瞬の静寂の後、彼女の瞳が見開かれる。

 

 ”選外”

 

 たった二文字がミナトの世界を灰色に染め上げた。

 数ヶ月に渡る不眠不休で夢と情熱を注ぎ込んだ論文。

 それらが一瞬にして冷たい現実に打ち砕かれる。

 

「そんな…どうして…」

 

 ミナトの声は空虚な部屋に虚しく響く。

 窓から差し込む夕日の光も彼女の心を照らすことはできない。

 ゆっくりとベッドに座り込むミナト。

 

 手にした論文をぼんやりと見つめている。

 そこには彼女の魂がこめられていた。

 父から受け継いだ夢、次元船を完成させるという遥かな目標。

 それらが今、遠のいてしまったのだ。

 

「お父さん…ごめんなさい…」

 

 ミナトの瞳から涙がこぼれ落ちる。

 透明な雫が論文の文字を滲ませていく。

 夢と現実の狭間で彼女は途方に暮れるのだった。

 

 何のためにこんなに頑張ってきたのだろう。

 努力が報われない世界に絶望が胸を締め付ける。

 ミナトは膝を抱え嗚咽を漏らす。

 

 夕暮れ時の静寂が彼女の孤独を際立たせるようだ。

 ドアを開け、一歩外へ出る。

 ミナトの足取りは重くまるで地面に根を下ろしているかのようだった。

 目的地もなく彼女はただ歩き続ける。

 

 街は相変わらずの喧騒に包まれていた。

 人々の笑顔、弾む会話、日常の営み、それらが今のミナトには遠い世界の出来事に思える。

 論文の失敗が彼女の自尊心に大きな傷を残した。

 頭の中は渦巻く思考で混乱している。

 

「私の研究は、意味がなかったの?」

 

 自問自答を繰り返すミナト。

 周囲の喧噪が彼女を孤独の淵へと誘う。

 ⻑い時間をかけて取り組んだ研究だった。

 それが認められなかったという事実。

 

「私には、才能がないのかもしれない…」

 

 否定的な感情がミナトの心を蝕んでいく。

 前を見つめる瞳は希望を失っていた。

 しかし偶然の出会いが彼女の人生を大きく変えることになるとは、この時のミナトは予想だにしていなかった。

 運命の歯車が音もなく回り始めたのだ。

 

「おっと、ごめん!」

 

 予期せぬ衝突にミナトの手から論文が地面に散らばる。

 

「大丈夫?怪我はない?」

 

 慌てて謝るのはミナトと同世代の少年だった。

 

「あ、ええ…大丈夫…」

 

 ミナトは戸惑いながらも、少年の手を借りて書類を拾い集める。

 

「ん〜これ、何かのエンジン?なんだかっこいいねえ」

 

 少年は拾った論文に目を通し純粋な好奇心を瞳に宿して尋ねる。

 

「えっ…これは、次元船のエンジンに関する研究よ」

 

「おーやっぱりエンジンか」

 

「わ、わかるの?」

 

「いや、さっぱり」

 ユウトは”ダハハハ”とおかしな笑い方でごまかそうとした。

 

「いや、でも、なんかさあ、すごそうだなっていうのは見ればわかるよ」

 

「まだ理論段階なんだけど、これは超長距離航行用のエンジンなの」

 

「超長距離ってまだどこもできていない技術だろ?すごいじゃないか!」


 彼の純粋な好奇心と研究への理解が今のミナトには何より嬉しかった。

 

「私は夕紀ミナト」

 

「星野ユウトだ。よろしくね、ミナト!」

 

 笑顔で握手を交わす二人。

 論文の落選に暗い影を落とされていたミナトの心にユウトとの出会いがかすかな光を灯した。

 ユウトとの出会いが彼女の人生に新しい風を吹き込んでいく。

 運命の歯車が、音もなく回り始めたのだ。


「でも理論上とはいえ誰も達成していないことを論文にするなんて、本当に優秀なんだな」

 

 ミナトは少し微笑みながら話し始めた。


 「実は、この研究は元々お父さんが始めたものでね、私も一緒に取り組んでいたの。お父さんが見つけた古代の研究書があるの、どこのものかもわからないし文字も読めないようなものなんだけど、お父さんはこれが長距離航行に関連するものだと信じて研究を続けていたわ。少しずつ解読が進んでいた矢先に、2年前お母さんと一緒に事故で亡くなってしまって……」

 

 彼女の声は震え始めた。

 

「それから私は一人ぼっちになった。でもその研究を夢見て続けることが生きがいになってた。やっと理論が形になって論文が完成して、コンテストで認められればここよりも科学が進んだ世界へ留学できるはずだったの。でも、落ちてしまって……」


 ミナトはユウトの前で必死に涙をこらえていたが、目は涙でいっぱいだった。

 ユウトはなにも言えなかった。

 一人ぼっちで、閉ざされた未来に絶望する気持ちは誰よりもよくわかっている。

 そしてそこを抜け出す方法をいまのユウトは知っている。

 

 そんなユウトだから確信があった。

 それをいまのミナトに話せばきっと自分も行くというだろう。

 それが本当に彼女のためになるのだろうか。

 いくら考えても答えはでない、決めるのはミナトだ。

 

「オレも子供の頃に両親がいなくなって、それから一人で生きてきたんだ」

 

「え?そうなんだ、あなたも……」

 

「うん、他の世界の何者かが関係しているかもしれないんだ。だからある人の助けで次元列車に乗って旅をしてるのさ」

 

「次元列車?イオタ-i9に?」

 

「そう、イオタ-i9で旅をしているんだ」


「…………」

「イオタ-i9は誰でも乗れるって本当?」

 

「ああ、何しろオレが乗って旅してるんだからね」

 

「私も乗りたい」

 

「うん、そう言うだろうと思ってたけど」


「うん」


「君の気持ちはよくわかるよ」

 

「ユウトなら手伝ってくれるでしょ、私のエンジンを完成させるという夢を」

 

「え?あ、うーん、いいのか?今会ったばかりの人間をそんなに簡単に信用して」

 

「私の話をこんなに真剣に聞いてくれる人は今までいなかったわ。私にはそれだけであなたを信じる理由として十分よ」


 本当に会ったばかりの人間を信じることができるのか、いや彼女は信じるしかないんだ。

 ユウトはミナトのことをあの時の自分と重ねていた。

 

「じゃあ、とりあえず会わせたい人がいるからついてきて」


 そういってユウトは歩き出した。

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