第12話 遠い平穏、広がる混乱。

 ニュースではセインの俳優休業が大きく取り上げられた。瀕死の重傷を負ったにも関わらず、術後すぐに元気になっただけに、世界的大人気俳優の休業は人々を驚かせた。休業にあたって、セインは記者会見を開いた。

「関係者の皆様にはご迷惑をお掛けします。僕はこの通り元気ですが、事故を機にまとまった休みを取ることにしました。役者として、更に成長した姿を見せられるよう、日々を過ごしたいと思います。」

セインは記者達の質問に1つずつ丁寧に答えた。全て誠実に受け答えする姿は、世界中の人々の心に深く残るほどだった。会見の最後、セインは自分の思いを語った。

「国際防衛機構や実動部隊に不信感を抱いた人も少なくはないでしょう。しかし、僕を助けてくれたのは紛れもなく彼らです。彼らが助けてくれなかったら、僕はここにはいない。僕は彼らに対して、心からの感謝と敬意を表します。ありがとう。」

この言葉が、最近の国際防衛機構に対する不信感を和らげた。正門前でシュプレヒコールを上げる人は徐々に減り、遂にはいなくなった。

 アリスへの処分は、停職2カ月に決まった。それに対する直接的な抗議も見られなかった。SNS上では色んな意見が飛び交っていたが、小規模なものだった。セインの会見の効果は絶大であり、実動部隊でも話題になっている。

「セイン、さすがって感じよね。」

「人気俳優の力で助けられたな。」

ジルバとニコラの若い2人は芸能ネタにある程度興味がある。今回のセインの件は自分達にも関係しているため、当然のように興味津々なのだ。そんな2人に、ビルは声を掛けた。

「これで安心するなよ。次は自分達の力で信用を取り返すんだ。」

若い2人はその言葉で気を引き締められた。そこに、ダグラスとジョージが部屋に戻ってきた。

「ダグラス、ジョージ、どうだった?」

「ダメです。全く応答がなくて…。」

「部屋の鍵は掛かってます。部屋の中にいるのは間違いなさそうですが…。」

セインを助け出した次の日から、アリスは部屋に閉じこもったまま出てこない。部屋の外から誰が呼び掛けても返事がない。ボンゴレが直接部屋の前に食事を運んでも、全く手をつけていない。処分内容を伝えた時も無反応だった。

「心配だな…。」

「そういえば、俺達がアリスの部屋に行った時、セインとそのマネージャーが先にいたんですよ。」

「そうそう。一度しか会ったことないのに、不自然に感じちゃったんですよね。」

ダグラスとジョージがそんな会話をしているのを横で聞いていたニコラも、疑問を口にした。

「アリスも、一度会っただけの人を助けるために色んな規則を破ったのよね…。」

「ニコラが聞き取りしたんだろ?何か不自然なところはなかったのかよ?」

「何かを隠してるのは確かね。アリスもセインも、あのマネージャーも。」

何かを隠してはいるが、こちら側に対する敵意があるようには全く見えないのも事実だ。組織に属する者として真実を知っておきたい気持ちは当然ある。しかし、敵意がないのなら、無理に話を聞き出すのは無礼極まりない。

「今は、あの3人を気に掛けておくことしかできないわね…。」

そんな隊員達の話を聞いていたビルは、何かを思い出した。

「そういえば…、長官と廊下ですれ違ったときに話したが、セインとジェイは問題ないから好きにさせておけ、って言ってたな…。」

4人の隊員は一斉にビルを見た。誰も何も言っていないが、それを早く言えよ、という類の気持ちが顔に溢れ出ていた。そんな隊員達に、ビルは少し気が引けた。

「ごめん。言い忘れてた。」

「本当、大切な事くらい、ちゃんと伝えてください。」

立ち話程度だったため、ビルの記憶にはあまりはっきりと残らなかったらしい。隊員達に話した後、ビルはスコットの言葉の意味深さにようやく気付けた。どうしてスコットは問題ないと判断したのか。どうしてセインのマネージャーの名前を知っているのか。聞き取りの内容はまだスコットには上げていない。

「なんで、長官はあんなこと…」

「セインは幼馴染だ。」

いつの間にか、部屋の入り口のところにスコットが立っていた。全員が驚き、変な声が出た。

「ち、長官!おはようございます!」

みんな慌てて立ち上がり、その場で姿勢を正し、敬礼した。スコットも敬礼で返した。

「すまんな。歩いてたら、話が聞こえてきたもんで。」

「いえ、問題ございません。…ん?幼馴染?」

「ああ。俺とセインは幼馴染だ。ジェイのことも知っている。言ってなかったか?」

隊員は皆、ビルを見た。また言い忘れたのだと思った。しかし、ビルはそんな隊員達に向かって首を横に振った。本当に聞いたことがなかったのだ。ビルを含めた隊員の視線はスコットに集中した。

「あ、ああ…。言ってなかったな。まあ、2人は問題ない。好きにさせてやってくれ。」

「あ、あの!」

ニコラは手を挙げながらスコットに質問した。

「セインとそのマネージャー、ジェイですっけ?2人とアリスって、どんな関係なんですか?」

「…今は友人同士ということにしておこう。いずれ、本人達から話があるはずだ。」

スコットはそれだけ言うと、部屋を出た。残された実動部隊の隊員は疑問が増えただけだった。

「長官、絶対に事情を知ってるよな。」

「一部だけ、とかじゃなくて、全部知ってそう。」

「友人同士って、セインとジェイはともかく、アリスは会ったばっかだし、歳が離れすぎよ。」

「歳の差があってすぐに仲良くなるのは珍しいからな。」

「はいはい。みんな、気になることはあるよな。私もある。けど、業務の時間だ。ダグラスとニコラは準備もあるだろ?」

ビルは疑問だらけの隊員に仕事に戻るよう、声を掛けた。気にしてても仕方がないことではあるので、隊員達は素直に隊長の言うことを聞いた。

 エメラード事件以降、ブラスが業務で出掛ける時は、実動部隊の護衛がつくようになった。国際防衛機構としても、ブラスが欠けてしまうのは大問題であるという認識なのだ。今日は、紛争地帯に住む人達のための医療支援をしている団体に、医療技術指導をする日だ。紛争地帯で行うため、護衛につくダグラスとニコラはいつもより重装備で任務に当たる。出発前、飛行機の中で最後の確認を行っていた。

「ニコラ、漏れはないか?」

「大丈夫よ。輸送機じゃないんだし、早く行きましょ。」

「輸送機で行かれたら、僕が死んでしまうよ。まあ、焦らず行こう。」

ブラスは笑いながら言った。護衛がつくようになってから、ブラスは笑顔と感謝を絶やさないようにしている。ただでさえ忙しい実動部隊に、自分の護衛という余計な業務を加えてしまったという気持ちがあった。余計な業務をさせてしまっている分、自分の業務をきちんとこなし、感謝を伝え、隊員の精神を削がないように心掛けている。

「先生、いつもありがとうございます。」

ダグラスが突然、ブラスに感謝の気持ちを伝えた。

「ん?どうした?急に。」

「俺たちの精神的負担を軽くするために、いつも明るく振る舞ってくださってますよね?励みになってます。でも、俺たちも業務の1つです。いつも医療で支えてくださってる先生を護衛するくらい、出来なきゃ実動部隊なんてやってられません。先生こそ、気を負わないでください。」

さすが副隊長だけある。ダグラスはブラスの考えていることを見抜いていた。ブラスは頭を抱えて笑った。

「精神的フォローをしていたつもりだが、逆にされちゃったね。僕も医師としてまだまだだ。」

「人は死ぬまで成長する生き物です。完璧なんてあり得ない。さあ、準備が整いました。行きましょう。」

ダグラスはニコラに合図を出し、ニコラは飛行機を起動させた。ゆっくりと動き出した飛行機はどんどん加速し、目的地に向けて空に飛び立った。

 いつ戦争に発展するか分からない中東の紛争地帯には、支援を行う世界中の機関が集まっている。物資を運んで配るチーム、教育支援を行う組織、インフラ整備を担当する技術者など、その地に住む一般庶民を救うために奮闘している。医療支援もそのうちの1つで、劣悪な環境下での生活を余儀なくされている人達が毎日押し寄せる。戦闘に巻き込まれて怪我をする人もいれば、感染症に侵される人もいるし、栄養状態の悪さから命の危機に晒されている人もいる。限られた医療設備で、全てのことを解決しなければならないため、高度な技術と判断力が臨機応変に求められる。ブラスはそんな支援を行う世界中の医療スタッフを指導でき、世界的な医学賞を受賞するくらいには優秀な医者である。目的地に到着し、医療スタッフが集うテントにブラスが顔を出すと、スタッフは皆目を輝かせた。

「先生!お待ちしておりました!」

「先生から教えを受けるなんて、光栄です!」

「歓迎ありがとう。ほら、君たちを待ってる人はたくさんいるよ。状況を教えてくれないかな?」

興奮するスタッフに対して、笑顔のまま冷静に状況確認をするブラスに、ダグラスとニコラは流石だと思った。技術は高く、実績もある。しかし、それを鼻に掛けるようなことは絶対にせず、誰に対しても物腰が柔らかい。慕われて当然だ。いつの間にか、ブラスの周りには人集りができていた。

「先生、すごいわね。」

「ああ、だからこそ、ちゃんと守り切るんだ。」

「もちろんよ。」

いつ、誰が、どこから襲撃してくるか分からない。治安が比較的安定しているエメラードでそれを嫌ほど体験した。治安が悪いこの地では、本当に何が起こるか分からない。ダグラスとニコラは任務を遂行するため、警戒態勢に入った。


 医療スタッフのテントがある場所から20kmほど離れた小さな町は、長引く戦闘の影響で町全体が廃墟と化していた。住んでいた人達は戦闘に巻き込まれて命を落としたか、比較的安全な地域に避難している。そんな町の地下に、自分たちで開拓した空間に集う者がいた。皆、軽装にも関わらずライフルを所持し、爆発物を持つ者もいる。

「覚悟はできてるか?」

「当然だ。この命、とっくの前に神に捧げてる。」

50人ほどの集団は、大きく縦に頷いた。リーダー格の男は、それを見て満足げだ。

「世間から見放された俺たちは、本当に生きにくかった。やりたいこともできず、虐げられるのが当たり前だった。今こそ、俺たちの生きやすい世の中を切り拓こう!」

同調した仲間たちが一斉に、オー、と声を上げた。地下が揺れるくらいに声が響いた。

 ここにいる者は皆、親に恵まれなかった。親に暴力を振るわれた者、親に捨てられた者、親を殺された者。貧しい人が多く、働けない小さな子どもは邪魔者として扱われることが多かった。国際社会の支援は行き届かず、世界から取り残された気分だ。そんな中、理不尽に埋もれながらも生き抜いた。生きれば生きるほど、多くの酷い扱いを受けた。成長し、ある程度反撃ができるようになると、加減も分からず相手を攻撃した。自分達の周りは血に染まり、酷いことをしてくる人も減った。

「こんな世の中、一度壊さないとダメだ。」

何かを壊すことで、自分達に危害を加える者が減ることを覚えてしまった若者は、色んなものを手当たり次第に壊した。怖がる人もいたが、壊すことで救われた者もいた。1人、また1人と仲間が増えていった。もう、自分達では止められないし、誰かが止められるものでもない。そんな若者達が、今、行動を起こそうとしている。


 避難民が身を寄せるキャンプに設営されたテントの1つが仮設病院として機能していた。医療スタッフが身を寄せるテントからは少し歩くが、近すぎず遠すぎずという距離感がスタッフの精神を安定させている。ブラスが仮設病院を訪れたのは、現地に到着した日の夕方だったが、治療を受けたい人達の長い列ができていた。

「ダグラス、ニコラ。悪いんだけど、君たちは外で待っていてくれないか?」

仮設病院に入る前、ブラスは申し訳なさそうに2人に頼んだ。2人は戸惑った。

「いや、しかし、また狙われるかもしれませんし…。」

「そうですよ。ここは紛争地帯なんですから、アタシ達が先生を守らないと。」

「僕のためにやってくれているのは分かってる。けど、ここは病院なんだ。診察する僕の後ろに銃を持った人がいたら、患者が怖がるだろ?」

そう言われると、2人は何も言い返せなかった。言われた通り、仮設病院の外で待つしかなかった。大丈夫、とブラスは2人を外に残して、医療スタッフと共に中に入っていった。

「先生、本当に大丈夫かしら?」

「そう信じるしかないな。俺達は危険な人間を中に入れないためにも、ここで目を光らせよう。」

仮設病院のテントの外は、診察待ちの人の他にも、元気に走り回る子どもたちやそれを見守る大人たち、各国の治安維持部隊など、色んな人がいる。外にいれば、銃を持って警戒に当たる軍人もいるため、ダグラスとニコラも不自然ではない。実動部隊の活躍はここでも知られているようで、オレンジの制服を着た2人に子どもたちが集まってきた。

「おじさんとお姉さん、実動部隊なんでしょ?!」

「すごいすごい!握手して!」

厳しい治安状況の中で暮らす子どもたちにとって、我慢の多い暮らしの中で楽しみが見つかるというのはとても嬉しいことだ。そんな子どもたちの期待に応えるように、ダグラスとニコラは握手をしたり、頭を撫でてあげたり、話をしたりした。そんな状況でも、2人は周囲の警戒を怠らない。何かあれば、ブラスはもちろん、ここにいる多くの子どもたちも守らなければならない。子どもたちを更なる危険に晒さないよう、任務を忘れることはないのだ。笑顔で子どもたちと話していると、通信が入った。手を振って子どもたちから離れ、2人は仮設病院の入り口が見える位置を保ちつつ周りに人が少ない場所に移動した。

「ダグラスです。どうかしましたか?」

「ビルだ。たった今、ジョージをそっちに向かわせた。」

「ジョージを?何でまた?」

「現地に駐在するアメリカ軍の情報だ。若者で構成されているテロ集団が、今みんながいる辺りの街に向かって移動してるらしい。」

国際防衛機構は各国の治安部隊と情報を共有している。今回はアメリカ軍から情報提供を受けた。

「よくメディアに取り上げられてるテロリストと違って、役割がはっきりしてるチームではないらしい。個人が思いのままに行動するから、気をつけろ。」

通信の後、本部からデータが送られてきた。衛星からの画像を解析したもので、確かに今いるところに向かって移動する何かが写っていた。この辺りのテロリストは、貧しさ故に暴力をもって色んな装備を他者から奪って揃える。銃や爆弾、刃物に車など、奪えるものは全て奪うし、道に放っておかれているものは持ち主がいようがいまいが持ち去る。

「何を持っているか分からない集団がバラバラで襲ってくるかもしれないってわけか…。」

「とにかく、近くにいる治安部隊と協力しましょ。」

「ああ。そうだな。」

ダグラスとニコラは仮設病院周辺を担当している各治安部隊のリーダーたちに連絡を取り、一か所に集まった。同様の情報を掴んでいる国もあったが、協力して防衛に当たる方針で各国が一致した。情報を真っ先に得たアメリカ軍がテロリストを迎え撃つために街から少し離れた場所に移動した。残った者は相談の上で配置を決めた。

 テロリストが襲ってくるかもしれない状況でも、仮設病院はフル稼働である。怪我人、病人はひっきりなしに来て、本当にテロでも起こればそれこそ病院に助けを求める人は増える。情報を聞いたブラスは、スタッフに再度在庫確認を指示し、襲撃を受けた時のために一部の薬をテントを設営したときに地面を掘って簡易的に作られた床下収納にしまった。さらに、自身を含めてスタッフ全員防弾チョッキとヘルメットを着用した。

「僕たちがやられたら、困るのはここを必要としている人だ。そんな人達のためにも、ちゃんと生き抜かなきゃ駄目だよ。他人を救いたいなら自分を守るんだ。」

スタッフはブラスの言葉や手際を1つも逃すまいとしている。この言葉は、人を救う仕事をしているスタッフの心に刺さった。自分を犠牲にして頑張っていることが多く、中には心を病んでしまう者もいる。自分を守る、という言葉はそんなスタッフの心を軽くしてくれた。

「先生はすごいです。患者だけでなく、医療チームまで元気にしてしまわれる。」

「ん?そうかな?」

「そうですよ。さすがは世界的な名医です。人のために、自分を守る。素晴らしいお言葉です。」

あるかもしれない襲撃に備えているときに、ブラスの隣で作業をしていたスタッフが声を掛けてきた。べた褒めしてくるスタッフにタジタジになりながらも、ブラス自身の弱さも思い出された。

「すごくはないさ。エメラード事件、僕は何もできなかった。自分を守る余裕もなくて、ただ守られるだけだった。守ってくれた子は瀕死の重傷だ。」

「確か…、その子、化け物って言われてる子ですよね?フューダと関係があるっていう。」

「ああ。僕は一番近くで守られてたから分かるよ。あの子は化け物なんかじゃない。それなのに、世界中からの批判や恐れからは救えなかった。今だって、謹慎を命じられてるんだ。そんな人を、僕はもう生み出したくない。だから、自分でできる防衛は自分でしたいんだ。」

あれからブラスは、業務の合間にビルに筋トレを教わっていた。医療しかやる必要がないと思っていたブラスは、少しでもできることを増やしたいと初めて思ったのだ。戦うことはできないが、何か起こったときに何もできないのはもううんざりだった。実体験に基づく言葉であることを知ったスタッフは、ブラスのことをさらに尊敬するようになった。

 一旦、診察と治療を他のスタッフに任せたブラスは、ダグラスとニコラのところに行った。そこには、実動部隊の輸送機でやって来たジョージも合流していた。

「やあ、ジョージ。もう着いたんだね。さすがは輸送機だ。」

「もうちょっと負担なく行き来できれば完璧なんすけどねぇ。」

ジョージは笑いながら言った。ダグラスはそんなジョージに軽く腹パンを食らわせた。ジルバとニコラの若手コンビが言うのは分かるが、ジョージのような中堅はとっくに慣れているはずだ。互いに冗談と分かっていて、笑っている。2人を見て、ニコラはやれやれといった表情になった。

「それはそうと、お前、どうして1人なんだ?」

気を取り直したダグラスは、ジョージに尋ねた。本来なら、この状況だと、他に何もなければ全員出動になるはずだ。

「ああ。エメラードのフランス大使館に手榴弾が投げ込まれてな。隊長とジルバはそっちに行ってる。」

「おいおい、そりゃあ、こっちに来れないわな…。」

「エメラード、あの日以来物騒になったわね。」

「ああ。しかしなあ、隊長、それも連絡してほしかったなあ…。」

相変わらず、ビルは何かを忘れる。ダグラスは頭を抱えた。

「はは。脳に異常は見られなかったから、加齢によるものだろうね。僕も忘れることが少し増えたんだ。許してやってくれ。」

ブラスが笑いながら言った。ビルとブラスは同い年の同期で仲が良い。ブラスも、ビルの物忘れが自分より酷いことに気付き、躊躇いなく検査したのだ。遠慮なく色々できるほど仲が良いと、こういう時に役に立つ。ブラスが検査して問題ないと言うのならそうなのだ、と、3人は納得した。

「まあ、ビルはいいんだ。僕からお願いがあるんだけど、いいかな?」

笑顔のまま、ブラスはそう言った。3人とも、何だろう、とブラスを見た。

「本当にテロ行為が起こっても、我々は治療を止めたくない。避難民も守らないといけなくて大変だろうが、仮設病院を守ってほしい。」

3人は唖然とした。それぞれの顔を見て、しばらく無言の時間が続き、3人ほぼ同時に吹き出しながら笑った。

「おいおい、なんで笑うんだよ?」

驚いたブラスは思わずそう言った。3人は大きく息を吸い、気持ちを整えた。

「すみません。当たり前の事を真顔で言われてしまったので、つい…。」

「え?」

「避難民も、仮設病院も、当然守りますよ。スタッフも、もちろん、先生も。」

「先生、隊長にトレーニング教わって鍛えてたんすよね?自分で出来ることを増やすために。聞いてますよ〜。」

「でも、先生は医者です。アタシ達実動部隊がいるんですから、医療に専念してください。」

「被害を最小限に留めるのが俺達の仕事です。そもそも、ここへは先生を守る目的で来てますからね。先生には戦わせませんよ。」

頼もしい若者達の言葉に、ブラスは安心した。ありがとう、とお礼を言って、ブラスは仕事に戻った。


 手榴弾を投げ込まれたフランス大使館があるエメラードは大混乱になっていた。テロリストが潜んでいる、とSNSで噂が広まり、歩道も車道も逃げ惑う人で溢れていた。実際、実行犯2人のうち1人は逃走している。現場に到着したビルとジルバは二手に分かれ、警察と協力して怪しい人物がいないか調べていた。

「ジルバ、そっちはどうだ?」

「見つかりませんね。そう遠くには行ってないと思うんですが。」

「ああ。走って逃げてるからな。本部からエメラードまで距離があるにしても、エメラードからは出てないはずだ。何かあったらすぐに知らせてくれ。」

「隊長こそ、連絡し忘れないでくださいよ。」

連絡を終えた2人は、それぞれ目の前の景色を見た。溢れる多くの人が見える。こんなところで事を起こされたら、被害は計り知れない。とにかく、隠れられそうなところを探りながら行き交う人々を見ていくしかなかった。

 フランス大使館周辺の建物を全て調べ終わった頃には、周りに一般市民は1人もいなくなっていた。エメラード警察の警官達が集まって次の行動を話し合い始めた。ビルとジルバもその中に入ろうとしたが、現場のリーダーから、実動部隊は別行動でお願いしたい、と言われたため、2人は離れた場所でどうするか悩んでいた。

「別行動で、って…。冷たいですよね。」

「エメラード事件に、アリスへの暴行事件もあって、ピリピリしてるんだろう。まあ、私達が別の動きをしたほうが、もう1人の実行犯も見つかりやすいかもしれないしな。」

エメラード警察の対応に納得のいかないジルバを、ビルはそう言って少しでも分からせようとした。実際、ビルも警察の対応には不満がないわけではない。しかし、ここで自分達が言い争っても何も得がない。周りの状況と相手の言動を伺うことも、円滑な活動には必要だ。

「しかし、どこに行ったんだ…?」

「俺だったら、隠れてないであの人混みの流れに乗って逃げちゃいますよ。他にやることがないなら、エメラードから出たほうがいいじゃないですか?」

「確かに。あの人混みなら、目立たず移動できるもんな。」

「…じゃあ、俺達、なんで建物に隠れてないかどうか調べてたんすか?」

「…それを言わんでくれ。まあ、嫌な感じはあったが、私達は別行動をお願いされた。逃げる人をじっくり観察しようじゃないか。」

実動部隊としての方針が決まったところで、2人はすぐに動き出した。

 人の流れがどこに向かっているのかを見極めるために、ビルとジルバはエメラード中心部にあるタワーに登った。観光名所となっているこのタワーは、エメラードの街全体を見渡すことができる。慌てずにちゃんと見てみると、犯人を逃がさないために警察がエメラードの外に向かう道路を全て封鎖しているせいで、逃げるエメラード市民はエメラードの中を反時計回りに動いていた。

「普通に道路を通って逃げるのは無理ですね。」

「ああ。と、なると…。あの辺か?」

2人が目を付けたのは、エメラードの北西にある森だ。道はなく、警察も警備していない。エメラードを出るにはそこしかない。

「行きますか?」

「エメラード警察から直々に別行動を頼まれてるんだ。行くしかないだろう。」

ビルとジルバは混乱する街の中に飛び込んで、人をかき分けながら進んだ。


 ビルとジルバが目を付けた森は、発展を続けるエメラードに残る貴重な自然だ。自然と触れ合える市営公園があり、休日になると多くの人で賑わう。公園は結構な広さがあるが、森は比べ物にならないくらい広大だ。公園以外のところは人工的なものは一切なく、全てが自然のままだ。道らしい道はない。エメラードのような都会で生まれ育った人にとっては、物珍しさがあり、興味もあるが、近寄りがたい場所である。人が近寄らないからか、ここには多くの動植物が生息している。都会にある森とは思えない。そんな森の中を、息を切らしながら走る人影があった。小さな植物は踏まれ、動物達は驚いて逃げていく。

「はぁ…、はぁ…。」

舗装されていない、道にもなっていないところを走ったせいか、息の上がり方がすごい。早くエメラードから逃げないといけないが、思わず足を止めた。

「ああ…。はは…、ははは…。」

自分の顔がどうなっているか、確認する術はなかったが、目は全く笑わず口元だけ笑っていた。そんな人の顔を、森の動物達は植物に隠れて恐るおそる見ていた。

「悪いな。ウチは逃げる。逃げて、英雄になる。恨むなり、憎むなり、好きにしろ。」

一緒にフランス大使館を襲撃して捕まった相棒に向けた言葉を、相棒に聞こえもしないのに空に向かって呟いた。冷静に考えて、この広い森の中で見つかるわけがない。体力がある程度回復するまでは、しばらくこの場にじっとしておくことにした。

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