第8話 思ってもみなかったお願い
「落ち着いた……?」
「う、うん」
柚は優しげな笑みを浮かべて、さらりと私の髪を撫でる。
撫でてくれる手は気持ち良くて、少し前までなら心から安心できて心地よいものだったはずなのに、私の心臓は今にも破裂しそうなくらいうるさく早鐘を打っていた。
「あ…あの……落ち着いたから……は、離れても…いい……?」
あの後、私は柚の胸の中で声を出して泣いた。
泣いて泣いて、柚は私が泣き止むまで緩やかに背中を撫でてくれて、涙がいくらか落ち着いたら、いつのまにか膝枕されていた。
ちっちゃい子をあやすみたいに、優しく頭を撫でてくれるし、柚の太腿の温もりと柔らかさ、撫でる手の心地よさに最初は癒されてたんだけど、心が平常に戻っていくにつれて、逆に落ち着きがなくなっていって……!
だ、だってだって!柚のこと好きなんだって、気付いちゃったんだもんっ!!
気付いたきっかけは本当についさっき。
私の勝手な思い込みで、柚に相談もせずに暗い部屋で塞ぎ込んで、なのに柚は私が拒絶しても近付いて来てくれて……キス…されて、拒絶する理由を聞かれた。
きっと全部言ったら気持ち悪いって思われる、だってそれくらい醜くて、自分勝手で、柚の成長を妨げてしまうほどの支配欲求があって、全てを伝えた時に嫌われてしまうんじゃないか、不安で仕方がなかった。
そんな私に向けてくれた、笑顔。
その瞬間、ずっと分からなかったこの感情の正体を知った。
柚のことが―――好き。
困らせているかもしれないのに一緒にいたくて、柚と一緒にいた人を妬ましく感じて、柚に触れて反応を返してくれた時に感じた、胸の奥がじわりと温かさが広がっていくような、自販機でキスをしてしまった時と同じ気持ちの正体。
それは幼馴染として、親友としてではなく、ひとりの人間として、柚に恋愛の好意を抱いていたのだと気付いた。
いつから好きだったのかなんて、今となってはもう分からないけど。
とにかく好きだ。
好き…大好き……どうしようもなく、好き。
好きという気持ちがどこからともなく溢れて来て止まらない。
そんな私に、好きな人からの膝枕。
もうホントにヤバい。
心臓はちきれそうだし、生唾飲み込みまくってるし、だから一先ず心の安寧を取り戻そうと離れたかったのに――――
「駄目。直は勝手な思い込みで私にいっぱい心配かけたので、懲役私が満足するまで膝枕の刑です」
「…………ハイ…ごめんなさい……反省してます……」
「直がどうしても嫌って言うんだったら……離れてもいいけど」
そういって、悲しそうな表情でこちらを覗き込んでくる。
「ん゛ぅ゛っ……」
好きな人にそんな顔をされて、嫌なんてっ……。
「嫌じゃ……ないです……」
「……ほんと?」
「い、嫌じゃないし……寧ろ、一緒に…いたい」
危害を加えてしまう可能性のある自分自身を柚から遠ざけたい気持ちと同じくらい、柚と一緒にいたかった。
その二つの想いが拗れて拗れてあんなことになってしまったわけで、柚からしたらさっきまでの私って死ぬほどめんどくさかったと思うし……もう、あ゛ぁ゛~~~!!って叫びたくなるくらい申し訳恥ずかし過ぎて、死にたくなる!!
しかもあの時の柚の笑顔と唇の柔らかさと~~~!!
なんて、一人心の中で悶えていたら。
ぽつり
私の頬に雫が落ちた。
「…………柚?」
「あ……あれ…?ご、ごめんっ……なんか勝手にっ…」
次から次へと目から溢れる涙を、柚は何度も拭って、拭って。
でもそれは止めどなく、私の頬を弾けて濡らす。
私は手を伸ばして、目元を拭う柚の手を掴んだ。
「擦っちゃ駄目……腫れちゃうから……」
なにか拭く物を求めて、勉強机の上にあるティッシュを取ろうと、ベッドから降りようとしたら。
「行っちゃ駄目っ!!」
「わっ!?」
後ろからお腹にガッチリと腕を回され、そのまま二人ベッドに倒れ込む。
密着した柚の感触と、首元にかかる荒い吐息。
胸がドキドキしすぎて爆ぜそう。
「な゛おに……ぎら゛われだと思っでた……」
「きっ、嫌うわけないっ」
「言っでぐんないと分がんないも゛んっ!!……勝手にいな゛ぐならな゛いで……どごにも行がない゛で……ずっどずっと……わだじのぞばにいでよぉ……」
縋るような、震え声の訴えに、胸の奥が締め付けられるように痛かった。
柚の体温がすぐ傍にあるのに、ずっと遠くにあるような気がして、寒い。
私のせいで、今柚は泣いている。
柚を傷付けないために距離を置いたのに、勝手に相手の感情や考えを決めつけて、その行動が結局柚の心を傷付けた。
「ごめん……柚。傍にいるから……もう勝手に離れたりしないから…」
後ろから抱き着かれたまま、お腹に回された手の上に自分のを重ねて、静かに撫でることしか今の私にはできない。
自分が不甲斐なくて情けなくて、でも、しばらくそうしていたら段々と、柚のすすり泣くような声も落ち着いてきた。
それに呼応するように私も柚の温度を感じられるようになってきて、そしたらそれはそれで背中に当たる胸の柔らかさとか色々気になって体が変に熱くなってくる。
けど、抱き枕の私は大人しく巻き付かれたままじっとする。
もう少し経って、柚は直のお腹に回していた手を解いた。
「……ティッシュ…」
「わ、わかった」
少し掠れているが、さっきと比べたらかなり元気そうな声に安心しながら体を起こして、机の上のティッシュ箱を取り、数枚引き抜いて柚に渡した。
「ありがと」と、鼻をかんで、涙をティッシュに滲ませる。
「……ごめん……行っちゃ駄目とか言ったり、ティッシュ取らせたり……」
「ううん、全然……私のせいで柚を悲しませて、泣かせて……だから、私にできることだったら何でもする。柚に心配かけた分、償いたいから」
すると柚は何やら目を見開いて、何を考えてるのか分からない表情を浮かべ、「何でも……」と直に聞こえないくらいの声量で呟いてから、俯いていた顔を勢いよく直の方へと向けた。
「じゃ、じゃあ、今度っ、私に料理教えて欲しい!」
「え、い、いいけど……」
思ってもみなかったお願いをされて、つい微妙な反応をしてしまった。
で、でも、なんで料理……も、もしかして、実は私の料理があんまり美味しくなくて、やっぱりありがた迷惑だったんじゃ……いやいや、だから変に考え過ぎちゃ駄目なんだって!
険しい顔をしている直に気が付いた柚は、慌てて手を横に振った。
「あっ、直の料理が美味しくないとか、ホントは自分で覚えたかったのにありがた迷惑だった、とかじゃなくてさ……直って、たまに近所のおばちゃんのトコ、お料理研究しに行くでしょ?」
「う、うん……研究って言うよりは同好会って感じだけど……」
「私、結構手先とか不器用だし、料理とか色々諦めてたんだけど、直と料理の話いっぱいできるおばちゃんたちがズルいなぁ……って、ずっと前から思ってて。だから、直レベルじゃなくても、直と少しくらい料理の話ができるようになりたいから、教えて欲しいって思ってたんだ」
自分の杞憂をズバリ言い当てられて、己の愚かさに頭を抱えたくなるのと同時に、柚と一緒にキッチンで並び、料理について仲良く話し合っているのを想像すると、眉を潜めながら口角が吊り上がってしまう。
多分今の私、相当不細工だ。
こんな顔を見せたくないと思って顔を逸らすと、柚が覗き込んでくる。
「ふふっ。直、変な顔してる」
「み、見ないで……」
「でも…嬉しそう…」
「そりゃ、嬉しいよ……柚と一緒に料理、私もしたいってずっと思ってたし………」
私がそう言うと、柚は花開いたような満開の笑みを浮かべ、その笑顔に、思わず見惚れてしまう。
私が恋した笑顔。
私だけに見せてくれている、笑顔。
「直が嬉しいと……私も嬉しいな」
「……っ……!!」
頼むからこれ以上、好きにさせないで欲しい。
そうじゃないと、柚の顔を見る度に心臓がどうにかなってしまいそうだから。
「あ、それともう一個お願いがあって……」
「……なに?」
「えっと……とりあえず、私の家に帰ろ…?」
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