第10話 大丈夫だと思うな
「そ、それでね、直……もう一個のお願いなんだけどさ……」
「うん……?」
入浴を終えて、土、日に泊まれなかった分、今日泊って行かないかと言う話になり、一旦家にスクールバッグと体操着を取りに行って帰るとどこか落ち着かない様子の柚が律儀に迎えてくれた。
荷物を自室へ置きに行こうとすると何故か付いて来て、部屋に到着するなり突然切り出して来た。
もう一個のお願い……そういえば、そういう話の流れで柚の家に来たんだっけ。
「えっと……なに?」
バッグを下ろしながら尋ねると、柚は手を弄りながら言いにくそうに口をパクパクさせてから、やがて意を決したように顔を上げた。
「あの……直のベッドで……わ、私も一緒に寝てもいい…?」
「…………へ?」
私のベッドで、柚が、一緒に寝る……?
それはつまり……どういうこと…?
「いい……けど…」
「ほんと!?やった!じゃあ私、枕取って来るね!!」
「う、うん……」
満面の笑顔で頬を染めて、小走りに自分の部屋へ向かう柚を見送りながら、今の言葉の意味を考える。
お願いには応えないといけないと言う使命感が先行して、意味を完全に理解する前に了承してしまったけど、よくよく考えなくてもヤバくない……?
だって、つまり、柚が私の部屋のベッドで、一緒に寝るってこと……だよね?
金曜の夜も一緒のベッドで眠ったけど、あの時とは状況も心境も全く違う。
「好きな人と……同じベッド……」
「え………なんて……?」
「っ!?」
いつの間にか、枕を抱きかかえた柚が部屋に戻って来ていて、私の顔を覗き込んでいた。
「いっ、今の……聞いてた……?」
「ううん、聞こえなかったけど……え。ホントに何言ってたの…?」
「いや、えっと……柚、今日のお昼ご飯どうしたんだろーって思って。そういえば私、お弁当作るの忘れてたでしょ?」
咄嗟に思いついた話を振ると、柚は枕をベッドの上に置きながら「何買ったかな?」と呟く。
「確かコンビニで適当に菓子パン……あ、思い出した。チョコチップメロンパンとチョココロネ、カスタードクリームパンにチョコレートタルトとあとそれから―――」
「……柚」
「は、はいっ」
「明日から私がバランスのいいお弁当ちゃんと作るから、今後そんなの昼食にしたらマジで怒るからね?」
「は、はひっ!ごめんなさいっ!!」
あまりにもメニューが甘ったるすぎて思わず圧をかけて注意してしまったけど、元はと言えば、柚をほったらかしてお弁当を作り忘れた私が原因なことを思い出す。
「……いや、ごめん。私が作り忘れたから、そうなっちゃったんだよね……」
「え……?いやいや、そもそも私が簡単な料理の作り方も知らないのが悪いし、コンビニにだってもっとバランスいい食べ物あったはずなのに、チョコレート食べたいばかりに菓子パン選びまくった私が悪いんだって!」
「いや……でも…」
「そもそものそもそも!同級生の友達にお弁当とかご飯、毎日作らないのが普通だからね!?っていうか、そうじゃなくてもあんなに美味しいご飯を毎日のように食べさせてもらっといて文句とか絶対ないしっ!!」
「そ……そうなの?」
「そうだよ!一々褒めまくられるのウザいだろうなって思って、毎回ちょっとずつくらいしか褒めてなかったけど、本当は泣き叫びながら称え拝み奉りたいくらい、直の料理は私の舌にどストライクなんだから!!」
「そ、それは流石に盛ってない?」
「流石に盛ったけど!でも、それくらいしてもいいって思えるくらい、私は直の料理が美味しいって思ってるし!すっごい幸せなんだよ!!」
「そ、そっか…」
最早何の話をしていたのか忘れてしまったけど、柚が私の料理を恥ずかしいくらいにいっぱい褒めてくれて、なにか反省していたような気がするけど、そんなのどうでもよくなってきた。
素直に嬉しい。
ずっと柚だけのために味付けを試行錯誤して、柚だけのために早起きして下準備をして……もちろん料理自体好きって言うのもあるけど、柚のことを考えて作る料理はもっと楽しかった。
私が楽しんで作った料理をここまで言ってくれると、胸の奥の方から温かいものがじわりと広がって、幸せな気持ちになれた。
「でも、これからは私も料理覚えるから、直が風邪とか引いた時はちゃんと自分で作れるように頑張ります!だから、しんどい時はちゃんと休んでね…?」
「……うん。私がいない時でもご飯に困らないよう、ちゃんと教えるし、しんどい時はちゃんと休むようにする」
ちょっぴり寂しいけど、多分、そっちの方がずっと健全な関係だと思う。
「うん!……よしっ!それじゃあ、直は明日も朝ごはんとお弁当作らないとだし、私も直がご飯作ってる所見学したいから、早く寝ようっ!!」
「う、うんっ」
そういえば、時計はいつの間にか日付を跨いで三十分も過ぎていた。
いつもならもう少し夜更かししてる時間帯だけど、今日は特別疲れたから、早く寝るに越したことはないだろう。
「アラーム、5時くらいにしとく?」
「んー……うん。柚に教えながらご飯作りたいし、それくらいで」
「りょうかーい。はい、アラームセットしてっ……と。さ、寝よ寝よ~」
柚はスリッパを脱ぎ、ベッドの上にぐで~んと転がった。
小動物みたいで可愛い。
「……直」
「………っ……!?」
ベッドに寝転がりながら両手を広げ、もう既に眠いのか、蕩けたような微笑みを浮かべながら私の名前を呼んだ。
私の部屋、しかもベッドの上に、可愛らしく私をお迎えしている好きな人がいる………ヤバい、これはヤバい。このまま雰囲気に流されてしまったら、理性と言うものがどこかへ飛んで行ってしまう恐れがある。
「………」
流石にお迎えされるまま柚の腕の中にダイブする勇気は出なくて、好きな人の対面に体を寝かせ、伸ばされた両手に自分のを繋げる。
柚は少しだけ不満げに唇を尖らせたが、それでも両手を繋いでくれたことが嬉しかったらしく、両手をゆらゆら揺らして「ふへへ」と幸せそうな笑みを浮かべた。
「………っっ!!」
あまりの可愛さに思わず気絶しかけたが、ギリギリの所で辛うじて意識を留めることに成功する。
「あ、電気消す?」
「うん」
柚は一瞬だけ私の手を外し、枕元の壁に備え付けてある電気のリモコンに手を伸ばした。
スイッチが押されると、電子音と共に消灯されていくが、豆電球分だけ明るさが残る。金曜日に柚の部屋で寝た時もそうだったけど、柚は豆球を点けて寝るタイプらしい。
「あ。そういえば直って、寝る時真っ暗な方がいいタイプ?」
「ううん。一人の時は消すけど、どっちでも大丈夫」
「そっか、よかったー」
点いてても消えてても特に問題なく眠れる。
ただ、今この場において、この自分の回答が間違いだったと気付く。
「よいしょっと」
再び柚は私の手を握り、正面に向かい合うように寝転んだ。
豆球分だけ、柚の顔が鮮明に見えてしまう。
しかも両手を繋いで、顔と顔の距離も近くて、さっさと目を瞑ってしまえばいいのに、少し照れくさそうにはにかむ表情に目が釘付けになってしまって、こんなのどう頑張っても眠れる気がしない。
「………」
「………」
しばらくの間、二人は無言で見詰め合う。
繋がれた手をにぎにぎしたり、どちらからともなく足同士を触れさせたり。
「………なんか、さ」
「うん………」
「……寝れないね」
「………うん」
前みたいに背を向けながら、あるいは豆球を消せばいくらか胸の高鳴りは落ち着いたかもしれないが、どちらもそうしなかった。
「……眠れるまでさ、もうちょっと話そうよ」
柚の問い掛けに、直はこくりと頷く。
「直って、今は部活入ってないけど、入る予定ある?」
「ない……かな」
少なくとも、高校生の間は。
大前提として面倒臭いって言うのがあって、次点でやりたい部活がないから。
やりたくもない部活に入って、土日を拘束されて、柚といられる時間が減るなんて死んでもごめんだし、運動部なんて入って朝練とかやりだしたら、今よりもっと早起きしないといけなくなる。無理とまでは言わないけど、考えるだけで憂鬱な気分になる。
そういえば、柚も部活に入ってないな。
もしかして、入りたい部活でもできた…?
「……どっか、入るの?」
「ん…?え、私?ううん、全然ないない。そうじゃなくて、大学ではどうするのかなーって思ってさ」
柚の応えに、安堵の息を吐く。
「大学……かぁ…」
考えたこともなかったな。
大体、まだ高校生になったばかりだし。
大学受験のこともまだぼんやりとしか考えてないのに、そんな先のことなんて考えてみたこともなかった。
「……柚と一緒なら…入りたい……かも」
少し、いや、かなり気恥ずかしいけど、それ以外の答えようがなかった。
気持ち悪がられないか不安だったけど、柚は満面の笑みで「うん!私も入るなら直と一緒のとこがいい!」と言ってくれた。
ホッとしつつ、ある問題に気付く。
「あ……でも、私の学力的に柚と同じ大学入れないかも……」
「え。別に私も行きたい所ないし、全然ランク落とすよ?」
中学生の頃から柚の成績は中の上程度で、特別勉学に秀でている、と言うわけではなかったが、真面目な性格も相俟って年々少しずつ、でも確実に成績を伸ばしていた。
最近あった中間考査もかなりいい順位についていたし、このまま順当に行けばそこそこ名の知れた大学に入れるはずだ。
一方で私は万年下の中か上と言った感じで、このままの成績だと入れる大学の選択肢は限りなく狭まるだろう。
私のためにランクを落として、柚が先生や両親に理由を問い詰められるなんて嫌だけど、じゃあ私が今から柚の成績に追いつけるのかと言われたら、正直自信はない。
「いや……それは……」
高校は家から通いたかったし、近いと言う理由で今の所を選んだけど、大学は特に今後の人生に大きく関わるだろうから、柚には慎重に選んで欲しい。でも、柚が私と一緒の大学に入って、同じ部活に入りたいと言ってくれたことが嬉し過ぎて、はっきり「私に合わせないで、自分の成績に見合った所に行って欲しい」と言えなかった。
私が言葉に詰まって口をハクハクさせていると、柚が代わりに口を開いた。
「じゃあ、ランク下げない」
「………っ!!」
さっきまで幸せの頂点くらいまで上り詰めていた心が一気にどん底まで落ちる。
自分から望んだことなのに、いざ口にされるとこんなにも心が痛い。
「だけど、直と一緒の大学に入りたい」
「………」
私も出来ることならそうしたい。
けど、今から三年間必死に勉強して、絶対柚の成績に追いつけるのかと言われたらそんな保証はどこにもないし、自分の柚に対する気持ちを疑うわけではないけど、柚と一緒の大学に入ることを目標にして、もしも自分が頑張れなかったら――――
ふわり。
頭を優しく撫でられる。
「大丈夫だと思うな。直ってさ、好きなことはちゃんと地道に続けられるタイプだし、どうにかして直が勉強のこと好きになれるよう私も努力するからさ……一緒の大学、入りたいな」
「ぅぐっ……」
甘えるような声で、そんな優しい顔で、そんなことを言われたら、頑張らないわけには………!!
「ふふ、ごめんね。直ってめっちゃ友達思いだから、こう言われたら断れないって知ってて言っちゃった。高校も直、近いからって言うのもあっただろうけど、私に合わせて頑張って一緒のトコ受かってくれたし……大学も、一緒の所に行きたい。自分の勉強が疎かにならない程度で、私も直に教えられる所は教えるから、ね?」
「………うん。私も……私も、一緒の大学に行きたい……行って、同じ部活に入って……だから、頑張る」
「ありがと、直」
いつの間にか、二人の顔の距離はさっきよりもずっと縮まっていて、鼻先の距離は拳一つ分も空いていなかった。
柚は頬を朱に染めて、潤んだ瞳を直に向ける。
「直……あのさ、おやすみのちゅー……したい、な」
「…………うん」
たくさん話して疲れたからか、それとも深夜テンションだからか、柚の言葉にそれほど疑問を持つことなく、私は頷いていた。
さっきまであんなに鼓動がうるさかったのに、今はかなり落ち着いている。
私の返事に柚は目を瞑り、唇を薄く開く。
吸い寄せられるように、唇同士の距離を縮めていき、やがて重なる。
「……ん」
よく考えたら平常心のままキスするのは初めてで、お互いの唇が柔らかく押し返し合う感触と、頭の芯が真っ白になるような気持ち良さが脳裏に刻まれていく。
いつの間にか私たちは抱き締め合っていて、角度を変えて唇を合わせ、もう一度、もう一度と、求めて、求められて。
どちらからともなく、満足したように上気した顔を離し、微笑み合う。
最後に、柚は直の首筋に軽いキスを落とし、豆電球も消した。
「おやすみ……直」
「ん……おやすみ、柚」
柚は自然な動きで直の首元に顔を寄せて、身体をくっつけ合って、二人はいつしか安心感の中で静かな寝息を立てていた。
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