第2話 初めまして、いっぱい。

 フューダのアジトにいた頃は、フューダ達が適当に持ってきた服を肌の上から直接着るだけ、それを破れるまで着ていたアリスである。服の臭いなんて気にしたこともなかった。医務室でお世話になっていた頃に初めて下着というものを着て、さらには服もきちんと洗濯までしてもらって、アリスは感動した。脇の下のところが破れていたが、アリスの感覚ではまだまだ余裕で着られる状態で、躊躇なく着直したアリスを、職員が驚いて見ていた。

 さて、晴れて国際防衛機構の一員となったアリスは、今もフューダのアジトから保護されたときと同じボロボロのツナギを着ている。保護されて、人生で初めてお風呂に入って肌の清潔感はだいぶ増していたが、服はボロボロ、髪の毛も適当に切られていたためまとまりはなし、まだまだ身だしなみがいいとは言えない状態だった。

「入隊の挨拶は後にしよう。ニコラ、麓の街でアリスの服を買ってやってくれ。」

「えっ?いいんですか?」

「おいおい、ニコラの買い物じゃないんだぞ?」

「分かってますって。アリス、行くよ。」

訓練を抜けてショッピングに行けることになったニコラは、嬉しさを隠しきれてない顔でアリスの手を取り、駆け出した。アリスは何がなんだか分からないままニコラに手を引かれるがまま付いて行った。残った隊員達が後ろで訓練を再開させた声が、だんだん遠くなっていった。

 ニコラが隊の制服から私服に着替えると言うので、ニコラの部屋に来たアリスは、ニコラから服を渡された。渡された服を持ったまま立っていると、ニコラは笑った。

「そんなボロボロのツナギで街に行くつもり?その服、私には小さかったから、アリスにあげる。さあ、アリスも着替えて。」

動きやすさ重視の隊の制服から、へそ出しのポップな服に着替えたニコラは、アリスの着替えを手伝った。フューダから適当に渡されたツナギしか来たことがなかったアリスにとって、初めてのワンピースだ。

「うん、ちょっとワンピースのほうが大きいけど、ちゃんとした食生活を続ければちょうど良くなりそう。靴は機構から支給されたサンダルをとりあえず履いてて。街で買ってあげるから。」

準備が整い、ニコラとアリスは機構の敷地内にあるバス停に向かい、来たバスに乗って街に行った。

 街に着いたら、ニコラはアリスを美容院に連れて行った。保護されるまでお風呂に入ったことのなかったアリスの髪は、フューダに適当に切られ、ボサボサになっていた。ニコラが店員さんに話を通し、アリスは言われるがままに椅子に座った。時間がかかるということで、その間、ニコラは街歩きをしに行った。

「最後に髪を切ったのはいつですか?」

「え、えっと…、1年は前だと思います。」

「なるほど。じゃあ、切っていきますね。」

フューダの気まぐれで適当に切られていたアリスの髪は、毛先が傷み、伸び放題だった。国際防衛機構に来てから、ニコラに教えてもらいながらシャンプーとコンディショナーをしていたが、17年手入れされなかった代償は大きい。しかし、そこはプロの美容師で、アリスの髪を迷いなく切っていく。腰ほどまで伸びていたアリスの髪は肩ほどの長さになり、念入りにシャンプーとトリートメントをしたことで艶が出た。ちょうど切り終わったくらいにニコラが美容院に戻ってきて、見違えたアリスを見て驚いた。

「やっば!アリス、めっちゃいいじゃん!美容師さん、ありがとうございます。」

「久々にマジの本気になったよ。これからも贔屓にしてね。」

 次に靴屋に向かった。今、アリスが履いている機構のサンダルは簡易的で、若い女性が選ばないようなデザインである。靴屋に着いたら、アリスの足の大きさを測ってもらい、それから靴を選んだ。

「せっかく機構から予算が出てるし、サンダルとそうじゃないのを2足選ぼう。」

ニコラの提案で2足買うことになったアリスは、ニコラの助言を頼りにしながら、サンダルとスニーカーを1足ずつ選んだ。サンダルはタグを取ってもらい、その場で履いていくことにした。

「うんうん。似合ってるよ。アリス、ある程度身体に肉が付いてきたら、モデルできるんじゃない?」

「確かに、ニコラちゃんの言う通りだ。今度うちのシューズモデルをお願いしようかな。」

モデルが何か分からなかったアリスは、ただ愛想笑いで突っ立っていることしかできなかった。 

 靴屋の次は服屋に行った。国際防衛機構は制服があるため、そんなに多く服を持っておく必要はないらしい。服が好きな職員が多く持っているくらいだそうで、ニコラもその1人だ。

「うーん。そのワンピースはあげるとして、スカートとパンツは最低2着ずつほしいなあ。トップスも4着はなくっちゃ。」

春から夏にかけて移ろいでいる季節のため、長袖と半袖の両方が売られていた。ニコラの顔見知りの店員も出てきて一緒に選び、ヘアアクセサリーも一緒に購入した。買ったヘアゴムで早速髪をポニーテールにし、ニコラと店員がアリスをじっくり見つめた。

「なんか、誰かに似てるような気がするんだよね。」

「うん。私もそんな気がする。」

「え、えっと…、そんなに見られたら、ちょっと恥ずかしいです…。」

 保護されるまで下着というものを知らなかったアリスのために、下着屋にも行った。下着は毎日身に着けるものだから、というわけで、ブラとショーツを7着ずつ買って店を出た。随分な大荷物になったが、ニコラは最後にドラッグストアにアリスを連れて行った。スキンケア用品や女性用品を買うためだ。

「今は男性だってスキンケアをする時代だし、今からでもいいからアリスも覚えないとね。」

そう言って、ネットでの評判が良いという手頃な価格の化粧水、乳液、美容液をかごに入れ、最後に女性用品をかごに入れた。

「ねえ。気になってたんだけど、フューダってナプキンとかタンポンを使わせなかったの?」

「な、ナプキン?タンポン?何ですか、それ?」

「ああ、やっぱりか。ツナギのお尻から下、血が染みついてたから、ちゃんと教えてないんだろうなあ、って思ってた。大丈夫。これからはちゃんと対応できるから。」

アリスは初めて、女性には生理というものがあること、月1でお尻から出ていた血がそれであること、それにより体調が悪くなることがあることを知った。そんな話をしながらレジで会計を済ませ、店を出た。今日の買い物だけで、2人の両手いっぱいの荷物になった。

 機構に戻るため、バス停に向かった。時刻表を見ると、次のバスまであと40分あった。

「うわあ、バス出たばかりなんだ。まあ、いいか。アリス、そこのクレープ食べよ。」

ニコラとアリスは、バス停近くのクレープ屋でクレープを買って、ガードレールに腰かけた。荷物を地面に置き、ニコラがクレープを頬張った。

「うーん。美味しい。ん?アリス、食べないの?」

「あ、いえ。どうやって食べるのかなあ、と思いまして。」

「そうか、フューダのところはパサパサのパンで、機構に来てからは病院食だったもんね。クレープは初めてだよね。難しいことじゃないよ。上から、思うがままにかぶりつけばいいの。こうやって。」

ニコラはもう一口、食べてみせた。アリスも見習って、クレープを一口頬張った。

「…!美味しい。こんなに美味しいもの、初めて食べました。あ、いや、国際防衛機構でいただいていた食事も美味しかったです。けど、このクレープ、本当に美味しい。」

「アリスのはチョコバナナクレープ。アリスは甘いものが好きなんだね。」

2人で10分もしないうちに完食した。口の周りにチョコレートを付けたアリスを見て、ニコラが笑いながらアリスの口をティッシュで拭いた。

 残りの時間はバス停でのんびり待つことにした。しばらくお互いに何も言わずに立っていただけだったが、ニコラがその沈黙を破った。

「ねえ、アリス。もしかして、今日はあんまり楽しくなかった?」

「え?そんなことはありません。ニコラさんと一緒にお買い物ができて、初めての事だらけで楽しかったですよ。」

「なら、いいんだけど。…あのさ、ずっと気になってたんだ。アリス、保護されてから今まで全然笑わないから、気を悪くしてるのかなあって思って。」

「…。」

フューダのアジトにいた頃は、楽しいことなんて1つもなかった。生きるのに必死、耐えるのに必死だった。何もできない、ただの人形のような人生が、保護されてから一変した。しっかり休まされ、しっかり食べさせられる。初めて人として生きていると感じた。アリスは今、間違いなく人生で初めて楽しいと思っている。

「今日、こうやってニコラさんと一緒に過ごせて、とても楽しかったです。けど、ニコラさんの訓練の邪魔をしてしまって、今回の買い物だって、私のためで、なんか、申し訳ないっていうか。それに、ずっとフューダのアジトにいたのに何もしなかった私が、笑っていいのかなって…。そもそも、笑うってどうするんだろうっていうものありますけど。」

17年間、笑わなかったアリスは、笑い方が分からなかった。笑う資格がないとも思っていた。辛く、苦しいばかりの17年間は、他人が思う以上にアリスの足枷となっていた。

「そうか、そうだったんだ。」

ニコラはアリスの苦しみに少し触れ、手に持っていた荷物を一旦地面に置いた。自分のほうにアリスの顔を向け、アリスの両方の口角を指でクイっとあげた。

「に、ニコラさん?」

戸惑うアリスに、ニコラは構わずその状態で続けた。

「あのね、人間誰だって笑っていいの。人を傷付ける笑いはダメだけど、自分が楽しいって思ったら、誰でも笑っていいの。今、笑い方が分からなくても、少しずつ笑えるようになればいい。他人に嘘をついても、自分にまで嘘をついてはダメ。自分の気持ちに素直になりなさい。」

ニコラがアリスの顔から手を離し、アリスは静かに頷いた。生きる術として感情に嘘をつき続けたアリスにとっては、いばらの道だろう。

「あ、あと、ニコラさんって呼ぶのやめてくれない?距離感がありすぎる。ニコラでいいわ。」

「え?あ、はい。ニコラさ…、ニコラ。」

「そう。よくできました。」

そんな会話をしていたら、40分の待ち時間が嘘のように、あっという間にバスが来たように感じた。2人はバスに乗り込んで、機構に戻っていった。


 身だしなみが格段に良くなったアリスは、機構の中で話題となった。風呂に入らず、服もボロボロだった少女が、見違えるほどに綺麗になったのだから無理もない。そして、何人かはニコラと服屋の店員のように、誰かに似ていると感じていた。

 2人が買い物に行っている間に、これからアリスが暮らす部屋が準備された。隊長の案内で、部屋に連れていかれることとなった。

「えー!アタシが行きますよ。」

「ニコラは今日の最後の訓練だけでもきっちりこなせ。」

「はぁい。」

残念がるニコラを見送り、アリスは隊長の後ろについて行った。2人でさっき買ったばかりの荷物を持って、着いた先の壁に埋もれたような扉を開けると、10畳ほどのスペースが広がっていた。部屋の奥にはベッドもあった。

「今日からここがアリスの部屋だ。隣はニコラだし、近くに私の部屋や、これからアリスの仲間になる連中の部屋もある。まあ、自由に使ってくれ。」

「は、はい…。」

何やら戸惑いを隠せない様子のアリスに、隊長は声をかけた。

「どうした?何か、部屋に変なところでもあるか?」

「いえ…、鉄格子じゃないんだ、と思いまして…。外から見えなくてもいいんですか?」

アリスのその言葉に、隊長はハッとした。アリスにとっての部屋は、フューダのところで過ごした、あの冷たく暗い牢屋なのだ。

「アリスが今まで過ごしてきたところは、部屋じゃない。アリスに自由が与えられてなかっただけだ。私達は、アリスを対等な人間であると考えているから、アリスに自分の空間を持ってもらいたいんだよ。」

「は、はぁ…。」

今までの辛い生活しか経験のないアリスにはピンとこない話らしい。慣れてもらうしかない、と思った隊長は、荷物を置き、無理矢理話を前に進めた。クローゼット、トイレ、風呂、ベッド、テーブルにテレビ。アリスにとって初めてのものばかりであるのは隊長も承知だったため、1つひとつ丁寧に説明した。そんな隊長の親切を無駄にしてはいけないと、アリスもしっかりと話を聞いた。

「大体、こんなものかな?早速で悪いんだが、明日から私達の実動部隊に加わってもらうからね。そこで自己紹介をしよう。まだ、ニコラとジルバしか分からないだろう?じゃあ。」

隊長はアリスの部屋を去っていった。

 アリスは荷物を片付け始めた。ほとんどが衣類のため、クローゼットに収納することが多かった。靴は靴箱に、生理用品はトイレに、スキンケア用品は洗面台に配置した。全てニコラが教えてくれた。生活に必要なものは機構から支給されているとのことだったが、アリスには部屋の隅に重ねて置いてある縦長の箱ともう少し小さな箱が何なのかが分からなかった。幸い、訓練を終えたというニコラが来てくれたので聞くことができた。

「それは冷蔵庫と電子レンジ。食堂でご飯を食べられなかったときにすごく便利なんだから。てか、隊長、その説明はなかったんだ。」

説明が足りなかった部分はニコラに説明してもらった。ベッドの上の時計で起きる時間を設定できること、食堂でご飯を食べること、実動部隊の勤務開始は朝8時であること、制服はクローゼットの中に置いてあることなど、結構説明が足りていなかった。

「ったく、隊長ったら、明日アリスにどうさせるつもりだったのかしら。まあ、いいや。慣れるまではアタシが声を掛けてあげる。」

「何から何まですみません。」

「いいよ。そろそろ晩御飯の時間だから、一緒に食堂に行こう。外でジルバも待ってるから。」

ニコラはアリスを連れて部屋を出て、ジルバと合流し、食堂に向かった。

 食堂は大盛況だった。お腹を空かせた住み込みで働く職員達が一斉にやってくるのだ。アリスはビビってしまい、列に並んでいる間はニコラの腕を両手でしっかり掴んでいた。

「大丈夫。誰も襲ったりしないから。」

「わ、私、場違いじゃないでしょうか…。」

「いや、むしろたくさん食べなきゃダメだろ。」

アリス達に順番が回ってきた。トレーを手に取りって進むと、写真が2枚貼り出されていた。そこには、見るからに豪快そうな男がカウンター越しに立っていた。

「よう!ニコラにジルバ!おっ、噂の新人ちゃんも一緒かい?今日はどっちにする?」

2枚の写真の好きなほうを選んで食べるシステムだ。ニコラはAを、ジルバはBを選んだ。

「新人ちゃんはどうする?」

「え、えーと…。」

アリスにとっては、見たこともない料理だった。悩んでいたら列の流れが止まってしまうことはなんとなくの雰囲気で感じていたアリスだが、判断ができなかった。焦りと不安から、次第に涙目になってきたアリスに、豪快な男は優しく声を掛けた。

「新人ちゃん、焦らなくて大丈夫だ。今の自分の気持ちに正直になってごらん。どっちのほうが興味あるかな?」

見た目によらず優しい豪快な男は、アリスにそう声を掛けた。アリスは目を瞑り、より興味のあるのはどちらかを自分に問うた。

「じゃ、じゃあ、Aでお願いします。」

「Aだね。フライドチキンにサラダ、コーンスープに焼き立てパンだ。彩りとバランスが最高のセットさ!あ、Bも最高だから、また今度食べてみてね!」

圧倒されるアリスを、後ろに並んでいたジルバが押して前に進んだ。進んだ先で、トレーの上に次々と料理が乗せられていく。全て乗せられたら、列から離れて、空いている席に座った。

「ったく、相変わらず押しの強いおっさんだ。」

「あら、そこが良いところなんじゃない?」

ニコラとジルバがさっきの豪快な男性の話をしながらご飯を食べ始めた。フューダのアジトでは、パンしか食べたことのないアリスにとって、フォークとスプーンを使って食べるのは慣れないことだ。医務室で過ごしていた頃にだいぶ練習したが、まだ上手く食べられない。ニコラとジルバが談笑しながら食べている横で、アリスは一生懸命食べ進めた。2人が食べ終えた頃に、ようやく3分の1を食べ終えた。

「アリス…、大丈夫?」

「ごめんなさい。食べるのが下手なだけです。ニコラとジルバさんは先に戻っててください。まだ時間がかかりますから。」

「分かったけど、俺のこともジルバって呼び捨てにしてくれよ。」

 ニコラとジルバは先に部屋に戻った。アリスは残りのご飯を自分のペースで食べ進めた。見慣れない新人が1人で一生懸命食べているとあって、周りの職員達のヒソヒソ話の話題になった。アリスの耳にも聞こえていて、アリスは少し肩身が狭い思いになった。そんなアリスの隣に、入口近くにいた豪快な男が座った。

「新人のお嬢ちゃん、隣、座るよ。」

アリスは驚いて、頷くことしかできなかった。豪快な男は、アリスの隣でご飯を食べ始めた。

「お嬢ちゃん、名前は?」

食べながら、豪快な男はアリスに聞いた。やっと3分の2を食べ終えたアリスは、食べながら答えた。

「アリス・オリビアです。」

「アリスっていうのかい。いい名前じゃないか。あっ、俺はボンゴレ・ゴング。国際防衛機構の食堂で料理長をしてるんだ。よろしくな。」

ボンゴレの一口は大きく、豪快そのものだった。よく噛んで食べているものの、すぐにアリスに追いついた。

「ボンゴレさん、食べるの早いですね。私、医務室にいた頃から食べるのが下手で、なかなか終わらなくて、皆さんを待たせてしまうんです…。」

アリスの言葉を聞いてる間、ボンゴレは手を止めていた。自分が喋り出す前に、大きな一口を口に運び、飲み込んでからアリスの肩をポンポンと叩いた。

「アリス、今、食べてるご飯、美味いか?」

「えっ?あ、はい。もちろんです。こんな美味しいものを、一度にこんなにたくさん食べたことないので、とても幸せです。」

それを聞いたボンゴレは、とても幸せそうな顔になった。

「それでいいんだよ。アリスは今まで、ご飯を食べる、ってことをしてなかったから、食べるのが下手で当然なんだ。周りに合わせる必要なんてない。自分のペースで、俺たちの料理を味わってくれたらそれでいいんだ。」

「…は、はい!」

アリスは少し気が楽になった。少し緊張が和らいでご飯を食べるアリスを見て、ボンゴレは満足気に残りのご飯を食べた。先にボンゴレが食べ終え、5分後くらいにアリスが食べ終えた。

「ありがとうございます。とても美味しかったです。」

「アリス、ご飯を食べ終わったら、ごちそうさま、って言うんだ。食べ始めは、いただきます、って言うんだぞ。」

「そうなんですね。ごちそうさまでした。」

「うん、よく言えました!それと、もう1つ。俺のこと、ボンさんって呼んでくれ。ボンゴレさんじゃ、距離感がありすぎる。」

「分かりました。ボンさん。」

「うん!素直な良い子だ!」

アリスは食器を返却口に返し、ボンゴレに手を振って食堂を出た。その後、広い機構の施設内で迷子になり、なかなか戻ってこないアリスを心配したニコラが探しに来て、事なきを得た。

 その夜、アリスは自分の部屋のベランダで、風に当たりながら外を眺めていた。今まで一度もぐっすりと寝たことないアリスは、国際防衛機構に来てからも1~2時間しか寝ていない。それが当たり前の生活だったため、特に辛くはなかった。今もなかなか寝付けずにいて、自分の部屋を割り振られた今、牢の小さな隙間からしか見たことのなかった夜の景色を見ている。開放的で、風が爽やかで、何も恐れる必要のない平和な闇。そんな闇を、夜空の月と星が優しく明るさを添えている。

「おい。早く寝ないと、明日からの勤務に耐えられないぞ。」

斜め上から声がした。アリスは癖で、すぐに声がしたほうを向いて距離を取った。

「そんなに警戒するなよ。って、まあ、まだ平和な暮らしに慣れてないなら仕方ねえか。」

声を掛けたのはジルバだった。アリスは警戒を解いた。

「食堂のおっさんのご飯をたくさん食べても眠くならねえなんて、どんな身体してんだ?」

「えっと、人って普通はどれくらい寝るものでしょうか?」

「最低でも6時間は寝ないと耐えられねえ。フューダに教わらなかったか?」

「起きてても寝てても、何をされるか分からないので、いない隙に寝られたら寝てたって感じです。なので、私は寝なくても問題ありません。」

明るく答えるアリスに、ジルバは若干引いていた。

「どんな扱いされてんだよ、本当に…。まあ、いいや。ここはアリスに危害を加える奴なんていないから、安心して寝ろよ。じゃあな。」

部屋に戻るジルバに向かって、アリスは礼をした。この会話は、当然のように周辺の隊員達の部屋にも聞こえていて、皆やりきれない気持ちになった。そうとは知らず、アリスは眠気を感じるまで、ベランダで夜風に当たっていた。

 朝、ニコラがセットしてくれた目覚まし時計が鳴ったら、アリスは言われた通りにボタンを押して止めた。歯を磨いて、顔を洗って、髪を整えて、制服に着替える。全部昨日ニコラが教えてくれた。準備が一通り終わった頃に、ニコラが部屋にやってきた。

「おはよう、アリス。って、制服ブカブカじゃない!」

「おはようございます、ニコラ。こ、これは正しいのでしょうか?」

「元々小柄だし、医務室で治療を受けたとはいえ、まだまだガリガリなんだわ。ちょっと待ってて。物置探してくるから。」

5分もしないうちにニコラは戻ってきた。準備されていた制服とよく似た制服を手にしていた。

「試しにこれを着てみて。」

上着はアリスのヘソが出てしまう丈だったが、ブカブカよりはマシだということになり、クローゼットに準備されていたTシャツの上から羽織ることで解決した。下は短めの半ズボンだったが、長ズボンの裾を引きずったり、ロールアップするより動きやすいということで採用された。

「Tシャツをズボンにインして。うん。こっちのほうがピッタリね。ガリガリ卒業まではこれを着なさい。」

「これ、みなさんのと違うんですか?」

「一般開放の時の子供向けイベントで着てもらう制服。結構盛り上がるんだけど、まさかこれがピッタリとはね…。」

時間もないから、ということで、着替え終わったらすぐに食堂に走って連れていかれた。

「よう、ニコラ、アリス、おはよう。って、アリス、それってイベントの制服じゃ…?」

ボンゴレはいち早く異変に気付いた。ニコラが事情を説明すると納得の様子だった。

「それならたくさん栄養摂って、正規の制服を着られるようにならないとな。ほら、朝ご飯だ。」

他の職員が普通の定食を提供されるなか、アリスはハンバーガーを渡された。食べるのが遅いアリスのために、ボンゴレが特別に準備したのだ。お陰で、ニコラとほぼ同時に食べ終えることができたアリスは、食堂を出るときに深々と礼をして感謝を伝えた。その後、食堂の隅の洗面台でマウスウォッシュで軽く口を濯いだ後、実動部隊の部屋に向かった。

 部屋には他の隊員達がすでに揃っていた。ニコラとアリスの到着を待っていた、という状態だった。

「遅いじゃねえか、珍しい。」

「アリスの制服を探してたの。」

国際防衛機構実動部隊の制服は、オレンジ色をベースに黒い線が入っている。黒の半袖Tシャツの上に上着を着て、下は長ズボンだ。アリスはそれが身体に合わず、イベント用の白色ベースに赤い線が入った上着に短パンを身に着けることとなったのだ。事情をニコラが他の隊員に説明し、みんな笑って許した。

「よし。何はともあれ、全員揃ったな。では、朝のミーティングを始める。」

隊員達が決められた席に着いた。アリスは邪魔にならないように部屋の隅に立った。

「では、まず、今日から始まる首脳会談の件だが…」

「た、隊長!業務の話の前に、まずはアリスの紹介とアタシたちの自己紹介でしょ!」

「ああ、そうだったな。悪い。」

隊長は笑い、隊員達は呆れていた。隊長はアリスを手招きして、自分の横に来させた。

「みんな、すでに知っての通り、今日からアリスが私たちの仲間になった。色々教えてあげてくれ。じゃあ、アリス。自己紹介を。」

「えぇっ⁈えっと…、アリス・オリビアです。その件は助けていただきありがとうございました。みなさんのお役に立てるよう、精一杯頑張ります。よろしくお願いします。」

みんなから拍手が起こると、アリスは恥ずかしそうに俯いた。大丈夫、と隊長はアリスの肩を優しく叩いた。

「よろしく頼むよ。じゃあ、私たちからも。私が実動部隊長のビル・リーチだ。」

隊長と呼ばれていたこの男の名前を初めて聞いたアリスは、驚いていた。このとき、ちゃんと名前があったんだ、と思っていたらしい。続いて、隊長の隣に座っていた男が口を開いた。

「副隊長のダグラス・チェンだ。こう見えて、隊長より10歳若いんだぜ?よろしく。」

ダグラスは確かに隊長より年上に見える。すごく真面目そうな見た目だが、話し方から、冗談は通じるタイプのようだ。

「次、僕。ジョージ・五十嵐だ。見た目が怖いからって、逃げないでくれよ?」

ジョージは天然パーマで色黒、そして大柄だ。確かに、初見だと少し怖いかもしれない。しかし、それ以上に、優しい笑顔が印象的な男である。

「ほら、ニコラとジルバも。」

「俺たちも?まあ、いいけど。」

隊長に促され、少し面倒そうにジルバが続いた。

「ジルバだ。ジルバ・ダッフル。まあ、これからもよろしく頼むわ。」

「何格好つけてるの?感じ悪く聞こえるでしょ。ごめんね。ジルバ、良い奴だから許してあげて。あ、ニコラ・アイーダよ。困ったことがあったらいつでも頼ってね。」

ニコラがジルバを注意し、ジルバはニコラに反論していた。まるで夫婦漫才のような2人のやり取りに、アリスは圧倒され、他の隊員は笑っていた。

「はいはい。じゃあ、アリス。任務に訓練、早速今日からやってもらうからな。けど、最初の目標は、私たちと同じ制服を着られるように栄養を摂って身体を丈夫にすることだ。いいな?」

「は、はい!」

アリスにとって、出会うもの全てが初めてだった。そして、これからも初めてがたくさん待ち受けている。とにかく、みんなに迷惑を掛けないように頑張ろう、と誓ったのだ。


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