第6話 出会いは色んな場所で。

 エメラード事件は怪我人こそ出したが、死者は1人も出ずに済んだ。それだけでも良かったのだが、被害は多く出た。準警戒区域となっていた範囲は、エメラードの中でも特に大きな被害が出ていた。多くの人が住む場所を失い、エメラード各地にある公園、広場に政府が設置した仮設住宅に身を寄せている。そんな状況を一刻も早く解消しようと、ベルラッテ全土から集められた建築業者、インフラ整備業者が技術を結集して復興に取り組んでいる。実動部隊も日替わりで駆り出され、それぞれができることをやっていた。

 エメラード事件から2週間が経ったこの日、実動部隊の復興当番はニコラである。ニコラは午前は重機を運転してボコボコになった土地を整備し、午後は仮設住宅に身を寄せる人達の聞き取り調査を行っていた。意外と早く、政府が仮設住宅を用意したので、大きな不満が出ることはなかったが、やはり皆、ちゃんとした部屋に早く住みたい、という気持ちが大きい。たまにキツい言葉を浴びせる人もいるが、ニコラはそういう人に対しても丁寧に対応した。集めた要望、意見はエメラードの役所に提出し、国際防衛機構本部にも持ち帰る。今後、どのような支援が必要なのか、いつまでに復興を達成するのか、目標を立てるためだ。

 今日の聞き取りを終え、ニコラは役所に提出した。役所でも要望を聞き、それを本部に持ち帰る。住民の不満を全て受け止める役所は、もはやパンクしている。役所の職員に対する支援も必要なのだ。不満は誰にでもあるのだが、実動部隊のオレンジの制服を見ると、皆落ち着いてくれる。何とかしてくれるという期待と、変なことはできないという緊張感からくる態度であることは、ニコラも理解している。それなら、その利点を最大限に活かしてしまおうではないか、というのがニコラの考え方だ。このポジティブさは、実動部隊の中でも重宝されている。

 役所から出て、国際防衛機構所有の車で帰ろうとしたとき、ニコラは呼び止められた。老人の男性と、孫の少年だ。ニコラは2人の話に耳を傾けた。

「お姉さん、僕たちを助けてくれた人の仲間だよね?」

「助けてくれた?詳しく聞かせてくれるかな?」

「あの日、孫と一緒にいて、騒ぎに気付いた時には逃げ遅れてたんです。けど、近くにいた赤っぽい服を着た女の子がワシらに手のひらを向けて、そしたら光のカーテンみたいなのに包まれたんです。その光が、瓦礫からワシらを守ってくれましてなあ。」

ニコラはブラスの話を思い出した。ベルラッテ国立劇場ごと光のカーテンのようなものに包まれたブラスは無傷で済んでいた。それだけでなく、逃げ回っているときも、何やら光る何かに包まれているような気がしていたと言っていた。実態は不明だが、アリスは逃げながら自分以外の人を助けていたのかもしれない、とニコラは思った。

「いやあ、今のワシらがあるのは、その子のお陰なんです。もし、あなたのお仲間でしたら、代わりにお礼を伝えてもらえませんか?」

「僕、その人にお礼のメダルを作ったんだ。」

少年はニコラにメダルを渡した。段ボールに可愛らしい模様の紙を貼って、リボンで首にかけるものだ。メダルの真ん中には、Thank youと書かれていた。

「分かった。このメダル、そのお姉ちゃんに渡しておくね。」

老人と少年はニコラに手を振り、笑顔で去っていった。この手のものは、一応何か細工がないか、調べなければならない決まりになっている。ニコラは車の中で機材を使って調べた。紛れもなく、少年が良心で作ったメダルだった。

「アリス、早く戻って来なさいよ。」

国立病院のほうを見てそうつぶやき、ニコラは本部に戻っていった。


 集中治療室のベッドの上で、アリスは眠り続けていた。息はあり、銃弾を受けた箇所は治ってきていた。医者も驚きの回復なのだが、危険な状態には変わらず、意識が戻る気配もない。そんなアリスは、眠っている世界の中で1人彷徨い続けていた。

 

 延々と白い靄がかかっている世界を、どこに辿り着くかも分からずひたすらに歩き続けていたアリスは、一旦立ち止まった。自分の周りを見たが、白い靄ばかりで、何も変わりがない。方向も分からない空間で、思った方向に再び歩き出した。

 どれだけ歩いたのか分からないが、疲れもなかった。アリスは、自分が死んでしまったのではないかと考え始めた。それなら、早くあの世を見つけなくてはならない。そう考えて、走り出した。

「違う。そういうことじゃない。」

声がした。聞き覚えのある声だ。声がしたほうに行ってみると、突然白い靄がなくなって、前がはっきり見えるようになった。アリスの前には、1人の若い女性が立っていた。

「は…。あ、アリスなの?」

どこか喜びながら、驚いて聞く女性に、アリスは困惑した。

「ど、どちら様でしょうか?」

「…。そうよね。そうなるわよね。」

女性は悲しそうな表情になった。感情を素直に顔に出すその女性に、アリスは慌てた。

「え、えっと…。どこかでお会いしてたら、ごめんなさい。けど、覚えてなくて。」

「ううん。アリスのその反応は当然だわ。だって、私たちは幸せな時間を一緒に過ごした思い出なんてないもの。」

それなら、初対面ではないか。アリスはそう思った。だが、女性の声には聞き覚えがある。記憶を辿ったアリスは、ようやく答えを見つけた。

「あ!もしかして、私にヒントをくれてた方ですか?手をかざせとか、アリスならできるとか。」

「え、ええ。そうよ。」

「やっぱり。どこかで聞いた声だと思いました。お会いするのは初めてですね。私、アリス・オリビアです。ピンチのときに助けていただき、ありがとうございます。」

「と、当然のことをしたまでよ。」

アリスとしては、正体が分かってスッキリしたのだが、女性は悲しそうな表情のままである。やっぱりスッキリしない。アリスはそう思った。女性の提案で、アリスはしばらく一緒に気の向くままに歩くことになった。

 女性はアリスに色んなことを聞いた。何歳なのか。今までで一番楽しかったことは何か。好きな食べ物は何か。お父さんはどんな人か。友だちはいるのか。とにかく色んなことを聞かれたアリスだが、はっきりと答えられたのは自分が17歳、ということだけだった。つい最近、ようやくフューダから逃れられたアリスである。これから自分の色んなことが分かっていくのだ。

「すみません…。ろくに質問にお答えできず…。」

「ううん。いいのよ。こちらこそ、ごめんなさいね。アリスの事情なんて考えもせずに色々聞いてしまって。」

話しながら歩いていて、2人は気付かないうちにある建物の中に入っていた。たくさんの席が階段状に並んでいて、一番前には広いステージがあった。

「ここ、どこでしょうか…?」

「ここにいて。歌ってくるわ。」

困惑するアリスを客席に残し、女性は黙ってステージに向かった。ステージに立ち、客席のほうを向き、大きく息を吸い、美しい歌声を響かせた。アリスはその歌声、女性の立ち振る舞いに釘付けになった。アリスは歌というものを初めて聞いた。ブラスが言っていた歌というのはこんなにも美しいものなのか、と感動した。女性が歌い終わると、アリスは拍手をしながらステージに駆け寄った。

「すごいです!素敵です!私、歌を初めて聞きました!」

「歌はね、色んな種類があるのよ。その種類の中でも、色んな違う歌があるから、星の数ほどたくさんあるの。」

「へえ。そんなにたくさん…。さっきの歌は何て歌なんですか?」

「アベマリアっていう歌よ。私、この歌が大好きなの。」

「初めて聞きましたが、とても心地よくて、綺麗で、私も好きです。」

「ふふ。ありがとう。喜んでもらえたみたいね。」

選ばれた人がステージに立って、人々を喜ばす。アリスは、ブラスが言っていたことが今ようやく分かったような気がした。

 全く移動していないのにも関わらず、気付けば薄暗い場所に2人はいた。前には大きい白い布のようなものが天井からぶら下がっている。不気味がっているアリスの手を握り、笑顔を向けた女性は、アリスの手を引っ張って、階段状の席の一番上の段に座った。きょろきょろするアリスの肩を叩き、前方の白いものを指差した。アリスが指示通りに前を向くと、さらに空間は暗くなり、白いものに映像が映し出された。次々起こる事件を華麗に解決する男性と、その男性を支える女性の話だった。ある事件で、女性が犯人に囚われてしまい、絶体絶命のピンチに陥るが、間一髪で男性が助けに来た。そして、2人で犯人を制圧し、熱い抱擁を交わしたのだった。映像が終わると、空間は明るくなった。

「さっきのは何ですか?」

「映画っていうの。色んなお話を、俳優っていう職業の人が演技して作り上げたものよ。」

「へえ。面白かったです。…あれ?さっきの映画の女性って、あなたでは?」

「あ、気付いてくれた?」

「すごい人なんですね。さっきの映画は、何というお話なんですか?」

「探偵グリフィン、って話よ。シリーズ化されてるから、興味があったら見てみてね。」

女性はとても嬉しそうにそう言った。

 再び適当に歩いていると、花畑に出た。色んな色の花が咲き乱れる、圧巻の景色だった。初めて見る景色に、アリスのテンションは急上昇だ。そんなアリスを、女性は穏やかな眼差しで見守っていた。

「あなたも来ませんか?」

アリスが女性の手を握り、無邪気に誘ってきた。女性は一瞬驚いたが、すぐに笑顔になって一緒に花畑を散策した。

「はぁー!こんな綺麗な世界があるんですね。」

花畑の中央のベンチに座って、アリスはそう言った。フューダのアジトを出てから、見るもの全てがキラキラして見えていた。薄汚れた世界から抜け出し、色んな色が目に入ってきた。そんなアリスにとって、花畑はカラフルにも程があったのだ。満足気なアリスの横で、女性は申し訳無さそうな顔になっていった。そんな女性の変化に、アリスは気付いた。

「あ、あの…。どうかされましたか?」

「え?ううん。大丈夫よ。」

女性は笑顔を作ったが、アリスには無理をしているように見えた。アリスは思っていたことを素直に女性にぶつけてみた。

「なんか、会ったときから、時々悲しそうな表情になられますが、どうされたんですか?私、何か癇に障るようなことをしたでしょうか?」

「そんなことないわ。アリス、とても良い子で、一緒にいて楽しいもの。」

「だったら、何か悩みがお有りでは?私でよければ、お話聞きますよ。」

そう言われた女性は、一度アリスから視線を逸らした。自分の中で整理がついたのか、1分しない内に再びアリスを見た。

「大丈夫よ。ごめんなさいね、心配させちゃって。」

「は、はい…。」

本当のことを話してもらうには、まだ早すぎたようだ。アリスは少し反省した。

 2人は立ち上がり、また歩き始めた。花畑は終わり、川沿いをゆっくり歩いていった。しばらく進むと、向こう岸に渡る橋が見えた。

「じゃあ、あの橋でお別れね。」

「橋の向こうに住んでいらっしゃるんですね。それなら、橋を渡ったところまでお見送りしますよ。」

「ダメよ!」

強い口調で言われたアリスは、驚いてその場で固まってしまった。そんなアリスの肩を、女性は両手で掴んだ。

「ごめんなさい。でも、あっち側はまだあなたが行くべきところではないの。大丈夫。また会いましょう。」

女性は力強くアリスの肩を橋とは反対側に押した。まるで車に引っ張られているかのような勢いで飛ばされたアリスは、笑顔で手を振る女性に向かって手を伸ばしたが、2人の距離はどんどん広がっていった。


 アリスは、気付けば病院のベッドで寝ていた。目の前に見える照明をボーっと見ていたら、アリスの意識が戻ったことに気付いた看護師が急いで医師を呼んできた。呼ばれた医師は、すぐにアリスに声を掛けた。

「アリス、聞こえるかな?」

アリスは首を縦に動かした。横になっているせいか、大きく動かすことはできない。

「私はブラスの友人だ。今回はすまなかった。私のセキュリティ管理の甘さも原因の1つだったみたいなんだ。」

申し訳無さそうにそういう医師にアリスは声を掛けたかったが、2週間以上口から飲み食いをしておらず、声も出してないため、なかなか声が出なかった。やっと出たかすれた声でゆっくりと、アリスは医師を慰めた。

「あなたは悪くありません。むしろ、被害者です。だから、謝らないでください。」

そう言われた医師は、少し涙ぐんだ。その後、気持ちを落ち着かせた医師は、アリスの検査をし、国際防衛機構にいるブラスに連絡した。

 アリスが集中治療室を出るまで1週間かかった。その間に、復興当番でエメラードに来ていた隊員が毎日様子を確認しに来た。アリスは寝ていて気付かなかったが、隊員達は皆、安心しており、ビルとニコラにいたっては泣いて喜んでいた。1週間後、集中治療室を出るタイミングで、アリスは国際防衛機構の病室に移ることとなった。その日はブラスが駆けつけ、ブラスもまた泣いて喜んだ。

 体中が傷だらけで、いくらか骨も折れていたアリスだが、現代医学では考えられないスピードで治っていた。しかし、体は治っても疲労が抜けていないようで、3日間は体を動かすのが辛そうだった。その後は徐々に動けるようになり、国際防衛機構に戻ってから2週間後には元のように動けるまでになった。

 この日は実動部隊に復帰できるかどうかの検診である。ブラスは何も見逃すまい、と検査をし、異常なしの判断であった。

「何か、自覚症状はないかな?」

「そうですね…。強いて言えば、まだ少し疲れを感じるくらいですね。でも、問題ありません。」

アリスは笑いながら答えた。回復は早く、ここに来たばかりのときよりも自然と笑うことが出来るようになっているアリスを見て、ブラスは安心した。

「ありがとうございます、ブラスさん。約束、こんなにキッチリ守っていただいて。」

「約束?」

ブラスは何のことか分からなかった。あの時はひたすら逃げ回っていたので、あまりアリスとの会話を覚えてないのだ。

「生き延びたら他の人と同じように治療してください、って言ったじゃないですか。手術までしていただいたみたいで、ご迷惑をお掛けしました。でも、そのお陰で元気になりました。ありがとうございます。」

アリスに言われて、ブラスは思い出した。そんな約束を交わしたが、目の前で出血が多い状態で倒れられたら、約束なんてしてなくても同じ行動を取っていただろう。医師として、見逃すわけにはいかないのだ。医師としての使命を持っていても、無邪気な笑顔でお礼を言うアリスを見て、ブラスは自分の行動が間違っていないんだと実感できて嬉しかった。

「迷惑じゃないさ。これが僕の仕事なんだから。」

決して天狗になってはいけない仕事。人の命を預かる仕事。日頃からそういうプレッシャーは感じているが、実際に上手くいくと嬉しいようで、ブラスも自然と笑顔になった。

「よし。じゃあ、今日はゆっくり休んで、明日から実動部隊に復帰していいよ。ビルにはそう伝えておくから。」

「ちゃんと伝わった。」

アリスの後ろの扉が開いた。そこにはビル、ダグラス、ジョージ、ジルバ、ニコラ、実動部隊の隊員が勢揃いしていた。

「おいおい…。君たち、業務はいいのかい?」

現在、午前10時になろうとしていた。とっくに始業時間は過ぎている。驚きと呆れが混ざるブラスの肩に、ビルが腕を回した。

「問題ない。関係各所に連絡はした。復興当番も、午後だけにしてもらった代わりに、今日は私とジルバの2人で行ってくる。」

「そういう問題じゃないだろう…。」

そんなこんなで、アリスの病室に集合した実動部隊は、ブラスも交えて30分ほど雑談を楽しんだのだった。その時に、アリスは新しい制服を受け取った。エメラード事件のときに着ていた制服は、瓦礫や銃弾を受けてボロボロになり、とても着られる状態ではなかったのだ。

「悪いな。私たちと同じオレンジではないんだ。せっかくなら、オレンジで作ってくれって頼んだんだが、機械の関係で小さいサイズは作れないって言われてしまって…。結局、イベント用のままなんだ。」

「構いませんよ。ボロボロにしてしまったのは私ですから。新しくしていただいてありがとうございます。」

新しくなった制服を持って、アリスは部屋に戻った。

 次の日、アリスは晴れて職場復帰となった。とはいえ、エメラード事件の日がアリスにとっての初出勤だったので、やっと実動部隊として2日目を迎えたのだった。あれから1カ月くらいが経過しているが、当然アリスが実動部隊の仕事に慣れているはずもなく、戸惑いの連続だった。訓練はついていけても、その他の事務作業がまるでできなかったのだ。フューダのアジトにいた頃は稽古ばかりしていたからか、あまり字を知らないということも発覚し、他の隊員を驚かせた。

「エメラードのとき、地図を見てたよな?」

「あ、あれは地図に書いている文字と同じ文字だなあ、って思いながら見てたので…。」

アリスにとっては、文字は記号に見えるらしい。アリスは事務作業を覚える前に、文字の勉強をすることになった。

 午前は字の勉強、午後は訓練という日々を送ることになったアリスは、初めての勉強に興味津々であった。こうやって、みんな大人になるのだと思うと、頑張って追いつこうと思えたのだ。字の勉強は、国際防衛機構本部の中にあるフリースペースの机で1人でしていた。ある日、そんなアリスにボンゴレが声を掛けた。

「やってるな、アリス。」

「あ、ボンさん。今日の朝ご飯も美味しかったですよ。」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。そうだ、今から俺と来ねえか?食材の買い出しに行くんだ。」

「行きたいですけど、ちゃんと勉強しないといけないので…。字の読み書きがちゃんとできるようになって、みなさんの仕事を支えられるようにならないと…。」

「ん?市場にも字はたくさん書いてあるぞ。今日は実践の日にしようじゃねえか。さあ、行こう!」

ボンゴレは椅子に座っていたアリスを肩に担いで、そのまま買い出し用の車に向かった。テキストや筆記用具を片付ける間もなかったアリスは、驚きと焦りを隠せず、ボンゴレの肩で色々言っていた。そんなアリスを、廊下の角から覗く3人がいた。

「…どうだ?彼女だが。」

「ああ、ほぼ、間違いない。」


 ボンゴレは車の中でイヤホンマイクを使ってビルに報告した。ビルは驚いたが、もうアリスは連れ出されていたので、許可する以外になかった。

「テキストばかりやらせてたら、いつか息が詰まっちまうからなあ!楽しみながら覚える日があったっていいじゃねえか!ははは!」

ボンゴレはいつもの豪快さで押し通した。

 食材の買い出しをする街は、ニコラと服を買いに来た街だ。エメラードの隣で、エメラードほど都会ではないが賑やかで栄えている、ダイアモという街である。車を市場の駐車場に停めたボンゴレは、車から台車を出して、アリスを連れて市場に向かった。

「大半は業者が国際防衛機構までトラックで運んでくれるんだが、ここにしかない食材や調味料もあってな。そういうのはこうして自分で買いに来るってわけだ。」

市場には多くの店が並んでいた。色とりどりの、アリスが見たことのない食材がたくさん売れている。アリスはワクワクしながらボンゴレについて行った。

「ほら、アリス。食材の中に字が書いてある板が見えるだろ?あれに食材の名前と値段が書いてあるんだ。」

「じゃあ、あの赤くて丸いのは…、トー、マー、ト。トマトというもので1つ2ドルってことですか?」

「そう!できたじゃねえか!字も読めて、数字も覚えて、物の名前も覚えられる。市場に来てよかっただろう!」

ボンゴレは楽しそうだ。元々人と関わるのが大好きなボンゴレだが、見た目と、歳のわりに豪快すぎるが故に相手を驚かせてしまう。国際防衛機構の調理場では気の知れた仲間とワイワイできているが、もっと色んな人と関わりたいというのが本音だ。最近やってきたばかりのアリスは、そんなボンゴレに始めこそ驚きはしたが、ボンゴレの要望通りにボンさんと呼んでくれている。それもあって、スッと仲良くなれた。アリスはボンゴレの人柄のお陰と言うが、ボンゴレはアリスの純粋さに救われていた。

 色んな食材を選びながら、ボンゴレはアリスに字の読み方を教えていった。値段の計算もアリスにやらせてみると、意外と計算が早いことに驚いた。

「アリス、計算早いなぁ。算数は習ったのか?」

「あ、いえ…。フューダやその部下って、私が稽古で失敗するとすぐに時間を増やしたり、食事を減らしたりしてたので…。食事は特に、ペース配分を考えないと痛い目を見ますから、それで数字には慣れました。時計で数字は覚えたので。」

「なんて野郎共だ。安心しろ、アリス。俺が近くにいるんだ。ちゃんと食わせてやるからな。」

「ボンさんのことは心配してませんよ。とても優しいじゃないですか。」

辛い経験をし続けたアリスから掛けられた思いやりのある言葉にボンゴレは涙し、涙を流しながらアリスの肩に腕を回した。突然の出来事に驚いたアリスだったが、すかさず持っていたハンカチでボンゴレの涙を拭いた。周りの人の目には、心温まる光景に見えたようで、拍手が起こった。ボンゴレとアリスは照れて、足早に次の食材を買いに行った。

 読みと計算を実践で学ぶアリスが台車を押し、ボンゴレが台車に乗り切らない分を持った。さらに荷物が増えたが、それはアリスが持った。フューダのところで散々稽古をつけられてきたので、小さく華奢な体でも力はある。目的のものを全て買い揃え、2人は車に戻った。

「ボンさん、ありがとうございました。楽しかったです。」

「俺のほうこそ、ありがとな。荷物持ってもらって、助かった。」

2人が車に荷物を載せていると、駐車場のスピーカーから音楽が流れてきた。10時を知らせる音楽だった。その音楽に、アリスは反応した。

「ん?どうした、アリス?」

台車を畳みながら、ボンゴレはアリスに尋ねた。アリスは最初、ボンゴレに声を掛けられたことに気づかず、スピーカーから流れる音楽を、目を丸くしながら聞いていた。

「アリス?」

「ボンさん、この歌って…」

歌詞はない。曲しか流れない、オルゴールのようなものだった。アリスは音楽を知らないため、全て歌という認識だ。さっきまで楽しそうな顔をしていたアリスは、一気に真面目な顔になった。ボンゴレはそんなアリスに一瞬怯んだ。

「あ、ああ…。アベマリア、だな。この市場は1時間ごとにアベマリアが流れるんだ。」

「アベマリア…。本当にそんな歌があるんだ…。」

驚くアリスだが、ボンゴレは全く事情が分からない。ボンゴレに聞かれ、アリスはエメラードの病院で見た夢の話をした。綺麗な女性が歌ってくれた、綺麗な歌を、アリスは意識が戻ってからも忘れられずにいた。

「ほう…。そんな夢を見てたのか。」

「その人、すっごく綺麗な歌声なんです。歌ってこんなにいいものなんだ、って思いました。けど、まさか本当に存在する歌だったとは…。」

「いい夢だったな。」

大満足のアリスを乗せて、ボンゴレは国際防衛機構に向かって車を走らせた。

 到着後、アリスは調理場に荷物を運ぶのを手伝って、ボンゴレにお礼を言ってフリースペースに戻った。市場に行く前に座っていた席に戻ったのだが、置いたままにしていたはずのテキストや筆記用具がなくなっていた。慌てるアリスだったが、そんなアリスに声を掛ける人物が現れた。

「探しているのは、これかな?」

声を掛けた男性は、テキストと筆記用具を綺麗に揃えてアリスに差し出した。アリスは差し出されたものを受け取った。

「あ、はい。すみません、片付けずに席を離れてしまって…。」

「構わないよ。」

男性は笑顔だった。質の良さそうなスーツを着こなし、ネクタイは少しも歪んでおらず、姿勢もとてもいい。アリスはそんな男性に威厳を感じた。

「君がアリス・オリビアだね?噂は聞いてるよ。」

「はい。アリス・オリビアです。ん?う、噂ですか?」

「ああ。フューダの下から逃れて、実動部隊入隊初日にエメラード事件に遭遇して、死者を1人も出さずに先生を守りきった大型新人、だろ?」

「そ、そんな、大袈裟です。現に、エメラードの街は滅茶苦茶になってしまいましたから。それに、事務作業が全くできてないので、全然皆さんの役に立てなくて…。」

落ち込んで目線が下向きになってしまったアリスだが、男性はアリスの頭をポンポンと優しく叩いて、目線をアリスに合わせた。

「君がいなかったら、被害はもっと大きくなっていただろうし、先生は命を落としていただろう。事務作業も、やれるようになるために今頑張ってる。その姿勢が大切なんだ。落ち込むことはない。」

そのとき、アリスの様子を見にビルがやって来た。

「よう、アリス。市場はどうだった?勉強になったか?…って、長官!?」

ビルは驚き、姿勢を正して敬礼をした。

「ちょ、長官、…って何ですか?」

「アリス、いいから姿勢を良くして。」

慌てるビルと何か分かっていないアリスの会話は、男性にとっては面白かったようだ。クスクスと笑っている。キョトンとしているアリスの両肩をしっかりと掴んだ男性は、アリスの目をしっかりと見た。

「俺はスコット・シラク。国際防衛機構の長官をしている。よろしくな、アリス・オリビア。」

「よ、よろしくお願いします…。あ、私のことはアリスと呼んでいただいて結構ですので…」

「ははは!そうだな。じゃあ、アリスと呼ばせてもらうよ。」

スコットはまたアリスの頭をポンポンと優しく叩いて、手を振って離れた。ビルは深々と礼をしていたが、スコットはそんなビルに頭をあげるように促した。

「すみません。部下が失礼なことを…。」

「気にしてないさ。むしろ、気に入ったよ。頼もしい仲間が増えたじゃないか。」

そう言って、スコットはフリースペースを離れた。ビルはスコットの姿が見えなくなるまで何度も礼をした。その後、アリスに近づき、少し怖い顔でアリスに迫った。

「アリス、頼むよ。長官だぞ?」

「さっきから気になってるんですけど、長官って何なんですか?」

「国際防衛機構で一番偉い人だ。」

「へぇ。…え゛っ?」

アリスは何度もビルに謝った。その様子を、スコットと、他の男性2人がクスクス笑いながらバレないように見ていた。

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