第11話 守りたい。救いたい。
陥没現場の再捜索を行った結果、他に巻き込まれた人はいないことが確認された。なぜセインを見つけられなかったのか、その原因調査はしっかり行うこととし、実動部隊は再び戻ってきた輸送機で本部に戻った。
「ねえ、セインって、あの俳優のセイン・ハッシュドリッヒよね?」
「それ以外ねえだろ。こりゃ、俺達、悪く言われるぞ。」
「それはそうだけど、アリス、知り合いっぽくなかった?」
「…言われてみれば、ファンって感じではなさそうだったな。」
ニコラとジルバがそんな話をしていたら、ビルが割って入ってきた。
「私もそれが気になってるんだよ…。」
「やっぱり隊長も気になりますよね?」
「ああ。しかし、今、私たちがやらねばならないのは、捜索活動の不手際の原因調査と再発防止策の提案だ。さっさと終わらせるぞ。」
「…はい。」
若者2人を持ち場につかせたところで、ダグラスとジョージがビルに歩み寄った。
「隊長、貨物室からこれが。」
ジョージの手には、アリスの制服の上着があった。アリスはあのとき、上半身は黒いシャツ1枚だった。本来、実動部隊の隊員は、活動するときに制服の着用が求められる。アリスが入隊したときに、場合によっては懲罰の対象になることも説明したのだが、それでも制服を脱いだことは他の隊員には理解できなかった。
「おいおい…。問題だらけの事案になったな。アリスは今どこだ?」
「さっき、手術室の前を通りましたが、アリスと一緒に陥没に飛び込んだ男しかいませんでしたよ。」
「あの男、何者ですか?」
「ハッシュドリッヒ氏のマネージャーだそうだ。」
「いや、そうではなく…。アリスと一緒に飛び込むし、アリスについて行けてたので、只者ではないのでは?」
「ああ…。そうかもな。まあ、手術が終わったら、あの男にも事情を聞くさ。」
アリスの制服の上着をハンガーに掛け、年長3人もやることをやり始めた。
一方、アリスは長官室に呼び出されていた。スコットが座る立派な机と椅子の前に、アリスは立たされていた。険しい顔のスコットが、ため息をつきながら窓の外を見た。
「はぁ…。どうしたもんかね…。」
スコットは本当に困っていた。勝手について行き、制服は着用せず、独断で飛び込んだ。これだけ聞くと、余裕で解雇だ。しかし、そのお陰でセインは助け出された。それを踏まえて、数日の停職にするのが妥当ではあるが、世間のアリスに対する風当たりを受け、国際防衛機構内部でも考えを変えてアリスを追い出すべきだと考える職員が増えてきている。難しい判断を迫られていた。
「どうして制服を脱いだ?」
スコットはとりあえず理由を聞いた。今まで言われたことを守っていたアリスには、今回の件で聞きたいことが山ほどある。
「着てたら、あいつが化け物だ、って言われると思って…。それに、実動部隊やセイン、ジェイが悪く言われるんじゃないかと…。」
一応、アリスにも思いはある。それがルール違反だとしても、ルールを守っていたら助けられないと感じたから、アリスは助ける方を取った。
「そうか…。他にも質問があるが、答えてくれるか?」
アリスは頷き、1つずつ質問に答えた。過呼吸で長官室に運ばれ、実動部隊からの連絡を聞いた。自分を助けてくれたセインとジェイが危ないと感じたアリスは、窓から窓へ、建物から建物へ飛び移り、輸送機に飛び乗った。最近の世論から、自分がいると分かると現場がパニックになったり、実動部隊が悪く言われたりするだろうと考え、隠れながら現場に近づいていった。その途中、ジェイと遭遇し、セインが巻き込まれた可能性があることを知る。現場のすぐ近くまで行き、救助の様子を見守っていたが、セインは助け出されなかった。ジェイが連絡を試みたが、セインは出ない。捜索も終わってしまい、これはマズいと思って陥没の中に飛び込んだ。
「じゃあ、最後に聞かせてくれ。どうしてセインがいる場所が分かった?」
「…ジェイにセインがいた大体の場所を聞きましたから。それに、ほら、私、化け物って言われるだけあって、勘がいいみたいですよ?はは…。」
女の人が夢の中で教えてくれた。アリスはそれを言わなかった。話が余計にややこしくなって、スコットが困り果てると思った。自分が化け物と言われていることを理由に、適当に受け流した。
「…分かった。最近の世論や、今回の件で、機構内部からもアリスに対する不信感が出てる。そういった声も踏まえて、しばらく自室で待機してなさい。処分は後に伝える。」
アリスは何も言わずに頷き、部屋を出ようとした。そんなアリスに、スコットは長官としてではなく、個人的に感じたことをぶつけた。
「アリス。まさか、今回の件、わざとやったんじゃないだろうな?俺達がすぐにアリスを辞めさせることができるように、とか考えてないだろうな?」
アリスはしばらくドアの前で立ったまま動かなかった。何かを考えているのか、ドアに伸ばした手をそのままにして立っていた。答えが見つかったのか、やっとアリスはスコットに向かって振り返った。その顔は驚くほど下手な笑顔だった。
「そんな空気の読める化け物、いるわけないじゃないですか。」
アリスは部屋を出た。スコットは1人になった部屋で、行き場のない悔しさを感じた。
アリスは普通の人と同じように、廊下を歩いて自分の部屋に向かった。途中、何人もの職員に小声で色々言われているのが聞こえた。
「よく人前に出られるよな。」
「あの子のせいで国際防衛機構の株はガタ落ちだ。」
「もしかしたら、あの子が実動部隊を超能力かなんかで操ってるんじゃないか?」
フューダのところにいたときよりマシだ。自分にそう言い聞かせながら、アリスは部屋の前まで辿り着いた。部屋のドアには、色んな言葉が書かれていた。まだ字の読み書きを完全に出来ないアリスだが、出ていけ、というのは読めた。ここに書かれているのは、全て自分に向けられた言葉である、と直感した。アリスはすぐに部屋に入り、ドアに鍵を掛けて、カーテンを閉めた。処分が決まるまで、部屋から出ない覚悟だった。
アリスは部屋の端っこで膝を抱えて座った。色んなことを考えたり、思い出したりした。あの日、ジルバが手を差し伸べてくれた。それに甘えて、外の世界に出た。実動部隊のみんながとにかく優しくしてくれて、特にニコラは生活する上で慣れないところは全部フォローしてくれた。ブラスは健康面を心配してくれるし、怪我をしたら治療してくれる。ボンゴレは美味しい食べ物をたくさん教えてくれて、食べさせてくれた。エメラードでの色んな騒動は、命を守れた反面、多くの人の不信感を招いてしまった。アルゲンタの鉱山事故で、不信感は決定付けられた。字の読み書きすらまともにできず、みんなが働いているときに1人で勉強した。世界最高の保安機関に身を置く者として相応しくない、そういう声もたくさん聞こえてきた。色んな積み重ねで、世間からは不要な化け物と見なされた。そんなときに、唯一自分を受け入れてくれたセインが陥没事故に巻き込まれた。セインを助けたい。けれど、それでセインと国際防衛機構が悪く言われたら嫌だ。そんな思いから、ルール違反は承知の上で上着を脱いだ。セインは助け出された。それなら、今のこの状況も、今後追い出されたとしても、何でも受け入れる。自分を助けてくれた人達が標的にされるくらいなら、自分が盾になる。どうせ、フューダのところにいたところで、酷い扱いを受けながら、ひとりぼっちのまま人生が終わっていた。今のほうが数倍マシだ。
アリスはカーテンを閉めていて気づかなかったが、外は既に暗くなっていた。職員宿舎に暮らす人達が寝静まった頃、ようやくアリスは今が夜だと気づいた。恐る恐るカーテンを開けると、半月が少し西寄りにいた。今後、追い出された後、どう行動するのが正解なのか。アリスは月を眺めながらそんなことを考えていたが、どういうわけか、そのまま意識が遠退いた。
深い霧の中でアリスは目覚めた。川沿いの道だった。見たことのある川であることに気づき、対岸を見ると、あの女性がこちらに手を振っていた。アリスは近づきたくて橋を探したが、どこにもなかった。
「大丈夫。この距離でも普通に話せるわ。」
女性が言うように、不思議と大声を出していなくても声は聞こえた。
「アリス、色々大変ね。助けてあげられなくてごめんなさい。」
女性は最近のアリスに起こった出来事を全て分かっているようだった。アリスは首を横に振った。
「問題ありません。むしろ、あなたの声のお陰で命を救えています。謝らないでください。」
「…優しいのね。」
女性は穏やかな微笑みを浮かべた。しかし、すぐに顔を曇らせて、なかなか言葉を出さなかった。
「あの、ずっと気になっていたんですが、聞いてもよろしいでしょうか?」
無言になった女性を見て、それなら自分が気になっていたことを聞こう、とアリスは考えた。女性はゆっくり頷いた。
「あなたにとって、セインはどんな人ですか?鉱山事故のときも、陥没事故のときも、今みたいな落ち着いた感じではなかったので…。」
それを聞いた女性は、俯いた。アリスはマズいことを聞いたのかと思って、女性を助ける言葉を慌てて探した。
「え、えっと…。別に、答えたくなかったらそれでも構いません。ただ、私の興味本位ですから。」
「大切な人よ。」
「え?」
女性は力強く、真っ直ぐにアリスを見つめた。しかし、その目には涙が浮かんでいる。それを見て、アリスは何も言葉が出てこなかった。
「アリスが大変な状況だってことは分かってる。けど、今、私はあなたしか頼れない。私のお願い、聞いてくれないかな?」
「な、何でしょうか?私にできることなら構いませんが。」
セインは大切な人。それ以上、女性は言わなかったが、女性がアリスにした頼み事は、本当にセインが大切なんだと、理解するには充分だった。
「アリスにとって、とても酷なことなのは分かってる。精神的にも、肉体的にも…。けど、アリスにしかできないの。」
「誰かの役に立てるなら、私はやりますよ。任せてください。」
辺りは再び深い霧に包まれた。
アリスが目覚めると、まだ夜だった。月の位置もそんなに変わっていない。長い間女性と話した気になっていたが、実際には30分も経っていないようだった。体の怠さを感じたが、アリスは女性の願いを形にするため、部屋を出た。
ジェイは途方に暮れていた。セインの手術は成功した。一命は取り留めたものの、ジェイに告げられたのは厳しい現実だった。
「目を覚ますかどうか、本人次第です。色んなものの下敷きになって、発見も少々遅かった。体の機能は生きていて、処置もしましたが、目覚めるかどうか…。目覚めたとしても、何かしらの障害が残る可能性もあります。」
ジェイにそう告げるブラスも辛そうだった。そんなブラスに、ジェイは頭を下げた。
「いえ、望みを繋いでいただき、ありがとうございます。」
個室に運ばれていくセインに、ジェイはついて行こうとした。部屋に入る直前で、実動部隊の隊員に呼び止められた。規制線を無視してアリスと一緒に侵入し、アリスの速さについて行けたため、取り調べの対象となった。一応、セインを発見した一般人という扱いで、拘束はされないらしいが、かなり念入りに取り調べを受けた。話せるところは話し、言いにくいところは適当にはぐらかした。取り調べが終わって、セインが眠る個室に入ったのは夜だった。
深い夜の闇に、半月が優しく光を与えている。星の瞬きも見える。せっかく国際防衛機構にいるのだから、ここにアリスも呼んで、3人で夜空を眺めたい。だが、セインは意識が戻らず、アリスは処分が決まるまでは自由に動けない。取り調べのときに、アリスもセインを助けたのにどうして処分を受けるのか、抗議をしたジェイだが、規則だから、の一点張りだった。ジェイは自分の無力さを感じ、血が出るくらいに手を握りしめた。そんなとき、窓を軽く叩く音がした。ジェイが顔を上げて窓を見ると、窓の外にはアリスがいた。驚いたジェイは、窓を開けた。
「アリス様?!どうされたんですか?ここ、3階でベランダはないんですよ?」
驚くジェイに、アリスは口の前に人差し指を立てた。アリスは壁の僅かな凹凸を頼って自分の部屋から建物を移りつつやって来ていた。
「ジェイ、小声でお願いします。とりあえず、中に入れてもらえませんか?」
ジェイは言われた通りにアリスを中に入れた。アリスは一息ついてすぐにジェイにセインのことを聞いた。ジェイは正直にセインのことを説明した。アリスはそれを聞いて胸が張り裂けそうになったが、唇を固く結んで頭をブルブルと振って、ここに来た目的を心の中で自分に言い聞かせた。ベッドで眠っているセインの横に立ち、セインの右手を両手で握った。目を閉じ、大きく深呼吸をして、目を開けた。両目がほんのり青く光っている。ジェイはハッとした。
「アリス様、それはダメで…」
「大丈夫です。それに、私、いつかちゃんとセインのお芝居を見たいですから。」
握った手を介して、アリスからセインへ青く優しい光が移っていく。そんな状態が20分続いた。ジェイは止めたかったが、あまりにも穏やかな顔でセインを見つめるアリスを見て、何も手出しできなかった。光の移動が止み、アリスの目が元に戻ると、アリスの頭の中で女性がもう1つ頼み事をしてきた。
『手を握ったまま、歌ってあげて。アリスならできるわ。』
歌ったことなどないアリスは戸惑ったが、それでも、初めて知ったアベマリアを歌った。アリスの美しく透き通る歌声は部屋中に響いた。ジェイはアリスの歌を聞いて驚きを隠せなかった。
「そっくりだ…。」
すると、アリスの手をセインが軽く握り返した。アリスはセインに呼び掛けた。
「セイン?聞こえますか?」
「し、…シャーロット…。」
「え?」
それ以上、セインが呼び掛けに応えることはなかった。
「ジェイ。あとはお任せしてもいいですか?」
「…ええ。アリス様も、せめてしっかり休んでください。」
アリスは無言で微笑み、窓から自分の部屋に帰っていった。残ったジェイは、ベッドの横の椅子に座り、涙を流した。
翌日、昼過ぎにセインは目覚めた。こんなに早く目覚めると思っていなかったブラスは驚いた。しかも、検査をしてみてもどこにも異常はなく、障害も残っていなかった。瀕死の重傷だったはずなのに、処置の翌日には何かに頼ることもなく自分の足で普通に歩いている。
「いや、奇跡としか思えません。素晴らしい生命力です。」
「先生の処置が的確だったお陰ですよ。ありがとうございます。」
そこに、実動部隊の隊員が入ってきた。一応、セインにも聞き取りをしたいらしい。目覚めたばかりということもあり、ブラスは15分だけという条件付きで許した。
「聞き取りを担当します、ニコラ・アイーダです。よろしくお願いします。」
ニコラは陥没が起こる前の行動や、起きた瞬間のことを聞いた。セインは1つずつ丁寧に答えていった。15分という時間はあっという間に過ぎた。
「辛いことを思い出させてすみません。ご協力、ありがとうございます。」
「構わないよ。君も大変だね。」
「いえ、仕事ですし、慣れてますから。…あの、最後に1つ、聞いてもよろしいですか?」
ニコラは聞き取り用のタブレットの画面を切って改まった。何を聞かれるのだろう、とセインは首を傾げた。
「これは個人的に気になっていることなのですが、アリスとはどういった関係ですか?」
ニコラはアリスとジェイにも同じ質問をしていた。だが、2人共、助けてくれた人とか大切な人とか、明確な回答を避けているように感じていたのだ。
「そうだな…。最近知り合った良き友人ってところかな。」
「…そうですか。ありがとうございます。それでは、失礼いたします。」
ニコラは部屋を出た。仕事上の聞き取りは問題ない。聞きたいことはちゃんと聞けた。だが、アリス、セイン、ジェイの3人の関係性については不思議なところがある。そういうことをズケズケと聞くのもどうかと思うが、道端で倒れていたアリスを助けた2人組、というには結びつきが強すぎる。モヤモヤを残しながら、ニコラは実動部隊の部屋に戻った。
部屋に残ったセインは、ジェイから一通りの話を聞いた。助けた時のこと、国際防衛機構に運ばれた時のこと、アリスが規定違反で自室で待機していること。しかし、ジェイは昨晩のことは話さなかった。話せばセインがショックを受けると思ったのだ。
「…助けてくれたのに、そんなことになっているのか。アリスには悪いことをしたな。スコットに話してみるよ。」
「いや、それも絶望的だ。」
ジェイはタブレットで今日配信のニュースをセインに見せた。陥没事故でセインが巻き込まれて重体であることを大々的に伝えていた。その次に、国際防衛機構の在り方について批判的な記事が書かれていた。化け物を庇っているだの、フューダの関係者に資金を使うなだの、アリスに対して市民の憎悪を煽るものだった。
「スコットはアリス様を守りたいみたいだが、世論がこれじゃ難しいだろうな…。」
「おいおい…、それじゃあ、僕がアリスを引き取る。」
「それだと、セインにヘイトの矛先が向くぞ。アリス様もそれが分かってる。今の世論じゃ、アリス様はお前のところには来ない。」
「じゃあ、どうしたらいいんだ!」
セインは感情を剥き出しにした。誰もどうにもできない現実を、どうしても受け入れられなかった。そんなセインの肩に、ジェイは手を置いた。
「私だって、悔しいさ。だけど、どうしたらいいのか、今は全く分からない。…分からないんだ。」
セインは驚いた。いつも冷静なジェイが、自分の真正面で、目に涙を浮かべている。ジェイも自分と同じ気持ちなのだと気付いた。
「ごめん、ジェイ。大声出して、悪かった。」
セインとジェイはベッドに腰掛け、気持ちを落ち着かせた。
実動部隊の部屋に、ボンゴレがやって来た。少し気が立っているようだ。
「どうしたんだよ、おっさん。」
ジルバが嫌そうに聞いた。そんなジルバをチラリと見て、ボンゴレはビルに詰め寄った。
「どうしました?今、私達はご覧の通り、バタバタしているんですが。」
陥没事故での不手際についての報告書や再発防止策の取りまとめに追われている実動部隊は、他人にかまっている暇などない。むしろ、手伝ってほしいくらいだ。
「どうもこうもねえ。アリス、部屋の前に食事を置いてても、全く手を付けやしない。部屋から全く出ずに生きるなんて無理だ。飯くらい、取らせてやれよ。」
どうやら、アリスは今日の朝と昼は食事を取らなかったらしい。未だに痩せ型のアリスを、ボンゴレは本気で心配しているし、自分の料理でお腹を満たしてほしいとも思っている。
「食事を取るために廊下に出ることは許可されている、とアリスにはちゃんと伝えています。」
「本当か?」
「ええ。本当です。」
「それならいいが…。悪かったな、仕事の邪魔をして。」
ボンゴレが部屋を出ようとするのを、ニコラが声を掛けて止めた。
「おじさん、待って。アリス、何も食べてないの?」
「ああ。簡単なものくらい食べなきゃな、とおもって、部屋の前に置いといて、声も掛けたんだ。けど、声を掛けても反応はないし、料理も手つかずだった。」
世論に一番振り回されているのはアリスなのだと、ニコラは思い出した。命を助けているのに、フューダの下で育った危険な超能力者という思い込みのラベルがアリスを苦しめている。アリスはアリスで、世論がそうなら従おうとしている。これでは、フューダの下にいた頃と変わらない。
「ニコラ、落ち着け。」
ニコラの気持ちを察したのか、ジルバが声を掛けた。
「ジルバ、あんたは何も思わないの?」
「思わないわけないだろ。実際、フューダのアジトでアリスを助けたの、俺だし。これじゃ、助けても助けなくても変わらねえ。」
高ぶった若い隊員2人を、ビルとダグラスが落ち着かせようとした。
「ジルバ。あの時、アリスを助ける、という判断は間違ってなかった。ニコラも、助けたばかりのアリスの面倒を見てくれて助かったよ。」
「2人は間違ってない。ただ、世論も理解はできる。フューダに育てられた超能力者、だけ聞けば不安しかないからな。」
ジルバとニコラは言葉が出なかった。ビルとダグラスの言うことは正しい。自分達は間違ってない。世論がアリスを危険視してしまうのは仕方ない。誰も何も間違ってはいないため、責める先がない。
「こうなってしまった以上、私達は出来る範囲で全力でやるしかないんだ。イテテテ…。」
「隊長、大丈夫ですか?」
「ああ。最近、頭痛がよくあるんだよ。気にするな。支障はない。」
「さあ、2人共。やることをとっとと済ますぞ。」
「…はい。」
ビルとダグラスはジルバとニコラの肩を叩き、自分の席に戻った。
報告書と再発防止策をまとめ終わったのは、次の日の夕方だった。実動部隊の隊員は皆、睡眠時間を削って取りまとめを行った。取りまとめを行っているうちに、現場に持っていっていた機材に何らかの不具合が生じていたことが分かった。これが時間の経過による劣化ならまだ良かったのだが、明らかに誰かが壊した形跡があった。犯人探しは継続するものとして、一旦は保管場所の警備の強化や隊員に対する実習訓練を通して、機材の取り扱いに気をつけることとなった。
「みんな、お疲れ様。みんなのお陰でどうにか終わることができた。ありがとう。」
ビルが隊員を労った。隊員は皆、安堵の表情を浮かべた。そんな隊員達に、ビルは申し訳なさそうに連絡事項を述べた。
「さっき、長官から話を受けたんだが、アリスは停職1ヶ月以上の処分は避けられないそうだ。世論が過熱しすぎた場合、沈静化を図る目的でアリスを国際防衛機構から除名する可能性もある、とのことだ。」
「そんな…。」
厳しい現実を突きつけられ、ニコラは無意識に泣き出し、ジルバは口を固く噛みしめた。これまで黙って聞いていたジョージも、我慢を堪えられなくなった。
「隊長、やっぱり僕…」
「ジョージ。気持ちは分かるが、今は我慢の時だ。君は何も悪くないだろ?」
「けど、それならアリスだって…」
「特殊な事なんだよ、今回の件は。残念だが、私達にはどうすることもできない。」
ジョージは納得いっていない。皆、ジョージの事情を分かってはいるが、ビルの言うことが全てだと感じていた。
フューダは感情の高ぶりを抑えきれなくなっていた。光がゆっくりと力を増しているのを感じ、興奮から自身の闇が体の外に漏れ出している。
「フューダ様、落ち着いてください。フューダ様が望むほど、まだ光は強くありません。」
側近にそう言われたフューダは我に返った。心を落ち着かせ、闇は外に漏れなくなった。
「しかし、本当によろしいのですか?光が力を増すということは、我々の敵が力を付けているということですよ。」
側近は、フューダが本気でアリスにもっと強くなってほしいと思っていることを知っている。自分と本気で戦える相手がほしいのだ。しかし、どうしてそんなことを思っているのか、ずっと不思議だった。自分達の目的を達成するのに、アリスが強くなって邪魔して来られたら困る。
「…分かってないな。」
フューダはやれやれとため息をついて、側近の首を掴み、壁に追いやった。側近は苦しみ、もがいている。
「俺は、ずっと最強なんだ。知りたいじゃないか。命の危機を感じながら戦う、その感覚を。」
首を掴んでいた手に一気に力が入り、側近は真っ黒な灰となって散った。床に落ちた黒い灰を眺め、フューダはそれを蹴散らした。
フューダは椅子に座って突っ伏した。誰も自分に追いつかない。誰が自分に挑んできても、すぐに相手は灰になる。自分はこんなに戦いに飢えているのに、全て呆気なく終わってしまう。つまらないし、生きているという感覚すらない。自分は生きていて当然で、それだけの存在でしかない。世界を我が物にして、世界中の人間を思い通りに動かすにしても、全員がこうも簡単に死んでしまっては意味がない。自分の命は他の人間共とは別次元に存在している、そんな感覚だ。誰か自分に追いついてほしい。思いっきり、何の遠慮もなく殴り合いたい。だが、そんな存在はいない。闇の力の影響で若さを保ててしまい、何百年と色んな人間を見てきたが、理想の人間は現れない。あのシャイーリャ族でさえもだ。しかし、この時代になってようやく、シャイーリャの力が覚醒した。ずっと手元にあったものが、離れた瞬間覚醒したのだ。何百年と生きてきて、初めてワクワクした。取り返すことも考えたが、それはもうしない。自分の手元にいては、シャイーリャの力は成長しないらしい。
「アリスよ、しっかり成長しろ。そして、俺を楽しませろ。」
フューダは笑った。その後、アリスに武術を指導していた手下を呼んだ。
「今日から色々頼むことになる。頼んだぞ。」
手下は驚いたが、すぐにそれを受け入れて、フューダに一礼した。新たな側近は、目を輝かせていた。
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