第1話 母の遺したトランク
ー2072年 東京ー
星野ユウトは必死に走っていた。
今まさに我が家が取り壊されようとしている。
高層ビルが立ち並び、先端技術が日常に溶け込んだこの都市で人々は便利で快適な生活を享受している。
しかしその華やかさの影にはもう1つの顔があった。
都市の片隅には時代に取り残されたかのような場所が存在する。
ゴミが散乱し、街灯の多くは故障したまま。
それでも住人たちは助け合いながらなんとか生活を送っていた。
彼の家があるのはそんな都市の影の部分だった。
そして光り輝く都市の裏側に潜む影を照らす名の下、再開発の手が突如としてユウトの家にもやってきたのだ。
最後の曲がり角、そこを曲がると我が家が見えてくる……はずだったが、ユウトの目に一番に飛び込んできたのはとてつもなく大きな重機だった。
「待ってくれ!やめろ!」
しかし彼の叫びは轟音にかき消される。
重機は容赦なく外壁を壊し始めた。
彼は慌てて家に駆け込み、最後に残された母の古いトランクを抱えて外に飛び出す。
みるみるうちに家は解体されていき、あっという間に見る影も無くなった。
ユウトはトランクを抱きしめたままトボトボと歩き続け、近所の公園にたどりつくとベンチに腰を下ろした。
気がつけば日はすっかり落ち、辺りは薄暗くなっていた。
突然のことすぎて何が何だかわからない。
働かない頭で、彼は母が突然連れ去られたあの日の事を静かに思い返していた。
それはユウトがまだ10歳の時だった。
いつもと変わらず朝食を食べていると、ふと母が何かに気づいたかのように窓の外をじっと見つめていた。
「ユウト。今すぐ押し入れに隠れて。どんなことがあっても出てこないで」
静かながらも決意に満ちた母の声ーこれが永遠の別れになると悟っていたのかもしれない。
「でも、母さんも一緒に...」
ユウトの言葉を遮るように母は彼を押し入れに押し込んだ。
「大丈夫よユウト。お母さんは大丈夫。約束して、隠れていてね」
その言葉と共に母は彼を抱きしめ、そして優しくドアを閉じた。
ユウトは母の言う通り押し入れに隠れたが、ドアの隙間から外の様子をうかがっていた。
すると音もなく侵入してきた警官たちが母を取り囲む様子が見えた。
しかし彼らの顔は無機質な金属が剥き出しになった顔をしており、まるでSF映画に出てくるロボットのようだった。
そして彼らが何かの装置を操作した瞬間、空間に穴が開き母と共に消えていく。
その瞬間をユウトは確かに見た。
ユウトは母が連れ去られた時の話を周りに必死に訴えた。
だがしかし、そんな話を信じてくれる人は誰一人いなかった。
ここから、ユウトの人生は一変する。
まだ10歳だった彼にとって母を失った後の生活は過酷そのものであった。
幸いなことにこの世界には10歳の少年がなんとか一人で生きていくすべが存在した。
廃品回収やメッセンジャーなど、厳しい日々の中でユウトは必死に生き延びた。
しかし幼い彼の心は深い喪失感と孤独に苛まれ続け、それでも彼を支え続けたのはいつか必ず母を見つけ出すという強い信念であった。
隣家の優しいおばあさんが時折助けてくれたことも彼の心の支えになっていた。
だが……そのおばあさんも去年亡くなり、再び孤独と向き合うことになった。
そして今や母との思い出が詰まった家も失われ、ユウトに残されたのは孤独と、1つの古びたトランクだけになった。
彼は子供の頃、母がこのトランクを物置の奥に隠しているのを目撃していた。
その時母はユウトに”このトランクは決して開けてはいけない”と厳しく言い渡した。
母がいなくなってから必死に生きる中でトランクの存在を忘れていたユウトだが、家が解体される直前、ふとそのトランクを思い出したのだ。
そして母の誘拐事件と何か関連があるかもしれないと直感し、彼は解体現場からトランクを持ち出した。
もはや彼に残されたものはこのトランクしかない。
ユウトは意を決してトランクを開けた。
まず目に飛び込んきたのはカーキ色のサファリジャケットだった。
父か母が使っていたものだろうか?
着てみると少し大きいが袖をまくれば特に問題なく使えそうだ。ありがたい。
そしてそのジャケットの下には革のホルスターに収まった銃があった。
取り出してホルスターからゆっくりと銃を引き抜く。
銃はまるでレーザーガンのような形状で映画の小道具かなにかだと思ったが、手に取るとずっしりとした重量感がある。
黒光りする金属製の銃身や数々の戦闘をくぐり抜けてきたかのように見える歴戦の傷跡が、これがただの模造品ではなく戦闘に使用されてきた本物の銃であることを物語っていた。
「でも、まさかねえ」
近くの木を狙って引き金を引いてみる。
セーフティーがかけてあるのか引き金が引けない、それらしいところをカチリと動かし、もう一度木を狙って引き金を引く。
バシュー!
青白い光弾が発射され、木は真ん中からメキメキと音を立てて倒れていく。
「うわああ!」
ユウトは反動でのけぞりながら目の前で繰り広げられる信じがたい光景に思わず叫んでいた。
巨大な木が真っ二つに折れ、まるでスローモーションのようにゆっくりと地面に倒れ込んでいく。
「ほ、ほんもの!?どうして母さんがこんなものを……」
その時、空間に空いた穴から突如として何者かが現れた。
「うわ!なんだ!?」
その顔を見て驚愕した。その無機質な機械の顔は忘れもしない母をさらった奴らと同じものだった。
「なんなんだお前たちは!あの時の奴らだな、母さんをどこへやった!」
ユウトは手に持った銃を構え、質問を浴びせながら後退していく。
しかしロボットたちは無言のままジリジリと迫ってきた。
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