第3話 フェンリル伯爵家
朝目が覚めると、まずは着替えてランニングに向かう。軽く汗を流してシャワーを浴びれば朝食、それからタバコを一本吸って出勤。
ここまでが、俺の普段のルーティン。
だが今日からは、そのルーティンを崩さなければならない。
なぜならついに、魔法学園の入学式を迎えてしまったからだ。
「よくお似合いですよ、旦那様」
「見てくれは老けてなくてよかったよ、マジで」
昨日久しぶりに帰宅したフェンリル伯爵家の屋敷で、俺は魔法学園の制服に着替えていた。メイドのサラがいつも通りの無表情で、全く気持ちのこもってない賞賛を送ってくれる。
サラは俺が爵位をもらった時に、城から出向みたいな感じでつけられたメイドだった。それからしばらくしてちゃんと雇い直し、それ以来五年間、中々主人が帰らない屋敷の管理をしてくれている。しかもクーデレ適正抜群。五年経っても一度もデレてくれないけど。
そんなサラも、もう24歳。本格的に行き遅れになってしまう前に、そろそろ後任を見つけておいた方がいいのだろうか。
しかし、異世界だっていうのに普通にブレザーなあたり謎だ。この世界で150年生きてきたけど、割と色んなところで見るんだよな、ご都合主義的なやつ。
一年は十二ヶ月で365日だし。曜日の名前も同じだし。仮にこの世界に作者みたいなのがいたとしたら、絶対手抜きしたぞ。
「しかし、この歳になって制服着るとは思わなかったな……」
「さすがはセレスティア魔法学園の制服とだけあって、生地も一級品を使っているようですね。刻まれた防御魔法もかなり高度なものですが、きっかり一年で効果が切れるようになっているようです」
「二年からは自力でなんとかしろってわけか」
貴族も通う以上、生徒たちの安全は絶対に保証しなければならない。だが同時に、セレスティア魔法学園は完全な実力主義でもある。
一年猶予を与えてやるから、その間に身を守る術を身につけろということだ。
それが出来ないものは問答無用で退学となる。
とりあえず、制服の内側に武器を隠していても問題はなさそうだ。夏服になったらまた考えないとダメだな。
「お時間はまだございますが、どうなさいますか?」
「たしかにまだちょっと早いな。とりあえず一服するかぁ」
「ダメに決まってるでしょ」
胸ポケットからタバコの箱とライターを取り出せば、横からにゅっと腕が伸びてきた。
見ると空間に裂け目が出来ていて、白くしなやかな細腕だけがその向こうから出てきている。
「制服にタバコの匂い付くじゃん。ガルム、今日から学生なんだよ? 任務が終わるまで禁酒禁煙」
「なん、だと……⁉︎」
振り返った先にいたリリから、とても惨い宣告を受ける。仕事終わりの一杯も、疲れた時の一服もなしだってのか⁉︎
「おはようございます、リリウム殿下」
「うん、おはようサラさん。ごめんね、こんな朝早くに」
「とんでもありません」
次元跳躍で直接跳んできたリリは、当然のように制服姿だった。純白のブラウスの上から濃紺のブレザーを羽織り、スカートはきっちり膝上5センチ。すらりと伸びた健康的な足は、黒いタイツに覆われている。
「どうガルム、かわいいでしょ」
「スカート短くしすぎじゃね?」
「え、きもっ」
「なんで⁉︎」
ガチのドン引きされた。嘘でしょ? 今のどこにキモい要素あったの? 分かんない……おじちゃん年頃の女の子が分かんないよ……。
「旦那様、年頃の女性、それも皇女殿下の足を凝視するのはいかがなものかと」
「ガルムが足フェチなのは知ってるけどさぁ」
「真っ先に視線がスカートへ向かうのは、少々童貞感が丸出しではございませんか?」
「どどど童貞ちゃうわ!」
こいつら好き勝手言いやがって! こちとら百戦錬磨のガルムさんだぞ! 色々経験してきてるんだぞ!
「ガルムの性癖の話はどうでもいいとして」
「待ってどうでもよくない。非常に深刻な誤解が発生してる」
俺はスカートが短くて下着が見えてしまうんじゃないかとか、皇女様がそんな風紀を乱すような格好をしていいのかとか、そういう心配をしてるだけなんだ。
あ、その心配がキモいって、コト……⁉︎
「仕事の話をしましょう、隊長」
ポケットから取り出したメガネを掛けて、黒い髪を赤いリボンで一つにまとめるリリ。仕事モードのその姿も実によく制服とマッチしている。
おふざけはここまで、ここからは真剣な仕事のお話だ。クソが、まだ始業前だぞ。
「つっても、最終確認くらいだろ」
「付け加えてひとつ。私は昨日から入寮でしたので、ルナーリアについての報告を」
監視対象、エルフ女王国を追放された、元第三王女ルナーリア。
彼女についての情報は、どんな些細なものでも欲しい。魔法学園が全寮制で助かった。リリなら、寮でルナーリアを合法的に監視できる。
「女子寮ではすでに、事前に入寮した新入生たちの間でいくつかグループのようなものが出来上がっていました。ルナーリアはそのどれにも属さず、常に一人で過ごしているようです。また、先輩方からの干渉すらも跳ね除け、完全に孤立しています
「彼女が入寮したのって、たしか今月の最初の方だろ?」
「はい。ですが新入生の殆どは、既に彼女に対していい印象を抱いていないようです。正面から喧嘩を売るような者はいませんが、陰口はそれなりに行き交っています。また、本日から入寮する高位貴族の令嬢方のことを考えれば、大事になるのは時間の問題かと」
よくもまあ、一ヶ月そこらでそこまで嫌われるものだ。
いや、嫌われるだけなら簡単か。世界が変わっても、人の感情の動きとやらは変わらない。
ましてや魔法学園、日本で言う高校というのは、大人にも子供にもなりきれない若者たちがひとつの場所に集められ、強制的に集団行動させられるモラトリアム。
いくらこの国の成人年齢が16歳だとしても。
たった一人が抱いただけの悪印象も、集団を形作り数が多くなれば、それだけ大きな悪意へと変わる。
誰かがぼそりと呟いただけの悪口は、あっという間に伝播する。
人間というのは、良くも悪くも共感性の高い生き物だから。
その悪意にベクトルを加え、直接的な害意へ変えようとするやつが現れるのも、時間の問題だろう。
「彼女がエルフってのも、あんまりよくない要素だな」
帝国にもエルフはいる。いくら過去にエルフ女王国と戦争していたとは言っても、人間の寿命からすればかなり昔の話だ。当時を知っている者も殆ど生きていないし、戦争の怒りやら憎しみやらは時間と共に風化する。
エルフという種族自体が問題なのではない。
魔法学園とエルフという組み合わせが問題なのだ。
「あらぬ噂話も飛び交っているようです。実はエルフ女王国のスパイなのでは、とか。帝国の魔法教育をバカにするつもりなのでは、とか」
「前者に関しちゃ、根も葉もないってわけじゃないのがタチ悪いな、それ」
一方の後者に関しては、まずあり得ないだろうなと思う。
彼女は冒険者だ。元王女様だろうがなんだろうが、もう90年近くは冒険者として生計を立てている。
元冒険者の俺から言わせてもらえれば、わざわざ帝国の魔法教育に難癖つけるために入学だなんて、まずあり得ない。
あいつらはプライドの高い連中がわんさかいるが、他人の努力は笑わないやつらばかりだ。
しかもその日暮らしの冒険者がわざわざ活動を中断して、高い金まで払って入学するのだから、相応の理由はあるはず。
「改めて隊長に訊ねますが」
「言ってみろ」
「ルナーリアの印象は?」
ふむ、印象ね。つい二日前にも答えたとは思うが、別の解答がお望みか。
「主観になるが」
「それが聞きたいので」
「卑怯なことを考えるような奴には見えなかった」
俺の目が節穴かもしれないとか、変なバイアスがかかってるかもとか、そういうのは置いといて。
あの夜、ほんのわずかしか言葉を交わさなかったけれど。
彼女の青空を映した澄んだ瞳は、強い意志が籠った真っ直ぐなものだった。
なにか重たいものを背負っていて、果たすべき目的とやらもあるのだろうけど。
「というより、卑怯な手を取れるほど器用な感じはなかったな」
同時に、その瞳に様々な感情が映し出されたことを思い出す。忌々しげに月を睨むその空色に浮かび上がる、複雑な色。
怒り、悲しみ、恐れ。
今にも泣き出してしまいそうな迷子のようで。
「私の見解も同じものです。彼女自身がこの国に対して敵意を持っている、という線は薄いように思います」
「となると、ルナーリア自身には別の目的があって入学したが、エルフ女王国の方がなんぞ利用しようと企んでるか」
自国の元第三王女が帝国の魔法学園に入学するという情報は、当然ながらエルフ女王国も掴んでいると見るべきだ。
もちろん、ルナーリア自身への警戒を緩める理由にはならないが。
「この国に来てからの行動は?」
「帝国に入ったのは十年ほど前のようですね。当時から情報部が追っていましたが、至って普通に冒険者として活動していたようです」
「冒険者ランクは?」
「三十年前にA級昇格、五年前にS級認定を受けました」
「マジでなんで魔法学園に入ったんだよ」
冒険者のランクはSが最高だ。よくある設定のやつである。
だが、そのS級認定を受けるには、特殊な条件が課せられる。それまでのA級のように、ただ依頼をこなしていればいいわけじゃない。
まず、圧倒的な戦闘力。
神災級と呼ばれる、魔物の中でも頂点に位置する個体の撃破を三度以上は必要。
次に同行者の生存率が100%であること。
世界で最も死亡率が高い職業と言われるのが冒険者だ。自身の生存は言わずもがなだが、パーティメンバーの誰一人、一度たりとも欠けてはならない。
そこまでしてようやく、冒険者ギルド本部で審査に掛けられる。
さらには冒険者ギルド連盟に名を連ねている国から、過半数の承認が必要だ。S級の審査を受けるような冒険者ともなれば、各国の情報部が目を光らせている。
それら全ての条件をクリアして、初めてS級を名乗れる。
「あの性格から考えて、ソロでS級だろ?」
「その場限りのパーティを組むことはそれなりにあったようですが、固定で組んでいたわけではないそうです」
「余計ヤベェわ」
S級はパーティ単位で認定されるのが普通だ。ソロでのS級認定は、この広い大陸内でも十人しかいない。そのうちの一人がルナーリア。ついでにもう一人が目の前にいるリリ。
「二年前に現れた神災級の魔物を倒したことで、現在はソロS級六位となっています」
「え、リリ抜かれてんじゃん、ウケる」
メガネ越しに睨まれた。こわっ。
冒険者ギルドのプロパガンダの一環で、S級ソロには順位がつけられている。
一位から三位まではここ百年ほど変わっていないが、四位以降はそれなりに変動がある。S級冒険者の資格を持っているリリは、前六位。つまりルナーリアに取って代わられ、繰り下げで今は七位になってしまったというわけだ。
「ちなみに、ですが。当時彼女が六位になった時は、それなりに話題となったのですが、隊長はご存知ありませんか? 冒険者のくせに?」
「今は本業じゃないから、別にその辺の順位とかに興味ねぇんだよ」
だから俺は、ルナーリアが冒険者をしていることは把握していても、彼女のランクやら順位やらまでは知らなかった。
意図して情報を絶っていたわけではなく、必要な情報以外は進んで取っていなかっただけ。
実際、こうして情報部が把握しているし、必要な時に都度情報を寄越してくれる。
いや、それにしたって、国中で話題になってるなら耳に入ってくるくらいはあってもおかしくないのに。
これはあれだな? リリのやつ、俺に知られたくなくて色々手を回したな? でも今回の任務で、俺に教えざるを得なくなったと。
見栄っ張りなやつめ、かわいいな。
「最年少S級はまだ残ってるんだろ? それで満足しとけよ。で、S級六位なんだから二つ名くらいつけられてるだろ」
「《白薔薇》ですね。氷の薔薇を咲かせる魔法が最も目撃されているからかと」
「氷か……」
エルフにしては珍しい。大抵のエルフは水に風、光といった属性魔法を得意とするものだが。たまたま適性があったのか、あるいは過去の事件に関係していたりするのか。
「ルナーリアに関する情報は以上となります。それで、我々はどのように動きますか?」
「そうだな……」
監視するとは言っても、その方法はいくらか思い浮かぶ。
例えば、仲を深めてなるべく行動を共にしたり、彼女の思惑を彼女自身の口から語ってもらったり。
もしくは、逆に接触を最低限に抑えてこちらの存在を認識されないよう立ち回り、こそこそと裏で嗅ぎ回る。
あるいは、彼女を利用しようと企む輩を炙り出すため、彼女自身を囮として俺たちも利用する手も。
「いっそ、本気で狙ってみるか……?」
「え、命を?」
「ちげえよバカ」
だから、殺したらダメだって一昨日も話したでしょうが。
「逆だ逆、お前が言ってた方だよ」
「は?」
本気で訳がわからないといったように、メガネを外した金の瞳が訝しげに細められる。
「隊長、本気で言ってる? あれはいつもの冗談の延長でしょ?」
「なんだよ、いいじゃねえか。任務とは言え、せっかくの魔法学園、せっかくの学生生活だぜ? 楽しまなきゃ損だろ」
「ちゃんと答えて」
リリには悪いが、今口にしたことも事実に違いない。
なにせ魔法学園だ。異世界ものの舞台としては定番の一つ。オタクとして、その環境を楽しまずに仕事だけに集中しろと? 無理だね。
だがまあ、他に理由があるのもそう。
「まず、俺たちがルナーリアを利用するってのはなしだ。てか、こっちにその気がなくても、勝手にそういう展開になる確率は高い」
「まあ、それはそうだね」
「だったら、無理にその方針で動かない方がいいだろ?」
エルフ女王国か、あるいは他の勢力かがルナーリアを通じてなにか企んでいるのなら、魔法学園入学を果たした彼女に接触するのは確実だ。俺たちはその機会を、黙って待っているだけでいい。
むしろ下手に動いて、ルナーリアの行動を制御しようなんて考えると、こちらの存在がバレかねない。
「で、接触を最低限にってのも無理。俺は一回会ってるし、リリも皇女としてのメンツってのがあるだろ?」
「みんなに優しい聖皇女様ですから」
リリウム殿下はルナーリアと話そうとしない、なんて噂が流れた日にはおしまいだ。
猫被りが大得意なリリのことだから、周囲に気取られるような下手は打たないだろうけど。だからと言って、その可能性が少しでもある以上、ここでギャンブルに出ても仕方ない。
「なにより、S級冒険者同士、元六位と現六位だぜ。周りが勝手に煩くなる」
「わたしは別に気にしてないのに」
嘘つけ、気にしてないなら俺にも教えてるはずだろ、順位抜かれたって。
絶対めっちゃ悔しいに決まってる。
「つーわけで、残った仲良し大作戦が一番効率的だ。あちらさんが勝手に接触しに来てくれるなら、近くにいられて対応しやすい。本人から事情を聞ければなお良しだ」
一応、問題がないことはない。
ルナーリアと仲良くなるまでの時間。こいつがネックだ。彼女の心を開かせるのは容易じゃないだろうし、下手したら学園生活の大半をそこに費やすことになるかも。
当然リリもそこは理解しているのだろう。なおも俺のことを胡乱な目で見ているが、やがて納得したのか、再びのため息と共に頷いた。
「どうせ隊長のことだから、銀髪クーデレエルフと学園ラブコメだぜひゃっほい、とか思ってるんだろうけど」
「悪いか?」
「悪いよ!」
悪いかぁ……そっかぁ……。
「まあ、実際それしかないかなぁってのもそうだし、取り敢えずの方針ってことにしとこっか」
「決まりだな」
「ところで隊長」
「ん?」
「ルナーリアが隊長の正体に気づくかもしれない、って件はどうするの?」
「しらばっくれる」
俺はガルム・フェルディナントという偽名を使い、平民として入学する。
ガルム・フェンリル? なにその頭痛が痛いみたいな名前、知らんけど?
そうしらばっくれてしまえばいいだけ。
そもそも銀髪を見られていようがなんだろうが、帝国内での俺は正体不明の英雄ってことになってるのだ。一部の人間以外、ガルム・フェンリルの姿は見たこともない。
ちなみに、あまりにも名前が売れすぎてしまったせいで、世間の俺に対するイメージはハードボイルドでダンディなイケおじってことになってる。リリのせいで。
いやぁ実際はこんなにも好青年なのになぁ。
「種族も一応人間で通す。仮にルナーリアが冒険者時代の俺を見たことがあっても、人間の寿命だぜ? 他人の空似ってことで押し通す」
「強引だなぁ」
「は? 天才的発想だろうが」
どうせ学園の授業中は汎用魔法しか使わないし、成績も中の上くらいを取るつもりだ。
そんなやつが救国の英雄だなんて、誰が思うだろうか。これでバレたら俺を桜の木の下に埋めてもらっても構わないよ。
「リリウム殿下、畏れながら失礼致します。そろそろお時間ですが、支度の方はいかがなさいましょう」
「あ、一度寮に帰ってあっちでしてくるよ。ありがとうサラさん」
割って入ってきたサラの言葉に時計を見やれば、たしかにそろそろ俺も出る時間だ。
学生寮は学園の敷地内にあるとはいえ、リリも化粧したり髪を整えたりといった準備があるだろう。皇女として相応しい格好を整えなければならないのだから。
リボンを解いて仕事モードオフ。ふわりと広がる豊かな黒髪からは、僅かにシトラスの爽やかな香りが。
「じゃあガルム、また後でね。タバコ持ってきたらダメだよ」
「はいはい、分かった分かった」
リリの背後に次元の裂け目が現れ、彼女は躊躇いなくそこへ飛び込んだ。便利だよなぁ、次元跳躍。俺も使いたい。
「さて、鬼の居ぬ間に」
「本日より、フェンリル邸は全面禁煙とさせていただきます」
「ですよねぇ……」
許されなかった……最後に一本くらい吸わせてくれてもいいじゃん……。
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