クジラ
生まれ変わったら何になりたいかと聞かれれば、私はクジラと答えることにしている。
「なんでクジラなの?」
友人からそんな質問をされることも珍しくない。
「クジラってなんかイイじゃん」
渺茫とした海原を家族で泳ぎながらも、人間の尺度では孤独な集団に見えてしまうのが好きだ。そこに雄大さや豪快さが無くとも、きっと私はクジラになりたいと答えると思う。
しかし、もっと別の理由もある。クジラは暗闇を恐れないからだ。
「マッコウクジラって知らない? ものすごい深い海に長い時間潜ってられるんだよ。しかも、その理由はご飯を食べるためなの」
私は暗闇が怖い。人並みに怖いが、怖い気持ちを克服することができない。夜道で背後から人の足音がすれば怖いし、全く知らない建物の中をライトも無しに探検するのは怖い。
しかし、クジラはそうではない。回遊していれば土地勘もないであろう深海の世界に何十分と滞在する。その理由が主食であるイカを食べるためという陳腐な理由であるから驚いてしまう。私なら怖い思いをしてまでご飯にありつこうとは思わない。もっとコンビニやスーパーなど怖くない場所でご飯を探すだろう。
「そう考えたらすごいよね。クジラは陸に上がろうとは思わなかったのかな?」
「一回上がってはいるのよ」
きっと彼らは海が怖くなかったのだと思う。逃げ道として海を選ぶくらいなのだから、陸の方が余程恐ろしかったのだ。だから私が暗闇を怖がることは当然なのだ。
そんな記憶を思い返しつつ、私はクジラに会う機会に恵まれた。友人に誘われた海外旅行。そこで行われたマリンツアーの中に、ホエールウォッチングが含まれていたのだ。
私がクジラに生まれ変わりたい話など忘れた友人はクジラに手を振った。ザトウクジラ。座頭法師の背負った琵琶と言われれば、なんとなくその名前の由来も分からなくもないと思った。
「クジラって数が減ってるって聞くよね」
「種類に寄るわよ。ザトウクジラは増えてるんじゃないかしら」
「ふーん。でも、寄生虫がすごいって聞いたよ?」
その話は初めて聞いた。
私は思わず友人にその話を尋ねた。
「ほら、サバによくいるアニサキスっているでしょ? あれがクジラに寄生するんだって。なんかめちゃくちゃ凄いらしいよ」
寄生虫には最終宿主がいる。アニサキスはたしかにサバのような生魚によくいるが、その最終宿主は誰だろうか。人間も含まれるだろうが、人間に食されなかったアニサキスはどこへ行くのか。そう考えてしまった時、それがクジラであることは容易に検討がついた。
私は岸に戻るなり、ネットに繋がる場所でクジラのアニサキスについて調べた。だが、知らぬが仏とはまさにこのことである。
──クジラの胃に寄生するアニサキスは私たちがよく知るアニサキスとはサイズが異なる。1〜3センチほどのアニサキスがクジラの胃の中では数メートルにも成長する。
画像検索をして出てきたのはクジラの胃の標本。左には男性の手が比較で映されていたが、クジラに寄生していたアニサキスは私の知るものではなかった。
長く、そしておびただしい。写っている画像では胃よりも虫の割合の方が多く、胃の細かいシワにまで寄生虫が入り込んでいる。私にはそれが全て繋がっているように見えた。本当は無数のアニサキスが集まった姿なのだろうが、それが無性に気持ち悪く、私の感じていたクジラの像からはかけ離れたものだった。
これでは胃も機能しないだろう。このクジラは小さな寄生虫に殺されたのだ。そう察した瞬間、私は画像を閉じてしまった。
気分が悪く、嘔吐さえしてしまいそうだった。
クジラは雄大でも豪快でもなく、肉の住処になったただの家なのだ。狭く真っ暗な家。体内で無数の家族が暮らす集団なのだと思うと、それは孤独ですらないと思った。
それを知った瞬間から私はクジラに憧れるのを止めた。今は生魚を調理する度にブラックライトを欠かさないようにしている。
私の体は、誰かの家ではない。
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