第14話 見上げた月に奪われて

 ルナーリアと二人森を駆け抜け、山の中腹へと出る。屹立していた木々が開けたその先は、岩肌が露出した荒野にも似ていた。


 そこで相対している、三人の生徒と巨躯の大熊。

 案の定というかなんというか。救難信号を出したのは、エリック・インソレンスと取り巻きの二人だった。


 その三人以外、つまり彼らの班員は姿が見えない。どうやら別行動中のようだ。


「ルナーリア、頼む!」

「いちいち言わなくても分かってるわよ!」


 走りながら、全長四メートルは下らない熊へと氷の茨が放たれる。

 茨は熊を包み込むように展開するが、人間二人分はあろうかという太い腕を振り回し、S級六位の魔法を殴り砕いていた。


 さすがは災害級と言ったところか。小手調べ程度の魔法は通用しない。


「おいバカども! 死にたくないならさっさと下がれ!」

「なっ……平民風情がエリック様に向かってバカだと⁉︎」

「バカはどちらだ! 身の程を弁えないやつめ!」

「弁えてないのはお前らだろうが!」

「ガルム!」


 災害級の熊、アストラルベアの意識がルナーリアへ逸れた一瞬のうちに、三人を庇える位置へ移動したのだが。それも本当に一瞬。アストラルベアは最初に見据えた獲物、エリックたちを逃す気はないらしく、こちらへ向けて大きな口を開いていた。


 そこに広がる魔法陣から、巨大な火球が放たれる。

 アストラルベアの特徴。それは多彩な魔法を扱えることにあり、そのどれもが災害級に相応しい高威力だ。いくらセレスティア魔法学園の生徒とはいえ、入学して一ヶ月の一年生では相手になるはずもない。


「クソがッ、圧縮コンプレス!」


 迷わず固有魔法を発動。腰の改造ホルスターから抜いた短剣で火球を斬り裂き、強く地を蹴る。俺以外の全てがスローとなった世界で大熊へと肉薄した。


星天燐タイムバースト!」


 頸部目掛けて短剣を振るう。時間を圧縮した一撃は、いくら災害級の魔物だろうが、であれば容易く屠れる。はずだった。


「こいつ……!」


 首を守るように広がる三重の防壁。

 俺の一撃を完全に防ぎ切れるものではないが、しかし威力を殺すには十分なそれ。

 結果としてアストラルベアの首は落とさず、巨体を大きく吹き飛ばすだけに終わってしまった。それでもダメージは大きく与えられただろうが、なによりも驚愕すべきは、俺のスピードに対応してきたことだ。


「おいおい、ただ速くなってるだけじゃねえんだぞ、こっちは」


 物理的なスピードではない。概念的、もっと言えば世界の法則そのものを操っている。いくらアストラルベアが巨体に似つかわしくない機敏さを持っていようと、簡単に追従できるようなものじゃないのだ。


「強いわね、あいつ」

「天災級に片足突っ込んでないか?」

「足手纏いを抱えたままだと面倒だけれど、どうする?」


 背後の三人をチラと見やり、ルナーリアが問いかけてくる。

 ごもっともではあるのだけど、当の本人たちはプライドが邪魔をするのか逃げようとしない。


「なぜだ、ガルム・フェルディナント……」

「あ?」


 三馬鹿のひとり、エリックが口を開いた。まるで信じられないものを見るような目と声音で。


「なぜ僕たちを庇う。貴様からすれば、僕たちは目障りでしかないはずだろ!」


 自覚はあったのかよ、こいつ。だったらいちいた突っかかってこないでもらいたいのだが。それこそ、貴族としてのプライドやらなんやらがあるんだろう。


「目障りだろうがなんだろうが、クラスメイトが殺されそうって時に指を咥えて見てるほど、俺はひとでなしになったわけじゃないんでね」


 生徒たちの平穏な生活を守るのが、軍人としての俺の任務だ。こんな場所でみすみす死なせてしまえば、救国の英雄の名が泣く。

 まあ、いくらでも泣かせておいていいんだけど、未来ある若者を見殺しにするのは違うだろ。


「……なら、せめて僕にも戦わせろ!」

「うるせえ邪魔だそこで黙って見てろ」


 マジで足手纏いでしかないので。

 ルナーリアが魔法陣を広げたのを見て、俺も再び駆け出す。今のやり取りのうちに、アストラルベアは体勢を整えていた。


冰剣絶華ブランシュローズ


 降り注ぐ氷の武具をアストラルベアは機敏に躱わす。だがその先に回り込んだ俺がやつの鼻先を蹴ってやれば、怯んだところで串刺し。

 だがそうはならず、魔力を通して強固になった体毛が氷の武具を防ぐ。


「硬いわね……もしかして……」

「なんか気づいたか⁉︎」

「もう少し見るわ」


 俺はその間こいつと殴り合えってことね。

 とは言え見ることに徹するわけでもなく、氷の武具は絶え間なく降り注いでいる。その隙を縫うように動き攻撃を加えるが、ルナーリアの魔法も通さなかったのだ。

 ただの強化しか施してない俺の攻撃がまともに通るはずもなく、最初の一撃以外にダメージを与えられていない。


「キリがねえなこれは……借りるぞルナーリア!」

「好きに使いなさい」

座標検索サーチ量子展開セット!」


 地面に突き刺さったままの、いくつもの氷の武具。それら全てを、複数人に分身したように見える俺が引き抜き、一斉に斬りかかった。


時界接続コネクト牙狼天燐タイムバースト!」


 あらゆる可能性を渡る不可避の攻撃。躱わす隙など寸分もないそれに、アストラルベアはまたしても防壁を展開することで対処しようとする。

 だが今度は無駄だ。ただでさえ得物はルナーリアの魔力で作り出したもの。一撃の威力そのものは先ほどと変わらない。それを複数同時に。

 いくらか防壁で威力を殺せたとしても、これだけの数を同時に受ければタダで済まない!


「……は?」


 結果から言えば、空振りに終わった。

 全方位同時攻撃、躱わす隙など寸分もないはずの魔法が。


「やっぱりっ! ガルム、下がりなさい! !」


 いつの間にか離れた位置に移動していたアストラルベアが、三つの魔法陣を展開している。放たれるのは青白い稲光。雷速で迫るそれを固有魔法でなんとか避けながら、ルナーリアの隣まで退がる。


「道理で、災害級にしては強いはずだ」

「一度退くわよ。これ以上はそこの三人が本格的に邪魔になるわ」


 裏に誰かいる。

 それはすなわち、学園に送り込まれた刺客と同じ、エルフ女王国の手の者であり、恐らくは先日の神災級出現にも絡んでるであろう敵。


 そんなやつと戦おうと言うのだ。戦闘の規模からしても、機密的な話にしても、エリックたちの前で戦うわけにはいかない。


「つっても、逃がしてくれると思うか?」

「こうすれば簡単よ」


 一歩、強く大地を踏みしめた。

 その動作だけで、ルナーリアの足元から大量の氷の茨が放たれる。先ほどのように敵を囲うようなものじゃない。相手を覆い尽くさんばかりの物量で、まるで津波のように。


「さすが 《白薔薇》」

「言ってないで行くわよ。ほら、あなたたちもさっさと立ちなさい」

「あ、ああ……」


 戦闘に圧倒されていたのか、へたり込んでいたエリックたちを立ち上がらせ、さっさとこの場から退散する。


 幸いアストラルベアが追ってくる様子はなく、麓の山に入って暫くしたところで足を止めた。俺とルナーリアはともかくとして、エリックたち三人のスタミナに限界が来たからだ。


「で、なんでお前はあんところにいたんだよ」


 膝に手をついているところ悪いが、そこは問いたださねばならない。

 今回の校外学習、中腹より上は侵入禁止だと口酸っぱく言われていたはずだ。にも関わらずこいつらは、言いつけを破りあの場にいた。俺たちが駆けつけなければ、すでにこの世からおさらばしていたことだろう。


「……貴様らの課題の魔物が、あそこにいると教えられたんだ。我々だけでも倒せる相手だと言われて……」

「それで? 俺たちを見返して、皇女殿下からお褒めいただこうとしたってか? マジでバカだなお前ら」

「仮にあなたたちがアストラルベアを倒したとしても、アルカンシェルがあなたたちを褒めることなんてあり得ないわよ」

「お前らがしたのは重大な命令違反、軍だと一発で懲罰もんだぞ。冒険者にしたってペナルティがある」

「た、倒せたとしてもなのか……?」

「当たり前だろバカが」


 常日頃からうちの部隊の奴らには、特にリリには言っているが、問題の解決能力があるからと言って命令に背いて良い理由にはならない。

 チームとして動いている以上、その命令違反によって仲間の誰かが危険に晒されるかもしれないのだ。


 もしも敵が思うよりも強かったら? 増援が現れたら? その他にも、考えられるハプニングはいくらでも数えられる。想定外は常に想定していなければならない。死にたくないのであれば。


「んで、こっからが本題だ。お前らにその情報を寄越したのは誰だ」

「そ、それは……」


 ここに来て言い渋るエリック。他二人もそっぽを向いて視線を泳がせている。なんだよ、ここで勿体ぶっても仕方ないだろうが。


「ガルム、顔」

「あ? ……あー、悪い」


 ルナーリアに言われて気づいた。どうやら、結構険しい表情になっていたらしい。軍人としての、敵に尋問するのにも似たような雰囲気になってしまっていた。

 そりゃ子供のこいつらからしたら怖くて声も出しにくいか。


 くそッ、やりにくいなちくしょう。これだからガキの相手ってのは……。


「そもそも、その三人も知らないと思うわよ。どうせ校外学習開始直後に、伝達魔法かなにかで伝えられたんでしょ」

「その通りだ……僕たち三人に分かるよう、伝達魔法が届いた……」

「それを間に受けたのもバカだけれど、そう仕向けたやつがいることの方が問題ね」


 結局答えは分からずじまいか。しかし、あのアストラルベアを裏で操っていたと言うことは、敵はこのテオール山のどこかにいる可能性が高い。

 となれば、この校外学習中にでも決着をつけたいところだ。


「はぁ……とりあえず、お前らは他の班員のところに戻れ。報告はこっちでしとく」

「わ、分かった……すまなかった、ガルム・フェルディナント」


 最後に頭を下げて、エリックたち三人は森の中へ消えていった。

 意外だ、あいつ平民に謝れたんだ。その態度を取れるなら最初から突っかかってくるなよ、マジで。



 ◆



 夜になった。

 あの後リリたちと合流した俺とルナーリアは、取り敢えず皇女殿下にだけ状況を伝え、その後は課題の魔物を探して討伐。

 目標の魔物はすでに倒したが、数を稼げばそれだけ成績も上がる。明日以降も似たような感じになるだろう。


「おお、なんだよガルムその頭! どうなってんだ⁉︎」

「固有魔法の影響だよ。夜だけこんな感じなんだ」

「限定条件下で身体に影響を与えるということは、昇華魔法じゃありえないので……せ、精霊魔法ですか……?」

「まあそんな感じだな」

「つまり、夜のガルムは昼よりも強いと言うことか! ぜひ手合わせ願いたいな!」

「勘弁してくれ、今日は疲れた」


 なんてやり取りがあったのも一時間は前。

 三人は慣れない山の中で一日過ごしたこともあってか、すでに夢の中。

 明日以降は三人にも夜の見張り番を手伝ってもらうが、今日くらいは俺たちでということで。


 それに、三人に聞かせられない話もするし。


「いくら足手纏いがいたって言っても、隊長とルナーリア二人がかりで仕留めきれないってことは、そうとうな相手だね」

「使役魔法を使いながら転移魔法も使えるってことは、魔力量も相当なはずよ。それこそ、エルフでもない限りは不可能に近いわ」

「それにしたって、災害級の魔物を使役魔法で操るなんて聞いたことないけどね」

「そういう固有魔法って考えた方がいいな」


 リリとルナーリア、三人で焚き火を囲み、昼に遭遇したアストラルベアについて話し合う。

 どのみちあいつは課題の魔物の一匹だし、そのうち相手をしなければならないやつだ。想定よりも強かったが、次に戦うときはリリもいる。オスカーたち三人は危ないからだとでも言ってここで待っていて貰えばいいし、足手纏いも存在しない。

 S級三人がかりはオーバーキル気味だが、アストラルベアを操ってるやつがどんなやつかも分からないのだ。やりすぎと言うことはないだろう。


「転移魔法に、本来のアストラルベアよりも硬い防御力、おまけに俺の固有魔法を防ぐだけの三重防壁」

「隊長の魔法を防ぐってなると、正面からじゃ厳しいね。ルナーリアとの合わせ技も防がれたんでしょ?」

「ガルムが勝手に私の武器を使っただけよ」

「即興にしてはいいコンビネーションだったと思うぜ? 案外相性いいかもな、俺たち」

「それはない」


 バッサリと切り捨てられた。ぐすん。


「この時間だったらどう?」

「俺一人で十分。強いって言っても、本来のアストラルベアならって話だ。天災級に片足突っ込んではいるが、神災級ほどじゃないし、この前のオーガキングとは比べるべくもないな」

「……随分な自信なのね」

「事実を言ったまでだぜ?」


 ルナーリアと視線は、俺の頭に。

 星の光を受けて銀に変色している髪と、頭頂部に生えた二つの三角。


 夜、この時間は俺が本領を発揮できる時間だ。魔力が活性化されて、昼間には使えない魔法もいくつかある。

 今のこの状態なら、まともな神災級相手でも一人で余裕だろう。S級一位の化け物にもこれでも負けたけど。


「そういうルナーリアこそ、夜の方が凄いんじゃないか?」

「言い方が気持ち悪いわ」

「え、嘘。どこが⁉︎」

「いや隊長、今のはないよ。セクハラだよ。監査部に報告しとくね」

「マジで⁉︎ なんで⁉︎」


 下心なんてなかったのに! いやたしかに誤解を招く言い方だったかもしれんけど! 監査部だけはやめてくださいなんでもしますから!


「ん? 隊長今なんでもするって」

「言ってねえよ!」

「……?」


 ある意味お決まりのやり取りに首を傾げるルナーリアは、ため息を一つしてから疲れたような声を出す。


「おあいにく様、私は昼も夜も変わらないわ。むしろ普通のエルフなら、太陽が昇ってる時間のほうが力は出るのでしょうけれど」


 自嘲するような笑みを一つ。

 たしかに、太陽と勇気の神の加護を受けているエルフたちは、太陽の昇っている時間にこそその魔力は真価を発揮する。


 となると、俺の見立てはあながち間違ってなさそうだな。いや、むしろルナーリアの場合、やはり夜の方が出力は上がりそうだが。


「その理論でいくと、やっぱりルナーリアは夜の方が強くなりそうだけどね」


 などと考えていれば、リリがズバリと切り込んだ。思いの外真正面からで、俺だけでなく問われたルナーリアも面食らっている。

 しかしすぐに表情を険しいものに変える。


「何が言いたいのかしら」

「ルナーリアの固有魔法、神域魔法でしょ。それも、月と恐怖の女神ルナプレーナの加護を強く受けてる」

「そう……やっぱりあなたにはバレてるわけね」

「隠そうともしてないでしょ?」


 リリの言う通り、別に隠していたわけじゃないのだろう。ルナーリアは否定の言葉を口にしなかった。


 月と恐怖の女神ルナプレーナの加護は、強力な氷魔法や精神魔法を使えるようになる。

 学園生たちじゃ気づかないかもしれないが、リリは半分神の血が流れているのだ。僅かな神の気配でも感じ取れるし、この二人は模擬戦で実際に対峙して、ルナーリアはあの氷の大鎌も見せていた。


「その通りよ。私は他のエルフと違って、ソールレウスの加護を得られなかった。その代わり与えられたのがこの忌々しい銀髪と、なにもかもを凍らせてしまう固有魔法」


 言葉通り忌々しげに、まるで親の仇を睨むかのように、月を見上げる。

 そこにいるわけではないけれど、そこにかの女神を見据えて。


「けれど月は私から奪うだけで、より強い力なんて与えてくれない」


 パチ、パチ、と。小さく空気の爆ぜる音が焚き火から聞こえる。


 それは俺たちに聞かせると言うよりも、独白に近いものだったように思う。


「だから、自分の手で強くなるしかない。これ以上なにも奪われないように。自分一人で強くなるしかないのよ……あんな思いは、二度としたくないから……」

「お姉さんのことか?」


 今にも泣き出しそうな表情に思わず訊ねてしまえば、彼女はハッとしたように視線を戻す。その様は、図星を突かれたようにも見えた。


「……忘れてちょうだい。あなたたちには関係のないことだわ。それより、今はアストラルベアとその裏にいるやつをどうするかを決めるのが優先でしょう」

「ま、その通りだね」


 リリもこれ以上深く聞く気はないのだろう。それきりルナーリアもリリも話を広げようとはせず、話題は元に戻っていった。


「と言っても、夜に隊長をぶつけたらどうにでもなるんだけどさ」

「おい、結局俺任せかよ」

「それが一番手っ取り早いし」

「いいじゃない。今からでも行ってきたらどう? 夜は無敵のガルムさん?」

「無敵じゃねえよ一位のクソ野郎には負けたよクソが!」


 けれどどうにも、ルナーリアのあの泣いてしまいそうな表情だけは、脳裏から離れなくて。


 夜の風が銀髪を揺らす。

 月はいつもと変わらず、無情に俺たちを見下ろしていた。

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