第27話 皇帝出陣

「状況は⁉︎」


 軍本部の参謀室に勢いよく入ると同時、室内にいた全員の目がこちらに向く。

 参謀室、なんて名前なのだから、そこにいるのは軍のお偉いさんばかりだ。直属の上司である准将に、この部屋の主である参謀長。帝国軍屈指の大隊を指揮している大佐に、クラスメイトの父親である騎士団長まで。


「来たな、少佐。思ったより早くて助かる」

「いいから、詳しいことをさっさと教えろ。うちの部下は無事なんだろうな!」


 我ながららしくないと、冷静な自分が頭のどこかで苦笑している。けれどそんな場合じゃない。混沌の森で魔物の氾濫が起きたのだ。決して起きるはずがないと言われていた、異常事態が。


「シルバーファングの隊員たちは全員無事だ。ただ、アルカンシェル大尉が森に残っている」

「あのバカっ」


 つまりあのバカ皇女は、一人で神災級の相手をしようと考えてるわけだ。それも、混沌の森に潜むバケモノを。


 混沌の森で現在確認されてる神災級は十五体。どいつもこいつも正真正銘のバケモノ。たとえS級だろうと、それが何位だろうと、単体で勝てるような魔物じゃない。

 リリならたしかに、奥の手を使えばワンチャンあるかもしれないけど。それにしたって一人で挑むような相手じゃない。


「待て少佐、来たばかりでどこに行くつもりだ」

「分かりきった質問に答える暇はねえんだよ」


 踵を返した俺を、准将が呼び止める。こうして問答している時間すら惜しい。それはこいつらも分かってるはずだ。


 そもそも、混沌の森で魔物の氾濫なんてあり得ないことが起きてる時点で、こんなに悠長にしている場合じゃないだろう。


 混沌の森の中層以降は、いくつものエリアに分かれている。それぞれが足を踏み入れただけで人間を殺しにかかってくるような環境をしており、エリアの主とも言える神災級が一体ずつ存在している。


 だからこそだ。

 各エリアの環境はあまりにもかけ離れている。絶対零度の凍土があれば、超重力のエリアもあり、果ては無酸素のエリアまで。

 そんな極端すぎるエリアを縄張りにしているからこそ、神災級同士が接近して起こる魔物の氾濫は、起こるわけがない。


 だが今、実際に事は起きている。考察は後だ。まずは事態への対処が最優先。幸いにして混沌の森は帝都から離れており、最も近い街からも十キロは距離がある。

 しかし、津波のように迫る災害級以上の群れを前にしては、その距離もあまり意味をなさないだろう。


「フェンリル卿、まずは落ち着いてほしい。そして話を聞いてくれ。君が来るまでの間に、ある程度の方針は決めてある」


 そう言ったのは、騎士団の鎧に身を包んだベルクの父親。テラ・モンターニュ騎士団長。この場にいる上司のガキどもとは違い、テラとはプライベートでの親交もある、友人と言って差し支えないやつだ。

 テラに言われてしまえば、俺も渋々ではあるが従わないわけにはいかない。


「で、その方針ってのは?」

「まず言っておくが、現在国内にいるS級ソロは三人のみだ。時喰み、白薔薇、聖皇女の三人。他国のS級にも連絡は行くだろうが、それは冒険者ギルドを介されたものになる」


 参謀長の言葉に、少し思考を巡らせる。

 つまり、今すぐに動けるのは俺とルナーリアの二人だけ。そのルナーリアに関しては、現在学園だ。すでに手は打っているが、間に合うかどうか。


「S級パーティは?」

「《蒼天》と《夜叉》が変わらず帝国を拠点にしているが、この二組には氾濫の対処に当たってもらうつもりだ」

「なら、結局俺のやる事は変わんねえだろ」


 話がそれだけなら、俺を呼び止めた意味がない。聞いても聞かなくても同じだ。つまり、本題は別にある。


「少佐、君に言っておかなければならないのは二点ある。まず、今回の氾濫だが、人為的に引き起こされた可能性が高い」

「……まあ、そうだろうな」


 混沌の森での氾濫は、絶対に起こらない。

 それはあくまでも、魔物たちの生態に照らし合わせ、やつらがその通りの動きをしていた場合のみだ。

 しかしそこに、人の手が加えられていたら。悪意を持った何者かの意図が介在していたら。


 そして、それを可能とするだけの力を持った組織といえば。


「クリフォトのクソどもか」

「情報部の調査状況に今回の件を踏まえれば、まず間違いはないだろう」

「もうひとつは?」

「陛下御自らご出陣なさるそうだ」

「はあ?」


 思わず聞き返してしまった俺を、誰が責められるだろうか。言った参謀長自身も、他のメンツも、頭が痛いと言わんばかりの表情。


「おいテラ、お前止めろよ。騎士団長だろ」

「無理を言わないでくれ。言ってしまえば今回、帝国が出せる戦力は非常に限られているんだ。十年前とは状況が違いすぎる。今は朝だぞ?」


 十年前、五体の神災級がこの帝都まで迫り、俺が英雄扱いされてしまったあの事件。

 あの時はS級ソロが三人に、今回も参戦してくれるS級パーティ二組がいた。おまけに時間は夜。限りなくこちらに都合がいい状況ではあったのだ。


 それに比べて、今回はどうか。

 S級ソロはたしかに三人で、俺もいる。しかしそのうち二人はS級として未熟と言わざるを得ないリリとルナーリアで、俺は夜でなければ本領を発揮できない。

 混沌の森の神災級を相手取ることを考えると、一体が相手でも十年前の五体同時よりきついと思われる。


 戦力は出し惜しみしている場合じゃないと、そう言われればそれまでだが。


「そう言って説得されたか?」

「面目ない。しかし、戦力という意味ではこれ以上頼もしいのも事実だ」


 いやまあたしかにそうなんだけどさ。あのオッサン、もとい皇帝陛下は多分、娘がピンチと聞いていても立ってもいられなくなっただけだぞ。


 それにしたって、帝国のトップが最前線ってのは、褒められたことじゃないが。


「話はわかった。もしクリフォトのクソどもを見かけたら捕まえておくし、陛下の手綱も握っとく」

「頼んだぞ、少佐」


 参謀室を出て、廊下を足早に進む。辿り着いた先の転移陣を使って、次の瞬間には混沌の森の目の前だ。

 ここに支部なんてもんはないし、作ったとしても森から溢れた魔物に秒で壊される。


 そして森の入り口前には、三人の人影が。

 メイドのサラと、サラが迎えに行ってくれていたルナーリア。うちのメイドは転移魔法を使えるので、事前にルナーリアを迎えに行くよう手配していた。

 そしてもう一人。漆黒の鎧で全身を覆い、身の丈以上の大剣を携える、我らが皇帝陛下。


「お待ちしておりました、旦那様」

「遅いぞガルム! リリのピンチになにをしている!」

「うるせえバカ皇帝! お前、ちょっとは自分の立場考えたらどうだ!」


 参謀室の面々のあのなんとも言えない顔を見せてやりてえよ。

 顔を合わせるなりヴィクトルと怒鳴り合えば、くいっと小さく袖を引かれる。


「ガルム」

「ん、ああ悪いなルナーリア。状況は聞いてるか?」

「聞いているけれど……」


 ルナーリアの怪訝な視線が向かう先は、当然ながらヴィクトルだ。

 皇帝陛下が供もつけずこんな場所にいるのが、不思議でならないのだろうけど。


「ヴィクトルのことなら大丈夫だ。こいつ、こう見えて強いからな」

「それは分かっているけれど、よく家臣が納得したわね」

「納得せざるを得なかった、ってのが正確なところだな」


 実際、現在の帝国に戦力的余裕があるわけではないのだ。通常の氾濫であれば難なく対処できたが、なにせ混沌の森だからな。まず森の中に入れるやつが少ないし。


「サラ、ご苦労だった。先に戻っていてくれ」

「かしこまりました……旦那様、お嬢様、屋敷で帰りをお待ちしております」

「安心しろ、余裕で勝って帰る」


 優雅なカーテシーを残し、サラは転移で姿を消す。彼女は確かにそれなりの使い手だが、やはりこれからの戦いでは足手纏いになる。


 しかし、皇帝陛下にひとつも挨拶なしとは、サラも中々酷いやつだな。普通に不敬罪だと思うんだけど、ヴィクトルは気にした様子もない。


「それで、どう動くの?」

「ちょいと待てよ……」


 感知魔法を最大出力で発動。混沌の森全域とはいかないが、中層くらいまでなら余裕でカバーできる。

 捉えた反応は、灼熱エリアか。リリと、この感じからするとドラゴンだな。


「ルナーリアはリリの方に向かってくれ。場所は灼熱エリア」

「なるほど……そういうことね」


 頷いたルナーリアは、俺がやって欲しいことを正確に理解してくれているだろう。

 氷魔法を使うルナーリアに灼熱エリアは相性が悪く思われるが、むしろ逆だ。


 月と恐怖の女神に愛された彼女の氷は、たかが灼熱程度で溶けるほど、柔じゃない。


「ヴィクトル、お前は俺ともう一体の方だ。多分深層にいる」

「仕方ない……リリの方に行きたいところだが、あれは俺たちで相手にした方が良さそうだな」


 どうやら、ヴィクトルも中の様子は探っていたらしい。しかも俺よりさらに高い精度で。


「ヴィクトル、頼む」


 虚空に開くのは、次元の穴。その先は真っ暗闇に包まれているが、一歩足を踏み入れればヴィクトルが指定した座標に一瞬で着けるだろう。


 当然ながら、リリの父親であるヴィクトルも七星虹魔アルカンシェルを使える。

 これは固有魔法の中でも一族や一門の中で受け継がれていかれる、継承魔法に類するのだから。


「ルナーリア、死ぬなよ」

「誰に言ってるのよ。そっちこそ、夜じゃないからって不覚を取るんじゃないわよ」


 不敵な笑みを残し、ルナーリアは次元の穴へ足を踏み入れた。

 その後ろ姿を見送り、ヴィクトルはもう一つ穴を開ける。


「さて、俺たちも行くか」

「ルナーリア嬢も言っていたが、ガルム、お前本当にこの時間でも大丈夫なのか?」

「人の心配してる場合かよ。そっちこそ、腕は鈍ってないだろうな」

「当然だ。娘に負けるわけにもいかんからな」


 軽口を叩きながら、俺とヴィクトルも次元の穴のその先へ進む。

 次の瞬間に立っていたのは、なんの変哲もない森の中。


 ではない。即座に異変に気づいて、俺もヴィクトルも全身を魔力で覆う。


「毒か!」

「それだけじゃないぞ!」

「見たらわかる!」


 酸性雨。

 人の皮も、肉も、骨すら溶かしてしまうほどに強力な酸性の雨が、絶えず降り注いでいる。そのくせ森の草木は溶けずに生えているのだから、相変わらず滅茶苦茶な森だ。


「で、こいつは見たことあるか、ガルム?」

「さてどうだったか。いかんせん俺はS級三位だからな。これまで殺してきた神災級が多すぎて、いちいち覚えてねえよ」


 口では強がって見せるが、少なくとも俺の記憶にはない巨体が、目の前にいた。


 軟体生物に見える。幾百本もの触手が全身から伸びて、頭らしき場所には三対六つの眼。巨大な鉤爪のついた凶悪な手足に、まさかその巨体で飛ぶのか、翼すら備えている。

 手足と胴体もあるのに、そのいずれからも触手が伸びているのは、気持ち悪いの一言に尽きる。


「コズミックホラーじゃねえんだぞ……」

「こず……? なんだそれは?」

「あとでリリにでも聞け! 来るぞ!」


 すでにこちらを視認していたか。数本の触手が小手調べとばかりに襲いかかってくる。

 一歩前に出て懐から抜いたナイフで纏めて斬り飛ばすが、当然の権利とばかりに即座に再生。勢いを減じることなく突き進んできて、大きく飛び退きなんとか躱した。


「さすがは神災級ってところか! あん時のオーガキングやら魔人やらとは違うな!」


 再生速度が早すぎる。ほぼほぼノータイム、瞬き一つ未満の間に再生しやがる。


破軍虹魔アルカンシェル!」


 固有魔法による強化を発動したヴィクトルが、迫る触手を全て躱しながら、胴体にまで肉薄する。凄まじい速度振るわれる大剣には、熟練の技術が。


 滅多斬りにされる魔物はそれでも、ダメージを受けたように見られない。切り傷は当然即再生。おまけに触手に覆われた口がパクリと開いて、放たれるのは竜のそれにも似たブレス。


 とんでもない威力のそれが魔物の足元を抉り穿つ。ブレスで自身の身が傷つくのも厭わずに。


「自爆覚悟、というよりも、そもそもあのブレスですらダメージがないのか」

「おいガルム、ちょっとはこっちを心配してくれてもいいんじゃないか。俺、皇帝だぞ?」

「こんな最前線にいる時点で、皇帝だなんだは関係ねえよバカ」


 隣で次元の穴が開き、無傷のヴィクトルが現れる。こいつの剣技は俺から見てもかなりのもんなんだが、それでもダメージが通らないか。

 となれば、まともな手段じゃあの触手野郎を殺し切るのは不可能だろう。


「おいヴィクトル、神災級と戦う時のコツは知ってるか?」

「短期決戦、だろう。さっさと終わらせるとするか?」

「当然だ。余裕で勝って帰るってうちのメイドに言っちまったからな」


 全身に魔力を漲らせる。術式を起動させると、俺以外の全てがスローモーションの世界へ様変わり。


時星疾走アクセルトリガー


 小さく呟き、駆ける。

 魔物の上空にまで飛び上がって、その頃にようやく触手が動き出す。遅いんだよクソが。


 視界の端ではヴィクトルが再び懐に潜り込んでいるが、時界制御に追いつくあいつの速度はなんなんだマジで。


圧縮コンプレス星天燐タイムバースト!」


 握りしめた拳を、魔物の脳天目掛けて思いっきり振り下ろした。

 無限回に及ぶ時間を圧縮させた拳は、その気色悪い頭を弾けさせる。撒き散らされる緑色の血が地面に立つヴィクトルにぶっかかったが、皇帝陛下はそれに構わず身の丈以上の大剣を横に一閃。触手ごと胴体を真っ二つにして、漆黒の鎧はもはや黒い箇所の方が少ない。


「愉快なペイントだな。いい趣味してるじゃねえか」

「半分以上お前のせいだろ!」


 言い合いながら、攻撃の手は緩めない。再生の隙は与えない。

 再生速度が早いからなんだ。それより更に早く、速く、疾く、こいつを殺し切ればいい。

 手数と速度で圧倒すればいい。


 そうして肉片のひとつたりとも残さないとばかりに、拳とナイフを振り回している時だった。


「ガルム、避けろ!」


 声が聞こえた時にはすでに遅い。

 攻撃されたと気がついたのは、俺の体が吹き飛ばされた後だった。酸性雨をものともしない木々を幾つもへし折り、何メートル突き放されてしまったか。

 遠くに見える再生した巨体。左半身に鈍い痛みがあって、血が流れる。


 見えなかった。攻撃の起こりすら。今の、固有魔法を発動させた状態の俺が?


 軽く脳震盪を起こしているのか、思考がまとまらない。攻撃されたのは分かるが、なにに攻撃された? 夥しい数の触手は殆ど削っていたのに。


「クソっ、思ったよりダメージが……!」


 立ち上がるが、体がふらつく。骨が折れてるわけじゃなさそうなのが幸いか。

 遠目に見えるヴィクトルは、先ほどまでとは一転変わって、防戦一方になっていた。ダメージで固有魔法が切れた俺では目視することすら敵わない、超高速の戦闘。ヴィクトルのそれはまだしも、あの触手がその速度で動いている。


「ガルム、無事か! 無事だな⁉︎」

「問題ない!」


 未だ痛みの残る体に鞭打って、即座に戦線復帰。固有魔法を発動し直してなお速いと感じる触手とヴィクトルの動きに、割って入る形でナイフを振るい触手を斬り落とす。


「仕切り直しだヴィクトル!」

「策は!」

「んなもんねえよ!」


 一度距離を空けるが、追撃は来ない。

 さて、時間は昼間、空気中には人を殺すのに十分すぎる毒が蔓延していて、空からは酸性雨。


 どうするかね、この状況。

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