第26話 氾濫

 レオナルドとの決闘まで、あと二日。

 刻一刻とその時が迫っている中、学園は当然のようにその話題で持ちきりだ。どちらが勝つかの賭けまで横行しているらしく、もちろん俺に賭けるような酔狂な奴はそういない。


 そうして生徒たちは不意に訪れたイベントに騒然としてるが、当の俺はというと、いつも通りの朝を迎えていた。

 入学前からのルーティンであるランニングを済ませ、シャワーを浴びて朝飯を食ったら登校。学生寮から校舎までは徒歩五分。周囲の視線が多少気になりつつ、でかいあくびをしながら歩いていると、後方から声がかかった。


「緊張感のない男ね。もう明後日なのだから、もう少し締まりのある顔をしたら?」

「バカ、めっちゃ緊張してるっての。今までの人生で見せ物にされることなんざなかったからな。繊細な俺の心臓は今からバクバクだわ」


 冷涼な声を贅沢な目覚ましがわりに、眠気はどこかへ吹っ飛んだ。振り返った先に立っているルナーリアは、今日もいつも通りにキリッとした無表情。


「そう? あなたの人生は見せ物にちょうどいいと思うけれど。いい喜劇になりそうじゃない」

「人の人生をコメディ扱いしないでくれますかね。いや、あながち間違ってもないけど」

「そこで否定しきれない時点で、あなたの心臓は間違いなく毛まみれよ」


 隣に並んだルナーリアとともに、校舎へ向けて歩き出す。すると当然とばかりにこちらへの視線も増えて、ヒソヒソとなにやら内緒話している気配も。


 果たしてどんなことを噂されてるのやら。拾おうと思えば拾えるが、悪口とか言われてたら凹むのでやめとく。俺は繊細なので。


「それで、情報収集は捗ってる?」


 声を低く潜めて尋ねてくるルナーリアには悪いが、その質問には首を横に降らざるを得ない。


「いんや、リリのやつも特に何も言ってこないし、今のところ使えるようなもんはないんだろ」

「そう……エルフ女王国動きがないのは不気味ね。帝国に対して声明もないのでしょう?」

「ない。完全に勝手にやってる感じだ」


 軍や城の方では、エルフ女王国とクリフォトが今回の件にどこまで絡んでいるのかを調べてくれている。リリ経由で報告するように言われてるが、そのリリからは音沙汰なし。

 今のところは現場の俺たちでどうにかするしかないということだ。


 レオナルド個人やフリーデン家については、頼りになる友人たちのおかげである程度見えて来たものがある。

 だが、それだけじゃ足りない。各々の思惑も、クリフォトがどこまで関わって来ているのかも。そこが最も肝心だというのに。


「あの男が学園の内通者って線は?」

「レオナルドが、か……ないとは言えないが、可能性は低いだろ。いくら三年とはいえ、一年の校外学習の内容まで知ることは出来ないはずだ」


 それこそ、生徒会なんかだと話は違うのだろうけど、レオナルドは生徒会長との不仲説が出るほどだ。


 しかし、問題が次々に積み上がっていくな……内通者の件も片付いてない上、クリフォトの息が掛かったエルフ女王国一部過激派からの刺客も、なぜか最近は現れないし。

 刺客が来なければ夜に仕事をしなくてもいいから楽ではあるが、その理由が分からないとなれば、そんなことも言っていられない。


「あなた、上司からはなんて言われてるのよ」

「決闘の件か? それなら、ぶちのめして来いって言われてるぜ」

「それも変な話ね」


 ルナーリアもそう思うか。やっぱなんかおかしいよな。

 いくら決闘に乗せているのがルナーリア自身とはいえ、相手は連合王国重鎮の息子。高度に政治的な駆け引きとやらがあってもおかしくないし、なにより軍上層部からしたら、俺の正体が露見する恐れのあることは避けたいはずなのに。


 もちろん、決闘を止められるよりはいい。素直にルナーリアとレオナルドの婚約を認めろと言われても、俺はノーを突きつける。

 しかし、あっさりゴーサインが出てしまうと、それはそれで不審なものを感じずにはいられない。


「ま、情報不足なんて俺にとっちゃいつものことだからな。混沌の森で遊ぶときに比べちゃ楽なもんだ」

「比べる対象がおかしいのよ」


 銀髪エルフさんのため息を最後に、内緒話はおしまい。

 背後から歩み寄ってくる気配にはお互い気づいている。揃って振り返った先には、憎たらしい笑みを浮かべた先輩殿が。


「これはこれはご両人。朝から会えるとは実に幸運だ。今日はいい一日になりそうじゃないか」

「そいつは良かったっすね。こっちは最悪の一日になりそうでテンションダダ下がりっすよ」


 迷いなく近寄って来るレオナルド。その行く手を遮るようにして、俺はルナーリアの前に出る。

 当然ながらルナーリアを庇う必要なんてかけらもないのだけど。この芝居がかった先輩を彼女に近づけさせるのは、なんとなく腹が立つから。


「健気な番犬だな。牙は研いでいるようでなによりだよ」

「そういうのいいんで、何の用っすかね」


 釣れなく返すと、大仰に肩を竦めてみせる。こんな朝からわざわざ声をかけてきたのだ。

 果たしてどんな目的があるのかと警戒していると、レオナルドはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その視線が向けられる先は、ルナーリアではなくなぜか俺。


「なに、決闘の件はあるが、同じ学園の後輩と親睦を深めようと思うのはおかしなことじゃあないだろう?」

「その決闘の件があるからおかしなことなんだろうが」

「ハハハッ! それはその通りだ!」


 声音や表情の動きを見るに、他意は感じられない。まさか、本当に親睦を深めにきただけ? いや、こいつも連合王国重鎮の息子だ。権謀術数の政界で揉まれた腹黒さだって持ち合わせてるはず。

 だが少なくとも、俺が見る限りは言葉以上の意味を読み取れない。


 考えつつ警戒も解かずにいれば、レオナルドは俺の隣に立って、あろうことか肩を組んできた。


「しかし、貴様と仲良くしたいのは本音さ、番犬くん。なにせこの学園には、貴様を始め優秀な者ばかりが集まっている。孟母三遷の教えと言うだろう? 俺もその環境の一部として、良き先輩であり後輩たちを良き方向に導いてやりたいのさ」

「いや、俺より優秀なやつは他に山ほどいるでしょうに」

「それだけではないとも。なにせ同じ女性に惚れたのだ、語り合いたいことは十や二十じゃあ済まないとも」

「惚れ……まずはその番犬くんって呼び方、やめてもらっていいっすかね? 俺にはガルム・フェルディナントって名前があるんすわ」

「それは失敬!」


 まあ、たしかに? 銀髪クーデレエルフについて語らせたら俺の右に出るものはいないし、ルナーリアについて語らせたらそれこそ十日や二十日で終わる気がしないけれど──。


 いや、いやいや。それはキモいな。流石の俺でもわかる。特定の個人について十日も語り続けるのは普通にキモい。


「はぁ……」

「どうしたフェルディナント後輩。ため息を吐くと幸せが逃げるぞ?」

「ええ、そうでしょうね。現在絶賛幸せが遠のいていってますよ」


 チラと視線をやると、ルナーリアは俺たちから距離を取っていた。絶妙に俺たちは他人だとアピールするような距離。シラっとした目はゴミを見るそれだ。泣きそう。


「ククッ、後輩を揶揄うのはこのあたりにしておこうか。ルナーリア嬢


 と、そこで。肩を組んでいるレオナルドの手先が、僅かに動く。それを見逃す俺ではないが、しかし俺たちを遠巻きに見ている野次馬には気づかれない、ほんの些細な動き。


「では、俺は先に行くとしよう。明後日の決闘、楽しみにしているよ」


 颯爽と去っていくレオナルドは、俺の制服の胸ポケットにノートの切れ端を入れていた。

 なるほど、本来の目的はこいつだったのだろう。誰にも気づかれることなく、秘密裏に俺へ、あるいは俺を経由して誰かへ、伝えたいことがあった。


 野次馬たちがある程度散っていくのを見て、ノートの切れ端を取り出す。


「なんて書いてるの?」

「……っ」


 ひょこりと俺の手元を覗き込んできたルナーリアの顔が近くて、仰け反りそうになる。

 マジでたまに距離感バグるのなんなんですかこの子。


 顔が赤くならないよう必死に自制しつつ、折り畳まれたそれを開けば。


『決闘当日、生命の樹は反転する。剪定の準備を』


「なにこれ?」


 小首を傾げるルナーリアは可愛いが、彼女が疑問符を浮かべたのは、なにも書いてあることの意味が分からないからではない。

 そもそも、なんと書いてあるのかが読めないからだ。


「悪いルナーリア、俺早退するわ」

「は? そもそもまだ登校すらしていないのだから、早退ではなく欠席というのよ。いえ、そうではなくて。、と考えていいのかしら?」

「話が早くて助かる。担任には言っといてくれ」

「分かったわ」


 足早に来た道を引き返す。

 レオナルドが寄越したノートの切れ端。そこに書かれている文字をルナーリアが読めないのは当然だ。


 なにせそれは、はっきりと日本語で書かれていたのだから。

 しかもテオール山で見つけたような、拙い書き方ではない。明らかに、書き慣れた筆跡だった。


 ここで結論を出すのは早計だ。まだ色々と分からないことも多いのだから。


「仕事増やしやがって、クソイケメンが。明後日は絶対ボコボコにしてやる」


 寮には戻らず、学園の敷地を出て屋敷へ足を向ける。

 駆け足で辿り着いた我が家の門扉。その前に、メイドのサラが立っていた。いつもの無表情には僅かな焦りが見られる。


「旦那様、ちょうどいいタイミングに。今からそちらへ迎えに行こうと思っていたところです」

「なにがあった?」


 あの、常に無表情のクールなサラが、目に見えて焦っている。厄介事どころじゃない、とんでもない大事件が起きている証拠だ。


 しかしてその小さな口から放たれたのは、俺を絶句させるのに十分な言葉で。


「たった今、混沌の森で魔物の氾濫が起こりました。確認された神災級は二体。ただいまリリウム殿下が対応中です。急ぎ現場へ向かってください」



 ◆



 いつもならそろそろ、寮を出て登校してる頃だろうか。


 背後から襲いかかってきた一つ目の巨人、災害級魔物のサイクロプスにノールックで魔力砲撃を叩き込みながら、ふとそんなことを考える。


 せっかく昨日までは無遅刻無欠席だったのにな。もし学校に通えるくらい元気になったら、絶対皆勤賞を取るのが夢だったのに。現実は上手くいかないや。

 ガルムじゃないけど、仕事というものに嫌気が差しちゃう。


「副隊長、無事ですか!」


 サイクロプスの出現を目視していたのだろう。わたしと隊長が不在の間に部隊を任せていた、ドーベル・ブライアン中尉が駆け寄ってくる。


 たしかにサイクロプスは災害級の魔物でも上位に位置するけど、ここは混沌の森だ。そもそも出てくる魔物のボーダーラインは災害級で、天災級だってその辺をうろついてる。


「問題ありません。隊の損耗は?」

「軽微です。多少ダメージはありますが、全員戦闘続行可能。しかし、ブラボー分隊は弾の消費が激しいようです」

「無理はさせられませんね。ブラボーは下がって補給を。他の隊は引き続きいつも通りに」

見敵必殺サーチ&デストロイ、ですね」

「無理なく程々、命大事に仕事はクソだと叫びながら、ですよブライアン中尉」

「ははっ、そうでしたね。魔物なんぞに殺されたら、隊長に怒られてしまう」


 笑いながら自分が率いる分隊の元へ戻った中尉。その背中を見送って、ため息が漏れそうなのを我慢する。

 上の人間がそんな姿を見せたらダメ。


 わたしは誰? アルカンシェル帝国第一皇女で、第416特別攻撃部隊副隊長で、S級七位の《聖皇女》だ。

 この肩には、沢山の責任と、沢山の期待と、沢山の命が乗っている。


 気を引き締めなおせ、リリウム・アルカンシェル。今のわたしは、病院で寝たきりのなにもできない無力な少女じゃないのだから。


「よしっ」


 もはやルーティンと化した内心での自問自答は、きっとガルムにバレたら呆れられるんだろうな。仕事なんて適当でいい、ってそれこそ適当なことを言うかも。


 ポニーテールを一度解き結び直しながら、周囲の魔力を探る。下がらせたブラボー分隊以外の四つの隊は、どこも苦戦しているような気配はない。いつも通り、元気に魔物を殲滅してくれている。

 でも、やっぱり物資の消費が激しいかな。ある程度想定していたとは言え、もう補給が必要になるのは予想外だった。


 そもそも、どうしてわたしが毎日楽しみにしてる学園を休んでまで、混沌の森に来て仕事をしているのか。

 それは昨日の夜、寝る前に届いた軍の命令が理由だ。


 混沌の森にて、魔物の動きに異変あり。至急調査を開始せよ。


 正直、最初は疑った。なんだこの命令書は、と。混沌の森の魔物に異変? いやいや、まともだったことの方が少ないだろう、あの森の魔物は。

 強いて言うなら、魔物はそれぞれ自分のテリトリーから出ないのが唯一まともだと言えるけど。それだって、この森の環境を考えれば当然の話。


 けれど実際調査に来てみて、軍の言いたいことがよくわかった。


「サイクロプスは災害級上位、本来ならこんな浅い場所には出てこない……」


 その唯一まともだったところに、異変が起きているのだ。

 ここはまだ混沌の森浅層。なんなら、足を踏み入れて三十分と経たない場所だ。いくら悪意と害意と殺意の塊たる混沌の森とはいえ、こんな場所まで狂ったような環境になっているわけではない。ここはまだ、魔力濃度がバカ高いだけで普通の森と変わらないのだから。


 そんな場所に、普段は中層以降で見かける魔物が出た。おまけにこの森での行動に慣れてるはずの部隊が、弾薬不足に陥る。


「各隊、出現した魔物の報告を」


 通信機を手に取り各隊長へ飛ばせば、順番に答えが返ってくる。


『こちらアルファ。災害級上位のストーンドラゴンを討伐済み。現在二体目と遭遇、戦闘中です』

『ブラボー、ヘルケルベロスの群れと遭遇しました。結果はご存じの通りかと』

『チャーリー分隊、索敵範囲内に天災級ミスリルゴーレムを発見してます』

『デルタは未だ接敵なし。帰っていいっすか?』

『エコーより親愛なる皇女殿下。こちらは災害級上位の魔物を五体討伐済み。ファントムロードが二体、インフェルノが二体、デュラハンが一体です。討伐数は我が隊がトップのようですね』


 煽ったようにも聞こえるエコー分隊隊長の言葉に、各隊長たちが騒ぎ出す。軍隊としては問題あるかもしれないけど、相変わらず賑やかで、いい意味で緊張感も感じられない。


 騒いでる隊長たちの声を適当に聞き流しながら、思考を巡らせる。

 ここが浅層である点を除けば、概ね方角は合ってるか。それぞれの隊がいる場所から先へ向かえば、報告にあった魔物たちの分布域にたどり着く。

 問題は、デルタ分隊が未だに接敵なしという点。現在最も中層に近いのがデルタだから、彼らが最も魔物と遭遇していると思っていたのだけど。


 ふと、一つの可能性に思い至る。

 だがすぐに首を横に振った。だって、混沌の森では起こり得ない。帝国の学者たちが揃ってそう結論づけたはず。


 だからあり得ないはずなのに、嫌な予感は止まらなくて。


 瞬間、背筋に悪寒が走った。


「全隊退避!! 今すぐに森から出なさい!」


 通信機は向けて悲鳴にも似た叫びを向け、遅れて遠くから爆発が。

 あの方角は、ブライアン中尉のアルファ分隊が向かっていた。


破軍虹魔アルカンシェル!」


 判断は迷わない。全身に強化をかけて、全速力で爆心地へ。十秒とかからず辿り着いたそこでは、愛すべきバカな部下たちが倒れていて。


「ブライアン中尉! なにがあったか報告を!」


 地に伏す部隊長に駆け寄る。意識はある。命に別状はない。ガルムの酷い……もとい厳しい訓練のおかげだ。

 中尉は森の奥、中層の方を指差して、苦しそうな声で報告する。


「これは……」

「ブレスです、副隊長……推定神災級の、おそらくはドラゴンでしょう……我々の索敵範囲外からの、超遠距離で……」


 指差したその先は、一直線に森の木が吹き飛んでいる。地面が抉られ道ができ、先ほどの悪寒の正体が、神災級特有の魔力が感じられる。


 ごくりと、生唾を飲んだ。

 さっき思いついた可能性が、現実になってしまっているかもしれない。


「このまま全員本部に送ります。その際に報告を。混沌の森にて魔物の氾濫が発生、神災級が少なくとも二体は出現したと」

「は……は? 氾濫、ですか……?」

「ええそうです。混沌の森で、あり得るはずのない魔物の氾濫が起きてます」


 魔物の氾濫。

 文字通り、普段は自分の縄張りを持ってるのが魔物だけど、その縄張りを飛び出し大量の波となって襲ってくる現象。

 その原因ははっきりしてる。神災級の魔物二体以上が、一定の距離まで接近した時に起こるのだ。

 自分よりも強い力を持った相手から逃げるようにして、付近の魔物が大移動を始める。そうして起こるのが氾濫。


 だからこそ、混沌の森では起こるはずなんてないのに。


「わたしが食い止めるから、S級を二人、可能なら三人以上送って」

「しかし殿下……」

「これは命令! 復唱しなさいドーベル・ブライアン中尉!」

「はっ! 我々は本部へ撤退、魔物の氾濫が起きたと報告の後、S級冒険者をこちらへ派遣します! ……ご無事で、殿下」


 部下たちを次元の穴で軍本部へ送る。

 厳しいなぁ……神災級二体に、災害級がボーダーの氾濫。この際、災害級と天災級は無視しちゃうとして、それでも神災級二体以上か……しかも混沌の森で。アルファ分隊を襲った相手はドラゴンだし。神災級のドラゴンといえば、片手で数えるほどしかいない。唯一の救いは、ドラゴンがいると思われるエリアは混沌の森中層の灼熱エリア。ただちょっと、人が耐えられるようなものじゃないくらいに、気温が高いだけ。いや、これ救いになってる?


「とにかく行かなきゃ」


 大丈夫、わたしはS級七位だ。星と運命の女神フォルステラの娘だ。わたしは強い、だから大丈夫。


 一直線に伸びてるブレスの跡を辿って、森の奥へと進む。中層に入ると、急に温度が上がった。さっきまでは普通だったのに、数リットルの水なら秒で蒸発させてしまうほどの。

 それなのに森の草木は燃えることもなく、変わらず屹立している。


 これが混沌の森。物理法則も、自然界の法則も、なにもかもが通用しない、まさしく混沌の名に相応しい環境。


 当然、その環境だけが敵じゃない。普段なら深層から出てこないような魔物たちがうじゃうじゃと、浅層へ、その先の森の外へ向けて、まるで津波のような大移動を始めている。


「邪魔だなぁ!」


 その一部へ向けて、魔力砲撃を放った。

 一瞬津波が割れて、その隙間を駆け抜ける。それを魔物の群れの中で繰り返すこと三度。思いの外簡単に波を抜け出して、辿り着いた先にいたのは十メートルは下らない巨体の竜。


 逞しい四つの足で立ち、大きな翼を広げている様は、ただそうしているだけでとんでもない威圧を放っている。気を抜けば飲み込まれそう。

 縦に開かれた瞳孔は、間違いなくわたしを睨んでいる。敵だと認識されている。


 もう一体は、この場にいない。まだもう少し奥かな。


「エンシェントドラゴン……神災級でも最高位に近いじゃん……」


 思わず苦笑してしまうのは、脳が状況を理解することを拒絶しているからか。

 はるか古代から生きていると言われるドラゴン。目撃数は僅か二件。その内後に目撃された方は、今から二百年も前だと言われている。


 ドラゴンはその種別に限らず、全てが災害級以上にランクされている。そのドラゴンが、長い年月を経て力を増し、それが数千年にも及んだ結果、エンシェントドラゴンへと進化する、らしい。わたしも文献を読んだだけだし、なにせ目撃例が少なすぎて詳しくは分かってない。


「ここにいるってことは、炎系統のドラゴンかな?」


 メガネを投げ捨て髪を解く。いつまでも堅苦しい軍人スタイルでいる必要もない。ここには部下も、クラスメイトも、貴族たちもいない。わたしが『わたし』を被る必要もない。


 そして予想通り、竜の口端から炎が漏れ出していた。ブレスが来る……!


「……っ!」


 瞬時の判断で次元を渡り上空へ回避。さっきまで立っていた場所は、灼熱の息吹に襲われていた。あのままボーッとしてたら美少女の丸焼きが出来上がりだった。危ない危ない。


流星虹魔アルカンシェル!」


 小手調べに降らせる砲撃の雨。鬱陶しそうに翼を一振りしたドラゴン。その余波で、ここまで熱が届く。空気が焼ける。魔力で全身に膜を張っていないと、一瞬で焼き殺されそうだ。いや、それでもチリチリと肌が焼けていく感覚がある。


「毎日肌の手入れ欠かしてないのに! 無駄になっちゃうじゃんか!」


 身体強化、魔力吸収、未来視を全開に。

 次元を渡り懐まで潜り込んで、紛れもなく全力のご無事を固い鱗へ叩きつけた。


「■■■■■■■■■■!!!!」


 上がる絶叫。吹き飛ぶ巨体。鱗は割れて、確実にダメージは入っているけど。


 追撃の魔力砲撃を放てば、竜は空へ飛び上がり回避する。与えたダメージはすでに回復していて、割れたはずの鱗も元通り。

 だけど、しっかり予測通りの未来だ。


「これはルナーリアじゃ勝てないかもね」

「誰が誰に勝てないって?」


 背中に、声と共に冷気が届く。

 この灼熱の、地獄のような場所で、最も程遠い冷気が。


 宙へ伸びるのは氷のイバラ。竜の片翼を絡め取り、地面へ叩き落とした。

 気温が下がる。灼熱が冷気に覆われ、氷の世界へと変貌していく。


氷華銀葬ブランシュローズ!」


 それは、帝都郊外の森を一瞬で銀世界へ変えた魔法。

 世界を凍らす神の力。


 振り返った先にいた銀髪のエルフは、到着したばかりなのに、すでにわたしより疲れていて。


「こういう時、普通は白馬の王子様が助けに来てくれるもんじゃないんだ」

「はぁ……はぁ……ったく、無駄口叩けるくらいなら、心配する必要はなかったわね」

「へー、心配してくれたの〜?」

「言葉の綾よ。ふぅ……」


 息を整えたルナーリアは、両手に氷の剣を持つ。その強い意志を秘めた空色の瞳は、鋭く竜を見据えていて。

 その姿を頼もしく思いながら、隣に立った。


「ガルムは?」

「もう一体の方に向かったわ。残念ながら、近場ですぐに来れるS級は私たちだけ。私とあなたで、あれを倒す。文句があるなら聞くだけ聞いてあげるけれど」

「まさか。二人がかりで勝てなかったら、ガルムに笑われるよ」

「違いないわね」


 S級一人で死闘、二人でも苦戦して、三人いても確実に勝てるとは言えない。

 それが神災級。ましてやエンシェントドラゴンは、神災級の中でも最上位。六位と七位の二人がかりで勝てる相手じゃないけど。


「余裕で勝とうか、ルナーリア」

「足は引っ張らないでよ、アルカンシェル」


 ガルムが、わたしの英雄が、この場をわたしたちに任せてくれたんだ。

 だったらわたしは、負ける気がしない。

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