第16話

 美しいと、ただただそう思った。


 月の灯りと星の煌めきを受けて輝く、その銀の髪が。

 夜の暗闇にあって、煌々と放たれる魔力が。

 空から降ってきた直剣を肩に担ぎ、敵を睨め付けるその横顔が。


 不覚にも、見惚れてしまった。


 ああ、本当に不覚と言わざるを得ない。

 忌々しいはずの銀に。

 腹立たしい性格をしているこの男に。


 目を、奪われてしまうなんて。


「休んでていいよ、ルナーリア」


 私の傷を治してくれたアルカンシェルは、完全に警戒を解いていた。あれだけ練り上げられていた膨大すぎる魔力すら雲散霧消させて、挙句座り込んでしまう始末。


「休んでてって……あなた、あれの脅威が分かってないわけじゃないでしょう? 下手をすれば神災級の魔物に匹敵するわよ⁉︎」


 同族の男が変化したあの魔人からは、目の前の皇女や私にも劣らない魔力を持っている。ガルムとの激突を見る限り、身体能力も相当なもので、当然のように再生能力も持っているだろう。


 神災級とは、S級ソロであっても苦戦するような魔物だ。

 一人なら死闘、二人いて苦戦、三人いても余裕なわけではなく、気を抜けば誰かが死んでもおかしくないような。


 それが、神災級。

 神の災害と揶揄される魔物。


 そこにいる魔人は、どれだけ少なく見積もってもそれと同等。先日のオーガキングなんて比べるべくもない。


 その脅威は、私と同じS級のアルカンシェルも理解しているはずだ。なのに。


「心配しすぎだよ。あの人を誰だと思ってるの? S級三位の 《時喰み》ガルムだよ?」


 S級の順位は、純粋な実力だけで決められるわけじゃない。神災級の討伐数を始めとした、冒険者としての実績で決められる。

 実際、私とアルカンシェルの間にそこまでの実力差はなく、それでも長く冒険者として活動してきた私の方が順位は上だ。


 ただし、三位以上はその例に沿わない。

 四位と三位の間には、どうしようもないほどの実力差がある。

 冒険者の間では有名な話だ。


「だからって……!」

「うーん、これは意外と脈アリなのかな……? いやでもまさか、あのガルムだしなぁ……」


 ぶつぶつと呟く独り言の意味は分からなかったけれど、この女じゃ話にならない。

 アルカンシェルを無視して一歩足を踏み出し。けれど。

 二歩目は、出なかった。


「え──?」


 ガルムが消えた。

 いや、違う。彼は敵の懐まで潜り込んで、既に剣を振り切っている。


 袈裟にかけて斬り裂かれた魔人の体からは、青緑の血が噴き出す。恐らく敵も何が起きたのかわかっていないのだろう。


 目で追えなかった。

 彼の魔法は知っている。本人が時界制御と呼ぶそれは、時間の圧縮や並行同位体の並列展開を可能とする魔法だ。


 圧縮することで速度や一撃の威力を高める。単純な身体強化よりも余程強化されるそれは、それでも目で追えていた。

 アルカンシェルの固有魔法のように、次元を移動するわけでもなく、亜空間に身を移すわけでもないから。


 なのに今のガルム動きは、全く見えなかった。

 本当に消えたとしか思えない。

 魔法にしてもなんにしても、あらゆる動作にはがあるはずなのに。それすら、認識できなかった。


 呆けている私の耳に、胡座をかいた皇女の声が届く。


「私たちの英雄を過小評価しすぎだよ、お姫様。夜は、フェンリルの時間なんだから」



 ◆



 体を袈裟に斬り裂かれた怪人が、驚愕に染まった目で俺を見下ろす。再生は始まらず、気色悪い青緑の血液がボタボタと大量に落ちていく。


『なにガ、起キて……⁉︎』

「教えるわけねえだろ」


 距離を取る怪人だが、もっと離れなくてもいいのかよ。


「そこはまだ、俺の間合いだぜ?」

『ガァッッッ!』


 右腕を斬り飛ばす。

 傍目から見たら、誰も俺が剣を振るったところなんて見えなかっただろう。

 気がつけば剣を振り切っていて、怪人の長い右腕が地面に転がっている。


 背後からも困惑する気配が届くが、まあ、初見で見破られるようなもんでもない。


『オノれ……! 認めラレるか、こンなこトが!』

「へえ……?」


 斬り飛ばした右腕の切断面から、無数の触手が生えてきた。気持ち悪いことこの上ないが、厄介なものではあるのだろう。

 一本一本が独立しているのか、蛇のようにうねり多方向から襲いかかってくる。


 だがまあ、全て無駄だ。

 これまでと同じことを繰り返すだけ。


 動作そのものは誰にも視認できず、ただ俺が剣を振って、触手を全て斬り落としたという結果だけが現れる。


「で、終わりか?」

『舐めルナァァァァ!』


 今度は背中からも触手が出てくるが、先端部分が鋭く尖り、どういう原理か高速に回転を始める。

 ほう、ドリルか。いい趣味してんじゃん。


 迂闊に接近するのはマズイとでも思ってるのか、さらに後退しながらも触手だけはこちらへ差し向けてくる。


「芸のないやつだな。触手それ以外になにかないのかよ」


 高速回転してようが関係ない。また同じ。触手が斬り落とされ、青緑の血が舞う。

 魔力も身体能力も再生能力も、たしかに神災級並ではあるけど。言ってしまえばそれだけだ。特異な能力もなく、本物に比べると数段劣る。


 それでも、神災級並ではあるのだ。昼間の俺なら、ここまで余裕の立ち回りはできない。


『これなラどうダ!』


 斬り落として地面に散らばる触手が、ひとりでに動き出す。ほう、遠隔操作か。前言撤回。これは中々見ない能力だな。うんうん、十分特異で気持ち悪い能力だよ。


「学習しないやつだな、オイ」


 所詮気持ち悪いだけだ。遠隔操作したからそれがなんだと言うのか。

 不意打ちとしてはたしかに有効なのだろうけど、相手が悪すぎるんだよ。


 三度同じ現象を目にすれば、さすがにある程度推測が立ったのか。

 そういうことか、と小さく呟く怪人は、攻撃の手を止める。


『貴様、アのフェンリルか……! 忌々しイ売女の加護ヲ受けタ、伝説の一族……!《時喰み》か!!』

「気づくのが遅えよクソ野郎」


 バレたようなので、この辺りでネタバラシ。

 と言っても、特別なことはしてない。結局は今までと同じ、時界制御の延長でしかないのだ。


 ただ、夜になるとその制御範囲が広がるというだけで。


 なぜ俺が、時喰みなんて大仰な二つ名で呼ばれているのか。その二つ名こそが答えだ。


 時を喰らう。


 要するに、過程時間を吹っ飛ばして結果だけを持ってくる。ただそれだけだ。

 皇女殿下は因果律の操作だなんだと言っていたが、大袈裟な言い方をすればそういうことになるのだろう。


 剣を振るうという過程を飛ばして、相手を斬るという結果だけが現実に表出する。

 俺がそうしようと思った時にはもうすでに、剣は振り切った後だし、相手は斬られた後だ。


 この怪人が再生できないのも、その応用。

 いくら一瞬で傷が治るほどの再生能力だろうと、そこにはたしかに過程時間が存在する。そいつを喰って、ただし結果を現出させない。ただ時を消し飛ばすだけ。


 これが俺の固有魔法の真価だ。

 同族のフェンリルの中でも、俺だけに許された特権。そもそも、いくらフォルステラ様の加護を受けてると言っても、普段の時界制御ですら俺にしか使いないのだが。


「さて、俺の固有魔法に自力で辿り着いたことは褒めてやるが、ここからどうするつもりだ? 俺としちゃ素直に投降して全部ゲロっちまうことを勧めるぜ」

『ぬかセ! 誰が帝国なゾに降ルモのか!』

「予想通りの反応をどうもありがとう。しかし、だったらどうするかねぇ」


 可能であれば生け捕りにしたい。情報部の方に引き渡して、尋問なり拷問なりにかければいくらでも情報を吐かせられるだろう。


 しかし、しかしだ。

 こいつはひとつ、決して許されない発言をした。


「ところでお前、さっきは随分と面白いことを言ってたな。一体、誰を指して、売女だなんて言いやがった?」

『ヒッ……』


 怪人が、神災級と同等の力を持つほどのやつが、恐怖で怯えている。情けなくも短く悲鳴を上げて、数歩後退りする。


 ルナーリアを狙うことも、学園の平穏を乱すことも、俺の仕事を増やすこともどれも許せない。許せないが、まあこの際置いておこう。


 だがこいつは、あの女神ひとを売女呼ばわりしやがった。


 それだけは、百万回殺してもお釣りが来る。


「よく見とけよ、ルナーリア。神域魔法ってのは、こう使うんだ」


 背後に声をかけて、剣を胸元に掲げた。

 刀身が淡く輝き始める。それはただの輝きではない。この空に遍く浮かび上がる、星々の輝きだ。


「星と運命の女神フォルステラに願い奉る。この身が喰らうは時の歯車。我が道を照らす輝きよ、運命を切り裂くべく剣に宿れ」


 詠唱。あるいは、祝詞。

 神の加護を受け、神の力を振るう神域魔法。その全力解放に必要不可欠なプロセス。

 今のルナーリアでは、神を憎む彼女ではまず不可能な使い方。


「振るうは七耀の星。終わりへ誘う七星剣。拒絶せよ、忘却せよ。其の運命をこの手の内に」


 掲げた剣の輝きが増す。

 無造作に一歩踏み出して、次の瞬間には怪人の懐へ。


七星天燐タイムバースト死焉アルコル


 振るわれた剣は、怪人に外傷を作らない。血の一滴も出さず、しかし確実に、その命を刈り取っている。


『なン……だ、これハ⁉︎ 痛みモ、苦シみもナいのにッ……!』

「終わりへ向かう感覚だけはあるか? ああそうだろうよ。こいつは、そういう魔法だからな」


 怪人の体が、端から徐々に消えていく。

 存在そのものが消失していく。その肉体に蓄積された時を、あるいはこれから先の未来で蓄積されるはずの時を喰らい、強制的に終わりを齎す。

 敵の運命を強制的に決定づける力。


『こンナ、コんナことが、許さレるわけがナいッ! 人族の身デ、こノ様な神ノ権能を使ウなど!』

「テメェの許しなんぞ必要ねえよ」


 その神が許すのなら、他の誰の許しも必要ない。それが神域魔法だ。


『ダが、調子に乗るナよフェンリル! 私が倒さレたトころで、我が教団ハなにも諦めなイ! 我らガ奉じル神を降臨さセるため、《銀の巫女》は必ず、教団の手ニ──』


 なにやら気になることを言い残して、怪人は完全に塵となって消えていった。


 ちくしょう、最後の最後に面倒なこと口走りやがって。

 なんだよ銀の巫女って。悪魔崇拝者だとは思ってたけど、なんでそこにルナーリアが絡んできやがるんだよ。


「……死体くらいは残しとくべきだったかなぁ」


 あとでまとめる報告書のことを考えて、めちゃくちゃ憂鬱になってしまった。こりゃ後で情報部のお偉いさんに詰められるな。



 ◆



 およそ戦闘と呼べるものじゃなかった。

 それほどまでに一方的で、圧倒的で。

 ただただ、害虫を駆除するかのように、淡々と。


 あれが、神域魔法。

 人の身にありながら振るわれる、人ならざる力。


 同じはずだ。私も、同じカテゴリの魔法を使えるはずだ。

 なのに彼と私の間には、埋めようのない差があるのは、なぜ?


「よう、終わったぜお姫様方」

「さすがガルム、って言いたい所だけど、せめて死体くらいは残しといてよ」

「だよなぁ。まあでも、最後にめんどくさそうなこと言ってやがったし、収穫ゼロってわけじゃないからいいんじゃね?」

「そういう問題じゃないの!」


 今は二人の声も遠く聞こえる。

 私があの領域まで登り詰めるのは、果たして可能なのだろうか。

 強くなりたいと、もうなにも失わないためにひとりで足掻いてきたけれど。


 自らの生まれと運命を。

 神を憎んで生きてきた私に──


「どうしたルナーリア、俺があまりにもカッコよくて見惚れちまったか?」


 かけられた声に、ハッと思考の海から浮上する。

 私を見下ろす銀の彼。その背に月と星を浮かばせて。無駄にドヤ顔なのが少しムカついて、けれど、その言葉を完全に否定できない自分に、更に腹が立って。


「……バカ言わないで。考えなしなあなたに呆れていただけよ」

「えぇ、お前もかよ……仕方ないじゃん、あいつフォルステラ様を侮辱したんだぜ?」


 悩んでる暇はない。

 強く、なるんだ。ならなくちゃいけないんだ。

 だって、そうじゃないと。

 姉さんも、あの子も、赦してくれないから。

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