第10話 氷華銀葬

 周囲の木々を薙ぎ倒しながら振るわれる、人の身よりも大きな棍棒。一発でもまともに貰えば確実に命はない絶死の攻撃は、その巨体に似つかわしくない速度で放たれる。


 しかし、当たらない。

 空振りの勢いだけでも森を破壊していくが、その程度の攻撃は俺たちに通用しない。


「どこに目つけてんだよ!」


 跳び上がって躱し、空中で態勢を無理矢理整える。足裏で小さく魔力を爆発させて、三メートルを越す巨体に突っ込んだ。

 筋肉の膨れ上がった赤い肉体に短剣を突き立てるが、やはり硬い。甲高い金属音と共に弾かれてしまう。


「どきなさい!」


 背後から声。

 再び大きく跳躍して距離を取れば、入れ替わるようにルナーリアがオーガキングへ肉薄する。その両手に持つのは、氷の大鎌。

 彼女が駆けるその軌跡には、冷気が撒き散らされて氷の道が出来ていた。


 よく観察してみれば、たしかに。リリの言っていた通り、今のルナーリアからは、わずかだが神の気配が感じ取れる。


 縦に一閃。

 棍棒を持つ右腕を、肩の辺りからバッサリと斬り落とした。およそ鉄よりも硬い神災級の魔物を、バターのように容易く。


「単純な凍結ってわけじゃなさそうだな。物理的、物質的なものに留まってないのか? あるいは、か」

「人の固有魔法の考察は後にしてくれるかしら。あなたもキビキビ働きなさい」

「こいつは失礼」


 痛みに苦しんで暴れ出すオーガキング。そこから距離を取るルナーリアは再び俺と並び、チラリとこちらを睨む。


「しかし実際、どうしたもんかね」


 ため息混じりに呟いて、大地を蹴る。

 動いた俺に反応するオーガキングだが、あまりに遅い。いや、それはなにもこの巨大な鬼人だけじゃない。


 俺の視界に映る全てが、スローモーションになっている。


 それが俺の固有魔法。自身の固有時間、すなわち時界を操り、制御する。世界にとっての1秒が、俺にとっては1分にも1時間にもなる。


 そうやって引き延ばした時間を、今度は逆に圧縮してやれば。


圧縮コンプレス星天燐タイムバースト


 小さく詠唱。

 懐まで潜り込んで、土手っ腹に蹴りを見舞う。

 ただの蹴り。たったそれだけで、オーガキングの腹に風穴が空いた。


 時間の圧縮。一度の蹴りに、何万発分もの威力を込めることだって可能になる。


「凄い……」

「ぼさっとしてんなよ、六位殿! 再生される前に畳み掛けるぞ!」

「……っ、分かってるわよ!」


 神災級の魔物は、どいつもこいつも厄介な再生能力を持っている。

 大抵の神災級が図体のデカい奴らで、そういうやつらは再生能力も微々たるものではあるのだけど。オーガキングのように、たかが三メートル程度の大きさであり、しかもヒトに近い姿形をしている場合。


 ほら、もう右腕が生えてきて、腹の風穴も塞がり始めている。


「これだから人型の神災級はっ!」

「ガルム、これ以上時間を掛けるのはマズいわよ!」

「だろうな!」


 いくら俺たちの攻撃がオーガキングの防御を破っても、ダメージを与えたそばから再生していくのだ。一撃で確実に殺し切らなければならないけど、そのための準備が足りない。

 しかしルナーリアの言う通り、これ以上時間をかければ、オーガキングの更に面倒な能力が発動してしまう。


座標検索サーチ量子展開セット……チッ、若干キツいが、やれないことはないか! ルナーリア、大技合わせろ!」

「命令しないで!」


 文句が返ってくるものの、ちゃんと応えてはくれるらしい。彼女も魔力を全身に漲らせていた。


 夜ならまだしも、真昼間のこの時間に全力の固有魔法はかなり厳しい。だが、そうも言ってられない。なにせ神災級。ここで食い止めなければ、帝都に被害が及んでしまうのだから。


並行同位体接続コネクト牙狼天燐タイムバースト!」


 別の時間軸からこの現実世界に展開される、無数の可能性

 その全ての可能性を渡り、拳に、蹴りに、刃に、圧縮させた時間を乗せて襲い掛かる。


 オーガキングの腕が弾け飛び、脚が斬り落とされ、臓物が飛び散った。

 それでも死なず、苦痛の悲鳴を上げながら再生を始める鬼人は、しかし全ての傷口が凍らされていた。


 腕と脚は生えてこず、失った内臓はそのままに、空いた風穴も氷が邪魔して塞がらない。


「その命脈はとうに尽きた」


 半ばダルマ状態で倒れ込んだ魔物の首元に、銀髪を靡かせたエルフの少女が降り立つ。


「私が下すは神の刃。凍てつく月夜と凍える恐れを抱く死神の鎌。意味は失われ、意義は損なわれ、ただ我が意志だけが全て」


 詠唱を一つ一つ紡ぐごとに、その口から白い息が漏れる。オーガキングが、神災級の魔物の肉体が、徐々に霜に覆われていく。

 およそ人類が敵わないと錯覚させるほどの、強大な敵が。こうも容易く。


停滞せよ、氷輪死鎌カイエ・フォ・リューヌ


 やがて全身が凍てつき、大鎌が首を刎ねる。

 遅れて、凍りついたオーガキングが粉々に砕け散り、氷の結晶が舞うどこか幻想的な中で、ルナーリアが地に降り立つ。


 ああ、くそっ。そんな様がとても綺麗だなんて、思っている場合じゃないのに。


「首を斬り落として体も粉々。さすがに終わりだと思いたいのだけれど……」

「まあ、そう簡単にはいかねえわな」


 オーガキングは死んだ。こいつに関しては、もう本当におしまいだ。いくら強力な再生能力を有しているとは言っても、首を刎ねられた上にあそこまで粉々になってしまえば、再生もクソもない。


 だが、やつは最悪の置き土産を残して行きやがったのだ。


 木々が薙ぎ倒された森の中に、新たな無数の魔力反応。

 今まさに、俺たちの目の前で、濃密な魔力が集まり空間が歪んで、魔物が生まれようとしている。


 オーガキングが神災級として扱われる、最大の理由がこれ。


 やつは己の魔力を呼び水として、配下であるオーガをその場で産み出すのだ。しかもその数は百を超える。

 三メートルを越す巨人の軍勢こそ、オーガキングの真価。


 故にこれまで上げられている僅かな討伐実績から、実際に対峙した際は短期決戦が望ましいと言われていたけど。あのクソみたいな再生能力を前に短期決戦とかふざけてんのかって感じだし、さっさと倒したら倒したで、結局オーガは生まれてくる。


「ったく、さっきので魔力殆ど使っちまったぞオイ」

「だらしないわね、それでも救国の英雄なのかしら」

「エルフと一緒にすんなよ。夜じゃないと力が出ないだ、俺は」

「全く……少し下がってなさい」

「は? っておい、なにするつもりだよ?」


 一歩前に出たルナーリア。両手で持った大鎌の柄で地面を突けば、そこに魔法陣が広がる。

 エルフ特有の膨大な魔力が彼女の全身を駆け巡り、風となって銀髪を靡かせる。やがて魔力は冷気という形を持って、地面を凍らせていた。


「おいルナーリア!」

「ちょっと、黙ってなさい……!」


 コントロール出来ていないのは、火を見るより明らか。なぜって俺の方にまで冷気が来てるし、問答無用で地面の凍結が広がっている。


 咄嗟に距離を取ったが、あれは、あの氷は触れたらまずいやつだ。やはりただの凍結じゃない。物理的な停止、停滞といった現象に留まらない。


 まるで、空間そのものを凍らせているような。

 彼女を中心に、世界のルールが書き換わるような。

 あれはそういう固有魔法だ。


「言うことを、聞けっ……!」


 魔法陣から伸びるのは、氷の茨。

 彼女の二つ名、その由来となった魔法。

 けれど、ただの氷じゃない。

 ただの魔法じゃない。


 ルナーリアから発せられる神の気配が、一層濃くなった。


 それは即ち、世界を凍てつかせる神域魔法。


氷華銀葬ブランシュローズ!!」


 魔力によって歪む空間、今にも魔物が生まれそうなそこへ、氷の茨が一斉に殺到した。


 凍る、凍る、凍る。

 無数の魔力が無数の茨に飲み込まれて、森の草木も、全てが凍てつく。

 時空間ごと、概念ごと。

 あらゆる全てを、凍らせる。


「マジかよ……」


 これが、ルナーリアの固有魔法。

 俺やリリと同じ、神の域に一歩踏み出した、あるいは人類の域を一歩踏み外した魔法。


 視界一面が、白銀の世界に覆われている。

 冒険者にとっては初心者御用達の森だったはずなのに。土も草も木々も全てが。

 街道から距離があるのは不幸中の幸いか。それでも、ここまでしてしまったら生態系への影響は計り知れないだろう。


 ギルドへの説明はどうしようかと考えていたら、ドサリと、なにかが倒れる音。


「ルナーリア⁉︎」


 地面に倒れたルナーリアは、体の所々が霜に覆われていた。鎌を持っていた両手は手首のあたりまで完全に凍ってしまっていて、抱き上げた体は驚くほどに冷たい。


「気安く、触らないで……」

「言ってる場合かバカ! ああクソッ、俺の固有魔法は自分にしか使えねえんだぞ!」


 こんな時にでも強気な発言ができるのは、いっそ尊敬してしまうけれど。

 これは放っておいたらダメなやつだ。低体温症は命に関わる。しかし俺の使える魔法は、殆どが自分自身にしか使えないようなものばかり。


「良いわよ、別に……慣れてるから……」

「慣れてるって、お前」

「冷たくて、寒くて……独りぼっちで、寂しくて……私はいつも、そうだから……」


 意識が朦朧としているのか、目の焦点も合っていないように見える。魔力もかなり弱まっていて、先ほどまで感じていた神の気配などカケラもなくて。


 腕の中の、少女の姿をしたエルフが、なぜだかとても小さく感じた。


「慣れるもんじゃねえよ、そういうのは」


 膝裏と脇の下に手を回して、抱え上げる。抗議の声が来ないと思えば、目を閉じて意識を失っていた。息はちゃんとしていることを確認して一安心。


 とりあえず、ずっとここにいるのはよろしくない。俺は寒さに耐性があるし、混沌の森の環境よりマシとはいえ、寒いもんは寒い。ルナーリアのことも考えると、とにかくここから離れなければ。


 しかしギルドへ帰るにしても距離がある。俺一人なら、まあ固有魔法でさっさと帰れるけれど。


「仕方ねえか」


 残った魔力を編んで、半透明の鳥を生み出す。緊急用の伝達魔法だ。軍や城の方でも、神災級の出現は既に感知できているだろう。


 しばらくもしないうちに、目の前に次元の裂け目が現れた。

 困った時の皇女様、ってな。



 ◆



 神災級オーガキングの出現は、軍やギルドを俄かに騒がせた。

 なにせ全くの予兆なしに突然現れたのだ。普通、神災級ともなるとその魔力の大きさ故に空間の魔力に揺らぎのようなものが発生する。今回はそれが全くなく、しかも現れたのは帝都郊外の森。

 たまたまS級が二人いたから良かったものの、そうでなければ今頃帝都はとんでもないことになっていただろう。


「つまり隊長は、神災級が人の手で誘導されたって言いたいわけ?」

「その可能性は考えられるって話だ。神災級とはいえ魔物に変わりはないし、オーガキングは他の神災級と比べても低位の魔物だ。おまけに人型、人類と限りなく近い生態をしてる。探せばあるだろ、操る術くらい」


 日も傾き始め、空が茜色に染まり始めた頃。

 俺は救助に来てもらったリリと共に、ギルドの医務室で今回のオーガキングについて話し合っていた。


 突発的な神災級の出現。それも、俺たちが学園に入ってから初めての依頼で。

 偶然の一言で片付けることもできるのだろうけど、ルナーリアの存在が俺たちに思考を終わらせてくれない。


 あまりにもタイミングが良すぎるのだ。誰かがなにかを企んでいるとしか思えない。

 でも、だったら具体的に誰がなにを? 神災級を操れるとなれば、そもそもルナーリア個人に話は収まらなくなる。帝国だけに留められる話でもなく、これは世界全体の問題と捉えなければならない。


「ま、その辺はわたしが持ち帰って城で検討してもらうよ」

「頼む」

「そろそろお姫様も起きるから、邪魔者は退散するねー」


 ばいばい、と手を振りながらリリは次元の裂け目へと消えていった。

 それから十数秒後、ベッドの上から声が。


「ここは……」

「ギルドの医務室だ。具合はどうだ?」


 上体を起こしたルナーリアは、未だトロンとした目つきで室内を見回す。俺と目が合ったところでようやく状況を把握できたのか、ため息を一つ。


「放っておいてくれて良かったのに」

「良いわけないだろうが。あのまま放ってたら死んでるぞ」

「死なないわよ、ほら」


 言われて、白く細い腕がこちらに伸びてきて、俺の腕を掴んでくる。

 急にどうしたと言おうとして、驚いた。


 体温が、低いままなのだ。

 森の中で触れた時よりは幾分かマシにはなっているけれど。それでも、普通の人類種では考えられないほどに、ルナーリアの体は冷たい。


「固有魔法のお陰で、凍死することはないわ。そもそも、自分の魔法で死んじゃったら世話ないじゃない」

「まあ、そうだけど……」


 意識を失ったのは単に魔力が切れただけだった、ということか。それにしたって、エルフの持つ膨大な魔力全てを使い切るあの固有魔法は、恐ろしいものだけれど。


「昔から、慣れてるのよ。神災級くらいのやつらと戦った後は、いつもこうなっていたから」

「さっきも言ってたな、それ」

「そうだったかしら?」


 どうやら、気を失う前のことは覚えていないようだ。意識も朦朧としていたし、普段の彼女からは考えられないような弱音も漏らしていた。


 独りぼっちで寂しいと。

 あの時彼女は、たしかにそう言っていたのだ。


 それはきっと、聞かなかったフリをしてやるのが一番なのだろう。こうやって気丈に振る舞うルナーリアにとっては、触れてほしくないところなのだろう。


「覚えてないなら俺ももう一回言うけどな」


 でも、だからって。放っておけるわけがない。

 こいつとの関わり方は、もう決めたのだから。


「慣れるもんじゃねえよ、そういうのは。前まではどうだったか知らねえけど、今は俺もいるんだ。ちょっとは頼ってくれ、じゃないと寂しいだろ、俺が」


 戯けた口調を意識して、肩を竦めながら笑って言って見せる。

 ムッと一瞬だけ眉に皺を寄せたルナーリアは、けれどすぐ後にため息を吐いて、笑った。


「なによそれ、あなたが寂しいかどうかとか、私には関係ないじゃない」


 それは多分、嘲笑とかそう言う類のものだったのだろうけど。

 それでも、初めて見せてくれた素に近い彼女の笑みは、とても愛らしくて。年相応、というのはエルフに対しておかしな言葉だけれど。


 あまりに稚い、少女のような笑みに。

 俺はまた、バカみたいに見惚れてしまったのだ。


 惚けた俺を不思議に思ったのか、ルナーリアは小首を傾げている。クソッ、マジで可愛いなこいつ……。


「ああ、あと一応。オスカーたち三人は先に寮に帰した。神災級については、お前が倒したってちゃんとギルドに報告してるから。今の俺はあくまでC級だからな。単独討伐扱いだぜ」

「それはそれで納得できないのだけれど」


 なんでだよ、納得しとけよ。正直、俺は別にいらなかったかなーって思ってたんだぞ。

 いや、それはそれで最後にルナーリアが一人になっちまうから、いらなかったってことはないのだけど。


「あと、全身の凍結とか小さい傷とかはリリが治してくれたから、週明けにでも礼は言っておけよ」

「もしかして、ここまで運んでくれたのも?」

「リリだな。軍の仕事の真っ最中に神災級の反応を感知して、その対応に追われてる時に俺から緊急用の伝達魔法が来たから、急いで飛んできてくれたよ」

「そう……」


 ここまで伝えていれば、ちゃんと礼はするだろう。ルナーリアは協調性がないわけでも、礼儀知らずなわけでもない。彼女自身が必要と思ったそれはちゃんとする。


「んじゃ、俺は帰るな。お前はもうちょい休んでろ」

「あ、ちょっと待って」


 椅子から立ち上がり踵を返そうとすれば、コートの裾に弱々しい力がかかる。

 咄嗟だったのだろう。指先で摘んだだけ。それもすぐに離してしまった。


 まさかまたなにかしら文句でも言われるのかと身構えていたけれど、そうではなくて。


「その……一応、あなたにもお礼は言っておくわ。ありがとう」


 そっぽを向いて、どこか怯えるような、不安そうな表情で。長い耳は、ほんのりと朱に染まっていた。


 ああもうっ、だから、なんで不意にそんな可愛くなるんだ、お前は。


「これに懲りたら、あんまり一人で無茶はしないことだな。素直に頼ってくれよ」


 返事の声を待たずに、部屋を出る。

 そのまま留まっていると、どうにかなってしまいそうだったから。


 全く。色んな意味で放って置けないやつだよ、マジで。

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