第9話 冗談だよ

「あ…あの……柚さん…?ちょっとくっつき過ぎなんじゃ…」


 柚の家に向かうために玄関で靴を履いて扉を出てすぐ、腕の内側から手を通して恋人繋ぎにされ、もう片方の腕でしっかりと抱き締められて、みっちりと密着されてしまう。


 柚と恋人繋ぎしていると言うだけでヤバいのに、左腕が柔らかいものに包まれてもう顔から湯気出そう。


「だってこうしないと直、また離れて行っちゃうでしょ?」


「い、行かないよ……」


 私がそう言っても、信用がないのか一層強く腕を抱かれ、結局そのまま姫宮宅まで向かうこととなった。


 流石に到着したら腕を解いてくれて、柚は先行して玄関の扉を開ける。


「ただいまー」


 家の中は静かで、靴もないから恐らくまだ誰も帰ってきていない。それでも柚はいつも決まって「ただいま」を言う。


 普段なら直も柚につられて帰宅の挨拶を言うところだが、玄関かまちの前で靴も脱がずに立ち尽くしていた。


「直……?」


 いつまで経っても上がらない私に、柚は振り向いて首を傾げた。


 いつもなら自然と出ていた「ただいま」が、何故か喉をつっかえてしまって、かと言って「おじゃまします」も違う気がして、何て言えばいいのか分からない。


 もういっそ、何も言わずに勢いで上がってしまおうかと考えた所で。


「おかえり、直」


 両手を背中の後ろで組み、包み込むような笑顔で迎えてくれる親友の姿に、喉のつかえは呆気なく取り払われる。我ながら単純だなと思いつつ、つられて口角を上げたまま、私は今日も帰宅する。


「ただいま……柚」





 直が夕飯の食器を洗っている間に、柚はお風呂づくりに向かった。


 どちらも洗い終えたのはほぼ同時で、どちらからともなくリビングのソファに腰掛け、テレビを観るわけでも、会話をするわけでもなく、しばらくの間並んでボーっとしていた。


「そういえば……さ」


 思い出したかのように、先に口を開いたのは直の方。


「なに?」


 直は左方に座る柚に顔を向けて、まじまじと上から下まで視線を滑らせた。

 突然のことで柚は僅かに頬を染めて、ぱちくりと瞬き一つ。


「な、なに……?」


「いや……その服、珍しいなって思って」


 似合ってるけど、普段柚が着るのは分かりやすく可愛い系で、ヒラヒラしたガーリー系、フェミニン系のものが多い。柚もその系統の服以外着ることはほとんどなかったから、今みたいな服を着るのが意外だった。


 ベージュのチノパンツに、五分袖のブラックニット。

 どことなく大人っぽい着こなしで、多分スタイルが良くないとダサく見えてしまいそうなコーデなのに、どうして今まで着なかったのか不思議なくらいフィットしていた。


「あー、これか。えっと…に、似合ってる……?」


「すっごい似合ってる」


 柚は照れくさそうに髪の毛を弄りながら、「あ、ありがと」とはにかんだ。

 可愛い。


「えっと、実はこれ…さ。紗都が選んでくれて……と言うか買ってくれたんだよね。その……放課後に…」


「あ……な、なるほど」


 『紗都』と言う名前に、思わず心臓がキュッとなる。


 清水紗都。


 一個上の先輩で、派手な見た目通り、勉学に不真面目なギャルであると言う噂をよく耳にするし、柚からもたまに遊んだ時の話を聞くから知っている。

 直接話したことは多分ないけど、写真とか、遠くから見たことはあるからどんな相貌なのかも知っていた。


「……センス、いいね」


「うん、だよね」


 少しの間、沈黙が流れる。


 色々軽くて適当な人だと言うのは聞くけど、本当に悪い噂は聞いた事がないし、柚が話してる分には普通にコミュニケーション能力が高くて、ファッションセンスのあるいい人なんだろうなー、とは思う。


 今まで話したことがなかったのは本当にただタイミングが合わなかっただけで、特別嫌ってるとかはなかったけど、今は何となく、苦手……かもしれない。


「……私、清水さんに嫌われてる……のかな……なんか、すごい睨まれたから…」


 学校からの帰り、柚と清水さんが一緒にいる所に出くわした時、何故か物凄い形相で睨まれた。


 一言、学校で避けちゃってごめん、と柚に伝える前に、清水さんは柚の腕を引っ張って行ってしまって……多分、服はその後に買ったものだと思う。


 柚と二人で放課後に買い物をしていたと言うことに関しても、正直あんまりよくない感情が胸中にあるわけで、全部ひっくるめて……苦手、かも。


「え、あの時紗都、直のこと睨んでたんだ。あの紗都が…珍しい……」


 柚は顎に手を当てて少しの間考えるように虚空を見詰めていたが、やがて得心したように頷いた。


「うん、大丈夫だよ。多分なんだけど、あれは、そうだなー。嫌ってるって言うよりかは、怒ってたのかも」


「怒ってた……?」


「うん、理由は分かんないけど。って言うか、そっか。そういえば二人ってまだ会ったことなかったか。今度会ってみる?私が仲介役やるし、紗都、あー見えて大人だから、もし怒ってても謝れば許してくれると思う」


「……そっか…なるほど。ありがと、柚。じゃあその時は、お願いしてもいい?」


「うん!もちろんっ」


 怒ってた、か。


 もし、清水先輩が話に聞いてる以上に柚のことを大事に思っているのなら……多分、分かる気がする。清水先輩が私に怒ってた理由。


「……なに悲しませてんだ……かな」


「ん?なんて?」


「ううん、なんでも」


 柚は可愛く小首を傾げるが、私に言う気がないことに気付いたのか、「ま、いっか」とそれ以上言及はしてこなかった。


 一瞬の間のあと。


「でもこういう系の服、直も似合いそうだよねー」


「え、私が、その服!?いやいや、似合わないって、そんな大人っぽくてカッコいいの」


 私が普段着る服は大体スポーティッシュなのが多く、まあどっちかと言うとカッコいい系なのかもしれないけど、今の柚が着ているような大人っぽいのを着こなせる自信はない。


「いや、ぜーったい似合うよ!だって、直って大人っぽくてカッコいいし。内面は……たまに可愛いけど…」


 最後の方はごにょごにょしていて聞こえなかったけど、とにかく柚にカッコいいなんて言われるのは初めてで、嬉しいと思いつつ、ちょっとむず痒い。


「ほ、ほんと?」


「うん、クラスでも……何なら学校中で結構有名なんだよ?一年にめっちゃカッコよくて運動神経がいい女子がいるー……って」


「え、なにそれ。初耳」


 柚に関する噂ならほとんど毎日のように聞くのに……そういうのって案外本人の耳に入らないものなんだな。


「そしてなんと、ファンクラブまであります」


「え………?私の……ふぁ、ふぁんくらぶ……!?な、なんじゃそりゃ…」


 なんだその漫画みたいな話は…。


「ふふふ。気付いてないと思った。どうせ、ちょっとみんな余所余所しいなぁ…くらいにしか思ってなかったでしょ?」


「……はい」


 嘘みたいな話だけど、唆すような感じでもないし、多分本当なんだろうな。


 思い返してみれば毎日のように視線を感じたり、学校で私と話す人は大概どこか様子がおかしかったり……あれ?もしかして私って、自分が思ってるより鈍感なのか…?


「あれ、敵を作らないように皆牽制し合ってるんだよ。お近づき目的の男子とかもファンクラブ会員に睨まれるから恐れてる……みたいな構図になってるっぽくて」


 嘘だろ……。


 てっきり私に愛想がないから、男子に不人気なのかと思ってた……。


「直って案外人見知りするタイプだもんね。昔は……私と初めて会った時はそうでもなかったのに」


「あの頃は何も考えてなかったから……」


 昔は喋ってれば全人類と仲良くなれる!くらいのテンション感だったのに、色々考えるようになってからは、人間関係に尻込みするようになってしまった。よくある話だと思う。


「……あれ?でも、だったら柚は?柚は普通に話しかけて来てない?柚が普通に私と接してたら、他の人も便乗とか……それこそ、嫌がらせとか…してきそうなもんだけど」


 私のファンクラブの民度がどんなもんなのかは知らないけど、推しへの熱意が行き過ぎて間違いを犯してしまったりするみたいな事件をたまにニュースとかで見るし、私と毎日のように一緒にいて、毎週お泊りするみたいなのは、ファンからはどう見えてるんだろうと、気になってしまう。


 もし柚が嫌がらせを受けてるなら何が何でもやめさせるつもりだけど、何となく、そういうのはないような気がする。もしもそういうことがあって意図的に隠していたのなら、そもそもファンクラブの話題を出すこともなかっただろうし。


「あ~……それ、ね。実は私も気になって、ファンクラブ会員の一人に聞いたんだけどさ……なんか……私はいいらしい…」


「そ……その心は…?」


「え、えっと……その、も、もし直が不快に思ったらごめんなんだけどさ」


「う、うん」


「わ……私と話してる時の直が、他の人と話してる時よりもイキイキしてて……わ、私と一緒にいたら絵になるとか何とかで……その、て、てぇてぇらしいんだってさ……と、尊い…的な…」


「て、てぇてぇ?とうとい…?」


 なんだそれ…?


 なんか分かんないけど、ネット用語とか?


「わ、わかんなかったら大丈夫っ!と、とにかく、そう!私と普通に話すのは大丈夫みたいだから、うん、直は別に何も気にしなくていいと思うよ!」


「そ、そっか……でも良かった。これで柚が私と話してるってだけでなんか言われてたらどうしようって思ってたんだけど……ホントに良かった」


 嫌がらせがあったらやめさせる、とは言え、それだと柚の学校での立場が難しいものになってしまうだろうし、そもそも、大好きな柚と話してるだけで不快に思われること自体が嫌だったし。


 心の底から安堵の微笑みを浮かべると、柚は何故か顔を真っ赤にして私の方を見ていた。


 どうしたんだろう、と声を掛ける前に、聞き慣れたメロディと、


『お風呂が沸きました』


 お湯張り完了ボイスが聞こえてくる。


 すると何故か柚はいたずらっぽい笑みを浮かべて。


「お風呂……一緒に入る…?」


「…おふろ……いっしょ………えぇっ!?」


「ふふっ。嘘、冗談だよー。じゃ、私先入るね~」


 柚はこちらを見ずに背を向けて、トタタと浴室に向かっていった。


 直はあまりの衝撃でしばらく呆然としていたが、やがてズルズルとソファの背凭れから崩れ落ちて、勢いよく両手で顔を覆った。


 な、な、な、なんだそれなんだそれ!?


 ちょっと前まで柚、冗談でもあんなこと言わなかったのに、あんな、ちょっとえっちな小悪魔みたいなっ……。


 あ゛ぁ゛もうっ!


 絶対からかわれてるってわかってるのに心臓めっちゃ早いし!


 うぅあぁぁぅぅぅ!!


「………………一緒に入るって言ったら……どうなってたんだろ……」

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