第4話 迫る闇、まだ眠る光。

 ダグラスとジョージが合流する少し前、アリスとブラスは安全を保てる場所で一息ついていた。

「ブラスさん、大丈夫でしたか?」

「僕は大丈夫だよ。アリスが守ってくれたから。」

ブラスは何が起きたのか、よく分からなかった。爆発による粉塵や瓦礫が自分たちを飲み込む直前、白銀の光に包まれた気がした。その光のお陰なのか、ブラスは何も吸い込まず、何も当たらず、体調に変化はない。

「それより、アリス、大丈夫…じゃないよね?」

アリスはかなり咳き込んでいた。激しく動いているせいか、肩の出血もなかなか止まらない。

「これくらい、問題ないですよ。」

アリスはニッコリ笑ったが、またすぐに咳き込んだ。ブラスと違い、アリスは粉塵や瓦礫をもろに食らっていた。

「アリス、少し休もう。僕が周りを見ておくから、とにかく休もう。」

医者でなくても、アリスの状態が悪いということは見れば分かる。医者であるブラスは、アリスがとっくに限界を超えていて、早く適切な治療を受けないと命に関わる、というところまで分かった。自分を守ろうとして相手が死んでしまうなんて、ブラスには耐えられない。辺りを警戒しているアリスの肩を掴み、自分の後ろに座らせようとしたブラスだったが、肩を掴んだところでアリスに抱きかかえられてしまった。アリスはそのまま走った。さっきまでいたその場所には、2人が離れた直後に手榴弾が投げ込まれ、爆発した。ブラスは言葉が出なかった。

「ブラスさん。あなたは私が守ります。その代わり、仕事を増やすようで申し訳ないですが、この騒動からちゃんと国際防衛機構に戻ることができたら、他の負傷者と同じように私の治療もお願いします。」

「…ああ、もちろんだよ。その代わり、生きて帰るんだよ。」

ブラスは、フューダのアジトにいた頃のアリスの話は、ビルから簡単に聞いていた。とても人間らしい扱いを受けられてはいなかったし、それが健康状態に表れていた。アリスのこれまでの行動を見るに、自分を守りながら動く、ということをこの子は知らないのだと、ブラスは何となく感じていた。戦闘要員でなく、アリスを守れない自分が情けなく感じてしまっているが、せめて声掛けだけでも続けよう、とブラスは誓ったのだった。


 警戒区域にいるジルバとニコラも、準警戒区域の異変が目視できるようになった。ジョージ同様、最初の爆発に気付けなかったことが不可解ではあるが、今は警戒区域を守ることに専念するしかない。

「ニコラ、そっちはどうだ?」

「今のところ問題なし。テロリストが隠れそうな場所はほとんど確認したけど、怪しい人も物もないわ。」

準警戒区域の騒動を受けて、ジルバとニコラは警戒区域内に不審な人、物がないかの確認をしていた。自身の担当エリアを終え、準警戒区域に向かったジョージが担当していたエリアを2人で確認し、とあるビルの前で対面で会っていた。

「なあ、どう思う?」

「何が?」

ジルバはニコラに切り出した。色々と不可解なことが起こりすぎている。

「先生の話だと、バス停にいたところを最初に狙われて、その後もアリスと逃げ回ってても確実に狙われてる。さっき、ダグラスとジョージから連絡があったが、先生とアリスとの通信も断たれたって話だ。何で、敵は裏道ばかり逃げてる2人の居場所が正確に分かる?それに、俺たちだって、爆発音に気付けないなんてこと、あるか?」

爆発音に気が付かなかったことについては、ニコラも不審に思っていた。自分たちの注意力不足と言われてしまったらそれまでだが、今まで爆発音に気付かないなんてことはなかった。ましてや、警戒区域と準警戒区域は今までの活動地域と比べても、距離が近い。気付けない、なんて考えられないのだ。

 風はジルバとニコラがいるところから要警戒区域に向かって吹いている。ニコラは乱れた前髪を直し、風上を見た。準警戒区域の爆発による煙が空に向かって真っ直ぐ伸びている。煙の量は時間と共に増えている。

「ねえ、ジルバ…。アリスがいるところ、風、吹いてないのかな…?」

「は?そんなわけないだろ。今だって、首脳会議の会場のほうに向かって吹いてるじゃねえか。」

「でも、煙、こっちに流れて来ないよ…?」

「…あ。」

ニコラは、何となく準警戒区域の方向を見たときに気が付いた。煙も、爆風も、瓦礫も、準警戒区域から警戒区域には来ていない。風は準警戒区域のほうから警戒区域に向かって吹いているのに、何も流れて来ないのはあり得ない。

「もしかして、アリスのあの力…?」

ニコラはアリスが被害を拡大させないようにしていると考えた。フューダに育てられたとはいえ、アリスが優しい心の持ち主であることを、ニコラは国際防衛機構の誰よりも感じていた。

「いや、怪我をしながら先生を守ってるアリスにそんな余裕と体力があるとは思えない。」

初めてアリスと出会ったとき、アリスは光を放った後、体力を使い果たしたかのように倒れた。それに、ブラスのイヤホンマイクを借りてこちらとの通信も試みている。こちらに伝えたい事があるのに伝わらないような事をするのは不自然だ。それに、アリスは自身の力のことを全くと言っていいほど理解していない。ジルバは、他の可能性をニコラに提示した。

「俺たちにはない、あの魔法みたいな力は、アリスだけじゃなかった。系統は違ってそうだが、フューダも使ってただろ?」

ジルバに言われて、ニコラはハッとした。特別な力を持つのは、アリスだけではなかった。

「フューダがわざと騒動を準警戒区域内に留めてる可能性が高い。確実に先生を始末して、確実にアリスを取り戻すために。」

「ま、待ってよ。ついこの間、アリスを助けたばかりじゃない。いくらなんでも、行動が早すぎない?」

「それほど、フューダにとってアリスが重要だとしたら、早めに動いても不思議じゃない。」

「じゃあ、近くにフューダがいるってこと…?」

「いてもおかしくはない。」

ニコラは背筋が凍りついた。今まで一度も歯が立たなかったフューダが、エメラードにいるかもしれない。フューダが本気で動いたら、どれだけの被害が出てしまうのか、街や人を守れるのか、自分達は生きて帰れるのか、色んなことを思ってしまったのだ。

「心配したって、何も解決しねえさ。」

そんなニコラに気付いたのか、ジルバはニコラに声を掛けた。

「俺たちが今できることを、確実にやっていこう。」

ジルバの言葉で気持ちを切り替えたニコラは、黙って頷いた。


 アリスを奪われてから、フューダはアジトを別の場所に移した。何箇所も裏で制圧してきたフューダにとって、新たな場所に移るということは簡単なことである。今日も、新たな拠点となった地の気に入った場所で、思うがままに過ごしていた。

 フューダには、自分の分身のような存在がいる。その存在のお陰で、今の今まで思うがままにできている。その分身は、自分がフューダにそんな風に扱われているなんて思ってもいないのだが、かえってそれがフューダにとって都合がいい。その利点を活かし、今もエメラードでの騒動を陰から確認している。

 ドアをノックする音がした。フューダは飲んでいたコーヒーを置いて、ノックした人物を部屋に入れた。

「どうかしたか?」

「エメラードでの活動を報告しに参りました。」

「助かるよ。俺のおもちゃは、少し離れた場所にいるから、騒動の中心を確認しづらくてな。」

フューダには敵が多いが、その分、部下には恵まれている。きちんと報告をしてくれるマメな部下、武道派の頼もしい部下、頭のキレる賢い部下。裏切れば粛清される組織の中で培われたチーム力である。今は誰もフューダを裏切らない。

「それで?現地はどんな状況だ?」

「はい。アリスが意外に粘ってまして、ブラス・クラネリは未だ仕留められていません。ですが、アリスの体力の消耗は激しいそうで、そろそろ時は満ちるのではないかと思われます。」

「ブラス・クラネリを仕留められたらいいが、出来なかったらそれはそれで構わない。アリスの奪還も出来たらでいい。そうか…そろそろか…。」

フューダは分身のお陰で、状況は大体把握出来ていたが、アリスの状態までは分からなかった。報告を受け、フューダは口角が上がった。そのままの表情で、エメラードの地図を映し出した。

「俺が見たいものが、そろそろ見られる。アリスをここに誘導するように、現場には伝えてくれ。」

「かしこまりました。」

マメな部下は、部屋を出た。フューダは再びコーヒーを飲み始めた。


 準警戒区域から一番離れたところにある、要警戒区域では、騒動を受けて警備が最大級に厳しくなった。遠くのほうから爆発音が聞こえてくるが、世界各国の首脳が集まり、会議も始まってしまっていたため、中止という考えはベルラッテの大統領が許さなかった。予定していたこととは違うことが起こりすぎていて、どう転んでも批判されてしまう状況だ。最低限、首脳会議の会場だけでも警備を固め、各国の代表に被害が及ばないように、という大統領の意向を考慮し、ビルはその場で警備の計画を練り直した。

 最近、記憶が曖昧になっていると自覚しているビルは、警備にあたっている今、自分自身を責めていた。どうしてアリス1人に準警戒区域を担当させてしまったのか。どうしてアリスに防具を1つも与えなかったのか。対象を守れたとしても、隊員が無事でないなら意味がない。後悔しかないが、あの時、あのように判断した自分を覚えていないのも事実だ。とにかく、今は、目の前に大勢いる警備対象を確実に守ることに集中し、アリスとブラスのことはダグラスとジョージに任せるしかない。ビルはそう自分に言い聞かせて、不審な人物、物がないか丁寧に見て回った。

 本来なら、隊員に危険が迫っている場合、隊長であるビルが率先して現場に駆けつけなくてはならない。しかし、各国の要人が揃っている今、隊員より警備、警護が優先される。同じ命でも、優先順位が決まってしまうことに、ビルは悲しさを覚えていた。と同時に、頭にズキズキとした痛みが走った。ビルはその場にしゃがみ込んだ。

「隊長さん、大丈夫ですか?」

一緒に要警戒区域で警備にあたっていた地元の警察官が心配そうに声を掛けた。ビルは頭を押さえたまま、その警察官のほうを向いた。

「ああ。大丈夫だよ。私は頭痛持ちでね。よくあることだ。心配してくれてありがとう。」

幼い頃から、ビルは突然の頭痛でしゃがみ込むことがしばしばあった。今日も朝から頭が痛いと感じてはいたが、ビルはここまで耐えた。しゃがみ込んでしまったが、隊長としての責任感から、すぐに立ち上がった。

「さあ、持ち場に戻りなさい。警護対象は私ではないだろう?」

ビルは警察官にそう優しく言葉を掛けた。警察官は敬礼し、持ち場に戻った。

 頭痛がある程度治まった頃、ダグラスとジョージから通信が入った。アリス以外の隊員全員に宛てた通信だ。

「ダグラスだ。先生とアリスはまだ見つけられてない。だが、2人に向かって攻撃してたと思われる奴らを4人見つけて、エメラード警察に引き渡した。」

「こちら、ジョージ。たぶん、まだお仲間がいると思われますよ。こっちは先生とアリスを探しながら、実行犯を捕まえますから、隊長とジルバ、ニコラも気を付けて。」

準警戒区域にフューダの仲間が4人もいたというのが、ビルにとっては衝撃だった。しかも、まだいる可能性が高いのだ。

「4人か…。分かった。ジルバ、ニコラ。警戒区域内に不審人物がいないか、もう一度確認するんだ。私も要警戒区域を確認する。ダグラス、ジョージ、引き続きブラスとアリスの捜索を頼む。みんな、必ず無事でいるんだぞ。」

「はい!」

4人の返事がビルの耳に響いた。誰も失いたくない。ビルは首脳会議の会場の警備をエメラード警察に任せ、周辺の警戒に向かった。


 エメラードの事件は、世界中に速報で伝えられた。世界中の一般家庭にも、世界中の政治家にも、そして、世界中の俳優にも知れ渡った。

 ハリウッドの撮影所で、映画の撮影をしていたセイン・ハッシュドリッヒも休憩の合間にエメラードのことをニュースで知った。ベルラッテのような先進国でも、こんな大きなテロ行為が起こるのだと、驚いた。このときのセインは、驚いて終わった。

「セイン、そろそろ撮影再開だぞ。」

マネージャーのジェイがセインを呼びに来た。2人は俳優とマネージャーという関係ではあるが、長年連れ添っている親友、と言うほうがしっくりくる。

「どうした?…ああ、エメラードのニュースか。大変なことになってるよな。」

「ああ、全くだ。ベルラッテの、しかも首都のエメラードだぞ?世の中、本当に安全な場所なんてないのかもな。」

「そういえば、この撮影が終わったら、次はエメラードの劇場で舞台公演だったな。これじゃ、キャンセルになるかもな。」

「休みになるならありがたいが、状況が状況だから、心から喜べないな。」

ある程度ジェイと会話をしたセインは立ち上がり、撮影所へと向かった。

 セイン・ハッシュドリッヒという俳優は、世界的に有名な俳優である。若いときに、体調不良による1年間の休業を経験したが、その後は俳優業に没頭した。数々の作品に出演し、全てヒットを飛ばした。現在44歳だが、ずっと若く見え、顔立ちは整っており、スタイルも抜群、冗談も通じるし自らも言える、とあって、世界中で人気がある。休業前に有名女優との恋愛が噂されただけで、それ以外の噂は全くない。

 この日の撮影が終わり、セインはジェイの運転する車でホテルに戻った。今の映画の撮影が始まってから、ジェイと共にホテル暮らしをしているのだ。部屋に戻るなり、セインはベッドに横になった。

「そういえば、撮影中にスコットから電話があったぞ。」

「電話?珍しいな。いつもはメールなのに。」

「直接セインの言葉で聞きたいんだとさ。今、時間あるなら電話してやれよ。」

ジェイに促されたセインは、疲れた体を起こして、自分のスマホを手に取った。スコットとは、国際防衛機構の長官であり、セインの幼馴染みである。互いに名が知れているが、本人達は昔のままの感覚で、お互いによく知る、良き友人である。多忙なスコットに、同じく多忙なセインが電話をかけ直した。

「セインか。すまんな。忙しいのに。」

「それはお互い様だ。で?何の用だ?珍しく電話で。」

「ああ。エメラードの事件のニュース、聞いたか?」

「撮影の合間にな。どこのテレビ局もその話題しかしてない。」

スコットに聞かれて、セインは自然とテレビを付けた。首脳会議の会場から離れたところで、街がめちゃくちゃになっている映像が映し出された。危険な区域から逃げ出してきた人々へのインタビューも流れていた。

「で?事件のニュース観ながら雑談するために電話したんじゃないんだろ?」

「当たり前だ。俺のほうが本業だ。」

「冗談だよ。で?俳優の僕に何の用だ?」

少し嫌味っぽく聞いたセインであったが、たまたまテレビに映し出されたある映像を観たときに、画面から目を離せなくなった。スコットが何か聞いていたようだが、セインの耳には入らなかった。

「おい!セイン!聞いてるのか?」

スコットは少し声を荒げた。エメラードの件は、スコットも関わっている。当然、忙しい合間を縫ってセインと電話で話しているため、少し苛立ってしまった。

「あ、悪い。もう一度言ってくれ。」

スコットの荒げた声のお陰でハッとしたセインは、スコットに聞き返した。だが、視線はテレビから離していない。

「ったく、もう一度言うぞ。嫌な思い出について聞くようで悪いが…」

セインはスコットからの質問に素直に答えた。セインも、急遽、聞きたいことができたため、すぐにスコットに聞いた。互いの質問と回答から、互いに何を思ったか、2人はそれぞれ気付いた。スコットは心の中で驚き、セインは心の中で驚きと悔しさ、喜びが17年分混ぜ合わさったぐちゃぐちゃな感情になった。

 電話はそのすぐ後に終わった。傍で会話を聞いていたジェイは、すぐにセインに声を掛けた。

「なあ、さっきの会話、まさか…。」

セインは首を縦に振った。落ち着かず、部屋中を歩き回るセインの腕を掴んだジェイは、セインを椅子に座らせた。

「セイン、落ち着け。私にも聞かせてくれ。」

しばらく椅子に座って荒い呼吸をしていたセインだが、徐々に落ち着きを取り戻した。

「ジェイ、光は途切れてないぞ。」

「…!」

セインにそう言われたジェイは、目を大きく見開いた。今度はセインが、そんなジェイの腕を掴んで、目を輝かせた。

「諦めてたさ。どうにもならないって。もし、これが本当なら、こんなに喜ばしいことはない。」

「シャイーリャはまだ終わってない、ってことか。きっと、これもまた運命だ。」

セインとジェイは、テレビに映し出されたエメラードの様子を目に焼き付けた。

「エメラードの舞台、キャンセルになったら休むか?」

ジェイにそうきかれたセインは、首を横に振った。セインはついさっきまで、若干不謹慎とは思いながらも、久しぶりに休めるかもしれないと期待していた。だが、今は体を休めるより大切なことが見つかった。

「今の撮影が終わったら、スコットに連絡しよう。ベルラッテに行くぞ。」

静かに、力強くそう答えたセインは、気持ちがウズウズしていた。

「シャーロット、頑張ったんだな…。」

大切な人は、17年経った今でもセインの中で生き続けている。ジェイも、そんなセインだからこそ信頼し、今のような良き関係になれたのだ。

 2人は何度もテレビのチャンネルを変えた。2人が釘付けになった、一般の人が撮った動画はどのテレビ局でも流されていた。小さな少女が、男性を抱きかかえて攻撃から逃げる動画は、世界中で流された。


 警戒区域の、準警戒区域にほど近い高層ビルというのは何十棟とある。ジルバとニコラは地上から目視で確認し、怪しい人物を2人見つけた。それぞれの場所に同時に突入し、爆発物の所持を確認したため、その場で取り押さえ、エメラード警察に引き渡した。爆発物と同じく押収された通信機器をすぐに調べ、警戒区域内に他の仲間がいないことを確認した。

 約束しておいた場所で合流したジルバとニコラは、それぞれの現場の状況を報告した。

「俺が行ったほうは、3ヶ月後から始まる舞台のだけは見せてくれ、ってうるさかったな。自分がしたこと分かってんのか、って怒鳴ったら、金が無かったから仕方なく、だとよ。」

「アタシが行ったほうは、格好ばかりで無能な国の代表になんか興味無い、って言ってた。本当の目的は何、って聞いたら、そんなの知らねえ、って。」

互いに、フューダの手下とは思えない態度を取った容疑者に対して、呆れた感情と大きな違和感を抱いていた。この程度の人物なら、国際防衛機構の実動部隊が動かなくても、地元警察で対応できる。しかし、準警戒区域で起きている破壊行動、要警戒区域で行われている首脳会議のお陰で、あらゆる可能性を考えて動かなくてはならなくなっている。

 相変わらず、準警戒区域の粉塵は、見えない壁のようなもののせいで、警戒区域には流れ込んでいない。要警戒区域の警備も、厳重なままだ。

「なあ、ニコラ。俺たち、このままでいいのか…?」

準警戒区域のほうを見ながら静かにそう言ったジルバは、手に持っている銃を強く握り締めていた。目の前で大変なことが起きているにもかかわらず、蚊帳の外で何も出来ない自分が嫌になっているのだ。あらゆる可能性を考えての行動を求められることが、逆に足枷となっていた。

「今はこうするしかない。けど、このままでいいとは思ってない。アタシだって、悔しいよ。」

ニコラもジルバと同じ気持ちだった。今日、実動部隊に入隊したばかりのアリスが、必死に頑張っている。中堅のダグラスとジョージが応援に向かって、必死に対応している。隊長は首脳会議が狙われないよう、地元警察と連携している。そんな2つの区域に挟まれた警戒区域は、今は一番安全な場所となっていた。地元警察はいくらかは残っているが、大体は要警戒区域と準警戒区域に割り振られてしまった。

「あー!もう、考えてたって仕方ねえ!」

「ちょっと!いきなり大声出さないでよ!」

ジルバはビルに挟まれた空に向かって大声を出した。当然、ニコラは驚いた。

「悪い。なぁ、今までの流れを整理しよう。何か、やるべきことが見えてくるかもしれない。」

「…それもそうね。何もせずに立ってるだけじゃ、どうにもならないし。」

ジルバとニコラは、これまでの流れを整理し始めた。

 首脳会議が行われているのは、エメラードの中心地、海沿いにある。会場がある中心地を要警戒区域、その外側の近いところを警戒区域、会場から離れた街中を準警戒区域とした。要警戒区域を隊長のビルと副隊長のダグラスが、警戒区域をジョージとジルバとニコラが、一番安全と思われた準警戒区域をアリスが担当することになった。アリス以外の隊員はヘルメット、防弾チョッキ、銃、イヤホンマイクといった装備を身に着けている。何の装備も身につけてないアリスは、偶然にもブラスに出会った。何かの気配を感じ取ったアリスは、その気配を辿り、それが何故かブラスの後をつけることとなった。その後、ブラスを狙うレーザーポインターに気付いたアリスは、ブラスを庇った。ブラスが狙われていると判断したアリスは、ブラスを庇いながら今も逃げ続けている。

「それはそうと、先生はなんでエメラードに来てたんだ?」

「先生、言ってたじゃない。エメラードの病院の知り合いにメールで呼び出されたって。言われた通りに来たけど、結局出張でおられなかったそうよ。」

「うーん…。」

アリスがいる準警戒区域には、要警戒区域からダグラスが、警戒区域からジョージが応援に向かった。準警戒区域ではフューダの仲間と思われる4人を確保、さらに警戒区域では2人を確保した。確保した人物は、フューダからは遠い捨て駒と思われる。警戒区域は、押収された通信機器をジルバとニコラで調べ、フューダの仲間は確保した2人だけだと分かっている。

「フューダは何が狙いなのかしら…?」

「…なあ、この騒動、首脳会議の連中は知ってるよな?」

「え、ええ。当然、伝えられてるはずだけど。」

ジルバは何か引っ掛かるらしい。黙って考え込んだジルバの横で、ニコラはジルバが喋るまで待った。

「なんで、ベルラッテの大統領は首脳会議を中止しないんだ?」

「た、確か、ここで中止したら国の威信に関わるから、って聞いたけど?」

「けど、相手はフューダだろ?普通、他国のトップに何かあっても困るから、中止するんじゃないか?」

「…まあ、確かに。」

ジルバとニコラはしばらく黙った。2人はそれぞれで、これまでの流れから考えをまとめた。

「ひょっとして、ベルラッテの大統領って…。」

「フューダの今回の本命って…。」

ジルバとニコラは互いの顔を見合わせた。自分達が何をしたらいいのか、今できる最善策を見出したようだ。これまでのニコラの様子を見てきたジルバは、ニコラがどうしたいのかがはっきりと理解できた。

「えっと…、俺は要警戒区域近くに行く。アリスのこと、気になるんだろ?」

「…うん。ありがとう。準警戒区域近くは任せて。」

「俺だってアリスのことが心配だ。ニコラ、失敗したら俺はお前を責めるぞ。」

「その時は責めて。ジルバ、あなたも要人達の命、背負ってるんだからね。」

互いの顔を見て笑い合った。相手が想像以上に怖い顔をしていて、面白くなってしまったのだ。2人はハイタッチをして、ジルバは要警戒区域との境付近に、ニコラは準警戒区域との境付近に、それぞれ走って向かった。


 相変わらず、アリスとブラスは狙われていた。手榴弾が投げ込まれたり、仕掛けられていた爆弾が爆発したりということはなくなったのだが、銃撃が全く収まらない。アリスはブラスを庇いながら走り続けていた。

「はぁ…、はぁ…。」

「アリス、もういい。よく頑張った。一度、止まるんだ。もう、とっくに限界なんだろう?」

アリスは少し前から言葉を発さなくなっていた。瓦礫や粉じんは全てアリスが受け止め、銃弾も何発かはアリスの体をかすめていた。加えて、ブラスを抱え続けている。痩せた小さい体には負担が掛かりすぎていた。

 建物の陰に隠れてブラスの言う通りに止まったアリスは、深呼吸を何回かして息を整えた。降りようとするブラスを自分の体に引き寄せて、降りさせないようにした。

「アリス、僕を降ろすんだ。腕が疲れてるだろう?」

「ブラスさん、エメラードの街には詳しいですか?」

「は?」

ブラスの言葉を無視して、アリスは尋ねた。戸惑うブラスだが、やっと喋ったアリスに安心した。どう見ても限界を超えていて危険な状態なのだが、まだアリスには生きる力が残っている。

「あ、ああ。エメラードには月に1回は来るからね。」

「じゃあ、この先に何があるか、分かりますか?」

爆発が止んだ今、2人は銃弾からしか逃げていない。本当にフューダが関与しているなら、アリスは、どこかに誘導されているのではないかと考えていた。だが、アリスにとっては初めて来た街であり、行った先がどういうところか分からないというのが不安材料だった。

「えっと…、あそこにあのビルがあるから…。この先にあるのは、ベルラッテ国立劇場だよ。」

「げ、劇場…?とは、どういった場所ですか?」

「お芝居をしたり、歌を歌ったりするところだ。」

「お芝居?歌?」

「アリス、知らないのか?そうだなあ…。まあ、簡単に言うと、人を感激させるプロが働く場所だ。」

アリスは全くピンと来ていない様子である。フューダのアジトに17年間も閉じ込められていたのだから仕方ない。ブラスはこのとき、今後のアリスの診察では芸術的なものにも触れさそう、と誓ったのだった。

「その劇場とフューダ、何か関係がありませんか?昔、フューダが攻撃したとか。」

「え?そんなことあったかな…?」

ブラスが思い出そうとしたそのとき、敵に見つかり、銃撃を受けた。アリスはブラスを抱えて急いで走り出した。ベルラッテ国立劇場まで、あと1km程である。

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