第3話 初仕事、始まりの音。

 「じゃあ、ミーティングに戻るぞ。今日から、ベルラッテで30か国首脳会議が始まる。いたずらだと信じたいが、テロを予告する声明が出ているし、声明を出さずして犯行に及ぶ者がいないとも言い切れない。我々は会場周辺の警備を担当する。」

ベルラッテとは、国際防衛機構本部がある国だ。そこの首都・エメラードで、今日から要人ばかりが集まる会議が始まる。首脳だけでなく、各国の経済団体の代表も来るというから、ベルラッテ中の警察がピリピリしている。不測の事態に備えて、国際防衛機構にも声がかかったのだ。

「会場周辺を6つのエリアに分けた。各エリア1人で目を光らせてもらう。」

ビルが画面に地図を出し、6つのエリアに担当者の顔写真を表示した。アリスはまだ写真がないため、名前が書いてあるだけだった。

「た、隊長。」

「何かな、ニコラ。」

「アリスも1人で警備するんですか?」

「ああ、そうだ。」

「さすがにまだ早いのでは?訓練だって、まだ一度も参加してないんですよ?」

「私もそう思うが、なんせ、少数精鋭部隊だからな。アリスにも頑張ってもらう。ただし、ちゃんと連絡は取れるようにしてある。アリス、初めてで不安かもしれないが、頼っていいからな。できそうか?」

「はい。頑張ります。」

このとき、アリスは、不安で心臓がドキドキしすぎていた。しかし、助けてもらった恩を相当感じていたアリスは、それでも頑張ろう、と自分の気持ちを騙した。

 ミーティングでビルがある程度説明をした後、実動部隊はすぐに専用車でベルラッテの首都・エメラードに移動した。その車内で、国際防衛機構本部がエメラードの隣町にあることをアリスは初めて知った。程よく発展した落ち着いた麓の街とは違い、エメラードは高層ビルがいくつも建ち並び、人は大勢いて、非常に賑やかな雰囲気だ。今日は首脳会議が行われるせいで、街中に規制がかかり、これでも落ち着いてるほうだというのだから、アリスは驚きを隠せなかった。

「ベルラッテには世界の主要機関が多いの。国際防衛機構もその1つ。世界中から人が集まるから、娯楽も発展してるんだよ。」

ニコラがアリスに教えた。自分の知らないことが多すぎて、アリスは目が回りそうだった。

 アリスの入隊から2時間後には、海沿いにある首脳会議の会場に着いた。何がなんだか、よく分かっていないアリスは、とにかく周りに付いていくしかなかった。車を降りたら、アリス以外のみんなはヘルメットや銃、防弾チョッキの確認をし始めた。

「アリスは入隊したばかりだから、こういった装備を扱うのはちゃんと訓練した後でな。」

ビルはそう言って、アリスにヘルメットだけでも被せようとしたが、用意されたヘルメットはアリスには大きすぎた。仕方なく、アリスだけは身一つで任務に当たることとなった。

 会場前に整列した隊員の前に、ビルが立った。

「じゃあ、みんな。ミーティングで言った通りの配置についてもらう。自分の担当エリアは責任を持って警備するんだ。万が一、不審者とやり合うことになったら、1人の犠牲も出さず、自身の身も守ること。いいな?」

「はい!」

隊員達は同時に返事した。アリスはその返事に驚いて、声を出さずに背筋をピンとするだけになった。返事をしてすぐに、隊員達は自分の担当エリアに走って向かった。そのスピード感について行けず、アリスはビルの前で1人、あたふたしていた。

「アリス。これが実動部隊だ。初出勤で初出動になり申し訳ないが、食らいついてくれ。」

「はい!すみません!」

渡されたタブレットに従って、アリスは自分の担当エリアに向かった。

 会場近くの要警戒区域はビルとダグラスが、その周りの警戒区域をジョージ、ジルバ、ニコラが担当する。入隊したばかりで武器も防御もないアリスは、準警戒区域を担当することとなった。準警戒区域は警戒区域ほどの規制はかかっておらず、区域内の店は営業時間を変更しながらも、普通に営業していた。アリスはタブレットを見ながら、自分の担当エリアから外れないように、歩いて回った。

「なあなあ!あっちのほうに、国際防衛機構の実動部隊がいるらしいぜ!」

「まじ?見たい!」

「でも、警備の人が入れてくれないんだ。」

「そりゃそうか。でも、あのオレンジの制服、格好いいよなあ。」

世界中の保安系の職業の人が手に負えない任務を代わりにこなす実動部隊は、子どもから大人まで、憧れの的である。オレンジ色の制服は、助けを必要としている人達の心に安心感を与えてきた。彼らが活躍すれば、世界中のトップニュースになる。それくらい、実動部隊は人々から期待されている。その分、責任も大きい。そのため、隊員達は日々厳しい訓練に励んでいるのだ。首脳会議のピリピリした雰囲気と、国際防衛機構の活躍にワクワクする市民が入り混じる街を、アリスはのんびり歩いた。小柄で、オレンジ色の制服ではないため、誰もアリスのことを実動部隊の隊員だと気付いていない。そんなことは気になっていないアリスは、実動部隊のすごさを思い知り、今の自分が気楽に任務にあたっていることに感謝した。


 アリスが担当しているエリアに近い、警備の対象外の地域では、3人の若者がワゴン車の中で話し合っていた。

「ほ、本当にやるのかよ?実動部隊相手にどうにかなるのか…?」

「仕方ねえ。来るところまで来ちまったんだ。」

「それに、今逃げたところで、あの方に消されるだけよ。私たち、どうせ詰んでるんだし。」

「そ、そうだな。真面目に生きてたって、今からやったって、すぐに死ぬのは変わらんな。」

3人の若者の心は決まったようだ。車は準警戒区域内の立体駐車場に向かった。


 国際防衛機構実動部隊には困った問題がある。隊長のビルが、重要なことを言い忘れることがある、ということだ。そして、それは今、大きな影響を及ぼしていた。

「みんな、異常はないか?」

耳に付けた小型のイヤホンマイクで、隊員達はやり取りをする。離れて警戒にあたっている今、この方法での連絡は重要である。

「ダグラスだ。異常はない。」

「ジョージです。今のところは大丈夫です。」

「ジルバ。異常ありません。」

「こちらニコラ。異常ありません。」

「…」

アリスだけ返事がないことで、ビル以外の隊員はあることに気付いた。

「隊長…。アリスにイヤホンマイク渡しましたか?」

「…あっ。」

「…はぁ。」

全員がため息をついた。もしも、アリスの近くで異常が起こった場合、アリスはどうしたらいいのか分からないのではないか。今日、一番連絡を密に取らなければならない人物の行動が、誰も分からないという、最悪の状況である。

 一方、アリスも段々と自分がピンチであることに気付き始めていた。生まれて初めて触ったタブレットは、現在表示されている地図以外の使い方が分からない。他の連絡手段なんてない。何かあっても、1人で対応しないといけない状況である。割り振られたのが準警戒区域であること、着ている服で実動部隊の隊員だと周りにバレないことが、アリスの気持ちをどうにか楽にさせていた。

 どうしたらいいのか分からないなら、どんな街なのかを見て回ればいい。車で移動中にニコラから言われたことを、アリスは心の中で復唱した。高層ビル、働く人、楽しむ人、楽しめない人。全員が幸せにはなれてないけれど、表面上の平和な時間の流れが街全体を押さえつけて守っている。そんな街だとアリスは感じていた。楽しそうな人が多いけれど、そんな人たちに紛れて辛そうな人が一生懸命支えている。約17年間、外の世界を知らずに育ったアリスは、理想とは少し違う現実に複雑な想いを抱いた。

「あれ?アリスじゃないか。」

アリスが声のしたほうに振り返ると、そこには医務室の先生がいた。

「ああ、医務室の。あの時は大変お世話になりました。」

「いいってことよ。それが仕事なんだから。それより、来週は経過観察のための検診だから、ちゃんと医務室に来るんだよ。」

「はい。よろしくお願いします、先生。」

「先生はやめてくれ。そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕はブラス・クラネリだ。医務室の室長だよ。」

「す、すみません。じゃあ、ブラスさんで。」

国際防衛機構には、役名で呼ばれることを嫌がる人が多い。ブラスも多くの人から先生と呼ばれているが、ブラス本人は複雑だ。ビル同様、せめて入隊したばかりのアリスには名前で呼ばれたいという思いが少なからずある。アリス自身、そんな本人達の気持ちには気づけていないが、素直に要望に応えるアリスの素直さは、ほっこりとさせるものがある。

「ブラスさんはどうしてこの街に?今日は首脳会議で厳戒態勢なのに。」

「ああ、国立病院の友人に呼ばれてね。何の話かと思って行ったら、今日は出張に行ってていないって受付で言われたんだ。まったく、自分から呼び出しといて、失礼なやつだよ。」

メールで呼び出されたブラスは、Web会議システムで話せばいいと提案したが、相手が直接会って話したいと言うからエメラードまで来たそうだ。だが、肝心の相手はおらず、せっかくエメラードまで来たのならと、在庫が少なくなっていた薬を発注し、自分で持って帰れそうなものは直接購入したのだった。

「それより、アリスは何でこんなところに?制服は違うし、装備も何もないじゃないか。」

「あ、はぁ…、実は…。」

アリスは、正規の制服が大きすぎてイベント用の制服になったこと、勤務初日に警備に放り出されたこと、他の隊員と連絡を取れないことをブラスに説明した。

「はぁ…、ビルってやつは…。」

「忙しいみたいですし、私に構っていられないのは分かります。ここは幸い準警戒区域なので、自分でどうにかしますよ。」

何をどうしたらいいのか全く分からないアリスだが、ここまで来てしまったらやるしかない、と腹を括っていた。そんなアリスを、ブラスは心配そうに見つめた。

「大丈夫ですよ。フューダみたいに、乱暴なことをしてくる人はいませんから!」

ブラスの心配を取り払おうとしたアリスは、ハリのある声で、少しだけ口角を上げてそう言った。一生懸命なアリスを見て、ブラスは自然と笑顔になった。

「アリスは頑張り屋さんだね。僕はこれで帰るけど、しっかりやるんだよ。」

「はい。ありがとうございます。」

バス停に向かうブラスを、アリスは見送った。


 「ラッキーだ。ここは実動部隊の連中がいないらしい。」

立体駐車場の屋上に潜り込んだ3人組は、胸を撫で下ろした。実際にはアリスがいるのだが、制服がオレンジではないために、隊員だと認識されなかった。

「じゃあ、私たちの仕事をしましょ。」

「ああ。やるなら思いっきりやろう。」

至って普通の立体駐車場が、騒ぎの拠点となる。


 ブラスを見送ったアリスは、妙な気配を感じ取っていた。警戒態勢の中でも、平和に過ごす人々の中に不穏なものがあるように思っていた。不穏な何かの糸を辿るように、アリスは進んでいった。すると、自然と、さっき見送ったブラスを追いかける形になっていた。

 バス停でバスを待つブラスを、アリスは近くの建物の陰からそっと見ていた。ブラスは列に並んで街並みを眺めていた。特に変わった様子はなく、ブラス自体に問題があるような感じではない。それでも消えない不穏な気配に、アリスは気持ち悪さを覚えていた。アリスは目を瞑り、不穏な気配を辿ろうとしたが、複雑に絡み合う気配は一番の原因を特定させてはくれなかった。仕方なく、ブラスを再び観察し始めたアリスだが、次第にブラスを含めたバス待ちの人達がザワザワしだした。

「バス、まだなのか?」

「バスは遅れるものでしょ?」

「でも、30分遅れてるぞ?」

「まあ、気長に待ちましょう。今日は首脳会議があるし、遅れても仕方ないですよ。」

ブラスは少し苛つき始めた人をなだめた。優しい物言いのブラスに、他の人達は落ち着きを取り戻した。

 アリスは、あることに気がついた。ブラスが待っているバス停の隣のバス停に、誰も乗っていないバスが停まっている。アリスは、最初は何とも思わなかったが、ブラスを観察し始めたときには既にそのバスはそこに停まっていた。つまり、40分は停りっぱなしだ。アリスはフューダのアジトから救出されるまで外の様子を知ることはなく、未だによく分かっていないが、停りっぱなしのバスが不自然なのはなんとなく分かった。そして、エメラードのような大きな街の、そんなに規制がかかっていない地域にしては、バスが来なさすぎる。停りっぱなしのバスのせいで気づきにくかったが、目の前の道路も、バス停に来るまでの車道にも、バスは通ってなかった。何かがおかしい、とアリスが感じたその瞬間、不穏な気配のいくつかが禍々しい殺気を帯びてブラスに向かって行くのを感じた。気配が発されているほうを見ると、バス停がある道路の隣の道路沿いにある建物で、3人がライフルを構えているのが見えた。

「伏せろ!狙われてる!」

アリスは走りながら大声でバス停に向かって叫び、ブラスに飛びかかって地面に倒し、盾となった。その瞬間、何発かの銃声が街に響いた。バス停の柱や屋根に当たる音もして、最初はキョトンとしていたバス待ちの人達もすぐに伏せた。銃声が止み、不穏な気配が僅かに弱まったところで、アリスはバス待ちの人達に呼びかけた。

「逃げてください。たぶん、バスは来ません。早く!」

目の前にいた人達が全員、パニックになりながらも逃げたのを確認し、アリスはブラスの体を起こした。ブラスは、何がなんだか分からない様子だった。

「あ、アリスか…?どうして…?」

立ち上がったブラスを見て、アリスは驚いた。赤いポインターが、ブラスの額に3つ当たっている。すぐにまたブラスに覆い被さるようにして伏せると、また銃声が街に響いた。更に、殺気立った気配が、停りっぱなしのバスから出始めたのを感じたアリスは、伏せながら周りに叫んだ。

「バスから離れて!死ぬぞ!」

銃声が止み、アリスは小さな体でブラスを抱きかかえ、建物の陰に逃げた。直後、バスは信じられないくらいの大爆発を起こした。

「な、何がどうなってるんだ…?」

信じられない、という顔をしているブラスを、アリスは再び抱きかかえ、建物の間を縫うように走り出した。

「ブラスさん、実動部隊の誰かに連絡を取ることは出来ませんか?私、やり方が分からなくて。」

走りながら、アリスはブラスに聞いた。タブレットは肩から斜めに掛けているのだが、地図以外の使い方が分からないアリスにとって、今はただの板でしかない。

「あ、ああ。ビルになら連絡できるが、一旦どこかで止まってくれないか?これじゃ、操作ができないから。」

そう言われたアリスは、近くにある一番安全そうな雰囲気の場所を見つけ、壁を駆け上がった。大通りから1本奥に入った小さな道沿いにある、アパートの4階のベランダだ。いきなり壁を駆け上がったため、ブラスは生きた心地がしなかった。ベランダに着地し、身を隠しながら辺りを警戒し、本当に大丈夫であることを確認して、アリスはブラスに改めてビルに連絡するように促した。

「…ん?ブラスか?どうしたんだ?今、警戒態勢の真っ只中なんだが…。」

「それどころじゃない!そっちは爆発音が聞こえなかったのか?!」

「は?」

ブラスは、先程起きたことを丁寧に説明した。アリスには持っていたイヤホンマイクの予備を渡し、使い方を教えた。

「そ、そんなことが…。」

「ああ、そうだ。アリスが助けてくれなかったら、今頃僕は死んでるよ。」

「まだ安心は出来ません。」

アリスが2人の会話に割って入った。アリスは不穏な気配が街中にあること、ブラスが狙われていることを説明した。その間に、近くの建物が爆発するのがベランダから見えた。

「憶測で言うのは良くありませんが…」

アリスはそう前振りをした上で、ビルに考えを言った。

「おそらく、ブラスさんを狙うのは、国際防衛機構の弱体化を狙っていると思われます。医療体制が崩れれば、組織が機能しないと考えてるのでしょう。爆発については、首脳達への挑発、武器の性能確認かと。」

「お、おいおい。アリス、どうしてそんな風に思うんだい?」

アリスは少し間を置いた。息を整えて、言葉を口にした。

「この気配、直接でなくても、フューダが関係しています。少なくとも、準警戒区域は火の海になるかと思います。」

アリスのその言葉を聞いたビルは、他の隊員に呼びかけた。

「みんな、話は聞いてたか?」

その問に、隊員達が答えた。アリスとブラスにもその答えは届いていた。

「もちろん。」

「てか、隊長、先生が準警戒区域にいて良かったですね。」

「確かに。でなきゃ、俺ら何も出来てなかったですよ。」

「あ、ああ。そうだな…。すまん。」

申し訳無さそうなビルの声が聞こえた直後、アリスは自分たちに向けられた殺気を感じ取った。すぐにブラスを抱きかかえてアパートのベランダから離れ、建物の壁を走り出した。ブラスは恐怖と、重力を無視して走るアリスに対する驚きで、叫ばずにはいられなかった。5つ隣の建物まで辿り着いたところで、さっきまでアリスとブラスがいたアパートが爆発した。爆発の衝撃でバランスを崩したアリスは、地面に向かって落下した。ブラスを抱きかかえたまま、空中で体勢を立て直し、どうにか両足で着地し、すぐにまた走り出した。

「おい!アリス!ブラス!何が起きた!?」

ビルはイヤホンから爆発音と叫び声が聞こえるなり、呼びかけ続けた。気持ちがある程度落ち着いたブラスが、アリスに抱えられたまま答えた。

「さっきまでいた建物が爆発した。アリスが気づいて難を逃れたよ。」

スピードを落とさず走るアリスは、安全な場所を見つけるのに必死だ。恐怖はあるが、連絡はブラスがやるしかない状況である。

 逃げる2人に向かって、再び銃弾が飛んできた。先ほどの狙撃犯3人が、場所を変えて狙ってきたようだ。アリスは、ブラスに弾丸が当たらないよう体の向きを変えながら走り続けた。弾丸の1発がアリスの肩を貫いたが、アリスは走るのを止めなかった。ブラスは、アリスが肩を負傷したことに気づいたが、この状況では何も出来ない。

「ビル。アリスが撃たれた。」

「何?!おい、アリス!大丈夫か?」

「問題ありません。」

「アリス。どこでもいいから止まるんだ。狙われているのは僕だろう?君の応急処置をさせてくれ。僕のせいで傷つかないでくれ。」

「嫌です。」

ブラスは、職業柄もあり、負傷しながら動き続けるアリスを見てられなかった。それでも、アリスは走り続けた。比較的安全そうな場所を見つけたアリスは、ブラスを壁にもたれかかるように座らせ、アリスは立ったままで壁に両手をつき、ブラスの盾になって、そのまま息を整えた。

「ブラスさん、あなたを失うということは、国際防衛機構の大きな損失です。」

アリスはブラスにそう言うと、さらに続けた。

「それに、私がブラスさんを守りたいんです。僕のせいで、なんて言わないでください。私のわがままですから。あっ、でも、今止血だけお願いできますか?」

アリスは笑顔でブラスにタオルハンカチを渡した。大きさは全く足りなかったが、ブラスは血が出ている右肩にハンカチを当て、近くに落ちていたロープで思いっきり縛った。

「ありがとうございます。さあ、行きましょうか。そろそろ相手が私達の居場所を突き止める頃です。」

そう言うと、アリスはブラスをまたまた抱きかかえ、走り出した。爆発と銃撃は止まない。間を縫うように、アリスはブラスに傷1つ付けることなく走り回った。

「あー、走りながらでいいから聞いてくれ。」

イヤホンからビルの声が聞こえた。アリスは走ることに、ブラスは聞くことに集中した。

「今、準警戒区域にダグラスとジョージを向かわせた。アリス、とにかくブラスを守るんだ。2人共、命だけは守ること。以上。」

一方的に通信が切られ、ブラスはやれやれといった感じである。

「まったく、指示が雑すぎる。」

「そうですか?無駄な言葉のない、分かりやすい指示だと思いましたけど。」

アリスは走りながら、少し笑っていた。

「ビルさんの指示通り、お守りしますよ。ブラスさん。」

「アリス、君って子は…。申し訳ない気持ちは当然あるが、同時に頼もしいよ。」

こんなほのぼのとした会話は長くは続かず、アリスは危険を察知し、左に向かった。次の瞬間、近くの建物が激しく爆発した。間一髪、直接爆発に巻き込まれることはなかったが、アリスとブラスは爆発で辺りに散った欠片や砂埃の中に飲み込まれてしまった。


 ダグラスとジョージは、それぞれ急いで準警戒区域に向かっていた。

「ジョージ、今、どの辺だ?」

「ん?もうすぐ区域に入る。ダグラスは?」

「入ったばかりだが、相当ヤバいぞ、これ。」

「僕がいるところでも、爆発音や煙が確認できるよ。」

ダグラスは副隊長でビルより老けて見え、ジョージは役職はなく大柄で怖く見られることが多い。この2人は30歳と27歳で歳が近く、見た目で不利益を被ることがあるという共通点から、わりと仲が良い。そんな2人が、初仕事で大きなトラブルに直面してしまったアリスを助けるために、急いで現場に向かっている。

「それはそうと、ジョージ、お前、警戒区域から気付けなかったのか?音くらいはしただろ?」

「それが、何も感じなかったんだよ。言われるまで知らなかった。」

「通信がなかったってことは、ジルバとニコラもそんな感じか…。」

「よし、僕も準警戒区域に入った!…って、本当にすごいな。なんで気付けなかった…?」

ダグラスとジョージ、それぞれの目の前には、爆発による煙や瓦礫が広がっていた。要警戒区域はまだしも、隣の警戒区域にいながら気付けなかったことに、ジョージは愕然とした。

「ジョージ、気付けなかった反省は後だ。今は、目に入った要救助者を片っ端から助け出せ。助けながら、アリスと先生を探すぞ。」

「あ、ああ、そうだな。」

ジョージは自分の両方の頬を2回叩き、気持ちを入れ替えた。気付けなかった自分を悔やんだところで、助けを必要としている人達は助けられない。ジョージは街の中に突っ込んでいった。

 ダグラスは3人目を瓦礫の下から救い出した。幸いなことに、3人とも、大きな怪我はなく、自力で動ける状態だった。

「警察の誘導に従って逃げてください。走るのが辛かったら、歩いてでも構いません。気を付けて。」

オレンジの制服を着た実動部隊に助けられた人は、皆素直に言うことを聞いてくれる。ビルが警察に要請してくれたお陰で、避難誘導はちゃんとできている。自分たちは任務に専念できるというわけだ。

 ダグラスは、あることに気が付いた。先に受けた情報により、最初に銃撃、爆発があったのは大通り沿いのバス停であると分かっていたが、その後は情報がなく、現場を確認しなければならなかった。順番は分からずとも、現場を見るに、2番目以降は主要な道から外れたところが被害に遭っている。要救助者が相当数いると思って準警戒区域に入ったダグラスだが、被害箇所が人通りの少ないところばかりのため、犠牲者は今のところ確認されていない。

「アリス、先生、聞こえるか?」

ダグラスは呼びかけたが、返事はなかった。準警戒区域に入ってから、大きな爆発が1回あったのを確認していたダグラスは、その爆発があった辺りに向かって走り出した。もし、アリスが人気の少なそうなところを逃げ回っているとしたら、入隊初日にしては上出来である。しかし、ブラスを狙っている奴らがそれを分かっていて銃撃や爆発を仕掛けているとしたら、いずれ2人は逃げ場をなくす。

「ジョージ、聞こえるか?」

「聞こえるぞ。」

「何人、どういうところで助けた?」

「2人。大通りから外れたところだ。2人とも、大した怪我じゃなかったけどな。それがどうした?」

「アリスと先生に連絡が取れなくなってる。多分、2人は大通り沿いにはいない。要救助者もそうだろう。粉塵がすごいから、ちゃんとマスクをつけて、裏道を探そう。」

「連絡が取れなくなってるって…。わ、分かった。」

一瞬動揺したジョージは、ダグラスに従った。副隊長なだけあって、ダグラスは冷静に状況を判断し、最適な行動を見出す。そして、それに皆が従うくらいの人望もある。最近、うっかりが増えたビルを支えるのも、ダグラスは自然とやってのける。

「なあ、ジョージ。」

ダグラスは迷いを隠しきれない声でジョージに呼び掛けた。

「どうしたんだよ。状況が酷すぎて自信なくしたのか?」

ジョージはそんなダグラスの様子に気付き、わざと明るく聞き返した。

「そんなんじゃねえよ。ただ、その、何ていうか…。アリスって、無意識で例の力を使ってたりするのかなって思っただけだ。」

「はあ?知らねえよ、そんなの。ニコラやジルバと違って、僕たちはそんなに絡んだことないだろ。」

「だよな。悪い。とりあえず、さっき言った通りにしてくれ。」

「言われなくてもそうするよ。じゃあ、あとでな。」

ジョージとの会話を終えたダグラスは、行くと決めた場所に向かいながら考えた。要救助者は皆、瓦礫の隙間にいた。体のどの部分も挟まれることなくだ。ダグラスが助けた内の1人は、もうダメだと思った瞬間に光に包まれたような気がした、と言っていた。もし、その光がアリスの例のあの力だとしたら、アリスはブラスを守りながら市民への被害を最小限に抑えながら逃げ、おまけに命の危険が迫っている市民を助けていることになる。

「自分がボロボロになってたりしないよな…?」

ダグラスはアリスの身が心配になった。早く合流して、フューダの視界から外してやらないと、アリスが危ない気がした。

 ダグラスは目的の場所に着いた。運が良いことに、そこでジョージと合流できた。さっき爆発が起きたこの場所で、2人は国際防衛機構のロゴが入ったイヤホンを2つ見つけた。

「多分、アリスと先生のだろうな…。」

「連絡が取れないはずだな…。」

2人が気になったのは、片方のイヤホンマイクに血が付いていたことだ。

「どっちかが怪我してるってことか…?」

「アリスだろうな。肩を撃たれたって話だし、先生が付けてたイヤホンマイクにアリスの血がついたんだろう。」

ダグラスは、さっきまで考えていたことをジョージに話した。ジョージも似たようなことを考えていたらしく、お陰で結論は早く出せた。

「早くアリスを見つけよう。」

その時、また別の場所で爆発が起きた。ダグラスとジョージは顔を見合わせ、すぐに走って向かった。


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