第27話 一時の平和と刻まれる脅威
アリスは皆の質問に1つずつ答えていった。どんなことをしたのか、行った先はどんなところだったか、ご飯はちゃんと食べたのか、ちゃんと寝られたのか。まるで幼い子どもが心配で仕方ない親のような質問ばかりだったが、アリスはその中にある優しさが何より嬉しかった。しかし、アリスはそれ以外の皆の気遣いを感じていた。聞きたくても聞きにくいのだと気付いていた。アリスは皆の質問が途切れたところで自ら切り出した。
「シャイーリャのこと、セインのことも聞きました。本当に…、驚きでしたよ。」
アリス自らがそう切り出したことで、場の空気が変わった。皆、触れていいのか分からなかったのだ。スコットは多少は気持ちを聞いたものの、深くは聞いていなかったため、ちゃんと聞いてみたいとは思っていた。誰も喋らなくなったところで、スコットが代表して聞いた。
「受け止めきれていない、と言っていたね。それはどういうことか、詳しく聞いてもいいか?」
そう言われたアリスは、しばらく考えた。アリスも、どう言ったらいいのか分かっていないのだ。自分の思いを伝えたい、という気持ちだけで、話しながらまとめた。
「何というか…。まずは、父も母も凄い人すぎてびっくりですよね。私なんかは皆さんを不安にさせるだけなのに、父は現役のスーパースターで、母は死後も愛される伝説の俳優ですよ?不釣り合いすぎますよ。」
親が凄すぎて子が道を外す、という話はたまに聞く。アリスの場合、ずっと親を知らず、酷い環境で育ち、そんな環境を抜け出してからも酷い仕打ちを受け、最近になって本当の親を知った。自分とは真反対の偉大すぎる親に、さぞ驚いたことであろう。
「スコットさんは知ってたんですよね?セインと私が親子だって…。」
「ああ。俺がこういう職業だからな。相談は受けてたよ。」
「どう思いました?」
「どう、って…。」
「ごめんなさい。質問が意地悪すぎました。私は、セインに会った時から、こういう人が父親だったら良かったのに、と思ってました。けど、実際に父親だと分かると、なんか、こう、申し訳ない気持ちが大きくて…。スキャンダル、っていうのが問題になると前に聞いたんです。私が娘だというのがそれに当てはまるのではないかと不安で…。私はセインの仕事の邪魔をしたくありません。」
「ああ!もう!何でそんな風に思うの⁉」
アリスを抱き締めながら話を聞いていたニコラがイライラしながら叫んだ。突然後ろから大声を浴びせられたアリスは驚いて振り返った。
「に、ニコラ?」
「確かに、アリスが娘であることをスキャンダルかのように言う人は何人か出てくると思う。けどね、一番はセインがどう思うか。スキャンダルと捉えているなら、わざわざ自分が父親だって名乗り出るわけないじゃない。ずっと言い出したかったんだと思うよ。けど、世間がそれを許さないってことを、セインが一番理解してたんだよ。自分の気持ちを殺してたんだよ。」
ニコラの言葉を聞いた隊員達も続いた。
「思えば、あからさまにアリスの事を気に入ってたよな、セインって。」
「ええ。心からキラキラしてましたね。あれは演技ではありません。」
「大けがして休業してからはしばらく機構に住み着いてたもんね。」
「今思えば、過保護な親父だったな。」
アリスは気付かぬうちに涙を流していた。その涙をニコラは無言で、自分の隊服の袖で拭った。小さな体で受け止めなければならない事実は、あまりにも多く、あまりにも過酷なものだ。せめて、実の親が分かったことだけでも心の支えにしてほしい。そのことまでもが重圧となってしまうのは悲しすぎる。
「で、アリスはこれからどうしたい?」
スコットはそう聞いた。せめて、アリスの希望は叶えてやりたい。それが友人への報いにもなると思っている。
「…どうも何も、私は最後のシャイーリャ族として、フューダを倒さねばなりません。それが使命であり、私の望みです。」
その答えを聞いた皆は、一瞬凍り付いた。その日は夜も遅いということで、これで解散となった。
部屋に戻ったアリスは、ニコラに誘われて大浴場に行った。以前のように他愛もない話で盛り上がり、部屋の前で別れた。部屋に入ると、窓を全開にして1カ月の間に溜まった淀んだ空気を入れ替えた。窓はそのままに、夜空の下のベランダに出たアリスは、目の前に広がる山と星を見た。昨日までは綺麗すぎる花畑にいたため、少々物足りなさを感じた。だが、澄んだ空気が自分の内側まで包み込む感じが気持ち良かった。ずっとアリスの肩に乗っていたポプも、ベランダの手すりに移って両前足を空に向かって伸ばした。
「いやあ。これはこれで気持ちが良いな。」
「花畑と違って、澄んだ空気の本来の香りが感じられますよ。」
「誰が上手いこと言えって言った?まあ、アリスらしいけど。」
アリスとポプは互いを見て笑った。夜も遅い時間なので、声は抑えているが、ちゃんと互いの心は通じている。
「なあ。1つ、言わせてもらっていいか?」
「何ですか?」
ポプは先程の実動部隊室でのやり取りが気になっていた。
「どうしたい、って聞かれて、アリスはフューダを倒したいって言ったろ?」
「ええ。言いましたよ。」
「あいつ、そういう答えを聞きたかったわけじゃないと思う。」
「え?」
アリスは驚いているが、ポプを含めてあの場にいた全員がそうだった。フューダをどうしたい、とかではなく、子どもが将来の夢を語るような、そんな回答を待っていた。だが、アリスは使命を果たしたい、と言った。その回答を聞いた瞬間、皆は気が付いた。アリスは将来の夢とか、望みとか、そういうものを分かっていない。なんなら、それがどういうものかを知らないし、探したこともないのだ。無理に言わせると、アリスを焦らせたり悲しませたりしてしまう。皆は一度、アリスの言葉を受け入れるしかなかったのだ。それを聞いたアリスは困惑した。無駄に気を遣わせてしまった自分が情けないとも思った。だが、皆が思った通りだ。将来の夢を聞かれて、どう答えたらいいのか分からない。シャイーリャ族の話を聞いた後はなおさらだ。
「もし、使命が何もなくて、自由に生きられたら、どんな風に生きたい?」
「いきなりそう言われましても…」
「どんなに小さいことだっていいんだぞ。」
「…それなら、1つ、あります。」
「なんだ?」
アリスはポプに顔を近づけて、小声で恥ずかしそうに言った。ポプはきょとんとした。
「…それくらい、すぐにでも叶うだろ?」
「相手もいることですし、私にとっては勇気がたくさん必要です。」
アリスはムッとした。そんなアリスを見て、ポプは噴き出して笑った。
「ポプ、バカにしてますか?」
「そんなわけない。ただ、なんか面白くてな。」
慌てるポプを見て、アリスもクスっと笑った。その様子を、斜め上からジルバが安心した表情で見ていることには気が付かなかった。
翌朝、アリスはまたいつも通りの実動部隊としての任務にあたった。とはいっても、字の読み書きを学び、その後はある程度の学力を身に着けるように言われている。セインとジェイから読み書きは教わってだいぶ成長はしたが、算数や理科といった方面はちんぷんかんぷんだった。心が折れかけたときに、ダグラスが通りかかった。
「アリス、調子はどうだ?」
「読み書きはだいぶ覚えましたが、その他はどう勉強したらいいのか…。」
「うーん…。アリスさえよければ、こういうのはどうだ?」
ダグラスの案を聞いたアリスは、すぐに首を縦に振った。ダグラスはすぐにしかるべきところに連絡し、了承を得た。
さらに翌朝、アリスは更生施設にいた。ダグラスの提案で、ここにいる少年少女達と共に学ぶことにしたのだ。教えてくれる先生がいて、分からないところは質問できる。どういう場所かはアリスにとってはどうでもよかった。学習の機会や場所があることがありがたかった。ただ、1人だけ実動部隊のイレギュラーな隊服を着たアリスは、教室では浮いていた。陰口を叩かれることもあるが、それくらいで心が折れるアリスではない。それに、幸いなことに、同じ教室にはマリクがいた。武装集団のリーダーをしていたマリクがアリスに話し掛ける姿を見た他の少年少女達も、日が経つにつれて次第にアリスに心を開いていった。アリスが更生施設で学ぶのは午前中だけだが、皆もアリスも充実した時間を過ごせていた。
ある日、算数の授業の後でマリクはアリスに話し掛けた。
「なあ。ずっと聞きたかったんだけど、ダグラスのおっさんにここで学べって言われたとき、ふざけんなって思わなかったのか?」
「思いませんでしたよ。むしろ、ありがたかったです。」
「いやいや。ここにいるのって、何かしらの犯罪歴のあるやつらばかりだぜ?俺だって、武装集団を束ねてた。」
「それが何か?」
アリスは首を傾げながら言った。マリクだけでなく、クラスメイトは驚いた。アリスは本当に周囲の環境の事を気にしていない。
「私もフューダのところにいましたから、罪人みたいなものです。ここにいる皆さんは、真っ当に生きるために努力されてる方ばかりです。こんなにいい環境で勉強させてもらえるんですから、私もさぼってはいられません。」
アリスは環境に不満を持つどころか、感謝していた。周りにいる人間の過去をほじくるのではなく、今の努力を見ている。マリクはフッと笑った。
「え?私、何か変なことを言いましたか?」
「ああ。言った。大多数の人間が言わないことを言った。けど、アリスがそんな奴だから、俺らはもっと頑張ろうって思う。なあ?みんな!」
マリクがそう言うと、クラスメイトだけでなく、廊下で話を聞いていた他の少年少女達もウオーっと声を上げた。束になった声量に驚いたアリスは肩をすくめた。職員が何事かと様子を見に来るほどの声量だった。笑う皆につられて、アリスも次第に笑顔になった。肩に乗るポプも満足げだ。
1カ月近く拘束されていたビルだが、復帰してからは変わらず業務をこなしていた。以前のように頭痛に悩まされることはすっかりなくなり、仕事が捗っていた。更生施設の職員から、アリスの授業態度とアリスが来てからの他の入所者の生活態度の変化を聞き、嬉しい気持ちでいっぱいだった。更生施設で授業を受けたらどうかと提案したダグラスも安心していた。
「アリスが前向きに授業を受けてて良かったよ。」
「ええ。場所が場所ですから心配してましたが、周りにも良い影響を与えているのなら、行かせた甲斐がありました。」
ビルとダグラスが昼食後にそんな話をしていると、噂のアリスが実動部隊室に戻ってきた。
「あっ。ごめんなさい。お取り込み中に。」
「問題ない。それより、今日の授業はどうだった?」
「理科の炎色反応を習いました。物質によって色が変わるなんて、不思議です。」
「難しいと思うことはないか?」
「あるにはありますが、先生方は皆聞けば教えてくださるので、ちゃんと解決できてます。」
アリスは楽しそうだった。そこに、ジョージが食堂から戻ってきた。
「よう、アリス。何か良いことでもあったの?」
「特別良いことではありませんが、平和のために紙とペンを持たせよ、という言葉の意味が少しだけ分かった気がします。」
「なんだ。ちゃんと良いことあるじゃん。」
ジョージもビルもダグラスも、笑顔になった。アリスは確実に成長している。それが確かに感じられたところで4人が雑談をしていると、ジルバとニコラが戻ってきた。
「あー、アリス、こんなところにいた!」
「早く食堂に行ってやれ。ボンゴレのおっさんが待ちくたびれてる。」
「あっ。そうでした。それでは、行ってきます。」
アリスは早歩きで食堂に向かった。アリスが強化合宿から帰ってきてから、ジェイに負けたくないボンゴレはより一層料理の腕前を上げることに励んでいる。1ヶ月間、可愛い娘を取られた感覚だったらしい。なんだそれ、とほとんどの職員が思ったが、本気のボンゴレを見たら誰も何も言えなかった。
「ボンさん、お昼、まだありますか?」
アリスの声を聞き、待ってましたと言わんばかりにボンゴレは目を輝かせてカウンターに来た。
「アリス、待ちくたびれたぞ!ちゃんとご飯を食べなきゃダメだぞ!今日はこれだ。また味の感想を聞かせてくれよ!」
「はい。ありがとうございます。」
相変わらず食べるのが遅いアリスのために、ボンゴレは手軽に食べられて栄養をしっかり摂れるものを準備していた。今日はナシゴレンだ。他の職員にも同じものを出したが、アリスのものは量を減らしてトッピングを変えている。いつも気を遣ってくれるボンゴレに感謝しながら、アリスは美味しく食べた。
「相変わらず、おっとりと食べてるね。」
そう言ってアリスの向かいに座る者がいた。もう昼休みも終わりのほうで、食堂は空いている。どこにでも座れるのだが、ボンゴレ以外にもアリスを娘のように思っている人物が1人いて、その人がアリスと話せるところに座る。
「ブラスさん。今日は遅いんですね。」
「ああ。薬の発注に手間取ってね。それより、時間を気にせずゆっくり食べるんだよ。アリスは喉がそんなに発達してないんだから。」
「ははは…。お恥ずかしいです…。」
「恥ずかしがることはない。過酷な環境で育ったんだ。発達するタイミングを逃しただけだよ。ビルには僕が指導した、と言っておくから、遅刻覚悟でゆっくり食べなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
2人のやり取りを厨房からウズウズしながら見ていたボンゴレだったが、周りの仲間に背中を押され、アリスの隣の席に座った。
「これはこれは、凄腕医師のブラス先生。アリスは今、俺が作った飯を食べてるんですよ。」
「これはこれは、凄腕料理長のボンゴレさん。ええ、知ってますよ。アリスの身体の特徴を考慮して、僕が食事の指導をしています。」
「アリスにはストレスなく食べてもらいたいのですがね。」
「アリスにはできるだけ負担のないものを食べてもらいたいものです。」
最近の国際防衛機構の食堂名物だ。アリスに対して過保護な2人が、アリスと絡みたくて取り合いをする。2人がそれぞれ、どうしてアリスをそこまで気にかけるのか、周りにはさっぱり分からない。しかし、確実に分かっているのは、アリスの優しさが2人には沁みるものがある、ということだ。その優しさはこの場面でも発揮された。
「ふふっ…。」
食べながらアリスは笑い出した。ブラスもボンゴレも、何で笑われたのか分からなかった。
「どうした?」
「何がそんなにおかしい?」
「だって…、お2人とも、仲が良いから…。」
仲が良いと言われた2人は、互いの顔を見合わせた。冷静な医師のブラスと、豪快な料理人のボンゴレ。最近まで、ほとんど接点のなかった2人である。
「私がここに来たばかりの時、ほとんどの方が私を警戒していましたし、私がいるだけでも嫌だという人もいました。けど、ブラスさんもボンさんも、最初から私のことを受け入れてくださいました。今も、私のこと、気にかけてくれたから、面白いやり取りになってましたよ。ありがとうございます。」
そう言うと、アリスはニコニコしながら残りのご飯を食べ進めた。過去に色々あったが、今こうして気にかけてくれる人がいる。自分は幸せ者だ、とアリスは嬉しく思った。そんなアリスを見た2人は再び互いの顔を見て、何も言わず笑いながら握手した。
「どうされたんですか?握手なんかして…。」
「ん?そうだな…。同盟、みたいなものかな?」
「そうだな。そんなもんか。ははは!」
身近なところでアリスが繋いだ、生まれたての小さな友情は、ここから大きくなっていく。
アリスはこの日の午後の実動部隊の訓練に20分遅刻した。昼食は時間ギリギリに食べ終わったのだが、その後急ぐアリスをブラスとボンゴレが身体に悪いからとゆっくり歩かせたのだ。加えて、訓練の場所が食堂から遠く、結果20分の遅刻となってしまった。
「今、何分だと思ってる?」
「…13時20分です。」
「そうだな。で?なんで、堂々とゆっくり歩いてきた?」
「えっと…、その…、ごめんなさい。意識が足りませんでした。」
「ビル、そんなに責めるな。大体、食べるのが遅いアリスを雑談に付き合わせたビルも悪いだろう。」
「ブラス、お前は黙ってろ。」
「はい…。」
他の隊員が訓練している後ろで、ビルはアリスとブラスに10分間説教した。これが有事の現場なら、1秒の遅れが命取りとなる。身体に悪いと分かっていても、誰かのために動かなければならない。日々の生活が訓練なのだ、と言い聞かせた。ブラスは下を見たままシュンとして聞いていたが、アリスはずっとビルの目を見ながら聞いていた。
「と、まあ、これ以上説教に時間を割いても、業務に支障が出るから、これくらいにしておこう。いいか?今後このようなことがないようにしろよ。」
「はい!」
ブラスはアリスに見送られながら医務室に戻っていった。ブラスを見送ったアリスは、他の隊員に追いつくために、すぐに訓練を始めた。今日の訓練は、国際防衛機構の裏山に作られた数あるコースの1つを午後の業務終了までにクリアしてスタート地点に戻ってくる、というものだ。他の隊員はアリスが説教されている間にだいぶ先まで進んでいた。
「遅れた分は自力で埋めるんだ。いいな?」
「はい!頑張ります!」
アリスは言われたコースに進んでいった。ビルは残って筋トレを始めた。何かが起こったとき、対応するためだ。残って隊員の帰りを待つ間も自分を鍛えるのを忘れないのはさすが隊長である。
先に進んだ隊員達は、すでに差がつき始めていた。ダグラスが先頭を行き、ジョージが少し離れたところから追いかけ、ジルバがさらに離れたところから追いかけ、ニコラがこれ以上離されまいとどうにか食らいついていた。
「おーい、ニコラ、大丈夫か?」
「バカにしないで!アタシだって、実動部隊の隊員なんだから!」
裏山のコースはどれもキツすぎて普通の職員ではクリアできない。今日指定されたコースはその中でも3本の指に入る難コースだ。実動部隊として経験が長いダグラスとジョージでさえキツいと思うコースを、経験が浅いジルバとニコラもこなさなければならない。息の上がり方は尋常ではない。
「ダグラスもジョージもすごいな…。どう鍛えたら慣れるんだよ、これ…。」
「そ、そんなの…、関係ない、わ…。さあ…、行くわよ…。」
「ああ、そうだな。」
訓練のコースとはいえ、足場が不安定だったり断崖絶壁だったり、命の危険と隣り合わせだ。よそ見はしていられない。
「ジルバ。前にも言ったけど、これは自分を鍛える訓練よ。アタシはいいから、自分のペースで先に行って。」
「け、けどよぉ…。」
「体力面で男女差があるのは当たり前。それをどう乗り越えるかは、アタシが考えて行動することだから。」
「…分かった。ちゃんとゴールしろよ。」
いつも、裏山での訓練のとき、ジルバはニコラを気遣ってペースを合わせていた。何かの間違いで崖下に落ちてしまったとき、怪我をしたとき、助けられるようにするためだ。実動部隊に入隊したばかりの頃、時間になっても帰ってこないニコラを探して裏山を探し、斜面を踏み外して動けなくなっていた、ということがあった。最初に見つけたのがジルバで、以来ジルバは裏山での訓練のときはニコラを気遣ってきた。ニコラもジルバの気遣いには気付いていた。今回のこのやり取りも毎回の定番だ。途中まで一緒に行って、途中から言葉でジルバを突き放す。自分の力不足が悔しいが、裏山訓練を心のどこかで恐れているのも事実だ。ジルバが近くにいると、悔しさと安心感がニコラの中で喧嘩する。徐々に離れていくジルバの背中を、ニコラは両頬を挟むように叩いて気を引き締めて追いかけた。
先を行っていたダグラスは、コースの異変に気付いた。屈指の難コースが、いつ起きたかも分からない崖崩れで余計に難易度が上がっていた。
「どうしたの?ダグラス…。って、これは酷いね。」
すぐに追いついたジョージも笑うしかなかった。2人はそれぞれ、持っていた物を使ってどうにか通過した。
「足下も頭上もいつ崩れてもおかしくないね。」
「ああ。しかし、ここ数ヶ月天気は安定してたよな?」
「うん。雨の日も当然あったけど、普通の雨だったよ。」
「自然の流れ、ってことか?に、してもなぁ…。」
「まあ、自然は人間には操れないよ。それより、後から来る2人は大丈夫かな?」
「ジルバとニコラか…。少し厳しいかもしれんな…。一応、隊長に連絡を入れとくか。数年前のニコラの件もあるしな。」
ダグラスはビルに状況を報告した。その間、ジョージは現場を写真に撮った。一通り済んだら、2人はまた先に進んだ。ジルバとニコラには連絡しない。これが本当の現場で自分達が先に見つけていたら、きちんと報告して注意を促す。しかし、もしもジルバやニコラが先に見つけた場合、報告も対処も見つけた2人がやらなければならない。そういう時のための訓練だ。少し酷だが、若手育成のために、2人に頑張ってもらうことにした。崩れた土砂の中に不自然に黒い塊があるとは気付くはずもなかった。
どうにか前に進むニコラは苛立っていた。ジルバにどんどん差を広げられ、自分にも疲労が溜まっていった。どうして自分は男じゃないのか、午後の訓練の時はわりとよく思ってしまう。ビル、ダグラス、ジョージ、ジルバと比べると、体力面ではどうしても劣ってしまう。どれだけ鍛えても、4人も鍛えてるため追いつけない。性別による違いはどうしようもないが、これ以上は引き離されたくない。差を埋めるように分析の技術を極め、実動部隊に残れるように努力している。しかし、頭脳で男性を上回っても、結局最後は体力だ。それは数々の現場を経験して感じていた。とにかく、今はこのコースを時間までにクリアするんだ、という気持ちを切らさないようにしていた。一歩一歩前に進んで行くと、ジルバが見えた。追いついたわけではなく、ただジルバがそこで自分を待っていたのだ、とすぐに気付いた。
「先に行ってって言ったでしょ?」
斜面を登りながらジルバに声をかけた。ジルバは無言で指を差した。斜面を登りきり、ジルバが指を差したほうを見たニコラは唖然とした。
「ダグラスとジョージ、すごいよな。ここを行ったんだ、あの2人。」
普段は、足の指の第一関節ほどの所を進む崖だが、そこが崩れてしまっている。足下はすぐに崩れそうで、頭上も脆くなっている。最早どこをどう行けばいいのか分からない。
「連絡してこなかった、ってことは、自分で考えて来い、ってことだよな。」
「…やってやろうじゃない。」
2人は持ってきた道具の中から使えそうなものを選んだ。2人ともナイフを手に取った。
「これを横の崖に突き刺しながら進むしかないよな?」
「ええ。足下が崩れても、ナイフにつかまればどうにかなりそうだし。」
2人は前に進んだ。ニコラの足下が少し崩れたらジルバが手を差し伸べ、ジルバのナイフの刺さりが甘くて落ちかけたらニコラが背中を崖に向かって押し返した。2人で助け合いながら、崩れた箇所の真ん中まで進んだ。少し息を整え、互いに顔を見合わせて、また進み始めた。体力は奪われていくが、確実に進んでいる。終わりも見えてきた。希望が見えてきたところで、突然、足下で爆発が起きた。足下は崩れ、2人のナイフも崖から抜けてしまった。一瞬で全てを諦めたジルバとニコラだったが、そんな2人を後方から追いかけてきたアリスが風のように飛んできて2人をキャッチし、足下がしっかりした場所で着地した。3人は崩れる崖をただ見ていることしかできなかった。
「大丈夫ですか?!怪我は?!」
2人を助けるために岩や木に当たりながら飛んできたアリスは、全身切り傷だらけで聞いた。聞かれた2人は少々呆れ気味に答えた。
「その怪我でよく他人にそう聞けるな!」
「もっと自分を大切にしなさい、って色んな人から言われてるでしょ?!」
「あ、いや…。私はすぐに治りますから。」
実際に、2人の目の前でアリスの怪我はみるみるうちに治っていった。綺麗になったアリスを見た2人は、冷静になった。
「ま、まあ、助けてくれてありがとな。アリスいなかったら、死んでた。」
「そうね。爆発した瞬間、死ぬんだ、って思っちゃったもん。」
「死なせません。フューダが絡んでいるなら、尚更。」
そう言うアリスは、一旦目を閉じ、ゆっくりと目を開けた。右目が青く、左目が赤く光っている。アリスの力の波動はアリスの足の裏から国際防衛機構の敷地全体に広まり、力によってあぶり出された黒い塊がアリスの目の前に集まってきた。それらを光の結界で包み込み、アリスが右手をギュッと握ると黒い塊は光の中で爆発して消滅した。
「お、おい…。何なんだ?あれは…。」
「更生施設にフューダの手下が紛れ込んでいたので警戒はしていましたが、まさかこんなに仕掛けていたとは…。」
「いや、だから、さっきのあれは何だよ?!」
「ああ。あれはフューダがよく使う爆発物です。主に仲間の頭の中に埋め込んで周りを監視したり罰を与えたりしますが、さっきみたいに普通に爆弾としても使われます。ビルさんの頭の中に仕掛けられてたものと同じですよ。」
「そ、そうか…。」
ジルバは一旦落ち着こうと、大きくゆっくりと呼吸をした。ついさっき、死を覚悟してしまったため、目の前で起きたことを考えるということが少々鈍くなってしまっている。アリスにキツく当たったところで、何も解決しないのだ。
「ふぅー…。悪かったな。大声出して。」
「いえ。気にしてませんよ。それより、皆さんに報告しませんか?」
「そ、そうだな。忘れてた。」
「その必要はない!3人とも、大丈夫か?!」
先を行っていたダグラスとジョージが引き返してきた。どうやら、ビルと通信を繋いだまま、3人がいるところまで来たらしい。大体の状況をダグラスが伝え、ジョージが現場写真を撮った。
「ったく、通信してたなら、俺らにも繋げろよ。」
「何があるか分からない状態でどう対処するか、を考えるのも訓練だ。まあ、ここまで酷くなってたのは想定外だが。」
「さすが、副隊長さんだ。」
嫌味たっぷりにいうジルバだが、ダグラスは誰かに何か言われなくとも反省していた。これが本当の現場なら、迷わず全員に通信を繋げていた。今回、若手育成のためと思ってしたことが、若手を命の危機にさらしてしまった。ダグラスはその点を悔いていた。
「おい。いつにも増して顔が怖くなってるぞ。」
「え?あ、あぁ…。すまん。」
ジルバに指摘されたダグラスは自分の頬を軽く叩いた。今、ここにビルはいない。自分がしっかりしなければ、と気持ちを切り替えた。ニコラとアリスの相手をしているジョージを見た。ニコラの左足首を布で固定しているところだった。
「ん?ニコラ、挫いたのか?」
「た、大したことないし!」
「どこが?ここに来るまでのどこかで挫いて、ずっと我慢してたんだろ?でなきゃ、こんなに腫れないよ。」
強がるニコラの言葉を、ジョージは全否定した。確かに、ニコラの左足首は腫れていて、少し紫色になっている。この難コースを、この足でここまで来るのは、相当しんどかったであろう。ニコラの隣で、アリスが心配そうな顔で見ていた。そんなアリスを見たニコラは、優しく声を掛けた。
「そんな顔しないで。大丈夫だから。」
「け、けど…。」
「アタシは本当にこれだけだから。アリスは自分の心配しなさい。見た目は綺麗に治ったとはいえ、全身切り傷だらけだったんだから。あとでちゃんと先生に診てもらうのよ。」
「…はい。」
力で治せる、とアリスは言ったが、ここにいる全員にそれはしてはいけないと言われた。力をそういう風に使うとどうなるか、アリスが合宿に行っていた間に聞いたため、皆やらせたくなかったのだ。ジョージがニコラをおぶり、ジルバも顔の擦り傷をダグラスに軽く処置してもらって、皆一緒にゴール地点に向かうこととした。
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