第7話 本音は建前で隠される。
アリスとスコットのやり取りは、実動部隊の中ですぐに話題になった。アリスがスコットに初めて会った日の翌日、朝礼前の実動部隊の部屋はいつにも増して賑やかだった。
「本当、ハラハラしたぞ。」
「アリス、肝据わりすぎ。」
「知らない、って武器になるときあるよな。」
「まあ、しょうがないか。僕達だって教えてなかったし。ふふふ…。」
「ふふふ…。ごめん、ツボった。ふふふ…。」
「もう、勘弁してください。次からは気をつけますから。」
みんながゲラゲラ笑っている中で、アリスは恥ずかしそうに顔を赤らめた。この組織の一番偉い人に、机の上に置きっぱなしにしたものを片付けさせた上に、自分のことはアリスと呼んでと言ったり、長官が分からなくてキョトンとしたり、失礼なことをしたというのはアリスにも分かっていた。もしも相手がスコットではなくフューダだったら、間違いなく半殺しにされていただろう。アリスはゾッとした。
「おっと、もう始業時間か。」
ビルは時計を見て、一気に仕事モードになった。賑やかだった隊員達も、そんなビルを見て気を引き締めた。アリスもワンテンポ遅れたが、食らいついた。
「今日の復興当番は私だ。」
ビルが復興当番のときは、副隊長のダグラスが隊長代理を務める。ダグラスはビルを支えているだけあって、隊長代理も卒なくこなす。
「が、昨日の晩に、今日の会議に呼ばれてしまってな…。悪いんだが、アリス、代わりに行ってきてくれないか?」
「わ、私ですか?構いませんが、実際に何をしたらいいのでしょうか?」
「それは安心してくれ。現場の人間にはちゃんと伝えてある。指示役がいるから、その人の言う通りに動いてくれ。」
「はい。頑張ります。」
アリスは事務作業こそできないが、午後の訓練は実動部隊の中でも群を抜いてセンスをみせていた。ブラスを抱えて逃げ回っていただけあって、誰よりも体力と持久力はあり、戦闘を想定した手合わせも他の隊員を圧倒していた。フューダに稽古をつけられていたとあり、今後は対フューダを想定してアリスに指導してもらおう、という話も出ているらしい。復興作業は気力と体力を求められる部分が多い。そういう面で、アリスにも任せられる、とビルは判断したのだ。
「私達は自分で車を運転して行っていたが、アリスは運転免許がないから、悪いがバスと鉄道を乗り継いで行ってくれ。そのことも伝えてあるから。」
アリスは言われた通りにバスでエメラードに向かうため、朝礼を途中で抜け出してダイアモ行きのバスに乗り込んだ。教えてもらったバス停で降り、駅でエメラード行きの電車に乗り換えた。
エメラードに着いたのは10時前だった。道行く人に聞きながら、アリスは無事に役所に辿り着いた。
「あの、私、国際防衛機構実動部隊のアリス・オリビアと申します。隊長のビルに、こちらに伺うように言われたのですが…。」
そう言うと、役所の職員は少し疑うような顔をしながら担当者を呼んできた。復興を担当する部署の係長らしい。
「ん?想像と違うな。まあ、いいや。」
何を想像していたのか気にはなったが、アリスは聞かないでいた。担当者に案内されるがままについて行き、瓦礫の山になっている場所に連れて行かれた。
「こちらの瓦礫を今日中に片付けてほしいんです。」
「今日中…ですか…?」
アリスの目の前には、終わりが見えないくらいの量の瓦礫が山積みになっていた。普通に考えたら、その日の内に片付けるなど、不可能なことくらい分かる。
「と、とりあえず、頑張ります。」
「頼みますよ。瓦礫はあちらにある臨時の収集スペースにお願いします。到着が遅れたんですから、休憩はなしでいいですよね?」
「は、はい…。」
担当者は終始険しい顔をしていた。こんな状況なのだから仕方ない、とアリスは思った。だが、実動部隊の隊員達から聞いていた話と違いがありすぎることに困惑した。隊員達は皆、優しくて一生懸命で前向きに頑張ってる人ばかりで休憩中も談笑しながらご飯を食べた、と言っていた。違和感を感じつつも、アリスは任されたことをやり切ろう、と気を引き締めて作業に取り掛かった。
アリスにとって、重いものを運ぶというのは難しいことではない。フューダにはよく素手で金属の塊を運ばされていた。今、この瓦礫の撤去作業も、何も道具は与えられていないが、アリスはせっせと言われた場所まで瓦礫を担いで行っている。途中、瓦礫の下から麻袋のようなものを見つけたアリスは、細かい瓦礫はその中に入れてまとめて運べるようになった。言われた通りに休憩を取らずに頑張った甲斐あって、夕方までに片付けることができた。
片付けが終わったことを報告するために、アリスは再び役所を訪ねた。その旨を伝えると、受付の女性はかなり驚いた顔をして、担当者を一度受付から見えないところに小走りで連れて行った。5分くらい経ってから担当者はアリスのところに来た。
「ご苦労さまでした。じゃあ、次に行きましょう!」
担当者に言われるがままついて行くと、また別の現場で瓦礫を片付けるように言われた。アリスは素直に指示に従った。何の道具も使わず、飲まず食わずで作業を続けるアリスを、何人かの市民が離れたところから見ていた。
「ねえ、本当にあの子、実動部隊なの?」
「制服違うし、自称じゃね?」
「けど、国際防衛機構からの連絡通りの特徴らしいぞ。」
「へえ。普通の人間じゃないみたいだし、区別されてるかもね。」
アリスを良く言う人はいなかった。アリスを疑い、アリスを馬鹿にするようなことを言う人ばかりだった。アリスの耳にもその声は届いており、なんなら気配で良い印象を持たれていないことはエメラードに着いたときから気づいてはいた。アリスは、しょうがない、当たり前のことだ、これが普通の反応だ、と自分に言い聞かせていた。そんな風に言われても、少しでもエメラードの復興に役立てれば、という思いで頑張った。
日が暮れてすぐ、2箇所目の瓦礫の撤去作業が終わった。もう一度、役所に行こうとしたら、担当者が現れた。担当者の後ろには、何人か人がいた。
「えっと…、作業、終わりました。これでよろしいでしょうか?」
怒りに似た雰囲気を感じ取ったアリスは、いつにも増して優しい言い方で、口角を少し上げた。担当者は懐中電灯で瓦礫が片付いていることを確認した。
「はい。片付けはバッチリです。」
その言葉を聞いて、アリスは少しホッとした。が、気づけばアリスの周りにはエメラード市民が何十人も集まっていた。アリスは警戒はしたが、身構えることはしなかった。一般市民が相手なので、身構えたら逆に怖がらせてしまうと思ったのだ。
「あなた、ですよね?エメラード事件のときに逃げ回っていたのって。」
担当者が静かに聞いた。アリスは何も言わずに頷いた。すると、集まった人達が一斉に、棒やフライパンなど、武器になりそうなものを構えた。さすがに驚いたアリスは、辺りを見回し、担当者に尋ねた。
「何ですか?一体?」
「分からないのか?」
担当者は怒りを表面に出した。さっきまでの真面目そうな顔が、別人のような顔になっていた。
「どうして、劇場は守ったのに、市民の住まいは守らなかった?」
そう言われて、アリスはハッとした。ここにいる人は、住まいを失った人達ではないかと、やっと予想することができた。
「街は半分壊滅状態だ。お前、変な超能力を使えるんだろ?何でそれで街を守らなかった?」
集まった人達はアリスに詰め寄った。アリスはその場から動けず、質問に回答するしかなかった。
「自分にどんな力があるのか、私自身が分かってないんです。あの時はとにかく必死で、直感で動いてました。街の建物を守ることまでは…、ごめんなさい。頭がそこまで回らなかったです。」
「だから!どうして劇場は守ったんだよ!」
「そ、それは…」
あの時、あの瞬間、何を思ったのか、アリス自身よく覚えていない。覚えているのは、ベルラッテ国立劇場を見たときに感じた懐かしさに似た感覚と、それによる違和感である。初めての場所で感じた感覚に、アリスは自身を疑った。だが、劇場を見て何かを感じたのは事実である。それを、どんな言葉で、怒りに満ちたエメラード市民に説明したらいいのか、アリスは迷い、焦り、自然と呼吸が早くなった。
「もういい!責任取ってもらうぞ!」
担当者がそう言うと、市民は一斉にアリスに向かってきた。棒で叩く者、ひたすら罵声を浴びせる者、泥水をかける者、アリスの制服を切りつける者までいた。アリスは体を丸くして耐え続けた。耐える以外のことを考える余裕はなかった。
パチン、と遠くで音がした。誰かが指を鳴らしたようだ。今の今まで怒りをアリスにぶつけていた市民達は、一斉にその場に倒れ込んだ。何事か。アリスはそう思う間もなく、邪悪な気配を感じ取った。体中が痛むのを我慢して気配を辿っていった。大通りに出た時、巡回中のエメラード警察の警官を見つけ、大勢倒れていること、介抱してほしいことを伝え、走った。痛みに耐えながら走り続け、エメラード郊外まで来た。真っ直ぐ立っているのもやっとの状態だったが、両足でしっかり踏ん張った。突然、人通りも車通りも少ない夜の道路の向かい側に強い気配を感じ、そちらを見ると、いつの間にかフューダが立っていた。
「よう、久しぶりだな。」
フューダは片手を挙げて、不気味な笑顔でアリスにそう言った。アリスは何も言わずに身構えた。
「おいおい、そんなに身構えるなよ。長い間に一緒に暮らした仲だろ?」
暗くて見えにくいとはいえ、フューダならアリスが手負いであることは簡単に分かるはずである。相手の呼吸や動きで瞬時に弱点を見つけ、そこを突く。フューダはいつもそうしている。だが、今は道路の向かい側に留まり、アリスに近づこうともしない。お互いそのままの位置で話は続く。
「それより、どうだ?善人ぶってても、人というのは恐ろしい本性を持ってるもんだ。さっきの連中の本性、俺もびっくりの本性だったなぁ。」
フューダは笑いながら言った。人をおもちゃのように扱っているかのようだ。
「さっきの人達、あなたが操ってたんですか?」
「操ってたんじゃない。本性を引き出してあげたんだ。住まいを失ってストレスも多いだろうから、ここらで本性を剥き出しにしてもらって、スッキリしてもらおう、っていう俺の優しさだ。」
フューダは高らかに笑い、アリスは怒りが顔に出た。人の気持ちに土足で踏み込み、それを利用して社会を混乱させるやり方も、過去に何回かあった。フューダにもアリスと同様、何らかの強力な力が備わっていて、アリスと違って完璧に使いこなしている。
「で?どうだ?普段、優しく接してくれる人でも、本性は俺らと変わらねえ。結局、俺から離れても同じような目に遭ったな、アリスよ。」
「そ、それは、あなたが人を人形のように扱ったからで…」
「アリス、覚えとけ。人は本当の本音を言わない。思ってもないことを言って場を保つ。そんな不満が溜まって、争いになるんだ。もし、俺が手を出さなかったら、あいつらはアリスと一緒に居続けて気が狂ってたかもしれない。」
アリスは何も言えなかった。本当にあれが本性だとしたら、フューダの言う通りになっていただろう、と納得してしまったのだ。気持ちが落ち着かずぐちゃぐちゃになり始めたアリスを見て、フューダはそれ見たことかと言わんばかりのドヤ顔をキメた。そんな2人の間を1台の大型トラックがエメラードに向けて走っていった。トラックが通り過ぎた直後、フューダはいつの間にかアリスの真横に来ていた。気配を全く感じ取れなかったアリスの体は少しも動かず、道路の向こう側を見続けていた。
「アリス。せっかく覚醒したんだ。強くなって、俺と遊んでくれよ。」
笑いながらそう言ったフューダは、その場から煙のように消えた。アリスは辺りを見回したが、フューダの姿も気配もなかった。
遠くにエメラードの街が見える。普通なら、エメラードに戻って、終電に乗ってダイアモに行けばいい。しかし、今のアリスにそれは出来なかった。市民から浴びせられた言葉の中に、エメラードに二度と来るな、というものが何個もあったのだ。フューダの言葉は本当か分からないが、力は本物だ。本当に本性を引き出したのなら、エメラード市民の本音ということになる。アリスはトボトボとダイアモ方面へ歩き、エメラードから離れていく。車で1時間以上かかる距離だ。いつ国際防衛機構に戻れるか分からない。そもそも、戻ってもいいのかも分からなくなった。市民達の行動、言葉、表情が思い出される。どれもがフューダが言っていたことと重なる。アリスの呼吸はさらに早くなり、肩が大きく上下する。次第に歩くのもままならなくなり、建物も何も無い道路の隅に倒れ込んだ。呼吸はどんどん早くなり、上手く息が吸えていない。アリスはその場で意識を失った。
国際防衛機構実動部隊は大慌てである。アリスが時間になっても帰って来ないことを不審に思った隊員達は、それぞれが確認作業にあたった。防犯カメラの映像で、アリスが1人で何の道具も使わずに作業をしていたこと、時間を過ぎてからも作業を任されていたこと、集団で暴行を受けたことが分かった。驚いた隊員達は、役所の担当者に問い合わせたが、暴行した後に倒れて病院に運ばれたということで、話ができなかった。アリスの様子から、何かを感じてそれを追って行ったことは分かったが、どこに向かって行ったのか、何を追ったのかが分からない。駅やバス停に戻った様子もない。さらに、ビルが前と同じミスをしていた。
「隊長…、アリスに何か通信機器を渡しましたか…?」
「…やっちまったぁ。」
「そういえば、俺たちも使い方を教えたことなかったな…。」
「おーい、後悔はその辺にしとけ。」
「そうそう。アリスを見つけて、その後、今度こそはちゃんと通信のやり方、教えてやろう。」
落ち込むビルとジルバ、ニコラに、中堅のダグラスとジョージが前向きな言葉をかけてフォローする。2人も後悔はあり、アリスの事が心配でたまらないのだが、やることをやらなければ始まらない、と自分に喝を入れている。それを他人に押し付けることなく、励ますことができる。そういうところが、隊長のビルからも、若手のジルバとニコラからも信頼されているのだ。
情報を集め、関係各所への連絡も済ませたのは、日付が変わる直前だった。みんなアリスの足取りを捉えるのに必死で、疲れていることを忘れている。
「みんな、お疲れ。とりあえず、一旦休もう。太陽が昇ったら、どう動くか考えるぞ。」
ビルの言葉に、誰も声を出さずに頷いた。結局、アリスが何を追って行ったのか、カメラには映っておらず分からなかったのだ。連絡を取る手立てもなく、誰も部屋に戻らず、実動部隊室で仮眠を取った。
翌朝、ボンゴレが実動部隊室のドアを勢いよく開けた。あまりにも勢いが良すぎて、隊員達は驚きと共に目覚めた。
「びっくりしたぁ!なんだよ、おっさん!」
ジルバがボンゴレに怒鳴った。ボンゴレはそんなのお構いなしという風に、ビルの前まで来た。
「おい、隊長さん!アリスは見つかったか?」
「いや、まだだ。だが、必ず見つける。」
「当たり前だ!見つけてくれよ!そのために、飯を食え!」
ボンゴレは廊下で待っていた調理場のスタッフを呼んだ。スタッフは隊員の人数分のサンドウィッチを持って入った。
「お前ら、昨日の晩ご飯、来なかったろ?心配したぞ。とにかく、今は食え。できるものもできなくなっちまう。」
ボンゴレなりの優しさである。キョトンとしていた隊員達は、お互いの顔を見合わせ、サンドウィッチに手を伸ばした。みんな空腹を思い出して、用意されたサンドウィッチはあっという間に全部なくなった。ボンゴレは満足そうに頷き、じゃあな、と言って調理場に戻った。
気を引き締めた隊員達は、情報を整理した上で、どうするかを決めた。
「全員でこの件に関わるわけにはいかない。他の出動要請があっても困るからな。役所への聞き込みはダグラス、警察署への情報確認はニコラに行ってもらう。ジョージ、ジルバ、私は緊急時に備える。いいな?」
「はい!」
誰もがやれることをやると決めた。隊員達は持ち場についた。
ダグラスが向かったエメラード市役所には、多くの報道陣が集まっていた。実動部隊の隊員に暴行を加えたことが、早くも報道機関に知れてしまったようだ。役所の職員が報道陣の対応をしているど真ん中を、ダグラスは堂々と進んでいった。驚いた報道陣は、ダグラスを止める間もなかった。
「実動部隊の方ですよね?今回の件で抗議をしに来られたのですか?」
報道陣の何人かが、役所に入ったダグラスに向かって大声で聞いてきた。やれやれ、とダグラスは振り返った。
「それを調べるのは、あなた方報道機関ではない。ちゃんと分かったら、いずれ然るべき機関から報告があるでしょう。それまで、変な憶測で我々の仕事の邪魔をしないでいただきたい。」
ダグラスは報道機関の人間が嫌いだ。言えるはずのないことをしつこく聞いてくるし、似たような質問をしてくる。間違った情報でも内容が盛り上がれば、よく調べもせずに世の中に発信してしまう。そんな姿勢に呆れていた。過去に一度、その事を生放送中のカメラの前で言ったことで、ダグラスは報道関係者からは敵視されてしまったが、その他大勢からは厚い信頼を得た。
役所の中の部屋に通されたダグラスは、部屋の椅子に座っていた復興事業の担当者に軽く礼をした。担当者は、顔にガーゼを貼っていた。
「こ、これはダグラスさん。どうぞ、お座りください。」
担当者は緊張しているようだ。そんな担当者を見て、ダグラスはもう少しだけ顔に気持ちが出てしまった。話に聞いた、アリスへの暴行で先頭に立っていたという人物である。ダグラスと担当者が席に着いたところで、話はすぐに始まった。
「早速ですが、うちの隊員に暴行を加えたというのは本当ですか?」
明らかに怖い顔をしているダグラスに、担当者は焦り、言葉が詰まってしまった。ダグラスも分かってはいたが、態度を抑えるのでやっとだった。
「あなた、復興事業の担当者ですよね?この聞き取り、早く終わらせて仕事に戻りましょうよ。市民の皆さんが待ってますよ。」
ダグラスは声を荒げることなくそう言った。顔が怖いのは相変わらずだが、落ち着いた言い方だ。担当者は、ようやく言葉が出た。
「は、はい…。なぜ、あんなことをしてしまったのか、覚えてないんです。でも、やったのは事実です。未だ、この手に感覚が残っていて…。」
担当者は自分の両手を見ながら泣き出した。やったのは事実。しかし、なぜやってしまったのか分からない。ダグラスは違和感を感じずにはいられなかった。
「アリスに…、うちの隊員にそういう行為をする前後、同じ行為に及んだ市民と何か相談したりしましたか?何か、呼びかけをしたりしましたか?」
「いえ、そういうことは一切していません。本当です。けど、隊員さんが来てから何かムカムカしてきて、夕方頃になったら抑えられなくなっていて、そうしたら私以外にもそういう方がいらっしゃって、自然と集まってました。」
大体、デモや暴動というのは、誰かが呼び掛けて起こる。呼び掛けに応じた同じ意思を持つ仲間が一致団結して、行進したり、自分たちの主張を権力者に受け入れさせたり、酷くなるとそこら中の物を破壊する。ある特定の人物を狙う場合は、入念に計画を練り、確実に狙う。
「昨日、本来なら実動部隊の隊長であるビルが行く予定でした。それが、前の日の晩にアリスに変更になりました。本当なら、ビルを狙っていたのですか?」
「そんなことはありません。そもそも、昨日の方、アリスさんを襲う気もありませんでした。なのに、気付いたらあんなことを…。」
「襲ったことは覚えてるんですね?」
「はい…。どういうわけか、その後、気を失って、気付いたら病院に…。その、何というか、私の中に入ってきた何かがスッと抜けたような…。」
ダグラスは何件か過去の事例を思い出した。操られた、というよりも、何かが自分の中に入ってきて感情の抑制が効かなくなる、と証言した人が過去に何人かいたのだ。
「これは…。」
ダグラスはほぼ確信に近い予想を立てた。ほぼ間違いない、と思ってはいるが、本当だったらあまり気持ちの良いものではない。
ダグラスが役所に聞き込みに行ったのと同じ頃、ニコラはエメラード警察署にいた。警察署にも報道陣が集まっていた。ニコラのオレンジの制服を見るなり、報道陣が一斉にニコラに詰め寄った。
「実動部隊の方!今回の件について、何か進展は?」
「隊員が暴行されたというのは本当ですか?」
「隊員が市民を返り討ちにした、という可能性は?」
ダグラスではないことをいいことに、報道陣はニコラを質問攻めにした。進行方向を邪魔され、なかなか警察署の中に入れない。
「あなた方は、自分達さえ仕事ができれば他の人の仕事を邪魔してもいい、とでもお考えですか?」
苛立ったニコラがそう言うと、集まった報道陣は凍りついた。ダグラス以外にも、こんなにハッキリ言うやつがいる。しかも、女性で。男女平等が当たり前とされる世の中だが、まだどこか女性を下に見るところがある。報道陣の中の1人の男性が何かを言おうとしたが、隣にいた別の報道機関の男性に止められた。やめとけ、マスコミが悪く言われる。小声だったが、警察署の中に入っていくニコラの耳にもバッチリ聞こえてきた。
エメラード警察署では、病院での検査、治療を終えた暴行事件の関係者が取り調べを受けていた。老若男女、様々な人がいた。ニコラは、その中の何人かと面談をした。
「暴行に及んだのは間違いないんです。でも、その前後のことをあまり覚えてなくて…。」
「始めはどうとも思ってなかったんです。けど、だんだんイライラしてきて、気付いたらあんなことを…。」
「私、酷いことを言っちゃった。もうエメラードに来ないで、って。私は街の復興なんてできないのに。ごめんなさい。」
聞いていられない、とニコラは何度も思った。皆、暴行に及んだことは覚えているのに、動機を覚えていない。気付いたらそうなっていた、と皆口を揃えて言う。そんなことで、アリスがあんな目に遭って、現在行方不明となっていることが、理不尽で悔しくて堪らない。しかし、ちゃんと聞き取りをしないと全体像が分からない。ニコラは何度も歯を食いしばって業務を遂行した。
聞けるだけ聞いて、ニコラは情報を整理した。自分がしたことは覚えている。しかし、なぜ、そんなことをしたのかを覚えていない。罪悪感はもちろんあるが、操られたという感覚はなく、むしろスッキリした。自分の中に入った何かが、すうっと出ていく感じだった。皆、大体こんな感じである。ニコラは、過去にも似たようなことがあったことを思い出し、嫌な予感がした。そんな時、ダグラスから通信が入った。
「ニコラ、ちょっと今いいか?」
「ええ。アタシも丁度話したいことがあったから。」
「そうか。じゃあ、お先にどうぞ。」
ニコラは警察署で聞き取ったことをダグラスに伝えた。その上で、過去の事例と比較して、ある予想を立てていた。
「今回のこの件、フューダ本人が関わってるんじゃないかと思ってる。」
それを聞いたダグラスも、ニコラの意見に同意した。
「役所での聞き取りも、そっちと似たようなもんだ。俺もフューダ本人が関わってると思う。」
このことを、他の3人にも話すべく、通信範囲を広げた。ダグラス、ニコラそれぞれの聞き取り結果と、2人の考えを聞いた3人も、フューダ本人が関わってることについては、おそらくそうだろう、ということで納得した。
「過去の事例でも、こういうことがあったな。やったことは覚えてるけど、なんでやったか覚えてないってやつは。」
「その全てで、フューダらしき人物が目撃されてましたね。」
「今回もそうだとしたら、あいつらにとってエメラード事件以上に重要なことだった、ってことか?」
通信で繋がっている隊員全員の思考が行き詰まった。各国首脳が集まっていたあの日よりも、今回のほうが何か意味があるというのが理解ができなかった。
隊員全員が悩んでいたとき、ニコラが警察署の職員に呼ばれた。ついて行くと、部屋の中には1人の男性が座っていた。聞くと、トラックの運転手のようだ。
「昨日、エメラード郊外の道を走ってたドライバーさんです。」
「お巡りさんにいきなり聞かれて、何事かと思いましたよ。レコーダー見せたら、慌て始めるし。」
ニコラはドライブレコーダーの映像を見せられた。エメラード近郊の車通りの少ない道路の両端にある歩道に、それぞれ1人の人が立っていた。徐々に近づくと、誰か分かるくらい鮮明に映し出された。
「この映像の、この辺りって、エメラード中心部からどれくらい離れてますか?」
「え?ああ、車で40分ほどですよ。」
ニコラは見てすぐに気が付いた。歩道に映る2人は、アリスとフューダに間違いない。すぐにこのことを隊員達に伝え、映像も送った。
「おいおい…、車で40分って、歩くと結構かかるぞ。」
「フューダの気配を感じて、そのまま追っていったんでしょうか…?」
「無理をしたのは間違いないでしょう。映像を観る限り、頭から血を流してますし。」
誰も何も言わない時間が数秒流れた。アリスがフューダと対峙してしまった。その後、どうなったのかは分からない。様々な可能性を考えなければならない立場の国際防衛機構の職員として、最悪の場合が5人の頭に過っていた。アリスがフューダの下に戻ってしまった、ということだ。一緒に実動部隊として仕事をした期間はまだ長いとは言えず、むしろ試用期間だ。隊員の誰もが、アリスはこんな人間だ、とはっきり言えない。
「大丈夫!アリスは大丈夫です!」
沈黙を破ったのはニコラだ。隊員の中では、一番アリスと接している。
「とにかく、ダグラスと一緒に映像の場所に行きます。何か分かるかもしれないから。」
「…そうだな。よし、俺が警察署に行くからニコラはそこで待っていてくれ。隊長、いいですよね?」
「ああ。考えてるだけじゃ始まらないからな。ダグラス、ニコラ、任せたぞ。」
暴行事件の真相はまだ分からないことが多い。怪我をして、しかも真相が分かっていそうなアリスの発見と保護を目標としたダグラスとニコラは、警察署で合流した。フューダ絡みということもあり、警察官に事件に関係した人達の取り調べを徹底するように伝え、2人は現場に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます