第16話 事情

 ある朝、珍しく予定のない俺は遅い朝食をとっていた。前日、アリアは孤児院に泊って、今日も朝から三人と予定があると言っていた。


「ハァイ」


 人の少ない食堂で隣に掛けてくる赤みがかった茶髪のショートヘア、そしていくらかあどけなさの残るタレ目顔の女。もちろん顔なじみではないのだが、名前だけは知っていた。女は俺の左隣に遠慮なく座ってスープを飲み始める。


「――ちょっと小耳に挟んだんだけどさ、お兄さん魔女なんだってぇ?」


 こちらに向けないままで顔を寄せ小声で話しかけてくる女。語尾が上がって嬉しさの感情を抑えきれてない様子。


 ――ちょっと、そんな大事な情報どこでその小さな小耳に挟んできたんですかね?


 無言のままの俺に彼女は続ける。


「――小遣い稼ぎしない? お隣のよしみで」


 その言葉を聞いて、俺はもうこの場で気絶したかった。



 ◇◇◇◇◇



「あたしデイラよ。ヨロシクね」


 名を告げてくる彼女。賢者が板につきすぎて、誰かから名乗られるのは新鮮な気がした。そして名前だけを告げてくるというのは、別にこの毎晩お盛んなお隣さんだけに限らない。大抵の冒険者や、小さな町や村出身の平民は姓を持っていないことが多いからだ。名前の後ろに付いているのはせいぜいが村の名前だ。これが城塞都市になると皆持っている。というか、市民権を得る際に適当につけるらしい。


「ああ、ええっと……ゆ、祐樹といいます」


「なぁに? カタくなんなくていいから。それよりほらユーキ、あの薬、魔女なら作れるんでしょ?」


「あ、あの薬と言うと……」


 一応、勘違いかもしれないから確かめておく。


「やーね、毎晩聞いてたんだからわかるでしょ? 子供ができると困るときに使う地母神様のお薬。あっ、この間は彼がゴメンね、お邪魔しちゃったみたいで。まさかお隣同士でくっついちゃってるなんて思わなくて! でもよくあの美人剣士落としたわよね!」


 よく喋る圧の強い女性は苦手だったので、とにかく、さっさと目的のものを作って逃げたかった。

 俺は彼女に何か木の実を持っていないか聞くが、そう都合よくそんなものを持ち合わせていることはない。仕方がないので彼女のスープに入っていたナツメ……の種を手に持ってもらって呪いまじないをかける。


「……夜明けまでですから」


「知ってる。娼館まで遠いからあんま使わないのよねー」


 鈍く光り始めた種を口に放り込んだ彼女は――こんなもんでいい?――と銅貨2枚をテーブルに置く。正直、相場なんて知らないのでいいと返すと、じゃあこっちは気持ち――と言って銀貨1枚を追加してくれる。


「――もうちょっと長く続けば助かるのに。祝福くらい」


 ――あーそっすねー。祝福にすれば次の新月くらいまで持ちますねー。嫌だけど。


 だって魔女の祝福自体がアレだもの。


 その後、デイラと名乗った彼女としばらく話していると――いや、正確には彼女が勝手に喋っていて立ち去る口実を思いつけないでいると、見るからに機嫌の悪そうな男が傍までやってきた。わぁこいつも名前知ってる。


 バン――とテーブルに片手をついて俺を覗き込むようにして睨んでくる。こっちが絡んでるんじゃなくて絡まれてるんですけど、理解してませんよねこれ。


「お兄さんに魔女のおまじないもらったのー」

「ん?…………マジか! 魔女って本当だったのか!」


 一瞬、目を丸くした男の表情は一変。満面の笑みで彼女を見る。


「――この間は悪かったな! オレはマシュだ。せっかくのお楽しみのトコだったみてぇで」


 ニッコニコでデイラの反対側の右隣に座ってくるマシュと名乗った男。いや、彼女の隣に座れよ……。細マッチョで顔もいいそいつは肩に手をまわしてくる。ギルドでもそうだが、宿でも俺に話しかけてくるやつは居ないしそもそもこんな距離の近い男は初めてで怯む。


「そーだよねー。イイとこ邪魔されちゃー怒るよねー」

「しっかし、お前さんみたいな細腕がギルド一の剣士をモノにするとは驚きだな!」


 マシュは俺の二の腕を揉みながらそう言ってきた。


「アリアってそんなに腕が立つんだ……」

「そうそうアリア! あの赤髪の嬢ちゃん、ギルドの訓練場じゃあ敵なしだったって話だぜ」


「……マシュさんはギルドの事、詳しいんですか?」

は要らねえよ! オレたちはまだこの街に来てから浅いんだけどよ、浅いなりに情報収集?――ってやつをやってたんでな。ほら、お前さん……ユーキだっけ? ユーキのことも門番から聞いてな!」


 ――あのクソ門番!!


「と、とりあえず俺のことはいいのでアリアのことを教えてくれませんか」

「何でぇ、本人から話してくれねえのか?」

「話してくれないかもね、事情が複雑みたいだし……」


「そうだな…………じゃあ、あの赤髪の嬢ちゃん、お貴族様のって話、知ってるか?」


 ――うそだろ!?


 驚いて男の顔をみる。


「――オレたちが聞いた限りの話だけどよ、冒険者やってるとかいうそのお貴族様が自分の女だと吹いてまわってるらしいんだ」

「なぁんかヤな感じなのよね。お兄さんも目をつけられてそうだし気を付けなね」


「ちょ、ちょっと、その辺の話、詳しく聞きたい」


 俺はマシュに詰め寄った。


「あー、あの嬢ちゃん、元は別の冒険者パーティに入れてもらっていたらしいんだ。三年くらい前の話らしいが、成人前だったのにその頃から剣の腕だけは確かだったみたいでな。当時から有名だったらしいぜ」


 ――なるほど、冒険者として普通に過ごしていた時期もあったんだ。


「――ただそれも一年かそんくらいで嬢ちゃん独りになったらしいんだわ」

「アリアと一緒に居た冒険者はどうしたんですか?」


「そいつらはいつの間にか街から去ったらしい。どこへ行ったか誰も知らないんじゃないかって話だ。まあ、ギルドで活動してるならギルド側は知ってるかもしれないがな」

「あたしはたぶん、お貴族様の仕業だと思うんだよね。だってあいつら、ギルドの新入りには早いうちからアリアちゃんのこと忠告して回るらしいもん。婚約者に手を出すなって」


「婚約者……。じゃあ、ギルドの冒険者たちがアリアを避けるのって――」


「そう、たぶんそのお貴族様が睨みを聞かせてるからだと思うの」

「連中に目を付けられたら何をされるかわかったもんじゃねぇからな。冒険者なんて市民にも満たない平民だ。明日の朝、堀に浮いてたって不思議じゃねえ」


「――何にせよ、そんな嬢ちゃんに気に入られたお前を俺は買ってるつもりだ。あの晩、嬢ちゃんを部屋に連れ込んでたお前を見て、ちょっと嬉しくなっちまったんだぜ」

「マシュったら大喜びしてたよね」


「いやあ……」――別に何もしてないんだけどね。


「とにかく、陰ながら応援してるぜ。あくまで陰ながらだがな。堀に浮くのはゴメンだ」


 ん――と掌を見せてくるマシュ。


「えっと……」

「情報量」


「マジですか……」


 俺は銀貨を一枚手渡す。


「違う違う。分かってねえな、お前さんは。――お姉さん!」


 マシュは食堂の店員を呼ぶと、その銀貨で葡萄酒を三杯頼み、お釣りを俺に戻してきた。


「親しき仲ならこれでいいんだよ。ほれ、乾杯!」

「かんぱ~い!」

「えっ、これ薄めてませんよね!?」


 結局、そのあと祝い酒だと言って無理矢理飲まされた。薄めてない葡萄酒を飲んだのは今回初めてで、その後、酷く酔っぱらって一日寝ていた。







--

 この土地の薄めず出される葡萄酒は主に酒飲み用の発酵の進んだ葡萄酒で度数も高めです。発酵の度合いの違いとか、濾過してあるかどうかとかで色々と種類があります。発酵は瓶に入れた時点で止まりますが、この瓶、『堕ちた聖女は甦る』の頃から既に使われていたものと同じ瓶なんですよね。


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